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第4話

『人気アイドル深夜の密会』 そうデカデカと書かれた見出しに、思わず目線が止まる。 本来なら雑誌の陳列棚を突っ切って、ペットボトルが並ぶ冷蔵庫棚へと向かう筈が、意図せず見つけた文字がそれを阻止した。 一番目につきやすい最前列に置かれたゴシップばかりの週刊誌、今までなら幾らページを捲ろうか関心を持つ内容など有りはしない下世話なものが、真っ直ぐに視界へと飛び込んできたのはつい最近知った名前が表紙に載っていたからだった。 『藍田陸(23)、小松ひな(24)とお泊まり愛』 書かれている女の名前は脳内に引っかかるものはなかったが、男の方はよく覚えがある。 何しろ数日前に、アパートの部屋の前で泥酔し寝ていたところを拾って滝谷の部屋に泊めたのだ。 翌日目を覚ました男の顔を、無意識に手に取ってしまった週刊誌の写真と比べながら思い出す。 写真は若い男女が手を組みマンションのエントランスに入っていくところや、車に乗っていく姿を隠し撮りしたものだった。 女の方は写真を見てもやはりピンとこない、今人気の若手女優だという。 男はどの写真も帽子を被っているけれど、確かに滝谷が介抱した男だ。 何しろ一番の特徴である左目の涙ボクロがアップの写真でははっきり写っている。 滝谷が自分の部屋で呑気に眠りこける酔っ払いをアイドルグループ「フィフス」のメンバーである藍田陸だと決定付けたのもこの涙ボクロのせいだった。 滝谷のベッドを占領しきっちり七時間眠った若者は、目を覚ますと同時に慌てふためき自分の置かれた状況が理解できず、それより何より二日酔いに呻きながら野良猫のように警戒しつつ差し出されたグラスを受け取った。 冷たすぎない水を飲み干すと、冷静さが戻ってきたのかさあっと血が降りた青い顔をして犯した失態を分析しているようだった。 拉致されたと勘違いされては適わないから、前日の夜の出来事を彼が問いかける前に説明すると藍田は更に顔を青く染め、ベッドの上で正座をすると勢いよく頭を下げ謝り倒した。 すっかり痛む頭のことなど忘れていたのか、その勢いで頭痛が再び蘇ったらしくシーツに額を擦り付けながら低く呻いたのが滝谷にはおかしかった。 テレビや雑誌の向こうでしか見ない芸能人も、自分と同じように酒で失態をするときもあるし二日酔いで苦しむのだな、と思えば親近感もわく。 だから「すいません、すいません」と、頭痛に喘ぎながらも謝り続ける藍田の、丸い頭を撫でてやりたくなった。 腹痛のときもだが、体のどこかが不調を訴えるときは人肌は案外落ち着くのだ。 ゆっくり、ほぼ無意識に形を辿るようにして指を滑らせ頭を撫でると持ち上がった顔とばっちり目があった。 今度は驚きで丸く見開かれた目。 さすがアイドルと言うべきか、藍田の目は黒目が大きく二重線もはっきりとしている。 滝谷は漸くしまったと思い、慌てて頭から手を離した。 いくら二日酔いとはいえ、見ず知らずのオッサンに頭を撫でられるなんて気持ち悪いに決まっている。 法事のときにたまに会う従兄弟の子供にするような仕草だったと後悔した。 藍田は滝谷を見つめたまま何も言わない。 沈黙が気まずく、とりあえずリビングの方でコーヒーでも一杯どうかと持ちかけると、帰ると一言で一蹴された。きっと警戒されたのだ。 ベッドから降り服装をチェックすると藍田は安心したようにほっと息をついた。間違いがあったらどうしようと思われたのかもしれない。 「ありがとうございました、ご迷惑おかけしました」と早口で告げると、そのまま寝室を出て廊下へと向かう小さい背中を見ながら、ハッと思い出し滝谷はキッチンへ走った。 彼女と同棲時から使っている、今の一人暮らしには大きすぎる冷蔵庫からコンビニの袋をひっつかむと藍田を追いかけ玄関へ急ぐ。 