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第3話
「なぁ、次の所、考えてる?」
吉尾と益田と、俺の3人で学食でお昼ご飯を食べていた。
そう声を掛けられて、振り返ると成瀬(なるせ)君が後ろに立って俺を見下ろしてきた。
「まだだよ。中々良い場所が見つからなくてね…。」
玄ちゃんのお父さんの規制はまだ解除されていない…
お昼行ける心スポなんて…普通の場所じゃ、ただのハイキングだ…
「成瀬君は良い場所知ってるの?昼間でも怖い所だよ?」
俺の隣に座ってくる彼の顔を見ながら、俺は笑顔で尋ねた。
「あるよ。」
彼は真剣な目で俺を見つめ返して小さく言った。
その声色がなんだか意味深で、少し興味をそそった。
「どこ?」
興味津々で聞く俺に、彼は顔を近づけて囁くように言った。
「俺ん家。」
一同大ウケして笑い声が大きくなる。
益田に関しては机を叩いて笑うから、向こうに座ってる女子からクレームを受けて、謝りに行った。
俺は成瀬君の方に体を向けて、頬杖をついて呆れ顔で言った。
「もう、成瀬君。それは女の子を誘う時に言うセリフじゃん!あはは、俺達を口説こうとしてるの?俺ん家!キリッみたいな…。君って変わってると思っていたけど、本当に面白いね。」
成瀬君は俺を見て微笑むと、手を伸ばして俺の頬を撫でた。
ゾワッと鳥肌が立って身を引いてしまう。
「な、な何するんだよ…びっくりするじゃん…」
動揺しながらも平常心を装って成瀬君に抗議すると、彼は優しく微笑みながら言った。
「俺、梅ちゃんの事、可愛いって思ってるよ。前からずっとね。」
ん?
これって…どういう事?
「それはさておき、本当に俺の家、幽霊屋敷なんだよ。」
さておかれた問題の方が気になる所だが、家なら…玄ちゃんも来てくれるかもしれない…それにコンテンツとしても引きが良い気がする。
家は他の人にとっても身近な問題だ。くつろげる筈の自宅が大変なことになっていたら、霊が暴れまわっていたなら…心スポよりも視聴者の関心や共感を生むのではないか…それに、機材もセットしやすい狭い空間だ。ある意味視聴者の興味関心を引き出せるコンテンツになるのでは無いか?
「詳しく聞かせてよ。」
俺は成瀬君にそう言うと、メモ代わりに携帯を取り出した。
「俺が子供の時からそうだったから、何時からとかハッキリ分からないんだけど、朝でも、昼でも…もちろん夜でも霊現象が活発なんだよ。例えば、誰も居ない部屋で足音がする…とかはしょっちゅうでさ。窓の外から誰かが見ている…でも、ここは2階だ~!みたいなこともしょっちゅうあるの。」
ほほ…凄いな…
俺は携帯にメモしながら成瀬君に聞く。
「どうしたいの?無くしてほしいの?それとも、見に行って騒いでほしいの?」
携帯でメモする俺のすぐ側に顔を寄せて、成瀬君は俺の耳元で囁く様に言った。
「梅ちゃんに…家に、来て欲しいの…」
「や~め~て~!」
俺は耳を抑えてそう叫ぶと、席を立ったり、座ったりした。
益田と吉尾が俺の反応を見て大笑いする。
玄ちゃんじゃない人にこんな事されると、普通の男の様に嫌悪感を抱くんだもの。俺はゲイじゃない…。ただ、玄ちゃんが好きなだけだ…。ゲイじゃない。
「とりあえず、状況を確認したいから見に行くけど、大したこと無かったらやらないよ?」
成瀬君にそう言って、明日の6時にお宅に伺う次第となった。
「あれって、冗談で言ったのかな?」
「いや、目つきはマジだったよ?」
益田と吉尾の会話を無視して、俺は玄ちゃんにメールした。
“玄ちゃん。お家の心霊現象で相談を受けたよ!これならお父さんも良いっていうかな?”
