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第17話

 咲桜(さくら)は稲城長沼の所業をすべて巴炎(ともえ)に言い付けた。酒は止められ、代わりに茶を酌み交わしている時だった。ふと会話が途切れ、野州山辺の主人は緩んだ笑みを保ったまま客人から視線を落とす。咲桜なりに気遣おうとして口を開いた途端に、使用人が火子(あかね)の帰宅を告げる。玄関まで迎えに行くと、彼女は咲桜をみて、崩れ落ちるように膝をつき土間に手を合わせた。 「お父様……陸前高田先生……」 「まぁまぁまぁまぁ!山登り疲れたっしょ。さ、さ、飯食った?その前にお部屋の鮒っこが寂しがってるから挨拶して」  咲桜は土間にその足で踏み込んで上体を傾げようとする火子を捕まえた。 「陸前くんの言うとおりだな。まずは荷物を解いて、ゆっくり休みなさい」  父親に言われると彼女は頷いた。そして重苦しげな足取りで中紅梅の部屋へ向かう。 「ありがとう。君がいてくれて助かった」 「そんな、そんな。ボキが居なかったらこんなことにはなってませんから」  巴炎は訳が分からないという様子で高い目の位置から咲桜を眺めていた。惚けているようなところもあった。 「そろそろ、陸前高田くんを火子に返さないとだな」 「何言ってんです。いつでも駆けつけまさ。お望みとあらば」  予想に反し、屋敷の主人は悲痛に顔を歪めた。腹でも痛いのかと問うが、愛想笑いで躱される。 「やっぱもう少し旦那といます。お嬢ちゃんも帰ってきて早々、こんな面白い男前(だんでい)な先生がいちゃ気が休まりませんや」 「いいや、平気だ。火子の傍に居てやってくれ。独りで抱え込んでしまう子なんだ」 「さいですか。旦那みたいに?」 「いいや……すまない」  巴炎とはそこで別れた。部屋に戻る途中で山鳩の手を引く青藍とすれ違う。謹慎を示す白装束をやめ、彼は継ぎ()ぎの着流しを身に纏っていた。腕には房飾りのある瑠璃石の念珠が嵌められている。 「こんちは、若旦那。と、山鳩クン」 「ああ」  咲桜は立ち止まり、腰を折る。青藍は寵愛している少年を背に隠し、雑な返事をした。 「怪我はどうだ」 「急にどうしたんです、若旦那」 「翠鳥が気にしている」  濃紺や青の着流しに隠された山鳩を見ようとすると青藍は横に移り、咲桜の視界を阻んだ。 「見るな」 「怪我はフツーです。薬があるので痛くはないから、そんな心配しないで山鳩クン。それよかお嬢ちゃん帰ってきましたよ。もうご存知ですかね」  野州山辺の次男は峻厳な目に変わる。 「会いたい、火子お嬢様に会いたいです。青藍様、お願いします、お願いします、なんでもしますから……」  従順だった山鳩が後ろから青藍を引っ張った。腕を掴まれているために、自分よりも背の高い次男坊ごと連れて行く気らしかった。 「なんでもするのか。なんでも?」 「します、なんでもします、火子お嬢様に会わせて………ください……」  元々甘たるい質感のくせ、猫撫で声で溺愛している相手に話しかける。膝を屈め、本当の幼児にするみたいだった。それでいて場合によっては色小姓として扱う。 「オレがなんでもしますよ。こうなったのはオレのせいなんでね」  青藍は挑戦的に片眉をぴくりと跳ねさせた。 「翠鳥、行っていい。――長沼」  一瞬で声音が切り替わった。繊細に触れ声ですら傷付けないとばかりの優しく甘く艶やかなものから怒気を孕んだものに変わったのだ。忙しない声帯に咲桜は微苦笑する。山鳩はもう青藍のことも振り向かないで行ってしまった。そして呼ばれた忍びは音も気配もなく背後から現れ、咲桜はそれを青藍の視線で知ることになった。長いこと睨み合っている。 「仲間に入れてよ~」  立場上、青藍の睥睨(へいげい)のほうが優勢にあるようだった。稲城長沼はまだ遠慮がちに鼻先を側めて次男坊の威圧的な目を受け入れている。 「信用ないんだな、稲城くんは」 「翠鳥を手籠めにしておきながら、平気なツラをしてまだ付け狙っているろくでなしを何故信用できる?」 