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第7話
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宮殿は、市街地を抜けた先の、広い敷地にあった。
優良は宮殿というからには西洋の城のような建物を想像していたのだが、そのイメージとは少し違っていた。
まず、宮殿の前にそびえ立つ、石造りの高い門とその壁に圧倒されてしまった。
壁は敷地を取り囲むように建てられているため、中の様子は何も見ることができない。
門の前に立つ二人の番兵は、エルトゥールとサヤンの姿を確認すると敬礼し、すぐさま扉を開いた。
そして、開いた扉の先、敷地内に入った優良は、さらに驚くことになった。
中心にある宮殿の絢爛豪華さは勿論のこと、それ以外にもいくつもの建物が並んでいる。
庭は公園のように広く、チューリップに似た花が一面に咲いていた。
三角の屋根の建物もあれば、白亜の建物もあり、それぞれに特徴は違うものの、不思議と馴染んでいた。
「ラーレ宮殿だ。皇帝が住む本殿以外にも、家族が住む屋敷、聖堂や軍の待機所もある」
ぽかんと宮殿内を見る優良に、エルトゥールがそんなふうに説明をしてくれる。
「だから……こんなにも広いんですね。宮殿というより、一つの都市みたいです」
「そうだな、宮殿内にいれば大体のことは事足りる」
言いながら、颯爽と馬から降りたエルトゥールは、優良にも降りるよう腕を伸ばしてくれる。
恐る恐る手を伸ばすと、軽く抱きかかえられ、なんだかひどく恥ずかしくなる。
「あ、ありがとうございます……」
おそらく年齢はそう変わらないはずだが、エルトゥールは身長も高く、体格もしっかりしている。
「お前がいた国は、食糧事情が悪かったのか?」
「そ、そんなことはないのですが」
優良は身長はそこまで低くはないものの、体重は標準よりも軽い。同じ食事をしていても、翼の方が発育が良かったし、おそらく元々の体質だろう。
エルトゥールはそっと優良を地面におろすと、近くにいた兵士に馬を預け、優良の方を向いた。
「後で案内する。まずは、聖堂へ行く」
「エルトゥール様!」
同様に馬を預けたサヤンが、エルトゥールの言葉を聞くとすぐさま声をかけた。
「なんだ?」
「聖堂へ行く前に……皇帝陛下に……」
「必要ない」
サヤンの言葉を、エルトゥールがバッサリと切り捨てる。これまで、淡々としてはいたが、サヤンの言葉一つ一つに耳を傾けていたエルトゥールの態度の変化に、少しばかり優良は驚く。
驚くというよりも、違和を感じるといったところか。
口惜し気なサヤンを、思わず優良は見つめてしまっていた。けれど、それに気づいたサヤンは思い切り優良を睨みつける。
「ユラ? 行くぞ?」
ビクリと身体を震わせながらも、エルトゥールに促され、優良は石造りの道を歩き始めた。
優良の足の速さに合わせてくれているのだろう。隣を歩くエルトゥールは時折優良を気にしながらも、目的地の方へと向かっていた。
サヤンは相変わらず不機嫌そうだが、渋々といった表情でついてきている。
二人にとっては見慣れた風景なのだろうが、初めて見る建物に目を奪われがちな優良は、時折足が止まりそうになってしまう。
「大丈夫か?」
「え?」
「宮殿内はとにかく広いからな、疲れたなら少し休むか?」
「い、いえ……」
エルトゥールの言葉は嬉しかったが、まさか周囲に見惚れてしまっているとは言いづらい。
「必要ありませんよ! きょろきょろ周りばかり見ているから遅くなるんです」
サヤンが苛立ったように二人の会話へと入ってくる。
「……そうなのか?」
「すみません……」
きまりが悪くなり、申し訳なさそうにエルトゥールを見上げる。
「それならいいが。宮殿内は広すぎて迷う者もいるからな。周りの様子が気になるのは仕方ないが、なるべくついてきてくれ」
「は、はい……ごめんなさい」
恥ずかしくなって謝ると、エルトゥールがポンっと優しく優良の頭に触れた。
そして、そのまま先ほどと同じように歩き始める。優良は遅れないよう、今度は少し早足でエルトゥールの後を追いかけた。
エルトゥールが向かった聖堂は、敷地内の奥にある、丸い屋根が特徴的な建物だった。
周囲の建物よりも高く、歴史を感じさせる重みもある。
門をくぐれば、中には白い服を着た十名ほどの子どもたちが、年配の男性の話を聞いていた。
そわそわと落ち着かない様子の子どもたちには、どこか既視感があった。そうだ、四月に手を引いた入学式の子どもたちの様子に似ているのだ。
「あ、エルトゥール様!」
その中の一人がエルトゥールに気づき、声を上げる。
子どもたちによほど人気があるのだろう、その声に子どもたちの視線が一斉にエルトゥールへと集まった。
興奮する子どもたちを諫めながら、年配の男性が笑顔で自分たちのもとへとやってくる。
「いらっしゃいませ、エルトゥール様」
「仕事中に、すまない」
「とんでもない。今日は礼拝にいらした……わけではないですよね?」
男性の視線が、エルトゥールから優良へと移る。その途端、男性が大きく目を瞠った。
「エルトゥール様、もしやこの方は」
「川の中にいたのを見つけてきたんだ。俺は、神の愛し子……ではないかと思っている」
後半の声は、心なしかひそめられていた。
男性は腰を落とし、優良をじっと見つめる。
そして、皺の多い手を伸ばし、優良の顔の前まで持ってきた。
「こんな老いぼれの私でも、この方の中には光のようなものが見えます。セレンに確かめさせましょう」
そう言った男性の瞳は、穏やかで優しいものだった。
男性に促され歩き始めると、その道すがら、エルトゥールに彼が神官長であること、この国の神であるシャリームについて説明された。
このあたりの地域のほとんどはシャリームを信仰しているが、遠い国ではまったく別の神を信仰しており、過去にはそれが原因で大きな戦争になったこともあるそうだ。
けれどアナトリアは、そういった過去の反省も兼ねてシャリーム以外の神を信じる民への迫害は禁じているのだという。
「とても……寛容なんですね」
優良の住む日本にはあまり縁がなかったが、宗教を巡る戦争の火種は未だ残っていた。
「数代前の皇帝が、他の神を信仰する人間に助けられ、信仰の自由を認めたんだ。とはいえ、シャリームを信仰していた方が税も安いし、途中で改宗する人間もいるけどな」
なるほど、信仰に自由があるが全てが平等というわけではないようだ。
そこでふと、先ほど神官長の口から出た名前を思い出す。
「あの、セレンさんというのは……」
「ああ、セレンは」
「エルトゥール様!」
可愛らしい、高い声が聞こえ、優良はエルトゥールから声のした方へと視線を移す。
気づかなかったが、すでに目的の部屋まで来ていたようだ。
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