送信を押して、携帯をしまう。
成瀬君はもともと変わった子だった。
背の高いスラッとした人で、服の着こなしもスマートで、絶対モテると思ったのに、彼女が居ないのはゲイだったからなのかな…。
サークルにも入らないし、講義の合間には大体中庭のベンチで文庫本を読んでいた。
変わってないって?まぁ、行動は変わってないんだけど…なんて言うんだろう…異質な雰囲気がして、俺は彼が少し苦手だった。怖いっていうか…、苦手なんだ。
掴み処がなく、試してる訳でも、見下されている訳でもないのに、彼に対して違和感がぬぐえないんだ。おかしいのはこんな事言い出す、俺の方なのに…
玄ちゃんから返信が返ってきた。
“分かんない”
そうか…
分かんないか…
俺は天を見上げて復唱した…
「分かんないよな~」
「えっ!成瀬君ってあの成瀬君?」
百合子ちゃんが驚いたように話に食いついて来る。
「そうだよ、成瀬君の家に行くんだ。それで凄い現象が起きていたら、YouTubeのコンテンツとして撮影しようと考えてるよ。」
俺がそう言うと、百合子ちゃんは頬を赤らめてうっとりした表情になって言った。
「成瀬君って…ミステリアスで女子の間でも人気なんだよ?うわ!お家に行けるんだ!美穂子に自慢しちゃおう!」
「ダメだよ。個人情報だからね。せめて動画がアップされるまでは公に言わないで?」
全く、玄ちゃんの事好きだったんじゃないのかよ?!
俺は女子の幾つもある恋心に辟易した。
ラクダの胃袋だ。女の恋心はラクダの胃袋だ!
授業終わりの駅までの道、百合子ちゃんと別れて俺は玄ちゃんの元に向かった。
「分かんないって…わざわざメールするところが良いんだ。」
そっけが無いのは昔からだ。
寺の大きな御神木が空に見えてくる。
直感であの人が居る事が分かって、俺は下を見ながら境内に入った。
100メートルほど歩いたのに…
どうしてだろう…あの人の気配を感じるのに、俺に近づいてこない…
急に不安になって、目線を上げて、彼を探す。
誰かのお墓の前に立っている後ろ姿を見つけた。
傍に寄って行き、昔そうしたように彼の手に自分の手を入れて繋ぐ。
「どうして何も言わないの?」
視線を上げすに彼に聞いた。
俺の質問に答えないで、彼も視線を落とさず、こう言った。
「何が怖いの?」
まるで俺の心を見透かすみたいに、一番触れてほしくない事を聞くんだ。
怖い…あの精神病院にまだいる気がして…これが夢のような気がして…怖い。
「不安なの?」
不安だ…あれから何をしていても不安だ…
俺はその人の腕に寄り掛かると、彼と一緒に墓の名前を見た。
墓石には“先祖代々の墓”と書かれていて拍子抜けした。
「俺の墓かと思った…」
そう呟いて笑うと、その人は俺の肩を抱いて言った。
「お前のはもっと綺麗なやつにしよう。普通の御影石よりも庵治石(あんじいし)が良い。」
希少で高価なものだよ?と言って笑う。
「死んだ後の事なんて、どうでも良いじゃないか…」
ため息を吐くように言って、彼の体にもたれかかった。
「そうだね…」
彼はそう言ってもたれた俺の体を優しく抱いた。
「梅之助、離れて…」
後ろから玄ちゃんの声がした。
でも、不思議だ…離れたくないんだ。
怖くて、不安で、何か確実なものに縋りたいんだ…
玄ちゃんはもしかしたら、俺の夢かも知れない。
でも、この人は夢の中だとしても、確実なんだ…
「梅ちゃん!」
玄ちゃんが怒鳴るから、俺はその人から離れて玄ちゃんの方に行った。
玄ちゃんの怒った顔も、俺の夢かも知れない…
「行こう?」
俺は玄ちゃんの手を掴んで家に向かった。
「話しちゃダメだよって。何回言ったら分かってくれるの?」
怒ったような声で俺を叱る玄ちゃんにどんな顔したらいいのか分からなくなる。
「不安なんだ…」
ポツリと言って我に返る。
「何が?何が不安なの?」
心配そうに俺の顔を覗いて来るから、俺は笑ってごまかした。
「なんてね、嘘だよ!また誰かを連れて行ったのかと思って見に行っただけだよ。」
俺がふざけてそう言うと、玄ちゃんは訝しげな顔をして俺を見た。
「あのお墓の人、この前納骨したばかりの人だよ。まだ若いし健康だったのに、ある日突然、眠る様に亡くなってしまったんだって…。気の毒だよ。梅ちゃん、失礼だよ。」
そうだな…凄い失礼だ。
俺は玄ちゃんの手を繋いで言った。
「ごめんなさい…」
ん…と短く言うと玄ちゃんは俺を家にあげてくれた。
玄ちゃんのお父さんが夕方の御勤めをしている。
お香の香りとお経が聞こえてくる。
これも夢かも知れない…
「玄ちゃん、今日ね、自宅がお化け屋敷の人が相談したいって言ってきたんだよ。」
俺はいつもの様に彼の家のリビングに行くと、我が物顔でソファに座った。
