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第1章 人生の深ぁあああい落とし穴
:第1章 人生の深ぁあああい落とし穴
時折、小雨がぱらつく空模様だ。にもかかわらずファッションビルの正面玄関前広場は、数百組を超えるカップルでごった返していた。関東最大級と銘打ったクリスマスツリーに、もうすぐ灯りが点されるのだ。
望月誠二 は細い眉を寄せた。共にツリーを振り仰ぐ橋本という女性──婚活パーティーで知り合った彼女に誘われてセレモニーとやらを見物しにやってきたのだが、わくわくするどころか混雑ぶりにげんなりする。
金曜日の夜は、ひとり暮らしのマンションでスーパーで買った惣菜を肴に酒を何杯か飲んで寝る。それが九年前に就職して以来の習慣で、習慣を破ることじたい落ち着かない。
第一、と黒縁の眼鏡を押し上げながら人垣を見回した。インフルエンザの流行シーズンが到来した今日このごろ、この広場にもウイルスが蔓延しているに違いない。
伝染 されたら被害甚大だ。そう独りごちたとき、ツリーの手前に設えられたステージで動きがあった。カウントダウンがはじまり、それがゼロに達すると同時に、点灯役を務める女優がスイッチを押した。
無数のオーナメントが、いっせいに輝きはじめる。広場は拍手と歓声に包まれ、BGMもかき消されてしまうほどだ。小指で耳に栓をする望月に、橋本がにこやかに話しかけた。
「綺麗……ねえ、望月さん?」
「たしかに綺麗ですが。クリスマスツリーというからには、イブとクリスマス当日のみに飾るほうが理に適っているのでは」
地味な色合いのネクタイに軽く触れてから、言葉を継いだ。
「クリスマスは一ヶ月も先なのに毎晩ライトアップするのは電力の無駄です。一般家庭において光熱費は節約しやすい項目で、橋本さんも節水および節電に努めていますか」
橋本は口をとがらせた。一拍おいて笑顔をこしらえると、可愛らしく小首をかしげた。
「望月さんは総務部の係長とおっしゃっていましたけど、経理部のほうが向いてるみたい。やりくり上手な旦那さまになりそうですね」
「お褒めにあずかり恐縮です」
望月は、にこりともしないで答えた。
ドンビくし──。橋本がマフラーで口許を隠した陰で、そう毒づいた。
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