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アルトー家の朝

 更に次の日の朝、まだぐったりとしていたエヴァンは抱き上げられ、豪華な馬車に乗せられて、αの男と一緒に帰宅した。  その時アルトー家の屋敷で見た父親の姿は、今まで見たことも無い程うろたえていた。  αの男は入り口で出迎えた父に何かを告げた後、軽くエヴァンの額にキスをしただけで屋敷には入らず帰っていったが、アルトー家はその後パニック状態だった。  父だけでなく、使用人達もαの男が帰った後もまだ走り回っている。  兄と姉は出ているようだったが、普段はあまり部屋から出ないΩの母も、αの男の気配が屋敷内から消えた後にエントランスまで降りて来たから、かなりの非常事態だ。 「エヴァン、お前一体何をしたんだ! 何がどうなってる!?」 「俺も、何が何だか……」 「あなた。エヴァンは調子が悪い様ですから、お話はまた後日」 「だが……!」 「後日に」 「…………わかった」  二晩ずっと愛され続けた身体は随分楽になっていたが、まだヒートが完全に治まり切っていないエヴァンを案じてくれた母の圧力に屈した父が引いたことで、その日はそのまま我が家の使い慣れたベッドへと直行できた。  だが、その後もずっと父が悲鳴に近い叫び声を上げながら、使用人達と共にバタバタと動き回っている気配を夜になるまでずっと感じていた。  いつもエヴァンがヒート期間はそっとしておいてくれる兄や姉も、この日はエヴァンの部屋の前までやって来ては母に咎められていた様だ。  後宮の警備中にヒートになってしまった事。そのせいで、せっかくΩの自分にも任せて貰えた仕事に穴を空けてしまった事。そしてエヴァンを助けてくれたあのαの男は、きっと本来ならエヴァンと関わる事のない位に高い身分の貴族なのだろう事。そのαの男に格下の身分であるアルトー家まで送らせ、きっと父の立場を悪くした事。  全部、エヴァンが引き起こしてしまった事態だ。  騎士候補生達とのあの事件で、どんなに努力したとしても自分がΩだという事は変えられないと思い知ったはずなのに、それでも外に出て働きたいという夢を諦めきれなかったせいで、また色んな人に沢山の迷惑をかけてしまった。 「情けないな……」  二度と会わない様にという決意で名前を聞く事さえしなかったαの男の温もりを、もう欲しくなってしまっている身体を、情けなさと申し訳なさでいっぱいになりながら自身で抱きしめる。  平穏な屋敷の雰囲気を一変させてしまった責任を感じながら、エヴァンは一人布団にくるまった。 「父上、今何と?」 「今からエヴァンを連れて、王城へ行く」  屋敷に帰って来てから、十日後。  すっかりヒート期間も終わり、ようやく家族と一緒に朝食を取れるようになったエヴァンに開口一番、父から告げられたのはとても信じられない言葉だった。 「エヴァンはΩなんですよ? 後宮の警備ならともかく、王城に上がれるはずないじゃありませんか」  驚きすぎて声の出ないエヴァンの代わりに、父の発言を再確認してくれたのは兄で、Ωであるエヴァンが登城出来ない理由を確認してくれたのは姉だ。  二人の言葉にコクコクと深く頷いていると、父は兄姉そしてエヴァンを見回し、疲れ果てたように大きく息を吐いた。 「これは王命だ」 「「「王命!?」」」  思わず兄姉弟三人の声が揃う。 「あら、子供達は仲良しねぇ」  母一人が何でも無い事の様に優雅に紅茶を飲みながら微笑んでいるが、多分母以外の反応の方が正しいのは明白だ。 「出発は一時間後、すぐに支度を調えなさい」 「ちょ……待って下さい、父上!」 「以上だ」  これ以上話す事はないと言わんばかりに立ち去る父を、未だ驚きから立ち直れていない兄と姉も呆然と見送っている。  思わずガタンっと大きな音を立てて立ち上がり、父を止めようとしたエヴァンのマナー違反を注意する人物はいない。 「大丈夫よ、エヴァン。可愛いチョーカーを、母様と選びましょうね」 「母上……」  やはり母だけがいつもの調子でほんわかとエヴァンに微笑みかけてくれるが、その内容はαの居る場所へ訪れる事を避けられない場合に、番のいないΩがそのうなじを守る為に首に付けるチョーカーの話だったので、この話は事実なのだろう。  訳のわからない事態が続きすぎて、もう頭が追いつかない。ヒートが終われば、またいつもの日常へ戻れるはずだと信じて疑わなかったのに、どんどん事態は不穏な方向へ進んでいる気がする。  一体どこで何を間違ってしまったのだろう。どこからが、間違いだったのだろう。  何一つ理解出来ないまま、流されるように着替え終わったエヴァンの元を訪れた母親が、様々なチョーカーを手にエヴァンの首元を飾って行く。  どこか楽しげな母にされるがまま、エヴァンはただ身を任せるしかなかった。

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