「ほわ~」  咲桜は加虐心を煽るような仕草で目を伏せてしまった傷だらけの美貌を意味ありげに一瞥する。 「使用人の目も憚らず、この廊下で、嫌がる翠鳥を捕まえて、無理矢理蹂躙していてもおかしくない。あの娘子の前で翠鳥を暴きたいんだろう?言え。許してやる。その薄汚い欲望を晒せ」  青藍は忍びに詰め寄ろうとした。咲桜はさりげなく間に入る。 「言え。答えろ。娘子のところに行く翠鳥を捕まえて、犯すつもりだったな?」 「……はい」 「言わせてるよ」 「言わせたものか。異常者の人非人(にんぴにん)だ、そいつは。翠鳥を犯したくて犯したくて毎日身体を疼かせている。そうだな?」  緊迫した場面に混ざり、咲桜はうんざりしながら落胆したように立っている美男子を横目で見た。情けなさはなく、むしろ落胆、諦め、不満が大きな色気となって彼を飾ってしまう。青藍に自覚はあるのか無いのか、ただの憂さ晴らしではないのだろう。殴り倒し、蹴り上げ、踏み付けて滲むこの男の香気をおそらく無自覚に求めている。互いに無意識に、青藍は山下の街でいうところの芸術家(あーちすと)で、傷付いた稲城長沼は芸術品(あーとわーく)なのだ。それでいて咲桜はそこに呆けてもいられない。 「で、どうします若旦那。ボキを1日使えるんですよ。さぁ、さぁ。足の爪でも切って差し上げましょうか」  数秒、青藍は咲桜を見ていた。 「なんです?」 「その襤褸雑巾が翠鳥に発情しないよう見張っておけ」 「え!それだけですか!」  完全に横面を向け、次男坊は咲桜に手を出した。彼の冷淡な印象からは想像もつかない、女児好みの淡く鮮やかな帯締めで、山鳩が着せ替え人形にされていた時に使われていた。 「縛って座敷牢にでも放り込んでおけ。鍵の在処は分かるな」 「へぇ」  わずかに樟脳、多分に煙草、大半を芳香石鹸(シャボン)で薫らせて青藍は行ってしまった。掌に帯締めを残された咲桜は稲城長沼を振り返る。 「嫌われてんね」 「先に悪さをしたのは(わたくし)でございます」 「雇用関係上そう言うしかないわな」  隠密は瘡蓋のある唇を舐めてから両手首を差し出した。顔を伏せ、下された瞼から長い睫毛が反っている。 「山鳩クンはさ、若旦那に自尽するって脅されて脅されて脅されまくって、あんなことしでかしたんだよね。オレ、稲城くんがのうのうと生きてる限りあの人は死にたくても死にきれないって断言しちゃったから、自害迫られても強く生きてよ、あーた」  可愛らしい薄桃色の帯締めで彼の両手首に蝶々(てふてふ)を作る。 「本当は山鳩クンに縛って欲しかったでしょ」 「はい」 「その続きも話してよ。男2人寄れば(みだ)りがわしいとかなんとか言うし。チミは文学者になったらいいと思うな」  一纏めにされた腕が力無く垂れた。その様すら悲劇的な益荒男の美しさに溢れている。袖を摘んで座敷牢に運んだ。投獄されると彼は何も喋らないで隅で蹲り、そのうち気配が消え、咲桜はひとりになった心地で格子越しに居座った。模様の入ったガラス窓の桟に肘をつき、日没を眺める。ひとりで居るのは苦ではなく、退屈の往なし方もそれなりに知っている。昔は、どの集団に入っても目立ち、皆々を率いる弟の姿を遠目から見ていた。そうしてひとりで時間を潰す。似なかった。弟の友人たちは兄がいたことも知らないかっただろう。かといって弟のほうは兄を疎んでいるわけでもなかった。断られることを分かっていながら遊びに誘い、やがて断る兄のことを忖度して誘いは止まった。指で桟を叩く。爪が伸びている。 「(わたくし)にも、」 「うっわ!びっくりした。いたんだ」  忘れた頃に現実から呼ばれ、思考が爆ぜる。話の腰を折ったことで稲城長沼は拗ねてしまった。 「ごめん、ごめんって。で、何?」  まだ疑わしげな目を向けられている。視線がかち合うと、素気無い態度で逸らされる。 「伴侶がありました。寝たきりの……」 「えっ」 「夫です。(わたくし)が結婚したというよりも、春菜葉(はなば)として……」  稲城長沼は咲桜を見ようと昏い瞳を泳がせたが、結局逃げてしまった。 「冥婚ですから、生きた夫のことはあまら詳しくは知りません。