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3 大学編 1 仲春‐① 手を繋ぎたい

 四月一日、待ちに待った入学式を迎えた。新品のスーツに身を包み、ネクタイを締める。中高と学ランだったのでネクタイは初めてだ。今日のために何度も練習した。    家から自転車で五分、瑞季と待ち合わせて電車で大学へ向かう。当たり前だけど瑞季もスーツを着ていて新鮮だった。ぴったりのサイズを選んだはずだけど、なんだか窮屈そうな顔をしている。ネクタイが曲がっていたので直してやった。   「似合ってるよ」 「……ばか言ってないで早く行くぞ。特急列車に乗るんだろ」  そう言ってふいっと顔を逸らすが、照れてるだけってわかってる。    大学の最寄りはこじんまりとした駅だが、駅を出てすぐに幹線道路があって車が行き交っているし、交差点には大きな歩道橋が架かり、どこを見ても高層マンションとオフィスビルばかりで、やはり都心に来たという感じがする。    受験を経て都会の雰囲気に慣れたと言っていた瑞季であるが、今日は少しおどおどしており俺の袖を引く。リュックじゃないので他に掴める場所がないらしい。どうせなら空いている左手を握ってほしいけど、袖を引かれるのも悪くない。それに路上で手を繋ぐのはさすがに目立つ。    キャンパスは広く、不慣れなもので案内看板に沿って歩いて講堂まで辿り着いた。高校の体育館なんて目じゃないくらい大きい。薄いパンフレットをもらって席に着くのだが、瑞季が引っ付いてきて歩きにくかった。   「ちょ、なに、人に見られるだろ」 「だって人が多くて、緊張して……」 「お、俺だって緊張はしてるけど、そんなにくっつかれると……」    余計心臓に悪い。それと、どうせなら手を握ってほしい。と思いつつ何も言えず、自分から手を伸ばすこともできなかった。このヘタレめ。    適当に空いている席に座ってからも、瑞季はずっと緊張しっぱなしのようだった。俺のスラックスを控えめに掴んでいる。隣の席との隙間がほとんどないこともストレスなのかもしれない。映画館とか行ったことなさそうだもんな。   「しかしこの講堂ほんとにでかいな。市民会館よりでかいかも」 「市民会館?」 「うん。駅からはちょっと離れてるけど、こういう建物はうちの方にもあるんだぜ。今度行ってみる?」 「何やる場所なんだ?」 「色々やるよ。演奏会とか演劇とか、バレエの発表会やってたこともあったな。母さんの知り合いの娘が出てるとかで、興味もないのに連れてかれたんだ」    話しているうち、瑞季の表情はだんだん和らいでいく。スラックスを握っていた手は自然と離れる。   「ガキの頃はアンパンマンの着ぐるみ劇を見に行って」 「アンパンマン?」 「そう。こういう、子供向けのアニメキャラなんだけど……」    画像を検索して見せると、くっくと声を殺して笑う。   「あ、勘違いすんなよ。さすがにもう見てないからな。ガキはみんな好きなの、アンパンマン」 「いや、そうじゃなくて……ふふ、かわいいな」 「かわいい? こういうの好き?」 「うん、好き」    スマホの画面じゃなくなぜか俺の目を見て言う。距離の近さや照明の薄暗さもあって、急にどきまぎしてしまう。その好きってどういう意味? と訊こうとしたが、開幕のブザーに掻き消された。    大学の入学式といっても特におもしろいこともなく、文化系サークルの合奏や合唱を見、学長の話と学生代表のスピーチを聞いて終わった。  式を終え、人数が多いので端っこの席から順番に退場した。俺達は中央辺りにいたので、講堂を出るのはほとんど終わりの方だった。    講堂の外は広場になっているのだが、スーツを着た新入生とその保護者とサークルの勧誘をする在学生とでごった返していた。人がうじゃうじゃ、まるで虫のようにひしめき合っている。ラッシュ時の通勤列車よりも酷い人口密度だ。いや通勤ラッシュの電車乗ったことないけど。たぶんこんな感じだろう。身動きが取れない。   「瑞季、大丈夫か」    つい名前で呼んだ。慣れていなくて照れくさい。   「あっ、待って柊也、離れないで」    名前で呼ばれるのも慣れていなくて照れくさい。ってそんなこと言ってる場合じゃない。瑞季が人波に攫われてしまう。   「ほらこっち、手伸ばして」    手ではなく腕を掴んで、ぐいっと引っ張った。   「あ、はぁ、よかった……」 「もう、初日からそんなんで大丈夫かよ。ちゃんと俺のそばにいろよな」    これは自然な流れで手を繋げるチャンスだ。しかも凄まじい人混みだから男同士で繋いでいても怪しまれないし、そもそも誰も他人のことなんて気にしてる余裕ないからバレなさそうだ。そう思い、掴んでいた腕を離して手を取ろうとした、ちょうどその時。   「どーもー、君達経営の新入生かな」    いきなり話しかけられる。金髪でチャラそうな男。たぶん上級生。瑞季は完全にびっくりしていて、陰で俺のスーツの裾をぎゅっと掴んでくる。   「まぁ、何学部でもいいんだけどね。経営生メインの野球サークル。はいこれビラ。今夜ごはん会だから、よかったら来てね、一年生はタダだから!」    言いたいことだけさくっと伝えて、上級生は嵐のように去っていく。すぐさま他の新入生にも声をかけている。ビラはきっちり二枚押し付けられた。   「……やっぱ、大学ってすげぇな」 「……うん」 「がっつり金髪だったし。ブリーチ? っつうのかな。あっ、あっちには赤い髪……緑の髪もいるぜ。カップ麺じゃないんだから……」    くだらない話をしつつ、俺は内心がっかりしていた。せっかくの手を繋ぐチャンスが潰されたからだ。瑞季はスーツの裾をしっかり掴んだまま放すまいとしているし、俺の両手は鞄とビラとで埋まっているし。上手くいかないものだ。    講堂から講義棟までの道のりと講義棟周辺の広場にも勧誘の在学生がごちゃごちゃ立っていて、看板持って呼び込みしたりビラ配ったり、特設のステージでバンドをやったりしていて、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。    しかし俺はサークルに入るつもりはなく、瑞季もかなり疲れているみたいだったから、学生支援室でもらった履修要覧等の大切な資料一式と、大量に渡された勧誘ビラを抱えて帰った。

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