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第一話(1/2)

「伊万里くん、迎えに来たよ」 放課後の教室。白い蛍光灯の鈍い光の下、グラウンドで部活をする生徒を窓から見ながら談話に花を咲かせたり、机に噛り付くように予習、復習に勤しんだり、各々に自分がしたいことをしていたはずの生徒たちは、その声を聞くなり皆一斉に教室の入り口を見る。そこには、癖のある襟足の長い髪と垂れた目の柔和そうな男子生徒が立っていた。 どこにいても周りと馴染んで見失ってしまいそうな風貌。決して顔立ちが悪いわけではなく、むしろイケメンに部類される顔立ちではあるのだが、それでいてなお普通なその生徒に、女子生徒は浮足立ち、男子生徒は羨望の眼差しを向けた。 いくら彼が上級生だからといって、そこまで彼に注目する必要があるのだろうか。そうとさえ思えるほどの異常なほどのクラス中の視線など一切気にしない様子で教室に入って来た男子生徒に、不満そうな顔をしながら伊万里は机に置いていた鞄を静かに手に持った。 「ちわ、志月先輩。今日も、伊万里のお迎えですか?」 伊万里と談笑していた彼の友人の一人がやってきた注目の的へと話しかける。すると志月は柔らかく人の好い笑顔を浮かべ「まぁね」と返事をした。その言葉だけで女子生徒の一人が「いいなぁ」と声を上げる。それをあしらう様に志月が手を挙げれば、短く黄色い悲鳴が上がった。 それを若干鬱陶しく感じたのだろうか。眉を顰め、片耳を塞ぐ伊万里の肩に、志月は軽く手を乗せる。少しだけ体を震わせた伊万里に依然崩れない笑みを浮かべながら、志月は気の良さそうな、それでいて単調な声で語り掛けた。 「今日も俺の家でいい?」 「……はい」 しっかりと芯は通っているが、小さくか弱い声で伊万里は短く返事をする。そんな伊万里の声を聞いて伊万里のもう一人の友人が口を尖らせた。 「なんだよ、伊万里。今日も志月先輩の家で遊ぶのか?」 「そうそう。最近、伊万里くんがはまってるやつがあって。一緒にそれで遊ぶんだよね、伊万里くん」 志月の言葉に伊万里は言葉なく頷いた。必要最低限の言動しかしない伊万里だが、よく喋る志月がいるとそれが際立つ。こんな寡黙な後輩が相手だとコミュニケーションが取れないのではないかと疑問に思った友人二人は志月の顔を覗いたが志月は変わらない微笑みを浮かべていた。 「志月先輩、俺も伊万里の友人として志月先輩のお家に遊びに行きたいんですけど。なんかそのはまってる、ゲーム? かなんかも一緒にやりますし」 「うーん、結構マニアックなジャンルだからなぁ。ちょっと難易度高いかもしれないねぇ。あと、伊万里くん、恥ずかしがり屋だから……伊万里くんは、この二人を俺の家に呼んで遊ぶの、どう思う?」 志月の質問に伊万里はただ制止する。教室中で木霊するひそひそ話がやけに鮮明に聞こえた。薄桃の唇は微かに動きこそするが、決して開きはしない。伊万里のその様子に慣れっこな友人でさえもにわかに不安を覚えた頃に志月の口から笑い声が吹き出された。固まりかけていた空気が緩み辺りを遊泳し始めたと思うくらいに友人二人の緊張が解れる。そして、伊万里の代わりにとでも言いたげな様子で志月が話しだした。 「ごめん。やっぱり、伊万里くんは俺と二人が良いみたい」 「伊万里、お前、まさか志月先輩を独り占めしたいとかそういう感じじゃないだろうな」 「はは、そうだったらちょっと照れちゃうな。さてと、そろそろ帰ろうか、伊万里くん。君らも、また、機会があればね」 半ば強引に話を切られ、伊万里は志月に引きずられながら教室から出て行った。また今日もはぐらかされた。友人二人は怪訝そうに顔を歪めると唸り声をあげ顔を見合わせた。 伊万里は決して悪い男ではない。本当に必要最低限しか話さないほど無口な男ではあるが、まったくもって意思疎通ができないわけではないし、こちらが真剣に話せばちゃんと言葉を返してくれる誠実な男だ。クラスの人間から苦手視されているようなこともなく、鬱陶しがられているようなこともない。むしろ、そういう「キャラ」としてクラスからも認知され、立ち位置を確立している。 だがしかし――いや、だからこそ、だろうか。 「なんで、志月先輩って伊万里と仲が良いんだろう」 伊万里の友人やクラスメイト達にとって、そのことがここ最近での最も難解な謎となっていた。 志月は一言でいうと「人気者」である。 何故そこまで彼に皆が注目する必要があるのかと思うほどに見た目も纏う雰囲気もごく普通の生徒。特段成績が良いわけでもなければ悪いわけでもなく、運動神経が良いわけでも悪いわけでもない。生徒会か何かの役職に就いてもいないし、部活で優秀な成績を残したという経歴もない。本当に普通の生徒だ。 しかし、本当に何もない、ごく普通の生徒であればここまで注目はされないし、人気者にもならないだろう。では、なぜ志月は人気者であるのか。その理由は偏に彼のどんな人とも接することができる才能が故だろう。 簡単に言えば志月は「みんなと仲が良い」のだ。クラスの隣の席に座っている生徒だけではなく前後の生徒、委員長や教室の隅の席で休み時間中にはずっとイヤフォンを耳にさしている生徒に、滅多に登校してこない不良生徒まで含めたクラス全員。生徒会メンバーや他クラス他学年ありとあらゆる生徒と分け隔て無く、しかも嫌み一つも無く話すことが出来る。しかも、この学校に通うほぼ全員の名前を覚え、彼等彼女らの好き嫌いも全て把握している――そんな話術と記憶力を志月という男は有しているのだ。 ストレスの溜まる学校生活において気軽に話すことが出来る人の存在は偉大だしかも、自分の好きな話題を把握し、話も面白く、それでいて自分の話も聞いてくれる。志月と話すだけで気分がよくなるのだ。 何もかもを話してしまいたくなるような人柄で、しかも彼はいつも話に共感をしてくれる。否定もせず話を受け入れてくれるし、そして何より口が硬い。