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番になれない理由(*)
「私と番になるのは、嫌?」
「嫌、とかの問題ではなくて……。どこの誰かもわからない相手を、簡単に番にしない方がいい」
正直な所、エヴァンは無理矢理番にされても構わない位に、身体も心もこのαの男を求めているのがわかっていた。だが、αの男は違うはずだ。
一時の気の迷いで、エヴァンの様なΩらしくない可愛くも無い男と番になるべきではない。この男なら例えαでなかったとしても、良い縁談は山ほど来るだろう。それ位、魅力のある男だ。
このαの男が幸せにする相手は、少なくともエヴァンじゃない。約束されている幸せな未来を、一夜の過ちで奪うような事はしたくない。
αの男はエヴァンの名前を知っている様だったが、こちらからαの男の名を決して聞くまいと心に決める。ただすれ違っただけの、エヴァンのヒートに巻き込まれただけの哀れなαの男。それでいい。
もちろんΩのエヴァンからはどうしようもないが、αの男からなら一方的に番契約を解消することは出来る。
そうなった時に困るのは、一度番うとその相手以外は受け付けなくなるヒートを持つエヴァンだけで、α側には何のデメリットもないのだから、特に深く考えずにうなじを噛もうとしているのかもしれないとも考えられる。
だがこのαの男はそんなに無責任なタイプに思えなかったし、何よりαの男が何者かはわからないが、平民や身分の低い貴族でない限り、どうあっても大きなスキャンダルになり得る。
自分の身を守る以上に、このαの男の立場を守る為に、話しが通じる相手ならば思いとどまらせたいとエヴァンは考えていた。
「私は君をずっと探していたんだよ。例え何者だったとしても、君以外を愛するなんて考えられない」
「お前は俺のヒートにあてられて、正しい判断が出来なくなっているだけだ。それに、お前と俺は初対面だろう……?」
どんなに記憶をひっくり返してみても、エヴァンにこのαの男の記憶は無い。
こんなにも強烈なαを忘れるなんて考えられないから、二人が顔を合わせたのは初めてで間違いないはずだ。
「顔を合わせたことはなくても、私は君の事を忘れた事はなかった。それに私達がこの先ずっと一緒に居る理由は、今この時間を共にしただけで充分だろう? 君は私に何も感じなかった?」
αの男の言い分の半分は意味がわからなかったけれど、恐らくこのαの男は今日出会って身体を重ねた事だけで、番になる理由は十分なのだと言っている事はわかる。
だがΩのエヴァンではなく、優位であるはずのαの男が何故こんなにも盲目的になれるのかわからない。「いいから少し冷静になれ」そう言って突っぱねるのが正しいとわかってはいるのに、その真剣な眼差しを前に、エヴァンはαの男に最初に囁かれた言葉を思い出してしまった。
そしてそれがしっくり来てしまう程、今まで感じたことの無い感情の高ぶりと心地よく甘い匂いは、エヴァンを幸福の中に包み込んでいる。
「運命……だから?」
「そうだ」
きっぱりと返された言葉は、どこにも嘘が無くて、まるでそれが正しい事みたいだ。けれど、それでもやっぱりエヴァンがこのαの男に相応しいとは、どうしても思えなかった。
運命の番という言葉は、もちろん知っている。つい昼間に、王妃候補達からも聞いたばかりだ。
αとΩは通常でもヒートを通じて惹かれ合うが、運命という相手は魂に訴えかける様な、強烈に本能で求め合う関係だという。
一目会う、いや相手の匂いを遠くで嗅いだだけでそうだとわかる位に、強く惹かれ合うらしいが、元々αとΩの人口は極端に少ない。運命が近くにいるとは限らないし、身分が釣り合うかも関係ない。
そんな相手に一生涯の内に出会える可能性は、果てしなくゼロに近いと言われている。
運命の相手が傍に居れば、Ωからは不特定多数のαやβを誘うフェロモンは出なくなり、ヒートもたった一人の運命相手にだけにしか利かなくなる為、Ωだけでなく番に対する独占欲が異常に強いαの精神も安定するらしい。
特に薬を使う以外に、自分で自由にコントロール出来ないヒートと一生付き合っていかねばならず、誰に襲われるかもわからない恐怖と、多大な苦しみを伴うΩにとって、その全てから救ってくれる運命の人が、この世界の何処かに居るかもしれないという話は、夢物語でもあり最後の希望でもあった。
運命の相手を選べないのはお互い様の事だけれど、このαの男の運命がエヴァンでは、あまりにも釣り合いが取れない。
男同士なのは仕方ないとしても、可愛くも無ければ器量が良いわけでもない。顔は悪くないと言われるけれど、必ずその後に「だけど……」が付く。
鍛えた身体は、エヴァンにとってはΩでも騎士になれるかもしれないという所まで行った勲章だし、恥ずかしいとは思わないけれど、愛される為の身体にそぐわないことは理解していた。
「勘違いだ……俺と番になんてなったら、きっと後悔する」
「後悔なんて絶対にしない。お願いだから、私の番になって?」
「……ダメだ」
「どうしても?」
「どうしても」
恐らくこのαの男が本気になれば、エヴァンのうなじを無理矢理噛む事ぐらい容易いはずだ。けれどαの男は、エヴァンが許可する言葉を紡ぐのをじっと待ってくれている。
それだけで、このαの男が傲慢な多くのαとは違う、優しくて良い人なのは痛いほどわかった。愛される条件の不足しているこんなエヴァンを、大切にしてくれるかもしれないとも思う。