麦茶を入れて俺の前に出すと、玄ちゃんはソファに座って俺をまだ訝しげに見てくる。
「なんだよ?」
さすがに気になって玄ちゃんを睨むと、彼は俺の頭に手を置いて言った。
「何か心配事があるなら、俺に相談してね。」
あの人じゃなく…と言って、とても寂しそうな顔をした。
「大丈夫だよ…何にもないから!」
何てことだ…こんなに心配させてしまった。
俺は携帯を取り出して、気持ちを切り替えるとメモしたものを見ながら成瀬君の話をした。
「明日見に行ってみるね。すごかったら、玄ちゃんも一緒に来てくれるだろ?」
俺がそう無茶ぶりをすると、玄ちゃんは少し困った顔をしたけど、いいよ。と言ってくれた。
あの時、精神病院で…彼に会いに行かない選択をしたとき。
俺の心が潰れた気がした。
…ただの夢だ。本当の事じゃない。
そう思いつつ、もしかしたら本当の出来事だったのかもしれない…と心がざわつく。
もし、そうならどうやってここに戻って来たのか…
どうやって時間が戻ったのか…説明がつかない。
あの人を、あの時、見た気がするんだ…
人間じゃないから、そんな御業も可能なのかな…
珍しく人の墓前に立ち続ける彼を見て、不安になった。
あの亡くなった人が…もしかしたら、俺の身代わりにされたのかもしれない…
「玄ちゃん!」
恐怖で潰れた心が痛い。
俺がいきなり叫ぶから、玄ちゃんは驚いてお茶をこぼした。
彼の顔を見て、すべて話そうと思ったけど、なんて説明したらいいのか悩んで、止める…
「玄ちゃん…そろそろ…帰るね。」
そう言ってリュックを背負うと、急ぎ足で玄関に向かった。
「梅ちゃん、様子が変だよ。今日は泊っていきな!」
玄ちゃんの声が後ろからしたけど、振り向かないで、逃げる様に玄関を出た。
あの人がまだあの墓前に立っている。
横目にそれを見て、俺は足早に寺の境内を抜ける。
全てから逃げる様に顔を背けて走って抜ける。
全てが夢のように感じて…ここで生きていくのが怖い…
「梅ちゃん。梅ちゃん。聞こえてますか~?」
眠ってしまったのか、益田に起こされて目を覚ます。
成瀬君の家に向かう車内でウトウト眠ってしまったようだ。
「俺、もし梅ちゃんが成瀬とそうなっても、友達続けるから…」
なんだ、それ…
「俺には玄ちゃんが居るから…」
俺がそう言うと、益田が大笑いした。
「お前は男にモテるのかな~」
知らねぇよ…俺だって成瀬君のあの積極的な感じには困っているんだ。
突然だ。
前はそんな事なかったのに、突然あんな事を言い始めた。
怪しいよな…俺もそう思っている。
全ての事が繋がっている気がしてならないよ。
ピンポン
定刻通り、成瀬君の家に到着してチャイムを鳴らす。
玄関が開いて、成瀬君が顔を覗かせる。
「こんばんは~」
俺達は玄関に通されて、彼の言うお化け屋敷に入った。
「こういうのって、霊感がある人連れて来ないと分からないよね?」
益田がそう言って俺の方を見る。
「玄ちゃんには確証を得てから報告するんだい!」
俺はそう言って成瀬君を見た。
部屋の中は綺麗に片付けられていて、何も特殊な事は無い。
奥でカレーを作るお母さんと挨拶して、妹ちゃんと挨拶した。
「おにいが連れてきた人、可愛いね。アイドルみたい。」
高校生くらいかな…お兄ちゃんの事、おにいって言うんだ…可愛いな。
「おにい、霊現象はいつ起こりそう?」
俺が笑いながらそう聞くと、さっきまで和やかだったリビングの空気が重くなった。
「そろそろ…」
妹ちゃんがそう言うと、上の階からかかと落としの様な足音が聞こえてきて、天井を揺らした。
「何?何?誰かいるの?」
益田が階段の方に向かって歩いて行く。
まるでその益田の動きに合わせる様に、上の足音が階段の方にドンドン踏み鳴らしながら移動していく…
俺は益田の方を注視した。
彼は階段の手すりを掴んだまま、上を見て、俺を見て首を傾げる。
その時、ドドドドド!と凄い音を立てながら階段を下りてくる足音だけ聞こえた。
ビビッてこちらに逃げてくる益田を受け止める。
「…怖い…!」
からかう様に音を立てて、異様に気が短い幽霊なんだろうか…
俺は成瀬君の方を向いて尋ねた。
「危害を加えられたりした事ってあるの?」
「何度もあるよ。」
彼は淡々と答えて、妹ちゃんの足を…女子高生の生足を俺に見せてくれた。
「ここと…ここ。何もしていないのに、朝起きたら切れていた。」
彼女の足、ふくらはぎから太ももにかけて一本の線が出来ていた。
まるで細い針でなぞった様な細い線。
これは…自分でやった可能性も捨てきれない…
「傷をよく見てみて?傷の入りと出が分からないんだ…」
成瀬君が言うから、仕方なく、女子高生の生足をマジマジと拝ませていただく。
これは玄ちゃんにはやらせない…!
