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時間を戻してあげようか②

 玲旺が出社するより早くオフィスに到着した久我は、そわそわしながら休憩スペースで缶コーヒーに口を付ける。  いきなり挨拶をしたら警戒されるだろうか。しばらくは様子を見ながら接しよう。 「顔を合わせたら、言い訳ばかりしてしまいそうだな」  今日、既に何度目かわからない溜め息を吐きながら廊下に視線を向けた。そこに藤井の姿を見つけ、久我は驚いて缶コーヒーを落としそうになる。藤井はこちらに目もくれず、手にした紙を掲示板に張り出した。通りすがりの社員がその紙を見て「え!」と大きな声を出し、その声につられて人が集まりだす。  胸騒ぎを覚え掲示板に近づこうとした時、人垣の中から吉田が飛び出してきた。 「く、久我さん。桐ケ谷くん秘書課に異動らしいんですけど、聞いてました?」 「いや……聞いてない」  嫌な汗が吹き出した。  確かに玲旺は今までも他所の課を転々としていたが、このタイミングは意味深過ぎる。 「みんな驚いてますよ。桐ケ谷くん営業に向いていたし、これから益々結果を出せそうだったから勿体ないって。俺もそう思います」  一緒に店舗を回ることも多かった吉田の言葉には実感がこもっていた。掲示板の前の社員達も残念そうに辞令を見ている。  営業部に来た初日は刺々しくて誰も周りに寄せ付けなかったのに、玲旺はいつの間にかここでちゃんと居場所を作っていたのだなと、久我はやるせない思いで人垣を見つめた。 「キミが吉田君かな?」  不意に聞こえた藤井の声に、とっさに久我は身構えた。藤井はいつもの涼しい顔でこちらを見ている。 「玲旺さんは吉田君とメインに組んでいたんだってね。引継ぎのファイルを社内メールで送ったから、後で確認してくれ。わからないことがあったら私に直接聞いてくれて構わないよ。それから……」  藤井は近くで待機していた秘書課の後輩を手招きすると、淡々と業務連絡を続けていく。 「玲旺さんの代わりに、暫く秘書課から彼女が社内出向する事になった。営業の経験もあるから、足手まといにはならないはずだ。吉田君、彼女を営業部に案内して貰っていいかな? この後少し久我を借りたいんだ」  勤務中だからいつものように、「要」ではなく「久我」と呼んだのだと理解していても、その声の響きに少しの棘を感じた。 「じゃあ、行こうか。小会議室を押さえてある」  藤井が廊下の奥にある会議室を顎で示す。何について話すのか、心当たりは一つしかない。  久我は無言で頷くと、藤井と並んで歩き出した。玲旺だって二十歳(はたち)を過ぎた大人だし、もう立派な社会人だ。自分との間に何かあったとしても、プライベートまでとやかく言われる筋合いはない。  ただ問題なのは御曹司であることと、それとは別に、久我は藤井に対して後ろめたさのようなものがあった。

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