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*第30話* ノスタルジア
玲旺は氷雨がロンドンに訪れる日を指折り数えて待った。
出張ついでなのでゆっくりはできないと言っていたが、久我の近況くらいは聞けるかもしれない。それに、単純に氷雨に会えることが嬉しかった。何しろ一年半ぶりだ。
約束の日には楽しみなあまり、生まれて初めて待ち合わせの時間より早く到着したほどだった。
「氷雨さん!」
ショッピングストリートの最寄り駅で、氷雨の姿を見つけた玲旺が駆け寄る。
「キミの方が早く着いてるなんて思わなかったな。久しぶり。何だかイイ男になったわね?」
「氷雨さんも。前よりもっと美人になったね」
「えっ。キミがお世辞言うとか、怖いんだけど」
「お世辞じゃないよ?」
機嫌よく笑う玲旺の頭を「よしよし」と氷雨が撫でる。
実際、黒髪の地毛に薄化粧でもとても綺麗だった。毎日が充実しているのだろう。満ち足りた空気が氷雨の周りには漂っている。
「グレースで買い物するためにわざわざ来てくれたの?」
「最近新事業がひと段落して、やっと少し自由に動けるようになった感じでさ。ま、すぐにまた忙しくなるんだけど。今回は何カ所か行かなきゃいけない場所があってね。折角だから、無理やりスケジュール捻じ込んでみたの。キミに会いたかったし」
「俺も会いたかったから、超嬉しい」
氷雨は目をパチパチさせて、両手で自分の頬を押さえた。
「ねぇなんなの? さっきからめちゃめちゃ可愛いこと言うじゃない? 連れて帰っちゃおうかな」
うん。連れて帰ってよ。
思わず喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、玲旺はグレースの店舗へ案内する。
店頭に立っていたノアは氷雨を一目見るなり心奪われたようで、玲旺の腕を掴んで耳打ちした。
「ちょっとレオ、この物凄い美人はどちら様? 紹介してよ」
ノアは玲旺が社長の息子だと知った後でも、態度を変えずにいてくれるので有難い。むしろ「へーそうだったんだ」と大したことのないような素振りで、もっと早く打ち明けておけば良かったと思ったほどだ。そんなノアがこれほど動揺するとは、やはり氷雨は只者ではない。
「ノア、仕事中でしょ。それに、氷雨さんは男の人だよ」
「男性? そんなの全く問題ない。それより名前はヒサメって言うの? 初めまして、ヒサメ。今日、この後の予定は?」
話しかけられた氷雨は、ニッコリと妖艶にほほ笑む。その笑顔のまま玲旺を前に押し出し、ノアとの間に壁を作った。
「桐ケ谷クン、僕英語わかんないし、適当に断っといて。ゆっくり商品見たいから、邪魔すんなってくれぐれも伝えてね」
じゃ、と言って氷雨は商品を物色し出す。面倒な役回りを押し付けられたなと、玲旺は気まずそうにノアを見上げた。
「あのね、ノア。氷雨さん、忙しいんだって」
「少しの時間でいいんだ。せめてお茶だけでも」
氷雨のためにも断らないといけないが、それ以上に折角会いに来てくれた氷雨をノアに取られるのは嫌だった。
「ダメだよ。俺だって、久しぶりに会えるの凄く楽しみにしてたんだから。今日の氷雨さんの時間は、全部俺のために使ってもらうの。ノアにも譲れないからね。諦めて」
少し離れた場所で商品を手に取っていた氷雨が「ぶはっ」と吹き出した。シュンとなったノアを放って、玲旺は氷雨の元へ寄る。
「なんだよ、もう。氷雨さん英語分かってるでしょ。話せるんなら自分で断れよな」
「ごめん。とぼけてようかと思ったけど、キミがあんまり可愛いから我慢できずに笑っちゃった」
玲旺とノアの会話をしっかり理解していた氷雨は、可笑しそうに肩を揺らした。
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