ある意味、生徒の情報を全て牛耳っている彼だが、それを外部に漏らすことも、それが漏れたという話も一切無かった。 圧倒的な安心と信頼の持ち主。 それ故に、スクールカーストも、年功序列も、男も女も、陽キャも陰キャも関係なく、趣味の話も、悩み事も、部活の不平不満も、教師の愚痴も、誰に恋をして誰と浮気をしているかも皆全て志月に話したがる。志月と話したがる。 それに対して、志月自身はあまり自分のことを語らない事で有名だった。彼はみんなの好きな物を知っていても、みんなは彼の好きな物は知らない。彼がみんなの家族構成や住んでいる場所を知っていたとしても、みんなは彼のそういった情報を一切知らないといった具合だ。 彼と話す相手は皆ガードが緩みきってしまうのに、肝心の彼のガードは堅く砕けない。彼の小学校時代からの同級生だという生徒も、志月の住んで居るであろう地区はわかるが具体的な家の場所は知らないという。 そんな彼が今ご執心なのが、一つ年下の伊万里という無口な男。彼らは部活が同じというわけでも、所属する委員会が同じというわけでもない。どういう訳か、誰もが全く持って知らない間に、気が付かない間に、志月が毎日伊万里を教室まで迎えに来るということが日常になっていたのだ。 しかも、放課後二人は他でもない「志月の家」で遊んでいるという。あの、小学校時代の同級生でも場所を知り得ない志月の家で、だ。 学校中の生徒がその事実を知った二、三日の間、伊万里は学年制別問わず様々な生徒から追われ、やれ志月の家はどこだ、志月と家で何をしているのか、志月とはどういう仲なのかと質問をぶつけられ続けた。だが、先述の通り、伊万里は無口なことで有名だ。決して口を開かない彼に皆、聞くだけ無駄だと早々に伊万里から志月の情報を得ることを諦めた。 だからといって疑問が消えたわけでは無い。生徒達は皆、二人の関係性や仲良くなったきっかけ、仲が良い理由などを勝手に考察しては、恐らく永遠に答え合わせが出来ないであろう謎をどうにかして解き明かそうとしていた。 他の生徒と同じく、伊万里の友人二人も、先ほど志月と彼に連れ去られてしまった自分たちの友人の関係性について考える。その中で、友人の一人は、昼に構内の自販機で買った炭酸が半分抜けてしまっているサイダーを口にすると、込み上げてきた空気を吐き出す代わりに言葉を吐いた。 「伊万里と志月先輩、家で何やってるんだろう」 「ゲームって言ってたじゃんさっき」 「いや、ゲームって事は肯定してないのよ。もしかしたら違うことかも」 「……ゲームじゃないならなんだよ」 「わかんねぇよ。伊万里も志月先輩も何も言ってくれねぇもん」 グラウンドの方からバットで硬球を打ち上げる音が聞こえる。本来はあの場所にいるはずなのに、高校に上がってパタリと野球を辞めたその理由も、伊万里は友人二人に決して語ってはくれなかった。 「マニアックなジャンルって、なんだろう」 片方がそう口にすると同時に、外から何かが割れる音がした。二人揃って思わず肩を跳ね上がらせる。野球部顧問の熱血教師が怒号を上げているのが聞こえた。どうやら先ほど野球部員が打ったボールがあらぬ方向へ飛何かを破壊してしまったようだ。 皆一斉に教室の窓から外の様子をうかがい始めたが、二人はチラリとそれを見ただけで話を直ぐに戻した。大きな音を聞いたせいだろうか。それともさっき出てきた妙な単語のせいだろうか。二人の心臓は同じように嫌な音を立てていた。 「マニアックって、そりゃ、あれだろ。二人揃って写経が趣味とか」 「伊万里はともかく志月先輩にそんなイメージねぇし……それにそれなら別に伊万里が恥ずかしがる必要ないじゃん」 「恥ずかしい……じょ、女装趣味、とか?」 「まさか! てか、女装するだけなら遊んでるって言わねぇだろ」 「もしかしたら、伊万里が女装して志月先輩と「遊んで」るのかも、」 また何かが壊れる音がした。外から「今度はテニス部かよ!」という声が聞こえる。二人は顔を見合わせると全力で首を振った。このままでは色々壊れてしまいそうだ。 「志月先輩に対してもだけど、伊万里に対して失礼なこと想像しちまったな」 「だな。あいつ、無口なだけで健全男子だぜ。そもそも性欲とかなさそうだし」 だよな、と二人して笑い合う。意味深な物言いをしているだけで、その実は普通にゲームをしていて、そのゲームのジャンルが少しニッチなだけに違いない。二人はそういうことにしておいて、クラスメイトらに混ざって外で起きた大惨事を見に向かった。 そう。きっと二人には何か通じ合うところがあったのだろう。人気者と無口なこと以外は割と平凡な同級生との間に交流がある。そのことに対して自分たちが事を大げさに思っているだけで、二人は存外普通の高校生で、普通の高校生としての生活を送りその中で巻き起こる僅かな青春を楽しんでいるに違いない。 「なんて、思われていたらどうする?」 茜色に染まる住宅街。ブランコと滑り台しかない公園の裏手にあるアパートの前で志月は伊万里へ急にそう尋ねた。終始楽しそうな笑顔を浮かべる志月の問いかけに伊万里は答えず、ただ一つだけ溜息を吐いてアパートの方へ足を進めた。 「待ってよ。家主より先に部屋に向かうなんて、よっぽど俺の家に来るのが楽しみだったんだね、伊万里くん」 「……はい」 「……これにはちゃんと答えてくれるんだ。照れちゃうなぁ」 夕陽のせいだろう。志月の顔が赤く染まる。勢い任せに伊万里の血色がよい無骨な指先に手を伸ばしかけた志月だったが、直ぐにその手はアパートの部屋の鍵が入っている制服の胸ポケットに戻っていった。 今じゃなくともよい。そう。今触れなくてもこれから彼には散々触れることが出来る。そう思うと志月はいても立ってもいられなくなり、急いで部屋の鍵を開けた。ドアノブを捻り、静かにドアを開ける。 「ほら、入った、入った」 「はい、お邪魔します」 伊万里は律儀に一礼してから志月の部屋へと上がる。