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運命を迎える日
エヴァンをアルトー家に送り届けたその足で、アレクシスは執務室へ勢いよく踏み入れた。
書類を抱えていた宰相を見つけると同時に、声高らかに宣言する。
「エヴァン・アルトーを、我が妃にする。準備を」
「…………仰っている意味が、よくわかりませんが」
珍しくぽかんと口を開けた宰相が、たっぷり間を空けた後にため息と共に発した言葉は、アレクシスには届かなかった。
「アルトー家の地位は伯爵だが、元々王妃候補の範囲を広げてみてはと提案していたのは、お前の方だったはずだ。とすれば、身分的には問題はないのだろう? 父親は現騎士団長だから、後ろ盾も特に必要ない。エヴァンは次男で、優秀なαの嫡男も居るというから、アルトー家の跡継ぎの心配もなさそうだ」
「待って下さい、王。落ち着いて話を……」
「落ち着いていられるものか。私の運命が、ようやく見つかったのだから」
「運命……? ずっと仰っていた運命の番が見つかったのですか? 匂いを嗅いだというのは本当だったので?」
「……お前、まさか疑っていたのか?」
「そういう訳ではございませんが、もう十年以上前の事でしたので……」
じとりと視線を送ると、宰相の視線が逸らされた。
どうやらアレクシスが城下で運命と出会ったという話は、宰相からすれば半信半疑であったらしい。
確かにあの時は匂いを嗅いだというだけで、姿形を確認出来た訳でもない。再会出来るかどうかも怪しい、雲を掴むような話を信じるよりは、アレクシスが勘違いをしたと思っていた方が現実的だったのだろう。
「私も半分諦めていた。だからこそ、一度は後宮に王妃候補を呼ぶ事を許可したのだ。だが運命が見つかった以上、もう王妃候補は必要は無い」
「エヴァン・アルトーと言えば、この間お尋ねになっていた後宮の護衛任務に就いている者ですよね。何かの間違いでは……?」
「これ以上、まだ私を疑うのか?」
「いえ、失礼致しました。ですが相手がその者では、王妃にするのは難しいかと」
「何故だ?」
過去の話を信じる信じないは別として、運命は間違いなく見つかったのだ。エヴァンを王妃に迎える事はアレクシスにとって既に決定事項で、反対される理由がわからない。
そもそも王妃候補を後宮に招く事を許可したのも、いつまで経っても運命が見つからなかったからであって、エヴァンと再会した今のアレクシスにはもう必要のないものだった。
運命を探し続けている事は王妃候補達に話してあったし、見つかればお役御免になる事についても了解してくれている。むしろ積極的に協力してくれたのだから、そこに何の憂いも無い。
「身分以前に、男性ではないですか! 王妃の座に男が就くなど、聞いた事がございません」
「だがΩだ。私は子など無くても気にしないが、お前達の言う跡継ぎを作るという条件は満たしている。問題はないはずだろう?」
「ですが前例が……」
「ないものは、作れば良い。αにとって、運命以上の番は現れない」
「王妃候補達には何と説明するのですか、彼女らは王妃になる為に後宮に上がって来たのですよ」
「エヴァンと会わせてくれたのは、その王妃候補達の助力あっての事だ」
「なん、ですって……? まさか、今朝ベアトリス嬢から届いた手紙は……」
「ベアトリスが手紙をくれていたのか。見せてみろ」
宰相の視線の先にあったのは、執務机の上にあった一通の手紙。
それはつい先日、アレクシスにエヴァンの事を知らせてくれたものと同じ封蝋が押されていて、ベアトリスからのものである事が窺えた。
昨日の内にアレクシスが返しておいた、ベアトリス宛ての感謝の手紙への返事かもしれない。
休日が過ぎても、エヴァンが後宮の護衛任務に戻らない事を知れば、聡明なベアトリスは全てを察してくれたかもしれないが、やはり直接感謝とエヴァンを必ず幸せにするという決意を伝えておきたくてしたためたものだ。
早くエヴァンの元に戻りたくて、かなり簡素な手紙になってしまったのは否めないが、どうやらベアトリスには正しく伝わったらしい。
早速封を切って中身を確かめると、そこには心からの祝福の言葉が並んでいた。
ベアトリスからアデールとナタリアの二人にも伝わった様で、二人はすぐにでも後宮から辞するつもりの様子だそうだ。今読んでいるベアトリスからの手紙の他に、机の上には二通の目新しい封蝋の押された手紙が鎮座していたのは、きっとアデールとナタリアからの手紙だろう。
いくらアレクシスに王妃候補が不要になったとしても、そんなにも性急に出て行く必要はないと思うし、出来れば王妃候補達が後宮を辞した後も幸せになれる様に、色々と取り計らってから送り出したいと考えていた。
だが、どうやらアレクシスよりもずっと早く、王妃候補達の方がエヴァンがアレクシスの運命であるという確信を持っていたのかもしれない。行動が早い。
何よりベアトリスからの手紙には、これ以上無いくらいに有り難く、こちらから頭を下げて頼み込んで引き受けて貰うのが筋である内容が書かれていて、エヴァンが本当に王妃候補達に愛されていた事がわかる。
「ベアトリス嬢は、何と……?」
宰相が恐る恐る尋ねて来た理由は、アレクシスが笑みを浮かべていた事で、どうやらその手紙が愛を交し合う為のものではないと、察したからなのかもしれない。