没するまでの半年ほどのことしか……2つ下の、まだ年若い人でした」 「ほぉほぉ。寝たきりというと……」  姿勢を正す。口数の多いこの忍びが珍しかった。 「穢触民ですから……石をぶつけられるということも間々ございます。それでも彼はこの村の若者たちと…………遊びたかったのだと思うんです。半年ほど寝たきりでした。生きた女性と契らせるのは申し訳ない、けれど最期に人並みの幸せというものを知って欲しいとご家族は望みました。春菜葉はそのときに誕生し、春日野道はその人を婿にとるための…………彼が人になるために取って付けた姓です」  淡々と彼は話した。春菜葉は他人として存在しているかのような響きもある。 「結婚に向けて準備をしているうちに夫は息を引き取りました」  切れた唇を舐めたり、食んだりして彼はいじけたように顎を膝に置き直す。 「山鳩さんがお見舞いに来まして、何となく夫と重なりました。彼も結局のところは人懐こくて、快活な人なようでしたから。それが災いして、分かり合うことなどなく、たとえ人はみんな人間で、平等であるということもなく、帝天室は天子であり、人々は理性ある人間、穢触民は妖怪同然の人身家畜……この溝は埋まるはずがなく、蹴られ殴られ棒で打たれ、甚振られたんです。そう聞いております。夫と重ねた山鳩さんに不安を抱きました。元から、私にはないその明るさに惹かれていたのもあります。私はすぐそこにある亡骸と山鳩さんを同一視して、哀れんだ末に確かめようとしました。嫌がる山鳩さんを無理矢理組み敷いて……抵抗しなくなったのをいいことに、時間も忘れて、女に扮していることも、人妻となった春日野道春菜葉という役目も忘れて……」  咲桜は首を倒す。話し手は虚空を真っ直ぐ凝らしていた。 「なるほど、そこに繋がるのね」  稲城長沼は虚な眼差しで頷いた。 「火子お嬢様も、形式上では春菜葉でしたが実質は私ですから叔母として、甥の夫を弔いに来てくださいました。そして私が淫行に耽っているところに……後から知りましたが、山鳩さん()てに聞いたとのことです」 「そこであのバッチバチな軋轢というか、衝突が生じたわけだ?ごろつき風情なんて呼ばれて?」  稲城長沼はまた頷いた。 「火子お嬢様が村中に頭を下げていたことも知りませんでした。村といっても、この村ではなく、丘を越えたところにある(あかがね)部落というこの村の半分もない小さな集落で………お察しのとおり、そこの住人はみな穢触民です」  珍しく長く喋ったために疲れたのか、語尾が消え入っていく。 「私は山鳩さんに沢山の痕をつけました」  生々しい告白に咲桜の眉には露骨な皺が寄る。 「ですから若様にはすぐ知れるところになり、山鳩さんは……若様に命じられる形で私を蹴り、踏みました。山鳩さんは嫌がり、拒み、しまいには泣いてしまいましたが若様は許してくださいませんでした。山鳩さんは何ひとつ悪くないのに、私に嬲られた挙句、若様の逆鱗に触れたのです。私には山鳩さんを幸せにする義務があります。義務だけでなく…………義務よりも、私が一個人として山鳩さんを幸せにしたいのです」 「ほぅ。そんなに喋って、明日には風邪ひくんじゃない?水持ってこようか」  真面目に言ったつもりだったが、稲城長沼は結ばれた両腕に顔を埋めてしまった。 「これが、以前、陸前高田様がお訊ねになった件の回答でございます。お忘れでしたらご放念くださいまし」 「覚えてる。オレは気紛れにくっちゃべってるんじゃないんだよ!そのことについてはね、若旦那から頭踏ませたところの話だけ聞いた」  稲城長沼はいじけたみたいに小さくなって固まっていた。 「でもその話聞いちまったらお春菜さんのこと、もう口説けないな」 「春菜葉は似ておりますか、陸前高田様の……亡くなった妻に」 「いいや、正反対。別にもう妻を()るつもりはないけんど、次があるのなら、ああいう娘とは契らないよ。惚れてもね」  大仰に肩を竦めた。 「もしかしてオレがお春菜さんに惚れてると思った?だからお姉さん連れてきたの?人妻の……」 「身の危険を感じましたので……」 「やめてよ~。