それを横目に見ながら、志月は自分の体を扉の奥へと滑り込ませ、当たりを見渡す。そして、誰もいないことを確認してから慎重に扉を閉じると、音を鳴らさないように鍵を閉めチェーンを下ろした。 伊万里のきちんと揃えられたスニーカーの隣に、ローファーを脱ぎ捨て家に上がる。軋む廊下をゆっくりと踏み、洋室に向かえばカーテンを閉め切った部屋の中央に置かれたテーブルの側で、伊万里が行儀よく正座をして志月のことを待っていた。それがまるで主人を待つ子犬のようで大層可愛らしい。志月は鞄を床へ雑に置くと伊万里の下へ歩み寄り、彼と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。 黒々とした瞳をのぞき込めば、戸惑うようにそれが揺れる。それが面白くて志月が笑うと、伊万里は不満そうに眉を顰めた。グッと握りしめる拳にはじっとりと汗が滲んでいる。まるで何かを我慢しているように。 「どうしたの、伊万里くん」 志月の言葉に伊万里の頬が見る見るうちに染まっていく。わざとらしく何度も「どうしたの」と同じ言葉を繰り返す志月に痺れを切らしたらしい。伊万里はおずおずと口を開いた。 「今日は、遊ばないんですか」 「……こらこら、伊万里くん。俺はいつも言ってるよね」 志月は苦しそうにする伊万里の表情を真似る。まるで自分も苦しいのだと共感を示しているかのように見えるが、伊万里にははっきりとわかる。 「遊んで欲しいときにはどういう風に頼むんだっけ?」 この男は楽しんでいるのだ。人が恥ずかしげに口を開く様を。自分に人が縋る様を。それを見て、愉悦に浸る。 決して人を見下しているわけではない。恥ずかしがりつつも自分のことを信頼し、己のすべてを曝け出してまで、自分に助けを求め、手を伸ばしてくる様子が愛らしくて仕方がないのだ。 そう、このお喋り上手な男に人の情報を聞き出し、誰かの弱みを握ろうだなんてそんな趣味や嗜好はない。ただ――良く言えば、人に頼られるのが好きなのだ。誰かに何かを求められ、奉仕し、それを喜んでもらえた時、それが志月にとっての至福の時だった。 それは今まで、人と話すということで満たされていた。求められるがままに話しを聞き、頷き、受け入れ、時にはちょっとした助言をする。すると人々はたちまち明るい顔になり、志月に礼を言うのだ。相手も気分がよくなり、自分も気分がよくなる。クラス中、学校中から頼られるのはやはり数が多い分得られる満足感も多かった。 だが、学校中の信頼を得てやっと手に入れることができた満足感を一瞬でひっくり返す存在が志月の前へほんの数週間前に現れた。それが、この伊万里というまったくもって志月が関心を置いていない一級下の生徒だったのだ。 無口でよくわからない後輩。 そんな存在でしかなかった伊万里が志月に毎日家に呼ばれるほどまでに志月に求められている理由。それを示すように、伊万里は懊悩を訴えるように息を吐きながら制服の上着を脱ぎ、ネクタイを解き、床へ捨てると震える指でシャツの一番上のボタンを外した。 伊万里の健康的な薄卵色をした肌の上。そこには紫色の蛇が這っているかのような痕が何やら模様を描くように刻み付けられている。それが縄による締め付けでできたものであろうことは、一目瞭然だった。 「志月さん、」 熱っぽく潤んだ瞳。吐き出す息は甘く、そのわずかな呼吸音ですら志月の体の温度を向上させた。あからさまに甘美に酔っているような志月の顔を見て伊万里は口の端を少しだけ緩めた。 「今日も、俺と、遊んでください」 媚びる様子は一切なく、唯々、苦痛を解き放つための救済と悦楽を求める貪欲な姿を晒される。自分しか知らない、自分を求める伊万里の顔。 ゾクゾクと背筋を撫でるような感覚に侵されながら志月はその顔をしっかりと味わう様に見つめ舌なめずりをした。 「いいよ。遊ぼう、伊万里くん」 その返事に伊万里は口を結んだまま何度も頷く。その可愛らしい姿に志月は慈愛に満ちた笑みを見せ、伊万里の短い髪を撫でた。もうすでに頭皮がじんわりと濡れているのがわかる。志月をじっと見つめる伊万里の興奮の色を灯し輝く瞳は、先ほどまで冷然と佇んでいた男と同じ男が持つそれとは思えぬほどに熱く濡れていた。 「今日は何する? 俺、まだまだ勉強中だからさ、縛るのと叩くの以外まだよくわからないんだよね、そういうのって。ねぇ、伊万里くん。今日はどんな風に遊んで欲しい?」 志月は通常の雑談と変わらないトーンで話ながら部屋のベッドの下を漁る。木製のベッドの下から取り出された「みかん」と書かれたベタな段ボール。その中には、市販のローション。それに真っ赤な縄やショッキングピンクのふわふわとした記事を纏った手錠。その他大凡何に使うのか瞬時に判断できるような道具――ある意味凶器ともとれそうなそれが詰め込まれていた。 志月はおもちゃ箱を漁る子供のように無邪気に段ボールの中を漁る。それをじっと見る目ながら伊万里は口の中に溜まった唾液を飲下す。飲み切れなかった透明な液体が僅かに口端から溢れた。 「個人的に、挿入したときにナカの締まりがよかったなぁって思うは縛ったときなんだけど……どう? 当たってる?」 「……」 「ほら、頷くだけじゃなくて、ちゃんと口で言って。ね? 伊万里くんは、俺に、どうして貰うときが、一番、気持ちいい?」 正座とは違う、床にぺたんとへたり込むような形で座りながら自分を見上げる伊万里の顎を、志月は人差し指でそっとなぞる。体中に走る甘い電流に恍惚な表情をして酔いながら、伊万里は震える口を開いた。 「し……志月さん、に、体縛られて、頭……撫でられて、言葉責め、してもらいながら……奥、犯して貰っているときが……一番、きもち……いいです」 興奮のせいか声が所々上ずる。普段は聞こえるか否かの声量しか出さないはずなのに、溢れ出た言葉は後になればなるほど大きく、甘く、はっきりとした音に変換された。 目がとろんと蕩けきって、興奮気味に口で息をする伊万里の姿。