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第二十八話 梟雄との食事(二) ※
「昔は小規模な農場で給餌も手作業だったんだけど、最近になって安価に販売するために大規模な場所で機械化したのもあるんだろう。工業的な飼育で、生産能率をあげるのに苦言を呈する人も多い」
「そうだったんですね。全然知らなかったです」
赤黒く光る無花果のソースが目に入った。まるで、色を失って流れる血のように映る。青ざめたミナミの表情に気づいたのか、長谷川は慌てて言葉を継ぎ足した。
「もちろん、ガバージュのないやり方もあるんだよ。オリーブの木々が生い茂る広々とした田園で、のびのびと育てて、上質なフォアグラを生産しているところとかね。最近では大きな賞を取って知名度も上がり、どんどんと値を吊り上げている。結局は人の手で丁寧に飼育したほうが鵞鳥も幸せだと考えるひとが多いんだろう」
「……幸せですか」
「まぁ、最後は首を絞められて、この皿の上に乗るのは変わらないけどね」
ミナミはおぼつかない仕草で料理を口に運んで、咀嚼して一気に吞み込んだ。バターのような濃くて複雑な味がした。
「まあ、色々な事情があるけど、カモを太らせたフォアグラはとってもおいしい。それは変わらないってことだよ。無償に食べたくなる自分がいるんだから、しょうがないさ」
淑 やかな笑みを浮かべて、長谷川はワインを口につけた。
「……長谷川さんってへんな人ですね」
「そう? ミナミくんが聞き上手だからついどうでもいいことを話してしまうよ。せっかくのフルコースに水を差してしまったね。申し訳ない。口直しに君もワインを飲んだらいい」
長谷川はボトルを手にしてグラスに傾け、美しく輝くルビー色の液体をとくとくと注 いだ。
「……ありがとうございます。——……?」
首を振ろうとして、ぐらりと視界が揺れた。ほんのすこし口をつけただけなのに眠気が誘ってくる。
「どうしたの? もしかして酔った?」
「……いえ、まだ少ししか飲んでないので平気です」
「あっと、ごめん。いつもお酒飲まないんだっけ。申し訳ないな」
「気にしないでください。新年だし、お祝いだと思って飲んでましたし……。こんな素敵なお店で食事できて嬉しいです。ありがとうございます」
肩を落とす長谷川にミナミは慰めに満ちた声をかけた。
「お祝い……、か。ああ、そうだ。デザートもおいしいから楽しみにしててね」
「……はい」
慣れないナイフを使って細かく刻んで、味すら分からず、胃だけが満たされて苦しい。
グラスを手にとって、またワインを口に含んだ。渋みが舌に伝わり、眉間に縦皺を刻んでしまう。
「無理しなくていいから」
「……いや、せっかくですし。ワインもおいしいですし……」
飲み込むごとに頭が重くなった。どうしてか酔いの回りが早い。普段ワインなんて飲まないせいだろう、うっかり寝てしまいそうになった。
ダメだ、と思い、ミナミは席を立った。
「ちょっと、お手洗いに行ってきます」
「気分でもわるい?」
「大丈夫です。ワインなんて久しぶりに飲んだので、酔いを冷ましてきます」
「そう。気をつけて」
「すぐ、戻ります」
ミナミは席を立ち、店を出た。足もとがふらついている。
ふかふかとした絨毯を踏んで歩くと、靄がかったように視界がぼやけて足がもつれた。
「……なんじだっけ」
ポケットから時間を確認するためにスマホを取り出すと、すぐに着信画面にかわった。
『なんでホテルにいんだよ』
「なんだ、おまえか。同伴だって言っただろ。……どうして場所なんて知ってるんだよ」
『そりゃ、さっきホテルつったから、心配しているに決まってるだろ。オレが店に戻ってんのに、なんでまだホテルにいるんだよ。本当に仕事なのか?』
「……仕事に決まってるだろ。これから店に行って早番で帰る」
『寄り道すんなよ。ちゃんと帰ってこいよ』
「わかった。日向のこともあるし、まっすぐに帰るよ」
『なんかあったら、連絡しろ』
「それもわかった。じゃあな」
そのまま着信を切って、後ろポケットに戻した。
ユージの会話のおかけで鈍った思考が戻りかける。トイレに足を踏み入れて、ミナミは個室に入って鍵を閉めた。すぐに膝を折って吐いた。
「……はっ」
なにも出てこない。口をゆすいで、格好を整えた。
店に戻って、二時間ほどで帰れる。そのまえに、店長にしばらく休めるか相談しなければならない。
ミナミはため息をこぼして店へもどった。長谷川は彫飾りに流れるような曲線の椅子に悠然と腰かけて、精彩を放つ夜景に憂いを帯びた視線を送っている。あ……、と思って声をかけようとしたとき、凍てついたように寒々と光る瞳をむけられた。男がこちらを見てる。途端、ゾッとするような戦慄が背中を走り抜けた。
「大丈夫? 顔色が真っ青だよ」
「あ、いえ。大丈夫です。長谷川さんこそ、なんだか元気ないですけど……」
「ふふ、ちょっとね。飼っていたペットが淋しがってるんじゃないかなって思ってね」
「ああ、そういえば、まえに話していた飼っていた犬元気なんですね」
「うん、やっとなついて落ち着いたよ。見てみるかい?」
長谷川はにこりと口もとに笑みを見せると、スマホを目の前に差し出した。ミナミは椅子へ腰かけて、その画面に視線を投げた。
白い液体にまみれた肌が目に映る。透きとおるような滑らかな肌に、きれいな顔立ちが苦悶でゆがんで、半開きの口から涎をたらしていた。どこか、見覚えある顔だった。
——……モモ?
ぐらんぐらんと視界がゆらめく。そこから、ふつりと記憶が途絶えた。
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