確かに…どれも均等に力が加わっている様に見える。
「コレ、痛くないの?」
俺が顔を見ながら尋ねると、妹ちゃんは痛くないと言った。
両足に付けられた傷が、果たして霊の仕業なのか分からないが、何かが居る事は確かなようだった。
「お母さんは何か怖い目に遭いましたか?」
カレーの良い匂いにつられて、キッチンにいるお母さんに話を伺う。
お玉でお鍋を混ぜながら、ん~と考えるお母さんは、大学生の子供が居る様に見えないくらい若くて可愛らしかった。良いなぁ、こんな可愛いお母さん…
「そうね、私が寝てる時、ベッドが揺らされるの。こう、グラングランって!」
もうこの家の人はこういう現象に慣れてしまっているのか…。
あっけらかんと怖い事を言うんだ…
「どう?梅ちゃん。YouTubeで俺の家、取り上げてみる気になった?」
俺の近くに来て、成瀬君が微笑みながら言う。
上の階でゴッゴッゴ…と物を動かすような音が響いている。
俺はまだ明言せずに、階段を上がって2階に行った。
電気をつけて階段を上がると、扉が4つ見えた。
1番奥の部屋から、扉をノックする音が聞こえる。
後ろに成瀬君がピッタリくっついて俺に説明してくれる。
「あれは両親の寝室だよ。その隣がお父さんの書斎、で、その次が妹の部屋で、最後が俺の部屋。1番うるさいのは、書斎かな…」
俺は成瀬君から離れてノックの音がしたご両親の寝室に入る。
暗い部屋に電気をつけて、一通り見渡す。
「霊感ある人なら何か見えるのかもしれないよね?」
益田がしつこく言うから、俺は睨んで言った。
「こういうのは霊感無くても分かる位じゃないと、取り上げても理解されないさ。だって、視聴する人は霊感持っていない人の方が多いんだからね?」
俺がそう言うと、寝室のベッドのスプリングがきしんで音を立てた。
まるで、誰かが乗ったみたいな音だ…
窓のカーテンがユラユラ揺れて、電気が消える。
扉がバタンとしまって、キャッと悲鳴を上げて益田が俺にしがみ付く。
暗闇の中、俺は誰かに腕を掴まれてベッドに放られた。
「梅ちゃん!」
益田が俺の声を呼ぶけど、暗くてどの方向に居るのか分からないかった。
とりあえず、ベッドから降りようと体を動かすと、今度は押さえつけられて仰向けになった。…なんだ、やばい気がするぞ。
俺は暴れてベットから起き上がろうとするけど、両手首に誰かの指を確かに感じてゾッとする。だって、目の前には誰も居ないんだから…
「益田!助けて!なんか押さえつけられてる!」
俺がそう言うと、ベッドの端に益田が見えて、俺を助けようと手を伸ばした。
俺のTシャツがめくられて、何か破廉恥な事が行われそうな雰囲気に、益田の手が止まる。なぜだ?!なぜ止まるんだ!!
「女の子じゃない!俺は女の子じゃない!」
霊も勘違いするのかな…俺は男だ。
そのままズボンまで下げられる。
だめだ。今日はクマちゃん柄のパンツなんだ…嫌な事が無いように、パンツをファンシーにしてゲン担ぎしたのに…こんな、晒されるなんて…
寝室のドアが開いて、成瀬君が飛び込んで来る。
「あ…」
俺を見て成瀬君が、あ…と言った。そうだな、それが正しい反応だ…
未だ手首の抑えが離れない俺は、体を捩ってこの状況から抜け出そうと頑張る。
「益田…早く助けてくれないと、大事な何かを失う…!」
目に見えない何かが俺の腹を舐めた。
舌のヌルッとした感覚が、体中の鳥肌を立てる。
「あ!舐めてきた!舐めてきた!!」
こんなの公開悪戯だ!!