これを知っているのは自分しかいないのだろうという優越感が足の指先から込み上げてきて志月は思わず笑い声を上げた。 「ちゃんと自分の気持ちいいこと、自分の口で言えて偉いねぇ、伊万里くん。良い子の伊万里くんには先輩からご褒美をあげようね。じゃあ、今日は伊万里くんがさっき言ってた一番気持ちよくなるやつで遊ぼうか。そうと決まれば、早く脱いで、脱いで。あ、安心して。ちゃんと全部脱ぐところ見ておいてあげるから」 宣言通り、志月は胡座をかき、その足の上に頬杖をつくと、柔らかく微笑み伊万里が衣服を脱ぐ様子を観察する態勢に入った。いつもなら志月がこうすれば無言で服を脱ぎ、裸体を晒し、その事実が一目瞭然であるのにもかかわらず、わざわざ「脱ぎました」と報告までしてくれるはずの伊万里だが、どういう訳か服を脱ぐどころか指の一本すら動かさない。 嘘偽り無く伊万里の性的嗜好に関する専門知識に関してはとんと無知である志月は、自分が知らないだけで、これは「プレイ」の一種なのであろうとしばらく無言で伊万里を見つめていたが、そうではないらしい。 どうしたのだろう。こちら側からの指示はきちんと出したはずなのだが。志月は心配するように伊万里の名前を呼ぶ。その際に僅かに動いた表情に伊万里が何やら苦悩している様子であることを伊万里は直ぐに理解した。 「どうしたの、伊万里くん。脱がないと遊べないよ。脱ぎたくないの?」 「あ、の……今日はシャツの上から、縛ってもらえませんか」 「――うん。わかった。その代わり、下はちゃんと脱いでよ。縛っちゃったらパンツ脱げなくなっちゃうから」 伊万里は申し訳なさそうに、土下座でもするのでは無いかと思うくらいの勢いで何度も頭を下げると、立ち上がり、ベルトに手をかけた。 チャコールグレイのベルトが引き抜かれ、スラックスのチャックが下げられれば、清楚な佇まいだった黒いスラックスがずれ落ちグシャグシャになって足下へ溜まる。それを蹴り捨て、黒のクルーソックスを脱ぎさると、伊万里は下着に手をかけて静止する。ねっとりとした視線がそこに集中しているのがわかった。 「今日も赤色なんだ」 「……する日なので」 「勝負パンツってやつ?」 「そうですね……中学時代も……」 そこで伊万里は口を噤む。だが、今度は志月の口が開いた。 「試合の時は赤だったんだ。やっぱり赤色履いてると打率とか良かったりしたの?」 「いつもと比べれば、程度ですけど。あとは、球が、良く取れたり、思ったところに球投げられたり」 それだけです、と呟き伊万里は赤色のボクサーパンツを脱ぎ去る。相当窮屈であったのだろうことが、曝け出された恥部の様子から見て取れた。 部活を辞めてからしばらく経っているのに、伊万里の足の筋肉は素人目に見てもアスリートのそれだ。逞しく、それでいて細く引き締まっている。志月は純粋な羨望の眼差しをもって伊万里の足を眺めていたが、伊万里には違う意味にとれたのだろう。恥ずかしそうに両足をこすり合わせると、脱衣が完了した旨を報告した。 「上手に脱げたね。さ、座って」 静かに返事をして伊万里は床の上に座る。ゆっくりとにじり寄った志月の手には赤色の縄。今からあれで体を縛られ、身動きも取れなくなった状態で犯されるのだと想像しただけで伊万里の意識は一瞬白く染まりそうになった。 形だけは優し気で、その奥に見える瞳は暴力的な志月の目を、じっと見つめていたかったのだが堪らなくなって伊万里は目を閉じて俯く。志月が自分の前で膝をついた気配を感じ、息を呑んだ伊万里が次に漏らしたのは驚嘆の声だった。 「し、づき、さん? どうして、腕だけ縛って、」 返答がない。さすがに快楽や何をされるのかという好奇心よりも恐怖の方が勝ってしまった伊万里は震える瞼を開いた。目の前には志月の姿。それは何らおかしなことではないのだが、伊万里は自分のシャツのボタンに手がかけられていることに気が付く。すぐに止めようとしたのだが、腕はもうすでに拘束されてしまっていてびくともしない。 いつの間にこんな短時間でしっかりと縄を縛れるようになったのだろうか。ほんの少し前まで蝶々結びをするのですらもたついていたのに。 そんな悠長なことを考えている暇もなく、ボタンはどんどん外されていく。伊万里の体は先ほどまであんなに火照っていたのが嘘だったかのように恐怖と焦りで冷やされていった。 「なに、して、」 「だって、伊万里くん、俺に隠し事してるでしょ」 鋭い声。口調もトーンも先ほどと全く変わっていないのに、放たれた言葉は無数の鋭い棘を纏っていた。 その棘が体中に刺さって貫通するような痛みと感覚。伊万里はこれに既視感があった。 丁度、三週間とちょっと前、そのくらいだった気がする。 同じ学校の不良生徒に絡まれ打ちのめされていた伊万里のことを、偶然通りかかった志月が助けてくれたのだ。口の中が切れて血の味がして、体のあちこちが痛くて、それが気持ちよくて堪らなかった。そんな、ぼろぼろで溶けそうになっている体を志月に抱きかかえられる。その瞬間、伊万里の背に嫌な感覚が走り抜けていった。 ほぼ絶頂寸前というおおよそ、人に殴られた後の人間が通常するものではない表情と体の反応。それを必死で隠そうと、伊万里は無言で志月を跳ね飛ばしその場にうずくまった。 志月が、志月さえ来なければ適当に物陰へ隠れて事なきを得ていたはずなのに。これでは、どうすることもできない。早くどこかへ行ってくれ。伊万里は肩を抱き、ただそう祈り続けた。 けれど、志月は伊万里から一切離れる様子はなく、伊万里の熱も一切治まる様子を見せない。羞恥と混乱と絶望が身を焼こうとする。何もかもが終わった。そう思った伊万里に志月はただ笑いかけたのだ。 「伊万里くんはこういうのが好きなんだね」 ヒュッと喉が鳴る。噂でこの男が非常に口の堅い人物であることは聞いていたが、その時の伊万里はただ絶望の渦に飲まれてしまっていた。頭の中に漠然と終わりの景色が見える。それなのに、同時にこの人であれば、この絶望的な状況をどうにかしてくれるのではないかという僅かな希望を抱いてしまったのだ。