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オープニング

     ――弓束輪世(ゆみづかりんぜ) 5月11日 19時――  この日も、代わり映えしない時間が緩やかに過ぎていった。  バレー部の活動が終わると、俺は暗く静まりかえった体育館に残り個人練習を行うのが日課になっている。  まずは、直上トスを連続30回。自宅では天井が低いため、体育館でひっそりと行うようにしていた。この自分だけの時間が好きで、誰にも邪魔をされたくないという気持ちもあるのかもしれない。 「……い。おい、弓束」  集中していたためか、声をかけられていたことに気づかなかった。慌てて振り返ると、バレー部同期でありクラスメイトの氏家(うじいえ)がいる。 「おお、お疲れ」 「おお、じゃねぇよ。忘れ物があったから戻ったら、また一人で練習してんのか。あんまりやりすぎると手痛めるぞ」 「大丈夫だって。時間決めてやってるし。平気平気」  軽い調子で返すと、またトスの練習を再開した。 「何時までやってんの」 「20時」 「ふうん。何でそんな練習熱心なのよ」 「だって、このまま過ごしてたら来年受験生で部活に集中できる時間なくなるじゃん。今力を付けないと、後輩達にどんどん追い抜かれるし」 「レギュラー様は真面目なこって……もうちょいさ、遊ぶこととか考えねぇの? お前合コン誘っても絶対来ねぇし。いつも女子が来いって騒いでんぞ」 「んー、そう言われてもな。新道(しんどう)は来んの?」 「弓束が来るなら、だってよ」 「じゃあ行かない。バレーの練習したいし、あんまし興味ない。よく知らない人より友達とカラオケとか行ってるほうが楽しいじゃん」 「ああそう。さすがあいつの信者やってるだけあるわ」 「信者とか、そんなんじゃないよ」  嘘付け、とぶつくさ文句を言いながら氏家は俺に距離をとり向き合う。何も言わず練習に付き合ってくれるようだ。  氏家のひねくれているように見えて、意外と優しい部分を気に入っている。そのことを本人に伝えたら毒舌が返ってくるのが目に見えてわかるので、死んでも言うつもりはないが。  こうして穏やかな時間は過ぎていき、20時になったので解散し自宅へ帰った。  リビングのテーブルには、ラップに包まれたカレーがある。うちの両親は俺が帰ってきたのを知ると興味なさげに「おかえり」と返しテレビにかじりついていた。  数年前話題になった、サスペンス映画だ。地上波初登場、といった煽りでテレビのコマーシャルが流れていたことを思い出す。 「これ面白い?」 「面白い、面白い」  浮き足だった声色で母が答える。相当夢中になっているな。 「輪世、早くカレーをチンして食べなさい。そしたら映画一緒に観よう」  父が俺を急かしたが、いまいち乗り気になれない。高校生になってまで親と一緒に映画を観て過ごすのは、何だか抵抗がある。 「いいよ、俺こういうの眠くなるし」  そう答えながらカレーを電子レンジに温めつつ、スマホを眺める。メールアプリの通知が100通以上に溢れかえっていたが、どうせ広告だろうし、と思って整理する気にはなれなかった。重要なことはチャットでやりとり出来るし、俺としてはメールアプリは飾りのようなものだ。  そう考えているうちに、またメールの件数が増える。通知は切っているので内容はわからないが、興味もなかった。  だが、不自然なことに気づく。ホーム画面にいつの間にかアプリが増えていた。『アバター・サバイバル』と書いてある。 「まさかこれ、ウイルスのメールが届いたか……?」  恐る恐る、メールアプリを開く。新しいメールの件名を見て、愕然とした。  件名は『アカガミ』。真っ先に、昔日本が戦争していた頃に配られていたとされる『召集令状』を連想した。  開くな、と心で叫んでも手は止まらない。その件名のメールを、無意識にタップしていた。  ……あれ、それだけ?  意外にも簡素なもので、本文は『おめでとうございます』とだけしか書かれていない。拍子抜けし、アプリをとっとと消してしまおうとホーム画面に戻ったが、周囲の異常に気がついた。  電子レンジの秒数が止まっている。  まさかと思い、両親のいるテレビを見た。完全に時が止まっている。慌てて両親の目の前に立つが、ふたりは固まっていた。  状況が理解出来ず、パニックになる。思わずしゃがみ込み頭を抱えていると、付近で物音がした。モーターのようだ。 「な、何だよ、何かあんの……」  立ち上がると、男が立っていることに気がついた。  不安からその人にすがりつきたくなったが、彼の手に持っているものを見て固まる。  ドリルだ。大きいドリル。それもアニメでしか見たことがないような、武器のようなドリルだった。  男は音を響かせながら、ゆっくりと俺に近づく。  じりじりと後退したが、テレビが背後にあったせいで逃げ場はなかった。  ウィーン、ウィーン……といったモーター音が鼓膜にこびりつき、目と鼻の先の距離まで追い詰められてしまう。  ドリルが俺の胸を突き上げるまで、まるでスローモーションを見ているようだった。 「アッ、ガァッ……! ア゛ァァァァァァァッ!」  ゴボゴボ、と泡の音がする。血だ。俺の口から血が泡ぶいていた。  ――こうなるんだったら、今日のうちにとっとと告っておけば良かったな。  諦めきった心境とは裏腹に、自分の声とは思えないほどの断末魔が響く。目の前でまさかこんな惨状が繰り広げられているとは、父と母は思いもしないだろう。辛うじて見える視線の先には、びくびくと痙攣する身体があった。  これ、俺の身体なのか……?  疑問がよぎったが、意識は徐々に遠のいていき、頭の中では身体を刻むドリルの音だけが響いていた。  今から少し未来の話。    ゴーグルを使用せず、手軽にスマートフォンで遊べるVRゲームがゲーマーの間で大流行していた。  そんなVRゲームにまつわる事件が、世間で噂されている。  ――神隠し。  『アバター・サバイバル』が、人知れず動きだしていた。

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