成瀬君がベッドに上って、動けない俺を真上から見下ろす。
「何してるの!早く助けてよ!」
俺の腹を舐めた何かが、そのまま上に上がってくる。
最悪だ!
成瀬君は俺の顔に顔を近づけると、何事も無いようにキスした。
ここの霊も、住んでいる人も…こういうの、趣味なんですか…?
「ん…なるせ!…んん!…やら……んっ…んん!」
舌の入る大人のキスをされて頭にくる。
俺はまだ玄ちゃんとも、そんなことしていないのに!!
「やめろ!!」
ブチ切れて成瀬君に頭突きをすると、彼は後ろに転がって行った。
同時に体を拘束していた目に見えない力も無くなったようだった。
「益田!帰る!」
俺はくまちゃんパンツをズボンの中にしまって、Tシャツを直すと、床で伸びてる成瀬君に言った。
「確かに霊現象は凄いけど、動けない人にあんな事するなんて最低だ!謝れ。謝らなかったら、この話は無かった事にしよう!」
「梅ちゃん…ごめんね…」
フン!
俺は階段を下りて、お母さんと妹ちゃんに挨拶すると玄関に向かった。
益田が破廉恥な展開にニヤニヤ笑いながらついて来る。
玄関を出ようとしたその時、俺の腕が、また何者かに掴まれて、前向きに玄関の扉に押さえつけられる。ここの幽霊はゲイで、しかも俺を執拗に狙ってくる!
「梅ちゃん、好かれてんな…!」
「じゃないだろ!早くなんとかしてよ!」
俺のズボンがまた勝手に下がって、後ろのクマちゃんプリントが剥き出しに晒される。
羞恥心だ!羞恥心を弄ばれている!!
妹ちゃんが騒ぎに気付いて、俺のクマちゃんパンツを見て吹き出す。
「お母さん!塩~」
緩いな、慣れすぎているよ。君たちが甘やかすから、この家の霊はこんな、破廉恥になったんじゃないのかな…?
パンツの上からさわさわと、尻を撫でられる感触がして、うんざりする。
お母さん、早く塩を下さい…。
「あぁ…何か良い眺めです。」
妹ちゃんが俺のクマちゃんパンツを眺めて、ふざけた口調で言う。
「早くなんとかして!なんかパンツも脱がされそうで嫌だ!」
俺がそう言うと、クマちゃんパンツ越しに何かがあたる感覚がして鳥肌が立つ!
「やだ~!やだ~!!玄ちゃーーんっ!」
俺の純潔が汚されちゃうよ!
妹ちゃんが塩をパラパラと掛けると、あっという間に手が自由になって、俺はすぐさまズボンを引き上げて玄関を出た。
「あははは!ひぃひぃ…ぶははは!!」
益田が文字通り、笑い転げている。
「この家はまずいよ、俺が狙われてる…俺の操が危なくなる…」
俺は身の危険を感じて、速攻で玄ちゃんに電話した。
悲しい、よくも知らない男にキスされた事と、クマちゃんパンツを笑われた事…あと、あんな所で羞恥心を弄ばれた事…女子高生にかっこ悪い所を見られた事…。
もう、悲しいよっ!
「もしもし、玄ちゃん!この家の幽霊はゲイのドスケベなんだ!俺が狙われてるの!クマちゃんパンツまで晒されて…みんなに笑われたの…え~ん、え~ん。」
電話の向こうで話している玄ちゃんは、俺のクマちゃんパンツに反応して笑った…
コレは良いパンツなのに…
「玄ちゃん!酷いよ!俺、生きてる男にキスされて傷ついてるのに!馬鹿ぁ!」
女の子みたいにバカって言って切ってやった。
さぁ、掛けて来いよ。
俺は益田に携帯を向けながら待った。
玄ちゃんが慌てて俺にリダイヤルするのを待った…
成瀬君が窓から俺の様子を見ている…目が合うと手を振ってきた…
トラックが後ろの道路を通っていく…
一台…そして、また一台…
えっ?!掛けてこないの…?!