ついこの間まで、王妃候補達との結婚に向けて順調に進んでいると思っていた宰相からすれば、今日のアレクシスの発言の全てが青天の霹靂なのだろう。
「王妃の第一候補だと言われていた公爵令嬢であるベアトリスが、エヴァンの教育係を買って出てくれるそうだ。これで何の心配もなくなったな」
「そんな馬鹿な」
「アルトー卿には、ヒートが完全に治まり次第エヴァンを連れて登城するよう指示してある。恐らくは十日後辺りだろうから、それまでに準備を整えろ。根回しもしっかりな」
「王!」
「これは決定事項だ」
「私は、認めません」
「お前が認めなくても、これは絶対だ」
きっぱりと言い放つと、アレクシスの本気が伝わったのだろう、宰相は怯んだようにぐっと言葉を飲み込んだ。
だがそれでも食い下がって来ようとしているのは、宰相もまた王家を存続させる為に、力を尽くそうとしてくれている証拠ではあるのだろう。アレクシスは、その心までも否定するつもりはない。
ただ、ゆっくりでいいから変化を理解して欲しいとは思う。
「……ではせめて王妃の選定期間である後三ヶ月の間は、後宮に王妃候補を一人追加するという形で、召し上げるという事にしていただけませんか?」
「その間に、粗でも探して追い出す心づもりか?」
「滅相もございません」
宰相はそう言って首を横に振っているが、エヴァンが王妃に相応しくない理由を探そうとしているのは一目瞭然だ。
だがその引き延ばした三ヶ月の間、後宮には既に王妃候補は他におらず、残っているのはエヴァンの教育係を努めるアレクシスに協力的なベアトリスだけだと言う事実を、宰相はまだ知らない。
それに例え誰に何を言われても、アレクシスはエヴァンを手放すつもりはないし、何があろうが守り抜く決意も変わらない。
だが世間の男性Ωに対する風当たりは、女性Ω以上に強い。前例を壊す事に抵抗はないし、根拠もないただの差別などくそ食らえだとは思うが、伯爵家という王家に迎える身分としてはギリギリの、しかもΩの青年を急に王妃にすると宣言しても、抵抗は大きいだろう事は確かだった。
三ヶ月という期間は、アレクシスが周りを固める為にも必要であるようにも思える。
「わかった、それで良い」
「寛大なご判断、ありがとうございます。それでは私は、準備がございますので」
「あぁ、頼んだ」
「畏まりました」
ほっとした顔で退出していく宰相に頷く。
反対はしても、やるべき事はきちんとこなす男だ。この先の仕事を振る事に不安はない。きっと十日後、アルトー卿とエヴァンが登城出来るように取り計らってくれるだろう。
納得はしていない様子なので、根回しをどこまで真剣にやってくれるかは未知数だが、それはアレクシス自身で動けば良い。
「……早く会いたいな、エヴァン」
今朝方まで一緒のベッドに居たのに、もう会いたくなっている。
自由でいて欲しいけれどずっと抱きしめて離したくないし、皆に自慢したいのに誰にも見せたくない矛盾だらけの気持ちが溢れる。
Ωの地位向上と社会進出を推進したい気持ちに嘘はないが、番を囲って閉じ込めてしまいたい衝動に駆られ、沈黙を守るαの気持ちも少しわかってしまった。
エヴァンはきっとアレクシスが望めば、小さな世界に囲われてくれるかもしれない。けれどそれをしてしまうと、きっとエヴァンの心を殺してしまうだろう。
だって彼は、たった一人のΩの騎士候補だったのだから。理不尽を飲み込んで、ずっと頑張ってきたのだから。
その結果、エヴァンはΩでありながら王妃候補の護衛任務を与えられ、後宮でアレクシスと出会ってくれた。だからこそ、エヴァンにはこれらかも自分の意思で動いて欲しい。
アレクシスがΩの地位向上を目標に掲げていなければ、もしあの事件の処断を間違っていたら、アレクシスは自分の運命の命を奪っていたのかもしれない。
そう思うとぞっとするし、主犯格のβ二人に今後会うことがあれば、迷わず殺そうとしてしまう自信がある。
騎士候補としての権利を剥奪するの留まらず、登城が叶わない様にしておいて本当に良かった。私怨で人を殺す王に、ならなくて済む。
この先エヴァンには、アレクシスの隣で堂々と笑っていて欲しい。きっとエヴァンにはそれが出来る強さがあると信じている。
未だベッドの中のエヴァンしか知らないのに、何を偉そうに語っているのだと言われそうだが、短い間でも知れた事は沢山ある。
自分を襲ったはずの正体さえわからないαの男の立場を思いやれるところも、自分より誰かの為に一生懸命なところも、傷つけられても誰かに優しく出来るところも、努力家なところも、魅力的であるにも関わらずΩとしての自分に自信がないところも、全部が愛しい。
もしエヴァンがアレクシスの運命ではなかったとしても、出会えばきっと好きになっていた。
アレクシスの運命の番は、きっと歴代のどの王妃よりも民から愛される王妃になるだろう。そしてアレクシスは歴代のどの王よりも、幸せな王になる。
そんな明るい未来を胸に描きながら、数日後この城内でアレクシスの正体を知って目を丸くするだろうエヴァンの可愛らしい姿を思い浮かべ、アレクシスはそっと笑みを零した。
END
本編・番外編共に完結です。
最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございました!
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