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第8話

 エルトゥールの名を呼んだのは、光の入る、キラキラとしたステンドグラスが張り巡らされた大きな部屋の中央にいた女性のようだ。  長い金色の髪に、碧色の瞳、白いドレスを纏った美しい女性が笑顔で自分たちのもとへと駆け寄ってくる。 「セレン、仕事中に悪いな」 「とんでもありません。今日は、礼拝にいらしたのですか?」  嬉しそうに話しかける女性に対し、心なしかエルトゥールの表情も柔らかい。  それだけで、二人の間が親しいことがわかる。 「いや、そうじゃなくて……」 「セレン、お前に見て欲しい方がいる。愛し子様、こちらはセレン。当代のシャリームの巫女姫です」  神官長に言われ、セレンの視線が優良の方へ向く。 「愛し子様?」  セレンは興味津々といった様子で腰を屈め、優良の目線にあわせてくれる。 「伝承によれば、愛し子様は少年か少女の姿で現れるそうです。少しばかりお小さい気もしますが……」 「服装や本人の言っている言葉からも、この大陸の者ではないようなんだ。見てもらえるか?」 「勿論です」  言いながら、セレンは先ほどの神官長と同じように、その美しい手を優良の額へと掲げる。  優良がドギマギしながらその手を見つめていると、 「……え?」  セレンの手が近づいた瞬間、優良の額にある橙の小さな痣が、柔らかく光り始めた。  これは、セレンの力なのかと、優良は驚いてセレンの方を見る。  神官長もエルトゥールも驚いているようで、呆然と二人を見つめていた。 「巫女といいましても、私自身に特別な力があるわけではありません。ただ、その方の持つ本来の力を見極めることはできます。額の印は愛し子の証。この光は、シャリームが愛し子様を守る光」 「それではやはり……!」  興奮した様子で神官長が言えば、セレンはすくと立ち上がり、ドレスの端を持ち頭を下げた。 「お待ちしておりました、愛し子様、アナトリア帝国の民は、心より歓迎いたします。神官長様、愛し子様がご降臨なさったと、皇帝陛下にお伝えください」 「ああ、勿論」  神官長は、エルトゥールと優良に一礼をすると、早足で部屋の外へと向かっていく。  振る舞いこそ落ち着いてはいるが、その表情は嬉しそうだ。 「そうか……ユラはやはり、愛し子だったか」  様子を見守っていたエルトゥールの呟きに、優良は弾かれたように隣を見る。  優良自身はまったくピンときてはいないが、神官長とセレンの様子を見るに、愛し子というのは待望されていた存在であるはずだ。  けれど、エルトゥールの表情はどこか冴えない。 「ギョクハン様も、お喜びになりますわね」 「そうだな……」  セレンに話しかけられても、言葉こそ返しているがどこか複雑そうだ。 「愛し子様、皇帝陛下との謁見前に、身なりを整えましょう。その衣装は素敵ですが、今は雨期ですし、気温を考えると少しお暑いのではないでしょうか?」 「は、はい……」  一応、ブルゾンとマフラーは川の中から助け出された時に脱がされたようだが、それでもズボンもセーターも厚着であるため、少し暑さは感じていた。 「エルトゥール様、愛し子様のことは私どもに任せてください」 「……わかった、よろしく頼む」 「えっ?」  もしかして、ここで別れることになるのだろうか。確かに、先ほどエルトゥールは優良を聖堂へと連れていくと言っていた。そう考えると、役割は終えたことになるだろう。  不安から、咄嗟に声に出してしまった優良に、エルトゥールはわずかに驚いたような顔をしたが、すぐにその頬は緩んだ。 「後で、玉座の間で会おう」  優良の気持ちを察したのか、安心させるようにそう言ったエルトゥールに、優良は笑顔で頷く。 「え……?」  けれど、それに対し今度はセレンが疑問を口にする。先ほどのまでの笑顔とは違い、少しばかりその表情は引きつっているようにも見える。 「問題ないだろう、俺にも権利はあるはずだ」 「は、はい……勿論です」  セレンの言葉に頷くと、エルトゥールはもう一度優良に視線を向ける。 「また後でな、ユラ」 「はい」  エルトゥールが口の端を上げ、優良の頭を優しく撫でる。そして、そのまま部屋を退出していった。  セレンは、そんなエルトゥールの背中をしばらく見つめ続けていた。眉間には微かに皺が寄っていて、悔しいような、哀しいような、そんな表情をしていた。 ……セレンさん?  物憂げな表情が気になった優良がその横顔を見つめていると、優良の視線に気づいたのか、すぐに笑顔になったセレンが別室へと案内してくれた。  その笑顔は出会った時と同じ、優しく美しい笑みではあったが、だからこそ先ほどエルトゥールに向けていた表情が印象に残った。  ゆったりとしたズボンに、銀の刺繍が入った青色の上衣。   絹で出来ているのだろう。どの衣装も肌触りがとてもよい。  さらに、聖堂に仕えている女性たちにより、ショールのような薄手のレース地の被り物を髪へとつけられた。  髪留めをされ、前髪を上げられたため額の痣がよく見えるようになった。  前髪は長めであったため、すっきりしてしまった額が落ち着かない。  優良は、異国の王族のような衣装を纏った自分の姿を鏡で見つめる。  馬子にも衣裳。そんな単語が頭を過る。 「とてもお似合いですよ」  用意ができたと知り部屋へと入ってきたセレンが、笑顔で優良を見つめる。 「先ほどは気づきませんでしたが、愛し子様の瞳、大きくてとても美しいのですね」 「あ、ありがとうございます……」  優良の顔は決して悪くはないが、かといってセレンやエルトゥールのように抜きんでて美しいわけではない。  弟の翼が華やかな顔立ちをしていたのもあり、容姿には密かにコンプレックスを感じていた。  さらに、全体的に小ぶりな顔立ちをしていることもあり、ひときわ大きな目だけ目立ってしまっていたため、それが嫌で前髪を下ろしていたのもあった。  だから気を遣ってくれているのだとは思うが、セレンの言葉は嬉しかった。 「さあ、参りましょう」 「は、はい」  セレンが優しく背を押してくれ、優良はゆっくりと歩き始める。  はっきりいって、未だ自分が神の愛し子だという実感はまったくない。  ただそれでも、自分の今の状況を確認するためにも、皇帝には会わなければいけないようだ。 ――――大丈夫だ、誰もお前を傷つける人間はいない。  先ほどの、エルトゥールの言葉を思い出す。  とにかく今は、彼の言葉を信じよう。そう思った優良は顔を上げ、ゆっくりと足を進めた。

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