益田が本格的に笑い死にそうだったから、俺は携帯をしまって車まで黙って歩いた。
普通にショックだ…
「梅ちゃん、可哀想…」
お前の傷口に塩を塗る遊びにも付き合いたく無い位、玄ちゃんに腹が立った…
「俺、玄ちゃんと連絡とりたくない!お前が窓口して!」
家の前まで送ってもらい、そう言うと、俺は益田の返事も聞かずにドアを閉めた。
「何だよ…何だよ…」
悲しくて目が潤む。
部屋の前まで来て、携帯を見ると玄ちゃんから電話が掛かって来ていた。
「遅いよ…玄ちゃん、遅いよ…」
部屋の鍵を開けて部屋に入る。
そのまま電気もつけずにベッドに突っ伏して目を閉じる。
部屋の中で何かが動いたけど、もう、どうでも良い…
それが歩き回ってるけど、どうでも良い…
俺は寝るんだ…
…起きたら、また白い部屋に居たらどうしよう…
それでも良い。
もう、どうでも良い…
部屋の中を動き回る何かに見守られながら、俺は眠った。
「玄ちゃん心配してたよ?」
益田がそう言ってもオレは怒っている。
「いつになった?」
短く予定だけ聞く。
「今週の金曜日なら大丈夫だって…」
心配そうな顔をする益田を平常心の塊のような顔で見て、俺は頷いて言った。
「分かった。じゃあ、成瀬君にそう連絡しておいて。時間は午後1時から。」
要点だけ伝えて、バイトに行くんだ。
玄ちゃんなんか、もう知らない…!
どうせ、いつか女と結婚して、子供を作るんだ。
そして、あの寺は代々続いていくんだろう!
俺はその頃、あの人に取られた寿命が尽きて死ぬんだ。
そうだ、あの人に寿命をあげたせいで、俺は早くに死ぬんだ!
立ち止まって窓の外を見る。
夕暮れ時の空は赤く染まって、鳥のシルエットが奇麗に映る。
あの時も夕暮れ時だった…
小1くらいの時、あの人が言ったんだ。
俺が望めば、死んだ両親に会えるって…
小学校に上がった俺は、お母さんがお迎えに来る友達が羨ましかった。
俺は事故で両親を亡くした当時、あまりに幼すぎて、母の顔も父の顔も覚えていなかったから…面影すら思い出せない両親像に苦しんだ。
両親が恋しくて、俺は彼に言ってしまったんだ。
「お父さんとお母さんに会いたい…」
「じゃあ、取引をしよう。」
あの人はそう言うと、俺の手のひらに指を置いて言った。
「お前の寿命を私にくれ。そうだな…両親に会いたいのなら、全てだ。」
「寿命…?いいよ、あげる…」
俺は馬鹿だったせいか、寿命の意味を知らなかった。
俺の返答に彼は恍惚とした表情を浮かべて言った。
「梅ちゃん、お利口さんだね。これから、私と一緒に居ようね。」
「うん、いいよ。」
いつも寂しそうにお墓を見ているこの人を知っているから、寂しいのだと思って、そう答えた。
彼は俺の手のひらに置いた指を動かして、何かの模様を俺の手に描いた。
瞼が重くなって、足から力が抜けて倒れ込む。
抜け殻の様になった俺を抱き抱えて、あの人は嬉しそうに言う。
「梅ちゃん、お父さんとお母さんの所に連れて行ってあげるね。」
「待たれよ!」
知らない人の声がして、いつも優しいこの人の声が低く唸る様に聞こえる。
「契約は済んだ。この子の寿命を頂いた。これは既に成就した。すなわち、止める事も出来ぬ。」
「待たれよ!7つまでは神のうち。簡単に渡す訳にはいかない。」
強い口調なのに、怒っている訳ではない、この声に心地よさを感じる。
「では、どうする?」
腕の中の俺の髪を撫でながら彼は尋ねた。
「この契約、間に私が入らせていただく。」
いつも優しいあの人は唸り声をあげて俺を体に抱えて隠した。
唸る度に胸元の振動が俺の頬を震わせて、まるで犬の様だと思った。
「まず、この子供は幼すぎる。あなたの契約内容を理解していない事を考慮する、これはあまりに酷い詐欺の様な物だ。これを是としてはあなたも神の1人、立つ瀬がないだろう。如何か。」
この人は神様なの?…いつも黒い服を着ているのに…神様なんだ
お父さんとお母さんの所に連れて行ってくれる、神様だ…
「仕方ない…」
彼はそう言うと、俺の手のひらを取って相手に見せた。
さっきよりも、太くて大きな指がさっきと違う模様を描く。
「これでこの子は私の物でもある。では、まずこの子の寿命をお返しください。」
「ならぬ」