お春菜さんがいくら美人でもあーた、同性(おとこ)でしょ」  格子の向こうの卑屈な目がゆっくり咲桜を捉えた。 「陸前高田様も山鳩さんを抱きました」 「いやあれはさ…………そうだけど。山鳩クンは、可愛いじゃん。(チミ)等と違って」  そしてまた自虐的に伏せた瞼の長く濃い睫毛の下の瞳が滑る。 「オレは同性(おとこ)()ケるわけじゃないの」 「…………そうですか」  何か落胆が見えた。饒舌なのも気に掛かる。口では山鳩を好いていると言っているがそれは義務感であるとも言った。 「もしかして、稲城くんってオレのこと好きなん?」 「まさか」  ふと浮かんだ疑問は簡単に吐き捨てられた。 「そうだよな。いやぁ、よかった。たださぁ、旦那はオレのこと、和泉砂川のアニキに似てるって言ってたじゃん」 「はい」 「ンじゃあ和泉砂川のアニキのこと好きだった若旦那って、オレのことも好きになっちゃうよな」 「いいえ」  稲城長沼の即答に咲桜は噛み付いた。自信があるようで目を逸らしがち、顔を伏せがちな彼はきっちり咲桜のほうを見ていた。 「なっちゃうよ」 「いいえ」 「なんで!」 「そうおっしゃるのならお屋形様も該当しますが」  微かにその語気は棘を帯びている。 「それはないね」 「若様が陸前高田様に懸想(けそう)することがあり得るのなら、同じ道理で、お屋形様が陸前高田様をお慕いすることもあり得ますでしょう」 「だって旦那は村娘抱いてるし、第一、使用人のあの綺麗な人のこと好きでしょ。しっかりしてよ、稲城長沼くん」  聞けとばかりの大きな溜息が聞こえた。稲城長沼は非難するような渋い顔をして黙ってしまった。咲桜が何か些細な雑談を振っても静かな相槌をうつか、黙秘した。  そうこうしているうちに座敷牢にまた人がやってきた。2人いる。1人は青藍だった。その後ろから幼子同然に手を引かれているのは山鳩だ。随分と乱れた衣服で、少し顔が赤く、泣きそうな面持ちで、見てしまった咲桜も自然と痛ましい顔になる。だが、無理矢理に繕った。 「これはこれは若旦那。掃き溜めに鶴ですなぁ!(いな)、座敷牢に朱鷺(とき)。そぃで、若旦那、白いお召に着替えますか?」  青藍は咲桜に焦点を合わせることもなく、使用中の座敷牢を見遣る。 「家畜が」  牢の隅で膝を抱き、蹲っていた稲城長沼はいつの間にか姿勢を正し、格子の際まで近付いていた。 「楽にしてあげなさい」  青藍は山鳩を背の低い格子扉の前に突き出した。子供っぽい手がふらふらと格子を掴む。後ろから伸びた念珠付きの白い腕が少年の衣を開く。そこから現れた惨い仕打ちに咲桜は一歩出かかった。しかし鋭い目に牽制される。 「可哀想に。気をやりたくても俺に身を委ねるのを嫌がる。可愛がっていた家畜なら、安心して気をやれるな?」  青藍はしなやかな美獣家畜を見下ろした。山鳩の帯締めで縛られた性器に目を丸くし、稲城長沼は少年の奥に佇む支配者の顔を仰いだ。 「ご、め……紫逢(しょう)ちゃ………ごめ、っ」 「山鳩くん……」  山鳩が泣きそうな顔で紅潮していなければ、咲桜はそんな風に呼び合ってたのかと茶々のひとつも入れただろう。 「見るな」  青藍の手が念珠の房飾りを揺らして少年の目元を覆った。格子扉が開かれ、下半身を隔てる柵は無くなる。そこから(いまし)められた隠部を突き出させ、しかし渡さんとばかりに抱き竦めている。 「たくさん、気持ち良くなれ」  野州山辺の次男が耳朶を食むのを見た。少年はびくりと震える。稲城長沼は遊び程度に結ばれた両手の拘束を解くこともなく、格子の間に首を近付け、器用に少年を苛む帯締めを解いた。そして雨漏りのような音を立て、口淫が始まる。座敷牢が一気に卑猥な蜜楼に変わった。音や行為だけでなく、稲城長沼を外に出すこともなく、腰よりも低くなる格子扉の奥に置いたままという光景が、妙な背徳感を呼び起こす。本当に淫猥な家畜のような扱いだ。 「ぁ……っう、ぁ…」  少年の上擦った声が響いた。稲城長沼の頭が前後に動く。縛られた両手は畳に放置されている。膨らみ、凹みを繰り返す頬が滑稽で、いやらしく淫らだ。