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4 終章 3 ふたたび

 妙な夢を見た。雪のように白い肌、輝く銀の髪と瞳を持つ、白い着物を着た少年が、裸足で立って俺を見ている。明らかに異形の者であるが、俺はこの子を知っている。   「戦になんて行かないで」 「この国の未来のためだ。俺は行く」 「行かないで。きっとまた死んでしまう」 「出陣の前に不吉なことを言うな。きっと武勲を上げて帰ってくる。待っていてくれ」    この結末を知っている。“俺”は永久に帰ってこない。        目を覚ましたら、暖かい部屋にいた。昔話に出てくるような家だ。板張りの床、高い天井、太い梁、広い土間。中央の囲炉裏には鍋が掛けられ、ぐつぐつと煮えている。   「気が付いたか」    聞き覚えのある声だ。夢で逢ったのと同じ、白い少年が俺に笑いかけた。   「そんな軽装で山に入るなんて、死ぬ気か?」 「……お前は?」 「ただの通りすがりの木こりさ」    そうか木こりか、と俺は納得した。   「日が昇ったらすぐに山を下りろよ。真っ直ぐ家に帰るんだ。待っている人がいるんだろう?」    ああ、そうだ。父さんと母さんがきっと待っている。犬もきっと、俺の帰りを待っている。最近、散歩に行ってやっていないから。   「もう二度と、こんなところへは来るんじゃないぞ。帰れなくなる」    少年は味噌汁を一杯振舞ってくれた。山菜がたっぷり入った味噌汁で、体の芯から温まった。    夜は静かに流れた。外の様子はまるでわからない。まだ雪が降っているのか、わずかな物音さえ聞こえない。室内は大変暗かった。油を注いだ小皿に紐を垂らして火を灯し、それで明かりを取っていた。覆いをしてあるが心許ない。吹いたら消えそうだった。   「なぁあんた。俺達、以前会ったことがあるかい」 「あるわけがないだろう。おれはここから一歩も出たことがないんだ」 「そうか。でも俺は、あんたを知ってるぜ」 「はは、まさかぁ」 「自分でもまさかって思う。でも体が覚えてるんだ。お前のことを、数百年の昔から知っている。どうしてだ? こんな感覚は初めてだ……」    俺はじりじりと少年に迫る。少年は怯えたように後退る。   「なぁ、本当に知らないのか? 俺の頭がおかしいのか?」 「し、知らない。それ以上寄るな……」 「だっておかしいんだ、俺……こんなに胸が苦しくて、息ができないくらい……誰かを恋しいと思うなんて」    とうとう押し倒した。少年は目を合わせようとせず、身を捩って嫌がった。   「い、やだ、やめろ」    強引に口を塞ぐ。少年は嫌がって暴れたが、すぐに抵抗をやめて大人しくなった。    ああこの温もり。味、匂い、吐息。他の何よりもよく知っている。以前抱いたことがある。舐めたことがある。懐かしいと感じるほどに、細胞レベルで沁み付いている。パズルのピースが次々とはまっていくように、俺は全てを悟った。    俺達は既に幾度も出会っていた。過去の世で出会いと別れを繰り返し、深く愛していたのに一度も添い遂げられなかった。しかし今、幾星霜を経て再び巡り会った。それだけのことだ。   「瑞季……瑞季、俺、戻ってきたよ。今度こそ戻ってきたんだ」    しかし瑞季は、どうして、と声を掠れさせる。   「どうして、戻ってきたんだ……おれがせっかく……なのに、お前は……」 「愛しているからだ。喜んでくれないのか? どうして泣いてるの」    俺の腕の中、瑞季は両手で顔を覆って肩を震わせる。   「だって……だってお前は、人間じゃないか」 「うん、わかってる」 「こっち側に来ていい存在じゃない。あっち側で幸せに暮らせばいいんだ」 「ごめん、でも俺、瑞季のいるところがいい」 「戻れなくなるぞ。俗世のことはいずれ忘れてしまうんだ。家族や友達が大事だろう。学校でやりたいことがあるだろう。あちら側でやり残したことがまだたくさんあるはずだ」    瑞季はすすり泣く。泣き止んでほしくて、俺は頭を撫でた。   「そんなもの、お前を失う苦しみに比べれば大したことない。愛しているんだ。今生こそ添い遂げよう」 「そんなこと――」 「できるよ。俺、お前と同じものになるよ。そうすれば永久に一緒だろう? もう二度と、別れを恐れたりしなくていいんだ」    瑞季は目を見開き息を呑む。   「永久に?」 「永久に。だから俺を受け入れてくれ。瑞季」    俺はゆっくりと目を閉じ、瑞季に体を預けた。        次に目覚めた時、蒼天の野原にいた。不思議と意識は明瞭で、気分は爽快だった。   「どれくらい寝ていた?」 「ほんの一瞬だ。行こう、シュウ」    シュウって……? ああ、俺の名か。  ミズキに手を引かれ、森を歩く。色とりどりの花々が咲き乱れ、小鳥が美しくさえずる。柔らかな陽射し。木漏れ日。木の実。この場所は一体どこだったろう。   「ここに来るのは初めてだ。でも、これから行くところは知っているはずだ」    新緑の巨木が一本そびえている。樹齢千年は優に超えているだろう。幹の外周は大人が四人がかりで取り囲んでもまだ余りそうなほど太い。幾重にも重なる梢には色鮮やかな若葉が潤沢に茂っている。   「ここだ。絶対におれの手を放さないで」    そう言うとミズキはその巨木の洞に頭から突っ込んで潜り込み、俺のことも一緒に引っ張り込んだ。    樹洞を通り抜けると、外は真夜中だった。空は濃い藍色に染まり、薄絹を纏った月が仄かな光を放っていた。足下には瑠璃色に輝く泉が広がっている。確かに俺はこの場所を知っている。飽きるほどよく知っている。    泉のほとりには、今さっき俺達が通り抜けてきた大樹がそびえている。青葉が艶やかに濡れている。その根元に、青紫の花が群生している。リンドウの花だよ、とミズキが言う。   「シュウにあげる。でも摘んじゃだめだ」 「ここに留まってる蝶は? 羽が青くて綺麗だ」 「それもあげる。気紛れだけど、懐くと結構かわいいんだ」    俺達は岩に腰掛けて夜空を眺めた。季節はいつなのだろう。風が吹いても心地いいばかりで、暑さも寒さも感じない。   「シュウ、後悔してないか?」 「何を後悔するっていうんだ? 俺、今すごく幸せだ。満たされてるって感じで」 「……それならいい」    ミズキは呟く。   「おれも幸せなんだ。この上なく、幸福だ。お前とこうなることを、ずっとずっと待ち望んでいたから」    泣いているのかと思ったが逆で、かすかに微笑んでいた。抱きしめてと言うからそうする。もっと強くと言うからもっと強く抱きしめる。   「今度、山を下りて街へ行ってみよう。何かおもしろいことがあるかもしれない」    俺が言うとミズキはうなずいた。一筋の流星が長い尾を引いて流れ落ちた。

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