間違いなく、この人は自分に絶望を与えた理由の一要因であるにもかかわらず。 きっと、志月と話す人間は皆自分と同じことを思うのだろう。そんなことを考えていた伊万里は、気づけば胸元を押さえながら「助けてください」と志月に縋り、すべてを話してしまっていた。すべてを晒してしまっていた。 今と全く同じように。 伊万里はシャツのボタンを全て外され、隠していた物を露わにされる。最初に感じていた抵抗感や恐れは今や唯の藻屑と化し、唯々この状態を見た志月がどう言うのか。どうするのか。その反応を伊万里は静かに、楽しみに待っていた。 「……なにこれ」 案の定、志月は伊万里の体を見て愕然とする。やっと、志月の顔から笑顔が消えたことに、こんな状況にもかかわらず伊万里は確かな興奮を覚えていた。 「ねぇ、伊万里くん。俺、こんな痕、付けた覚えないんだけど」 伊万里の体を這う縄の痕。これは先日――今週の水曜日につけたもので間違いない。まだ人の体を縛り付けることになれていない志月は力加減が上手くいかず、如何しても伊万里の体を強く縛りすぎてしまい、痕をつけてしまうのだ。しかし、その上に重なるようにつけられた打撲痕には一切見覚えも、それをつけたかもしれないという身に覚えもなかった。 あの日――伊万里が志月へ助けを求め、それを受け入れたあの日から、志月が伊万里とそういう意味で「遊ぶ」のは、水曜日と金曜日だけと決めていた。その曜日以外にも伊万里は志月の家に来るが、いくら性欲盛んな高校生だからといって、毎日事に励んでいたら身が持たない。何より、伊万里がご所望なの一般的には特殊と言われているプレイだ。ほぼゼロに近い知識しか持ち合わせていない志月が見よう見まねで相手をするにはやや危険が伴う。 そういう意味でも、水曜日と金曜日以外の日はプレイについて勉強したり、互いを知るための親睦を深めるたりする「勉強日」。水曜日と金曜日は勉強日で得た知識を用いて「遊ぶ」、「実践日」と二人で決めて知識と信頼関係を育むことに尽力していた。それに、待たされるというそれ自体を焦らされていると感じるのか、伊万里は勉強日も含めてプレイと受け取り楽しんでいるようだった。その様子を見るだけで、志月は十分満足であったため、不用意に伊万里に手を出すようなことはしなかった。 なぜなら、二人はあくまで利害が一致しているが故に一緒にいて、各々が求める欲を満たしあっているだけで、付き合っているわけでも何でもないのだから。だから、約束をしている日以外にはセックスはしないし、いくら体を重ねても唇を重ねることは無い。なぜなら伊万里曰く、キスは恋人同士でするものであるから。だが、志月は伊万里が求めさえすれば――なんてことを考えていた。 そんなことを考えていたのに。伊万里の体には自分以外が伊万里の体に触れた跡があった。 「ねぇ、伊万里くん? なにこれ。いつ? 誰につけられたの? ねぇ、まさか、また「先輩」に会いに行ったわけじゃないよね?」 「……」 「伊万里くん、答えてよ。答えろって」 「……き、昨日、家に帰ったら、着信、来て」 「出たの?」 「出ないと……家に直接来るから……それで、出たら、「来い」って、言われたので、」 「それで、行っちゃったんだ。先輩の家。来ないと家に来るって言われたの?」 「……はい」 「それで、家に行ったら殴られたってこと?」 志月が伊万里の青痣を撫でると、伊万里は呻き声を上げ、身を振るわせた。思わず溜息が出る。そこに確かな怒りと嫉妬が滲んでいることに自分自身で気が付いて、志月は頭を抱えると苦笑いを漏らした。 「先輩」というのは、伊万里が中学時代に所属していた部活の先輩らしい。学年は志月と同学年。伊万里の元彼――というより元ご主人様で、伊万里が野球を辞めることになった原因だ。 どうやら、可愛がっていた後輩である伊万里が部活でどんどん才能の芽を伸ばし、レギュラーの座を自分から奪ったことに対して腹を立てたらしく、同じ野球部の数名で伊万里のことを暴行した事が全ての始まりだったそうだ。 それ以降、その先輩とやらはことある毎に伊万里を「躾」と称して呼び出しては暴行を続けた。伊万里の体も最初こそは生存本能のためか彼の存在を恐怖として記憶し、体も痛みを訴えていたそうだが、それがある日、伊万里曰く「可笑しくなってしまった」そうだ。 防衛機能が働いたのか、伊万里が言ったように頭の機能が可笑しくなってしまったのか定かではないが、いつの間にか伊万里の体は苦痛を快楽として受け入れるようになってしまったのだ。先輩の躾の賜物とでもいうべきだろうか。 その先輩は中学校を卒業してからも伊万里のことを呼び付けては、彼の体を嬲り続けた。やれ「お前のせいで俺は野球が出来なくなった」だの。やれ「そのせいで、スポーツ推薦で俺をとってくれるはずだった高校の受験にも落ちた」だの。「滑り止めで入った高校でもなじめず中退してしまったのもお前のせいだ」だの。散々叫き散らしながら、拳を振るい、足を振り下ろし、腰を打ち付け続けた。 自分に良くしてくれた、一応恩のある先輩である。たったそれだけの理由で先輩のもとへ通い詰めていた伊万里は、中学三年の冬。先輩からの暴力が原因で肩に怪我を負った。大した怪我では無く、選手生命が絶たれるほどの重傷でも無かったが、伊万里はそれがきっかけで、高校に上がってからは野球をしないことを決めたのだ。 伊万里が野球を辞めたと知ってから、先輩は以前より頻繁に伊万里を呼び出さなくなった。だが、あくまで減っただけで無くなったわけではない。昨日のように突然呼び出しては、依然伊万里のことをストレス発散のはけ口にしているようだ。しかも、先述した理由以上に伊万里自身が、先輩が野球を辞めたのも、そのせいで彼の人生が狂ってしまったのも自分のせいだと思い、責任を感じている節があるため中々先輩との縁が切れずにいるのだ――ここまでが、志月が「あの日」、そしてそれ以降の「勉強日」等で交された会話で伊万里から聞いている先輩の情報だ。 