けれどだからこそ、縛り付けるような事はしたくなかった。今ならまだ、引き返せる。
ふるふると首を横に振ると、αの男は大きく息を吐き出した。その吐息が、頑なに守りを解こうとしないエヴァンの両手を通り抜けてうなじを撫で、ぴくりと再び熱が上がりそうになる。
「……わかった。ならちゃんと手順を踏むよ。でも私は、諦めるつもりはないからね」
「何……?」
「ね、今ここは噛まないから……もう一回、しよう」
「っぁ! ……やっ、待っ……んんぁ……ぁぁぁぁあっ!」
ちゅっと触れるだけのキスがうなじから耳元へと行き先を変え、熱い言葉が耳をくすぐる。と同時に、αの男の熱が再び先程までそれを銜え込んでいた場所にあてがわれると、一気に押し入ってきた。
拒む暇も無く簡単にαの男を受入れた後孔が、再び歓喜に震え出す。
一度だけでヒートの全てが到底治まるはずはなかった身体は、目の前のαの男に全てを委ねられる幸福感に満たされる。
その感覚は何物にも代えがたく、気持ちよすぎて辛いのにこの時間が永遠に続けば良いとさえ思えた。
この感情こそが運命だと言われたら、本当に抗い難い。
どこまで拒みきれるか自信はどんどん失われていく一方だが、最後の一線だけは何としても守らなければならない。
エヴァンの為ではなく、このαの男の為に。
そしてその後、この日は求められるがまま夜が明けるまでずっと愛され続けたのだった────。
次の日。エヴァンが目覚めたのは、昼もとっくに過ぎた頃だった。
仕事が休みだったのは幸いだったが、初めてであんなに愛され尽くしたというのに、まだ身体がほのかに熱を帯びている。
ヒートが一日で終わらないのは常だが、αに抱いて貰った場合は次の日にはかなり楽になると噂に聞いていたのだが、嘘だったのだろうか。
確かに、昨晩突然襲われた思考回路ごとぶっ飛ぶ様な熱からは解放されているものの、未だいつものヒート状態より症状は強く出ている気がした。やはり、いつもとは勝手が違う様子だ。
だが後宮の、しかも王妃候補の為の屋敷の中に、一介の警備役であるエヴァンが長居するわけにもいかない。
既にベッドの隣には、αの男の影も体温も残っていない事を確認してほっと息をつく。なんとか身体を起こしてベッドから立ち上がろうとするが、腰がガクガクと震えてそのままふわふわの絨毯が敷かれた床へ、情けなくべちょりと座り込んでしまった。
「た、立てない……」
「何をやっているのかな?」
鍛え抜かれたはずの自分の身体が、あまりに言う事をきかない事態に呆然としながら呟くと、ガチャリと開いたドアから、一晩で聞き慣れてしまった優しい声が耳に響く。それだけで、更に身体から力が抜けてしまう気がした。
顔を上げると予想に反せず、昨晩エヴァンを抱き潰したαの男が片手に盆を持って立っていた。
αの男はエヴァンが床に座り込んでいるのを確認すると、持っていた盆をテーブルに置いて慌てて傍に寄ってくると、がばりとエヴァンを抱き上げる。
「わ、ちょ……」
「まだ動くのは無理だろう? 大人しく寝ていて」
そう言われた次の瞬間には、エヴァンは再びベッドの上の住人にされていた。
αの男は持ってきた盆の上に乗っていたグラスを取り、甲斐甲斐しくエヴァンの唇に押し当ててくれる。
喉が渇いていたのは確かだったので、そのままゴクンと中に入っていた液体を飲み込むと、喉の奥に爽やかなレモンの香りが抜けた。どこから調達して来たのかは不明だが、どうやらただの水ではなくレモン水だったらしい。
散々喘がされて、喉が潰れ気味の掠れた声が出た後だったので確かに有り難かったのだが、そうさせた本人が目の前にいる事に恥ずかしさも伴う。
てっきり一晩だけの関係だと思っていたから、αの男が今日も傍に居る事に戸惑いとそれ以上の喜びを感じている。
だが、いつまでもここに居るわけにも行かない。
「ありがとう。でもそろそろ行かないと……」
「どこへ行くつもりだったの?」
「今日はたまたま休みだったから良かったけど、ヒートの予定じゃ無かったんだ。明日以降の調整をしてもらわないと……それにベアトリス様にも、昨晩の約束を守れなかった謝罪の手紙を出さなければ……」
「あぁ、君はとても真面目で優秀らしいね。王妃候補達とも上手くやっていると聞いている。警備の事なら心配しなくても大丈夫。ベアトリスにも話は付けてあるし、約束はちゃんと果たされているよ」
「…………え?」
「今日はもう遅いから、もう一日ここでゆっくりしようか。明日の朝、屋敷まで送るよ」
「待って……どういう……? んっ……ふぁ」
「まだ、私が足りないだろう?」
眼前に迫った優しい微笑みは有無を言わせぬ雰囲気で、重なった唇は深くエヴァンを侵していく。
αの男がただ傍に居るだけで、何故か高まって収まらない鼓動に抗えないまま、エヴァンは今夜もαの男の胸の中で、再び声を枯らすことになった。
「アルトー家は伯爵家か……だが父は騎士団長だったな。うん、それならば大丈夫だろう。すぐに整えて迎えに行くから、待っていて」
二晩目だというのにまた貪られる様に何度も愛され、気を失うようにエヴァンが眠りに落ちた後、ゆっくりと愛おしそうに頭を撫でながら呟いたαの男の声に、エヴァンが気付くことは無かった。
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