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二度目の冬③

「じゃあね、今日もご馳走様でした」  地下鉄の改札で、玲旺は振り返って月島に手を振る。 「こちらこそ。あのワイン、美味かった。また連絡するよ。食いたいもんあったら教えて」 「うん。でも思ったんだけどさぁ、今のままだと俺の意見しか反映されてないんじゃない? 他の人にも味見して貰った方が良いよ。このままだと眞の出す店は、俺好みの味付けの、俺の好物ばかり並んだメニューで、俺のための店みたいになっちゃうよ?」  ははっと笑った月島の声が構内に響く。 「いいな。それ」 「ねぇ。俺、真剣に心配してんだけど」 「大丈夫だって。ほら、電車来ちゃうよ。職場変わって、前より朝早くなったんでしょ? 遅くならないうちに帰らなきゃ。……またね、おやすみ」  いつも別れ際、月島は「またね」と言う前にほんの少しの間が空く。何かを言いかけてやめるような気配がして、一度だけ「何?」と聞き返したことがあった。月島は驚いたような顔をして大きく息を吸ったが、その息をゆっくり吐きだしながら「何でもないよ」と、首を振って小さく笑うだけだった。  それ以来、玲旺はもう気にしないようにしている。 「うん、おやすみ。またね」  ホームへ降りる階段の途中で、もう一度振り返る。月島はまだ改札の外で見送ってくれていたが、それもいつも通りのことだった。月島に向かって軽く手を上げ、階段を降りきった玲旺は、丁度よく来た電車に乗り込んだ。  地下鉄に揺られながら、ドア付近に立った玲旺は窓の外を眺める。当然景色など見えるはずもなく、真っ暗な車窓に映るのは、少し眠たそうな自分の顔だ。  今年の秋からグレースを離れ、支社長である瑠璃の元で経営に携わるようになった。店舗とは勝手が違って戸惑うことも多かったが、販売の流れを知っていて助かる場面もたくさんあった。最初の一年を店舗勤務と指示した父の判断が正しかったことに、少しだけ複雑な気分になる。  真っ暗な窓の外を眺め続ける玲旺がため息を吐くと、ガラスが白く曇った。  ふと、別れ際の月島の表情を思い出す。あの瞬間、毎回何か引っかかるものがあった。  だからつい、改札を振り返ってしまうのだ。  玲旺の姿が見えなくなるまで、どうしてあの場に留まり続けるのだろう。もしかしたら姿が見えなくなった後も、すぐに帰らず少しの間待っているのかもしれない。  何のために?  まさか自分が引き返してくるのを期待して? 「いやいや。さすがに自意識過剰だな」  いつぞやのノアを思い出す。大晦日のパーティに誘われて身構えたが、結局何でもなかった。今回もきっと気のせいだ。そうでないと困る。  月島とは良い友達のままでいたい。 「でも、今日は少し参ったな」  月島の言動が、時折り久我と重なる。  嫌われ者を演じていた理由を告げた時、『俺はお前を裏切らない』と躊躇わずに言い切られ、ドキリとした。  ただ、それだけだ。  久我を思い出すと胸に走る、あの痛みに似ている。ただ、それだけ。

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