伊万里の様子からまだ何か隠しているであろう事は明白だったが、別に無理矢理人に情報を語らせることを趣味としているわけでは無い志月は、それ以上のことは訊かなかった。 だが、代わりに志月が伊万里に対して約束したことがあった。 「もし、次に先輩に呼び出されたときには、俺に助けを求めるって約束したよね」 「でも、」 「「迷惑だ」とか、「申し訳ない」とか、そういうのは思わなくて良いって。俺そう言ったはずなんだけど。それに、」 志月は立ち上がるとベッドの側にあるタンスの引き出しを開けた。そして、その中にあったあるものを手に取る。 「伊万里くんの今のご主人様は誰だったっけ?」 そう問いかけながら、志月は伊万里と目線を合わせるようにしゃがむと手に持っていた首輪を伊万里の首に巻いた。黒のフェイクレザー。輪の前にかかっている銀色の輪に指をかけ軽く手前へ引くと伊万里は少し体をフラつかせた。そのまま伊万里の体は志月の胸へと倒れ込む。自分の背へ優しく回ってきた腕が温かくて伊万里は一瞬泣きそうになった。 「志月、さんです」 「そうだね」 「あの日、志月さんが、……俺のご主人様になってくれるって……俺の事先輩から守ってくれるって、約束してくれて」 「うん、そうだよね。それなのに、伊万里くんは今のご主人様である俺とした約束も守れない悪い子なんだ」 伊万里の耳元で志月が笑う。見えずとも彼の目が笑っていないのが伊万里にはわかった。 志月が怒っている。それがわかるだけで伊万里の息は荒くなった。 「悪い子にはお仕置きしてあげないといけないよね。ねぇ、伊万里くんは、どう思う?」 「……俺も、そう、思います……」 「そっか。それなら、予定変更だね」 志月は伊万里の腕に巻き付いている縄へ手を伸ばす。きつくは縛ったが、ほどけないわけでは無い。少し苦戦しつつも志月は縄を解く。そして、最早着続ける意味も無くなった伊万里の脱げかけのシャツを剥ぎ取ると、立ち上がりベッドを指さした。 「じゃあ、ベッドの上、仰向けで寝転んで」 「はい」 伊万里は声を震わせながら、おずおずと志月のベッドへ向かう。真っ白なシーツ。その上に腹を見せて寝転ぶ伊万里の方へ志月はゆっくりと近づいていった。何の感情も読み取れない無表情。学校では決して見せないであろう表情のまま志月は声だけはやたら楽しそうにしながら伊万里に語りかけた。 「とはいってもね、俺、お仕置きって何してあげれば良いのかわからないんだよねぇ。何をしようかな……あ、そうだ。俺さ、この前買ってちょっと使ってみたいと思ってた物があるんだよね。それを使ってお仕置きしてあげようか」 志月はベッドの側に段ボールを寄せるとその中から何やら怪しげなロゴマークが入った紙袋を取り出した。袋を開けると志月はその袋の中から包装されたままの何かを取り出し、仰向けになっている伊万里の周りにそれを並べた。 伊万里は顔だけ動かして自分を取り囲む何かを確認する。箱に入っている物。包装紙で梱包されている物。様々であったが、それはどれも所謂「アダルトグッズ」と呼ばれる代物だった。 割と本格的なSMプレイグッズを見せられたときも感じてはいたが、一体この人はどこでこんな物を調達しているのだろう。伊万里の頭には一瞬そんな正気で冷静な疑問が浮かんだ。しかし、それも志月が体の上に跨がった時点で泡のように消えて無くなってしまった。 この道具がどこでどのような手段で購入されたかなんてどうでも良い。 「さてと、どの玩具で遊ぼうか、伊万里くん……あ、今からするのは遊びじゃ無くてお仕置きだったねぇ」 志月が自分を叱るためにこれをどこへ、どんな風に使用するのか。伊万里にとってはそちらの方が遥かに興味深かった。 先輩はこういう玩具は使わない。伊万里にとってもまったくもって未知の領域が開かれようとしている。それが伊万里にとっては楽しみでしかたがなかった。 今、手に持った男性器を模したそれでどこを攻めてくれるのだろう。下に無理矢理入れられるのもきっと気持ちいいのだろうけれど、口に入れられて、喉の奥を抉られたらきっと苦しくて気持ちが良いに違いない。今頭の右横に置かれているこれは何だろうか。パッケージに「電池」と書かれている。スイッチを入れたら、震える物だろうか。それとも、電流が流れるタイプだろうか。 あっちにあるのは――そうやって視線を動かしている伊万里を志月は持っていた玩具をベッドに置きながらに上から軽く叱りつけた。 「何勝手に気持ちよくなってるの?」 「そ……んな、こと、」 「嘘つきだなぁ、伊万里くん。顔こんなに真っ赤にして、口から物欲しそうに涎垂らしてるのに……餌目の前にして「待て」してるわんちゃんみたい。首輪もしてるし……ちょっと、「わん」って鳴いてみてよ」 「……わん」 全く恥じらいの無いままに鳴き声を上げられ少し面を食らったらしい志月は、しばらく静止すると、じわりじわりと笑い声を絞り出した。面白いのやら馬鹿らしいのやら訳がわからない笑いが込み上げてくる。でも、そんな中で確かに志月は、目の前で自分に対して脅え、興奮を抱きながら裸体を晒し、首輪をつけて、犬の真似までしてみせるこの後輩が、酷く愛おしく思えた。 「お前に人生を狂わされた」と激怒する先輩の主張はあながち間違ってはいないのかも知れない。そう思うほどに志月は今「狂わされている」と、「可笑しくされている」という自覚があった。 だが、自覚があるだけでは、目の前にある沼に飛び込み、沈みたくなるこの衝動を抑えられるはずもない。志月は酷く歪む自分の口元を左手で抑えると、空いている右手を伊万里の体の上へと滑らせた。 胸元を包むように撫で、腹筋をなぞり、臍に指を差し入れてから、下へ、下へと手を伸ばし、忍び込ませていく。太股を柔く撫でれば、困惑するように伊万里は志月の名前を呼んだ。その声に反応して志月は一瞬伊万里の方へ顔を向け、直ぐに彼の周りに並べられている玩具立ちの方へ目を向け、その一つを手に取った。 