短い距離を追いつくと、藍田は丁度スニーカーを突っ掛けたところだった。 慌てているのか、踵を踏み潰している。 「なあ、ちょっと君!」 滝谷の上擦った声に呼び止められ、藍田は振り向いた。 早くこの場から去りたいと告げる表情の歪んだ顔に、冷蔵庫の中で冷やされたビニール袋を差し出す。 小さな頭を傾げ、そろりと警戒した指先で袋を受け取ると垂れた大きな瞳の視線は袋の中身に注がれる。 「君、昨日プリン食べたいって寝言で言ってたから」 はたして藍田をベッドへ眠らせたあと買いに走ったプリンは、彼の好みに合うだろうか。 じーっと袋の中のプリンから視線を外さない男を見ながら、それだけが気になった。 随分と週刊誌を眺めてからそう記憶を掘り返していると、隣に事務所の近所にある高校の制服を着た女子生徒が二人、甲高い声をあげた。 「え、待って待って。藍田陸と小松ひな熱愛だって」 「マジで?陸ってもう何回めって感じだよね。でもツアー始まるのにこれは萎える。また顔にバツされたうちわ振られるんじゃない?」 「あー、陸のオタってそういう痛いの多いよね。っても、私フィフスのファンじゃないけどさ」 「ウケるー」 独特な軽さを持った言葉遣いの彼女たちの会話を気まずい気持ちで聞きながら雑誌を陳列棚に戻し、目当てのスポーツドリンクを買ってコンビニを出た。 これから事務所のデスク上に置かれた大量の書類を思い浮かべると憂鬱になりそうで、わざとよしっと口にして気合を入れる。 ぐっと伸びをして空を見上げると、真っ青な冬晴れにさっきみた熱愛のふた文字と、数日前滝谷のベッドで熟睡するどこか幼い寝顔は上手く重ならなかった。 事務所へ戻りいつものように残業をこなして帰路へつく。 タイムカードを押すときは珍しくまだ二人が残っていて、お先にと声をかけると恨めしそうな視線を向けられた。 小さな事務所とはいえ、数年後の国際イベントに合わせ都内はどこも建設と工事ラッシュで人手が足りないのだ。 いつまでも足を止めていたら長く続きそうな愚痴を聞くにも体力がいる、軽く頭を下げ事務所を出る時刻は普段より二時間以上も早い。 中途半端な時間でもぎゅうぎゅうに人が詰まった電車内に無理矢理乗り込み、自宅の最寄駅に着いてもまだ21時を回ったところで、お約束に駅前のコンビニで弁当を買いゆっくりとアパートまでの道を行く。 夜の街灯に照らされぼんやり浮かぶ住宅街の家々は量産された建売の住宅で、住んでいる人々の生活が垣間見えない。 いずれ近未来には同じデザインの無機質な建物でこの世界は溢れるのかもしれない。同じ高さを持ち同じ色をして、全て平均的に。 そんな中で滝谷がこのアパートを選んだのは新築の建物ばかりのこの街の中で、独特の雰囲気を孕んでいたからである。 築年数が古いわけでもないのに昔ながらの空気があり、部屋数も少ない。 妙に落ち着くせいで引っ越す気にならず契約を更新し続けている。 大家は管理会社に必要管理の全てを任せているらしいが、気まぐれに様子をみにくることがあった。老いた婦人だったが背筋がしゃんとしていた。 随分と週刊誌を眺めてからそう記憶を掘り返していると、隣に事務所の近所にある高校の制服を着た女子生徒が二人、甲高い声をあげた。 「え、待って待って。藍田陸と小松ひな熱愛だって」 「マジで?陸ってもう何回めって感じだよね。でもツアー始まるのにこれは萎える。また顔にバツされたうちわ振られるんじゃない?」 「あー、陸のオタってそういう痛いの多いよね。っても、私フィフスのファンじゃないけどさ」 「ウケるー」 独特な軽さを持った言葉遣いの彼女たちの会話を気まずい気持ちで聞きながら雑誌を陳列棚に戻し、目当てのスポーツドリンクを買ってコンビニを出た。 