「…では昇華せずにお持ちください。あなたの手元でお持ちください。いつか寿命を全うするその日まで、あなたの手元で、この子の寿命をお持ちください。」
彼は頷いて腕の中の俺の口に息を吹き込んで目覚めさせる。
「…お父さんとお母さんに、まだ会っていないのに…!お前は、嘘つきだ!」
俺は彼の腕の中で、彼の顔を引っ叩いて、髪の毛を引っ張って、激しく怒ったのを覚えている。
「やめろ!子供!この方は神ぞ!死神ぞ!」
それが玄ちゃんの境内にいるあの人の正体だ…
そして、その時、玄ちゃんのお父さんが俺を助けてくれた…
彼は死神。
俺は寿命を握られて生きている。
何かある度に多重契約を求めてくる死神だ。
俺を早く殺したいんだ…だから、契約には寿命何年分と付け加えて言う。
今まで交わした契約は、
・自転車が欲しい…寿命1年
・頭が良くなりたい…寿命4年
・高くて買えない靴が欲しい…寿命2年
・一人旅する資金が欲しい…寿命1年
・インフルエンザに死ぬまでかかりたくない…寿命2年
…合計10年
元々の寿命がどのくらいか分からない俺は、いとも簡単に寿命を削っていった。
玄ちゃんは、それを防ぐために俺に彼を無視しろと言った。
でも、でも…
お前が女と結婚するところなんて、見たくないよ…
その前に死にたい…
携帯に玄ちゃんからメールと電話が山の様にくる。
今更遅いんだ…
俺はすべて無視して、急いでバイトに向かった。
「さぁ、金曜日になりましたよ。梅ちゃんは…まだ怒ってるの?」
益田が俺をからかう様に言ってくる。
「玄ちゃんも忙しかったんだよ…ね?許してあげようよ…」
なんだ、百合子ちゃん、君はいつからそんな俺を下に見る様になったんだい?
「梅ちゃん、ごめんね。電話が繋がらなかったんだよ…」
俺はみんなを無視して成瀬君の家の前で1人スタンバイした。
「もう…」
一同揃ってため息をついて俺の両側に並んだ。
益田がカメラを構える。
既に室内には定点カメラをセットして、ナイトビジョンのカメラもセットした。音響研究会に借りた音発生源の分かる機械も、一番現象の多いお父さんの書斎にセットした。成瀬君の家族には今日は外泊してもらう。
現在時間は夕方の5:00
集合した1:00から機材のセットまで、意外と時間がかかって、こんな時間になってしまった…
この時間から明日の朝まで、ぶっ続けでこの“ゲイの霊が居るエロ心霊ハウス”に缶詰してやる。
「さぁ、お久しぶりです。映研梅ちゃんの“心霊スポット除霊訪問”のお時間です。前回の動画はかなり好評いただきまして、ありがとうございます。今回はですね、一味違う心スポをご紹介したいと思います。」
俺がそう言うと、益田がカメラをパンさせて成瀬君の家を写す。これは後でモザイクを掛ける。
「こちらのお宅に本日はお伺いしています。住人のお話によると、ここに引っ越してきてから、既に心霊現象は起きていたようで、住人の方が順応する関係で今まで過ごしてきたようです。今、午後の5:00から明日の朝7:00まで、ぶっ通しで怪奇現象の検証をしていきたいと思います。本日は住民の皆さんには外泊していただいております。相談者の息子さんはこちらの調査に参加していただくため、残っていただいています。それでは早速、中に入りたいと思います。」
俺が玄関に入った瞬間、また見えない誰かの腕に掴まれる。
「うあ!」
手を後ろに引っ張られて階段で転ぶ。
「梅ちゃん!」
玄ちゃんが駆け寄って俺を起こすけど、俺はその手を払って自力で起き上がった。
あの時だって、もっとひどい事されたんだ…
なのに、なのに…玄ちゃんは俺が心配じゃないんだ!!
「プフッ!クマちゃんパンツ…!」
益田がカメラのマイクの近くで俺のパンツネタを声に出して笑う。
フンだ!
「今、手を引っ張られました。上に連れて行きたいのでしょうか?」
俺は大人だから、そう言ってちゃんとリポートしてリビングに向かう。
「今回、調査のために持ち込んだ機材をご紹介します。」
俺は既にセットした機材を紹介していく。百合子ちゃんが玄ちゃんの隣で俺を心配そうに見る。その隣にはミステリアスな成瀬君も居て、君はウハウハじゃないか…。
また、見えない何かにTシャツを一瞬めくられる。
俺だけだ!俺だけにしてくる!