それでいて醜悪にならないのは美しい横顔と、彼の持つ必要以上に色気のある目元のせいだ。 「気持ちいいか?」 「きも、ち……ぁ、あ……」  頬に納まっていた若茎が稲城長沼の清楚げな口から現れる。唾液に濡れて光る。淫技を施していた唇も艶紅を引いたように照っていた。戦慄いている少年の幼気(いたいけ)な衝楔に焦らすような舌が這う。咲桜は寒気と(いき)りを同時に感じた。 「紫逢(しょう)ちゃ……ぁふ、ぅ……」  快楽に涎を垂らす山鳩の口腔を青藍の指が犯す。手首で瑠璃石の念珠に付いた房飾りが靡く。あらゆるものが揺れている。咲桜はその房飾りばかり見ていた。 「んっ………ぅん、ぁっ……」  2人の大人に挟まれ、山鳩の腰がひくひくと震える。 「出そうか?」  口を掻き回されてろくに話せない少年は精一杯頷いた。長く節くれだった蝋みたいな指が真っ赤な舌を摘み上げて、絡ませている。蜜のように唾液が糸を引いた。 「牡猫め、顔にかけてもらいなさい」  山鳩は自由の利かない顔を横に振った。稲城長沼が口を離す。 「ほら、出しなさい。我慢するな」  まるで人が変わったように野州山辺の次男は人によって声音が大きく変わる。おそらく実際、人が変わっているのだろう。化け狐だ。 「ぁあっ……んん……っ!」  射精しない少年の股で房飾りが激しく揺れた。 「あっあっあっぁあ!」 「後ろでして欲しかったか?」  房飾りは荒れ狂う。それが暴れるにつれ、可憐な嬌声が座敷牢に反響する。 「あっ、ふ、ぅんん……ッ!」  身を捩り、その躯体の持主は白い飛沫を健気に待ち構えている美貌にかけた。  咲桜はぼんやりと、青藍を見つめていた。彼は熱っぽい眼差しで稲城長沼を見下ろしている。作品を溺愛中の色児に彩られ、芸術家の肌が疼いているのだろう。 「綺麗にしろ」  中紅梅の舌が白雫を咽ぶ小さな桃のような先端を舐め上げた。 「あっあぁ…………紫逢ちゃァ……」  丁寧な舌遣いはむしろこの場合、少年を慮ってはいなかった。やがて青藍の手によって山鳩は煌びやかな衣で(くるみ)布団のようにされて座敷牢から離された。野州山辺の次男は顔面を痣と傷以外で汚している隠密を執拗に見下ろしている。 「何か言うことがあるな」 「ありがたき幸せ……」  高慢で威圧的な男は鼻を鳴らした。瑠璃石の念珠が嵌まった腕で支えている大きな子供が身体を捻る。 「紫逢ちゃん、汚してごめんな……っ、」 「俺だけ見ていろ」  稲城長沼は低い姿勢をとっているのみで、山鳩の詫びに応じたのは主人に等しい高飛車な次男坊だった。彼等は座敷牢を去っていく。稲城長沼は頬から変色していく粘液を滑らせながら長いこと上体を伏せていた。 「紫逢ちゃん」 「おやめくださいませ」 「菖蒲馬(あやめ)くん」 「その名はすでに捨てました」  彼は懐から鼻紙を取り出して、丁寧に顔を拭いた。その仕草が妙に春情めいている。口淫によって口角の傷が開いたらしく、瘡蓋が落ち、まだ塞がっていない柔らかな皮膚が覗けた。 「オレ、ちょっと空けよっか。(おのこ)の事情ってやつ?」 「無用な気遣いです」  稲城長沼はぼそりといつになく小声で返した。 「放っておけば治まりますから」  身を引き摺るようにして稲城長沼は定位置なのか牢の隅で蹲る。 「ほぇ~」 「後生ですからお忘れください」 「何を?勃っちゃったこと?」 「山鳩さんの姿を」  さらに小声で、「あの姿は私のものです」と続く。咲桜は「怖!」と叫んだ。叫ばれたほうは傷だらけの顔を涼しく、しかしいじけている雰囲気を持ってカビに染まった壁を眺めていた。 「どう思うの、若旦那のああいう悪趣味な気紛れ」 「……苦しいです」  意図的なのかと思うほど、掠れた声には色気があった。 「けれど山鳩さんに触れられますから……山鳩さんが、望んでいなくても…………」  懺悔がはじまる。カビと畳の藺草(いぐさ)の湿気った匂いに集中し、そこに混じる少年の青臭さに気付かないふりをした。

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