これから事務所のデスク上に置かれた大量の書類を思い浮かべると憂鬱になりそうで、わざとよしっと口にして気合を入れる。 ぐっと伸びをして空を見上げると、真っ青な冬晴れにさっきみた熱愛のふた文字と、数日前滝谷のベッドで熟睡するどこか幼い寝顔は上手く重ならなかった。 事務所へ戻りいつものように残業をこなして帰路へつく。 タイムカードを押すときは珍しくまだ二人が残っていて、お先にと声をかけると恨めしそうな視線を向けられた。 小さな事務所とはいえ、数年後の国際イベントに合わせ都内はどこも建設と工事ラッシュで人手が足りないのだ。 いつまでも足を止めていたら長く続きそうな愚痴を聞くにも体力がいる、軽く頭を下げ事務所を出る時刻は普段より二時間以上も早い。 中途半端な時間でもぎゅうぎゅうに人が詰まった電車内に無理矢理乗り込み、自宅の最寄駅に着いてもまだ21時を回ったところで、お約束に駅前のコンビニで弁当を買いゆっくりとアパートまでの道を行く。 夜の街灯に照らされぼんやり浮かぶ住宅街の家々は量産された建売の住宅で、住んでいる人々の生活が垣間見えない。 いずれ近未来には同じデザインの無機質な建物でこの世界は溢れるのかもしれない。同じ高さを持ち同じ色をして、全て平均的に。 そんな中で滝谷がこのアパートを選んだのは新築の建物ばかりのこの街の中で、独特の雰囲気を孕んでいたからである。 築年数が古いわけでもないのに昔ながらの空気があり、部屋数も少ない。 妙に落ち着くせいで引っ越す気にならず契約を更新し続けている。 大家は管理会社に必要管理の全てを任せているらしいが、気まぐれに様子をみにくることがあった。老いた婦人だったが背筋がしゃんとしていた。 (ただ、やっぱり階段はキツイよなあ) たかが3階までの階段を上がり軽く息切れしながら口の中でごちるのもすっかり日課になってしまった。 長い一人暮らしのせいで相変わらず人気が無い玄関ドアに鍵を差し込んだところで、遠くからバタバタと足音が聞こえる。 そしてその足音は段々と近づいてくるようだ。 今度はバタンっと大きな音を立て隣の部屋のドアが開いた。 近所迷惑など全く考えていない物音に呆れていると、ひょっこり覗いた小さな頭が滝谷を見つける。 「あ、こ、こんばんは」 どこか挙動不審な黒目が、昼間週刊誌にすっぱ抜かれていた男と同一人物だとはとてもじゃないが思えなかった。 「どうぞ、インスタントだけど」 来客用の食器など揃えているはずもなく、出て行った彼女が使っていたマグカップにインスタントコーヒーをいれ差しだした。 隣に藍田が泊めてもらったお礼だと持ってきた老舗百貨店で購入したのだろう、見覚えのある店のマカロンを気休めの繕いで皿に乗せ置いてやる。 こんな可愛らしい菓子なんて、礼儀はちゃんとしているな、と感心こそすれ、中年男相手に選ぶ代物じゃない。 若い、それこそ週刊誌に載っていた女優とかならばこそ喜ぶものだろう。 なんなら春山も好きそうだと、一瞬考えたがあれは見た目より量の女だから物足りないと嘆く姿が浮かんで無意識に笑ってしまうと、藍田が不思議そうに首をかしげた。 「あの、改めてこの間はご迷惑おかけしてすみませんでした。泊めていただいたのにちゃんと挨拶もしないで帰ってしまって」 「いやいや、気にしないでください。でも、少し酒は控えた方がいいかもしれないですね。次は風邪引くかもだから」 茶化すと藍田は気まずそうに視線をそらし頭をかいた。 「テレビに出ている方なのに、飲みすぎて野宿したら大変ですよ」 ばっと目の前の小ぶりな頭が上がる。 目を藍田はその垂れた瞳を大きく見開き如何にも驚いている顔を作った。 「あの、知ってたんですか?お、…僕のこと」 「あー…」 ここは素直に答えるべきか一呼吸分迷う。 だから隠すようなことでもないとすぐに思い直した、芸能人なんてこれ以上関係が繋がるわけもない。 