「益田、撮った?」
俺が聞くと頷いて応える。
俺は今日パンツを二重に重ねて履いている。
もし脱がされたとしても、フェイクの普通のトランクスが映るだけだろう。
いつでもかかって来い!ゲイの幽霊め!
「じゃあ、2階を案内します。」
俺の後ろに成瀬君がついて階段を上がる。
「梅ちゃん、あそこのノブが動いてる。」
成瀬君の指さした方を見ると、妹ちゃんの部屋のドアノブがガンガン動いている。
益田がカメラに撮ったのを確認して、俺は妹ちゃんの部屋の前に行く。
玄ちゃんが俺のことをずっと見てる。
「玄ちゃん、何か感じますか?」
少しよそよそしく聞いてみる。
「梅ちゃんが狙われているのは、よく分かった。」
今更?遅いんだよ!俺は神様にも暴行する男だぞ。舐めんなよっ!
妹ちゃんの部屋の動くノブを掴んでみる。
ピタッと動きを止めて大人しくなったので、そのまま扉を開ける。
押して開ける扉を俺が開けながら中の様子を伺う。
「キャーー!!」
後ろで百合子ちゃんが叫ぶ。
振り返るとみんなの視線が上に上がっている。
俺は同じように開いた扉の上部を見る。
黒い髪の毛を垂らしながら、扉の裏にへばりついてるような構図で、女がこちらをギョロ目で見ている。
「うあ!」
驚いて扉から手を放すと、思いっきりドアを閉められて体が吹っ飛んだ。
成瀬君が俺を庇って下敷きになってくれた…
「ごめん…」
「梅ちゃん、ケガしなかった?」
なんだ、お前…イケメンだな。
成瀬君から退いて、立ち上がろうとすると、今度は背中に誰かが乗ったように体が動かなくなる。それは徐々に重さを増していく気がする。
「ん…重い…!」
俺がそう言って突っ伏すと、玄ちゃんが俺の背中を触って何かを払う様に手を動かす。ヤバイ…エロいゲイの幽霊だけじゃない…
「ここには一体何体居るんだ…」
俺が呟くと、階段を上がってくる足音がしてくる。
固唾を飲んでみんなで階段を注視している。
トントンと肩を叩かれて振り返ると、白い顔の元気の無さそうな人が立っていて、あまりにも普通にそこに居るので、成瀬君の家族かと思って話しかけてしまった。
「どうしましたか?」
すると元気のなかったその人は目をギョロッと開けて、アヒャアヒャと笑いながら俺の腕にしがみ付いて来た。重くて、肩が抜けそうになって転ぶ。
「梅ちゃん!」
玄ちゃんがそいつを手で払ってどかしてくれる。
「梅ちゃんダメだ、俺の傍に居て…」
四の五の言っていられなくなり、俺は大人しく玄ちゃんに守ってもらう。
百合子ちゃんは周りを見ながら俺を守るみたいに警戒している。優しい…
益田は俺のパンツの事を気にしている。
「なんで、この家の霊は…俺ばかり狙うんだ…?」
「誰かが指示している…としか思えない。」
玄ちゃんはそう言うと、成瀬君を見て尋ねた。
「成瀬さん…失礼ですが、拝み屋ですか?」
玄ちゃんがいつもよりも丁寧にそう聞くと、成瀬君はじっと俺の顔を真顔で見て、ため息をついた。
その後、恍惚とした表情を浮かべて、口元をにやりと上げて笑った。
「梅之助に何か特別な御用でもありますか?」
玄ちゃんの平身低頭な姿に驚く。
拝み屋ってなんだ…?偉いのか?
「興味があった。」
成瀬君はドスのきいた声で低くそう言うと、俺を見て笑った。
「死神がルールを破るほどの価値があるのか、興味があった。」
俺は心臓が跳ねて胸が苦しくなった。
玄ちゃんの腕にしがみ付いて体が震えるのをこらえる。
あの時のあの映像、あの孤独感とあの絶望…あの恐怖とあの狂気を思い出して目の前が暗くなる。
玄ちゃんの顔が…のっぺらぼうに見えて、そのまま床に倒れた。
「梅ちゃん!梅ちゃん!」
玄ちゃんの声が聞こえる…
ここは、もうあの精神病院じゃない…そうだよね…?
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