その場で袋を開封し、中から物を取り出す。黒い輪っか状をした道具。開閉式らしく志月は指で輪を左右に開くと、身を屈め、伊万里の熱がたまりつつある芯の根元へと開いた輪をあてがい、パチン、とそれを閉じた。 「しッ……づき、さ、」 はめられてから、それが何のための道具であるかを理解する。想像と興奮で膨れあがり、上り詰めていた熱が塞き止められ、伊万里は悲痛な声を上げた。 「しづきさん、こ……これ、射精、できなく、なっちゃ、」 「そうだよ。お仕置きだから、イくの我慢しようね。時間とか設定する? 何分我慢できたらって奴。 じゃあ、そうだな……とりあえず十分でどう? 十分我慢できたら、ご褒美にいっぱいイかせてあげる。あと、ハラハラした……そう、スリリングな方がきっと楽しいよね。というわけで、伊万里くんにはここから目隠しをして貰います。大丈夫。ちゃんと何をどこに使うかは、俺が、口で教えてあげるから。知ってると思うけど、俺、話すのが得意なんだ」 志月はネクタイを外すと両手でそれを伸ばし伊万里の目元を覆う。冷たく滑らかな生地によって視界を黒く塗りつぶされた伊万里は抗うこと無く、寧ろネクタイを縛りやすいように僅かに頭を持ち上げた。 「協力してくれるなんて……そんなにお仕置きされたいんだ。伊万里くんは淫乱な変態さんだねぇ」 罵倒の声ですら優しい。先輩から同じ言葉を言われてもそうはならないはずなのに、志月にかけられた言葉には体だけでは無く心臓の辺りまで反応してしまうその理由が、伊万里には皆目見当が付かなかった。どんな罵倒でも志月の口から出れば誉め言葉に聞こえてしまう。恥ずかしさと照れくささと興奮が混ざり合って伊万里の頭の中はもう訳が分からなくなってしまっていた。 「さて、始めようか。ちゃんと両手はグーにして頭の上に置いて、そうそう。じゃあ、タイマー設定するね」 志月はスマートフォンのタイマー機能を十分に設定すると、ヘッドボードの上にスマートフォンを置く。そして伊万里の体の上へ腰を下ろし、わざと彼の腹部へ体重をかけるように座りながらどの玩具を使うかを吟味し始めた。 「最初はオーソドックスなのから使ってみようか」 パッケージをはぐ音だけが伊万里の耳には届く。その音にさえ伊万里が興奮しているのを志月はその表情から感じ、顔を歪ませるとパッケージを床へ投げ、取り出したベビーピンクの物体を伊万里の頬に突き当てた。 「ね、伊万里くん。これ何かわかる? 伊万里くんが大好きなものの形した玩具だよ。結構おっきいんだよね、これ。全部入れたら奥の気持ちいいところまで余裕で届いちゃうよ」 志月は玩具の先端を伊万里の口元へと近づける。すると、まるで赤子が母親の乳を求めるかの如く、伊万里はそれにしゃぶりついた。そうしろと指示したわけでもないのに伊万里は必死に玩具を吸い、舐め上げる。手を動かさずにいれば自らしゃぶっているものを喉奥深くまで咥えようとしたため、志月は我に返ると玩具を伊万里の口から引き抜いた。 「だから、勝手に気持ちよくなるなって。これは下で咥えてもらうの」 「ごめん、なさい……」 「悪いと思ってるなら、下、自分で解して、見せて」 自分の体の上から立ち退きながらに告げられた志月からのオーダーに伊万里は従順に頷くと、自分の左手の指を口の中に差し入れた。ねっとりとした唾液でしっかりと指を濡らしてから、口の中から手を抜き取る。粘ついた指先からは銀色の糸が垂れた。 目隠しをしているせいで自分の世界に没頭しやすいのか、それともそもそも恥じらいなどこの男にはもうないのかわからないが、伊万里は荒い息を吐きながらためらうことなく足を開き、ひくつく穴へと中指を滑り込ませた。 想像より熱くまとわりついてくる自分の肉壁に伊万里は急に羞恥という感情を取り戻したらしく動きを止める。すると、急に右耳に熱い息がかかった。 「どうしたの、伊万里くん。手が止まってるよ」 「あッ……う、」 「あぁ……泣かないで、伊万里くん……仕方ないなぁ。手伝ってあげるよ。今回は特別だからね」 そう言い終るや否や、伊万里の指がまだ埋めてあるにもかかわらず、志月の指が伊万里の中へと入りこむ。驚きとそれ以上に押し上げてきた快楽に伊万里は悲鳴を上げ右手で枕を強く握りしめた。 「あれれ? 俺が指入れただけで気持ちよくなっちゃった? あ、ダメだって、抜いたら。言ったでしょう。「手伝う」って。俺が解してあげるなんて一言も言ってないよ」 後ろから押さえつけられ伊万里の左手は逃げ場をなくす。そのまま、中をかき乱す志月の動きに合わせて嫌でも指が動いた。これ以上高くなることはないと踏んでいた熱は上昇し続け、無理やりに自分の指を弱いところに押し当てられれば勝手に腰が浮く。 「だいぶトロトロになって来たね、伊万里くん。どう? 気持ちいい?」 「きもち、い、」 けれど、その快楽はある一定の大きさまで膨張して、それ以上大きくなり、爆発することを許してはくれない。苦しい。まだこれ以上の刺激が与えられることがもう決定しているのに。伊万里は思わず右手を腫れあがっているそこへ手を伸ばしかける。だが、しっかりと、ハッキリと自分を刺す視線に気が付き、こぶしを握り締め頭の上へと戻した。 「もうカウパーでドロドロになってるのによく外すの我慢できたね。えらい、えらい。じゃあ、そろそろ指抜いて、お待ちかねのコレ、入れちゃおうか」 志月の声に伊万里はただ頷く。ゆっくりと――いつの間にか二本も差し入れられていた志月の指が引き抜かれ、志月は長く息を吐いて自分の指を引き抜く。そして大人しく手をもとの位置へ戻した。 体の震えが治まらない。じっとりと滲んだ汗が流れる感覚にさえ声が出そうになっている伊万里の物欲しげに開閉を繰り返している後ろ穴に志月はローションで濡らした玩具を押し当てた。 「三つ数えたら、この太くてぬるぬるなの、伊万里くんの奥まで入れちゃうからね」 「う……ふッ……」 「さぁん、にぃ、いーち……」 「ゼロ」と囁くと同時に志月は可愛らしい色をした凶器を伊万里の中に差し込む。