「本当のことをいうと俺はそういう若い子に人気の芸能人とかには疎いんです。けど、あの日はたまたまテレビでやっていたCMに君が出ていて…」 「ああ、なるほど」 藍田は安堵と、どこか落胆混じりのため息をついた。 そしてまだ湯気の上るインスタントコーヒーを一口、薄い唇をカップにつけ飲んだ。 作り物のような喉仏が小さく上下する。 途切れてしまった会話を修復しようにも、滝谷にそんな器用さは備わっていない。 どうしようと唇を舐め藍田を真似るようにただコーヒーをすすった。 「…あの日は、確かに飲みすぎてしまって。ここは短期の仮住まいの部屋なのに、貴方が助けてくれなかったら、危うくまたすぐに引っ越さなきゃいけなくなるところでした」 「えっ、いやいや、よかった。助けになれたなら。アイドルって仕事も大変だと思うし、飲みすぎる日があってもしょうがないかもな」 改めて深々下げられた黒髪の真ん中に、つむじを見つけると、次は無意識だった。 手が伸びて頭の中心からゆっくり後ろへ掌を動かす。 二度目もやはり、手に残る感触は丁度いい猫っ毛だった。 いや、丁度いいってなんだ。前回撫でて後悔したばかりなのになんでまた。 滝谷は慌てて手を引っ込めた。 すると藍田はくすくすと笑い声を漏らした。 「それ、癖ですか?」 「…はは、そうかも。姪っ子にもよくやって怒られるよ。せっかくセットしたのにぐしゃぐしゃにするなって。難しい年頃なんだ」 「そんなオジサンみたいなこと」 「いや、もうオジサンだよ。37になる。えっと、藍田、くん、でいいのかな。俺は滝谷って言うんだけど」 「滝谷さん?」 「そう、滝谷俊二」 藍田はうーん、と顎に手を当て随分幼い仕草をした。 そして閃いたように滝谷を見た。 「じゃあ、俊二くん、で」 「は?」 しゅんじくん。甘ったるい響きを持ったそれが一体なんなのか、一瞬判断に迷う。 そんな呼び方、数年前に彼女に言われたきり。 もっと辿るなら幼少の頃母親にも呼ばれていたか。 つまりここ最近では無縁の響きということで、急な展開に戸惑い言葉を紡げずにいる滝谷に遠慮することなく藍田は続ける。 「あ、俺の事務所ってみんなお互いに君付けで呼び合うから。ダメかな?俺のことは「りく」でいいよ」 「えっ、あ、うん」 にこにこと明るい懐っこい笑顔というわけではないが、愛想よく笑みを口元に浮かべて藍田は押し通した。 掌と陶器の隙間で熱を分け合ったマグカップはやがて苦味だけの濁った液体になる。 事務所でいつも半分以上残し捨てているのに、自宅でも同じことを繰り返す。 よく言えば柔軟、欠点とするなら流されやすい滝谷の性格をこんな短時間で本能的に見抜いているのだろうか、いつのまにか藍田の口調は敬語が消え一人称も俺と変わっているのに不自然さを微塵も与えなかった。 皿に乗ったまま手をつけていないマカロンのつるりとした表面、不自然な着色料のせいでゴテゴテの色合い、なのに口に含めば程よく甘い。 なんとなく、昼間週刊誌で見た女優が彼に落ちて行くまでを想像させた。 少し戸惑いがちに挨拶をして、名前を呼び合い、上手く距離感を縮める。 その全てが計算などではなく持ち前のものだとしたら、アイドルって怖い。女の子が夢中になるのはこういうところなのか。一言で表すのなら、全てがあざとい。 滝谷の返事を待つ藍田の目からは思考を読むことは叶わなかった。 「わかった、陸だな」 「うん、暫く隣で厄介になるけど宜しく」 ぺこりと小さな頭を下げ藍田は黄色いマカロンを一つ手に取り口に運ぶ。 半分消えた丸い菓子、メレンゲ素材のソレはどうしてか、さっきまで浮かべていた女優より、藍田の方が余程似合う気がした。 (続)

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