瞬間、想像よりはるかに大きな圧迫感と快楽が伊万里を攻め立てた。志月のものとは違う、冷たくて硬くて暴力的な塊が腹の中に沈んでいく。ハクハクと口を動かして伊万里はなんとか息をしようとする。苦しくて仕方がないはずなのに、溢れる声と滲み広がる感覚はどちらも悦に染まり切っていた。 「気持ちいねぇ、伊万里くん。入れただけで気持ちいいのに動かしたらどうなるんだろうね」 「や、だ……」 「あれ、嫌なの? じゃあ、こっちはいったんストップしようか。先に他のところ弄ってお仕置きしてあげる」 志月が何を言っているのか伊万里には理解ができなかった。混乱と甘くてむず痒い苦痛に身をよじる。けれど動けば中にあるものが擦れ、その形をはっきりと感じれば感じるほど苦しみも増していった。 伊万里の顔が――目元が見えていないとは言えどもはっきりと歪む様を志月は何とも言えない顔で眺めつつ、新たな玩具のパッケージを開けた。ピンク色の細長い球体。何やら線で箱状のコントローラーらしき何かに繋がっているそれを志月は伊万里の耳元に近づけた。そして、コントローラーのボタンを押す。伊万里の耳元でそれは虫の羽音のような音を響かせながら振動した。 「聞こえる? ブルブル音がしてるの。ローターっていうんだよ、これ。このブルブルしてるの気持ちいいところに当てたら、どうなっちゃうだろうね」 「あ、だ……ダメッ……」 伊万里の静止の声も聞かず、志月はローターを伊万里の左胸で勃起している突起に押し当てた。 「ひゃ、あ……あァあッ!?」 「はは、伊万里くん……体跳ね上がるほど気持ちよかった? 乳首弄られるの好きだもんね。でも、片方だけだと寂しいでしょ? もう片方、俺が舐めてあげるね」 粘っこい声で志月は伊万里の耳へと言葉を落とし、自分の顔を伊万里の右胸へ近づけた。ぷっくりと腫れあがる胸飾りを舌で押しつぶし、形をなぞるように舐め、わずかに歯で根元を噛む。優しく愛撫し刺激を与えれば与えるほど、伊万里の声は艶っぽく苦し気になっていった。 本当は、彼を苦しめるようなことはしたくないのに。快楽だけで支配して嬉しそうに顔を蕩けさせるところだけが見たいのに。どうして、自分はこんなかわいい後輩が苦しむ姿にこんなにも興奮しているのだろうか。 志月はもうまともに思考ができないことなど知っているにもかかわらず、そんなことを考えながら体を起こし、伊万里の中へ埋めたままで動かさずにいたディルドに手をかけた。 予告なくそれをずるずると中から引き出し、一気に差し入れる。ぐじゅりというグロテスクな水音も伊万里の悲鳴にかき消された。こんなに大声を出して喘ぐ伊万里の姿を見たら学校中の人が驚くに違いない。そう思えば思うほど、志月が握る玩具は入出の速度を上げて行った。 「あ゙ッ、アぁ……! しづ、き……さん……しづきさん……!」 縋るように伊万里は何度も志月の名前を呼ぶ。そのまま腕を伸ばし暗闇の中で志月の存在を探し続けた。赤くなった腕が彷徨う様に宙であっちこっちする。志月は熱い息を長く吐き出すと、伊万里の腕を掴んだ。すると伊万里の口が緩み、安心したような泣き声が口から洩れる。 「んん……しづきさ……」 気持ちいい。苦しくて痛くて優しくて気持ちがいい。気持ちいいのに全然熱を吐き出せなくて苦しい。それが苦しくて気持ちいい。何が何だか分からなくなってしまってはいるが、ただ「イくの我慢しようね」と言った志月の言葉だけは伊万里の頭の中に残っていた。 ――我慢すれば。我慢さえすれば、志月さんはちゃんと褒めてくれる。なぜなら、彼は先輩とは違うから。先輩とは違って、志月さんは、俺のことを、ちゃんと――。 突然、けたたましいアラーム音が鳴り響いた。その音を聞くと同時に二人は現実へと連れ戻される。長い十分がやっと終わりを告げた。志月はアラームを止めないままに、伊万里の中から玩具を引き抜き、ローターのスイッチを止め、伊万里の目隠しを外した。もう日は暮れていて、部屋の中は薄暗かったが、伊万里には志月の顔がとても明るく、輝いて見えた。 「伊万里くん、大丈夫?」 「しづき、さん……俺、もう、」 「うん、お仕置きはもうおしまい。我慢できて偉かったねぇ。いい子だね、伊万里くん」 志月の手が伊万里の頭を優しく撫でる。それだけで体が大きく震え上がり、爆発しそうになったが肝心のソコは縛られたままだった。唸る伊万里に志月は白々しく謝ると、爆発寸前の伊万里の熱へ手を伸ばした。根元を縛っている輪っかに志月は手をかける。 「……ねえ、伊万里くん」 まだ焦らすつもりか。伊万里は頭に響き渡るアラームの音に顔を顰めると無言で首を傾げた。 「今度、先輩から連絡があったら、ちゃんと俺のこと呼んでくれるって、一人で先輩のところに行って殴られたり犯されたりする前に俺に助けを求めてくれるって約束できる? 約束できないならこれ、外さずにどうにか無理やり熱を冷ましてもらわないといけないけど」 志月がそういうと同時にアラームが停止した。 志月は脅しているつもりなのだろう。けれど、彼の表情も声色もおおよそ脅しているとは思えないほどに弱弱しく、酷く、伊万里を心配している様子だった。 優しい人だ。勘違いしてしまいそうなくらいに。 実際のところ、その「勘違い」とやらは決して勘違いではないのだが、伊万里はもちろん志月がそれに今気づけるわけもなく、二人は互いに妙な胸の痛みに襲われながら見つめあった。 「ね、伊万里くん。約束」 「――はい……約束、します」 「ちゃんと、何を約束するか口で言って」 「今度、先輩に呼び出された時には、ちゃんと、志月さんのこと呼びます。志月さんに、助けを求めます、だから、」 「うん、ちゃんと言えていい子だね」 パチッとリングが外される。その瞬間伊万里の口から安堵の声が漏れた。

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