2 / 13

第1話

       ――雁翼風雅(かりつばふうが) 5月11日 7時――  どうせ今日も、眠くて退屈な一日が始まってしまった。    運動部の朝練って、今の時代一体何の意味があるんだろう。それが高校を進学してから続く疑問だった。  同じ高校に通っている妹が寝ている中、僕だけ早く起きて準備しないといけないし、どうせ部活に行ってもやることなんて身体づくりくらいだし、少しでも遅れたら烈火の如く怒られるし。  僕にとって何一つ良いことはなかった。それも活動が地味な弓道部でだ。隣の道場で活動している剣道部や柔道部は朝練を行っていない。納得できるわけがなかった。 「髪のセット……は時間ないしもういいや。鞄にハンカチ入れた、教科書ある、筆箱ある、財布ある、救急キットに……よし」  持ち物を確認したところで、母さんが用意したホットサンドを口の中へぶち込む。 「あんまり慌ててると、喉に詰まるわよ」  エプロン姿で眠そうに食器を片づける母さんは、僕よりも早起きをして朝食と弁当を用意してくれる。  中学の頃まではそれが当たり前のように思っていたが、高校に上がりしばらくして、クラスメイト達の昼飯が購買で買ったものばかりに気づいてからは、うちの母さんはとんでもなく大変なことをしているのではないかと思うようになった。 「あのさ、いつもありがとね」 「何よ、急に改まって」 「別に何でもない。じゃあ行ってきます」  そう言って、玄関から飛び出し走る。この時点でいいトレーニングになっているんだから、朝練とか本当に必要がない。  中学まで運動に縁がなかったこともあり、運動部のあり方だとか、やれ精神がどうだとか、理解できないし今後も考えたくはない。  なぜ僕は弓道部なんかに入ってしまったのだろう。先輩である幼なじみに唆されたからか。  心の中にわだかまりを抱いたまま走り続けると、先にある踏切が閉まるのが見えた。  タイムロスか。少しでも時間が経つのがもどかしい。落胆して立ち止まると、重大な忘れ物をしている予感がした。慌てて鞄の中身を覗く。 「あー……弁当がない」  急いで自宅まで走った。完全に遅刻決定だ。 「それであんた、遅刻したって? 弁当を忘れてきたから?」 「はい……」 「本当、昔からそそっかしいな。罰として腹筋と背筋、腕立て伏せを20回ずつ追加。ほら、急いでやりな」  案の定、部長に怒られた。周囲が既にゴム弓を使用した筋トレに入っている中、慌てて早くこなそうとする。 「そんな急いでたら、筋トレの意味がないじゃないか。焦らずしっかりやりな」 「でも来夢、あんまり丁寧にやると時間なくなるし……」 「ここは部活だ、雁翼。夏来先輩と呼べ」 「はい、すみません先輩」  危ない、昔からの癖で普段の呼び方になってしまった。  夏来来夢(なつきらいむ)。彼女は幼なじみだ。幼稚園時代は気が弱い、みたいな理由でいじめられていたが、いつの間にかいじめから守ってくれる存在になっていた。  未だに助けられてばかりの関係なのは癪だが、去年のある一件からはお互い支えられる関係になれたんじゃないか、と勝手にうぬぼれている。 「あの、夕飯とかいつでも家に来ていいんで。うちの家族も歓迎すると思うし、もう昔から先輩とは家族みたいなものじゃないですか」 「急にどうした、センチメンタルか」 「そんなんじゃないです。ただ、広い家で一人暮らすのは大変だろうなと思って」  来夢は腕を組んで唸った。 「確かに大変だけど、一人でいるのは自分で決めたことだからな。今更放り出すわけにはいかないのさ。気持ちは嬉しいよ」 「そっか……」  去年、彼女含めて夏来家は行方をくらました。  来夢は一週間ほどして帰ってきたが、彼女の両親や弟は未だに戻ってきていない。そのことに関して来夢は黙秘を続けており、何があったのか聞こうにも聞けない状況が続いていた。 「この話は終わり。とっとと続きやりな。放課後の部活まで持ち越したいのか」 「ひっ、はい、すみませんやります」  こうして、忙しい朝は過ぎていった。 「……といわれています。では、額田王の和歌の朗読を雁翼君、お願いします。とっとと目を覚ましなさい」  自身の名前を呼ばれて、僕は居眠りしていたことに気づく。 「えっ、あの、はい! ええと……」  話が耳に入っていなかったこともあり、どこを朗読したらいいのかわからなかった。  教科書を慌ててパラパラ開いていると、後ろから肩を叩かれる。 「58ページの万葉集のところ。そこの最初の和歌を朗読な」  友人の久方(ひさかた)だ。急いでページを開き席を立つ。 「……君待つと吾が恋いひおれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」 「はい、読めましたね。目は覚めましたか」 「は、はい」  周囲がくすくすと笑った。いたたまれなくなり、俯いて席に座る。  あまり教室で目立ちたくない。僕みたいな地味で平凡なやつはクラスでの地位が極端に低い。この後の昼休みで陰でからかわれるのが明白だった。 「お前さ、さっきの古文で教えてやったんだから、ジュースくらい奢れよ」  昼休みになった。僕の机に友人二人が机を寄せ合って昼食をとっていた。 「わかった、いいよ。食べ終わってからね」 「はいよ。俺達はネトゲやってるからさ」  そう言って、久方ともう一人の友人である入江(いりえ)はスマホを横に持ち、左右に動かしてはふらふらしていた。 「動きがまるで不審者だ」 「だから、そういうもんなんだって、VRゲームは。つか、お前もやればいいのに」 「そうそう。ゲームやらずに本ばっか読みやがって。しかも恋愛小説。今時珍しい」 「いいじゃんそこは。ゲームって終わりがない感じがするし、僕はいいや。課金だって沢山したりするんでしょう」 「そりゃ、金払わんと強くなれんし」  住む世界が違う。ふと僕はそんな考えが頭によぎった。  普段は地味な者同士、落ち着いて過ごせているが、ゲームに関しては話が別だ。偏見があるわけではないが、液晶画面を睨んでいるよりも、文字を追いページをめくるのが好きだ。  僕ら、趣味はとことん合わないのかもしれない。 「ってか、ここ最近VRゲームって都市伝説多くね。そんな悪い噂出るほどのもんじゃないっしょ。ちょっと現実と近すぎるってだけで」 「僕はあんまりいいイメージないけど……」 「最近はゲームの中で閉じこめられる系が流行ってんな。何時の時代もみんな好きね」 「神隠し事件って、言われてもねぇ。ぶっちゃけ人が消えたって話最近聞くけどさあ……」  そんな調子で、二人はゲームの噂について盛り上がってしまった。  弁当を食べ終わったことだし、久方に紙パックのコーヒー牛乳でも買ってきてやろうと席を立つ。 「あ、ちょっち待って雁翼ー、ノート回収忘れてるっしょ。はい、これうちらの分ね」  がっつり化粧をした女子がノート5冊分抱えて持ってきてくれた。 「あー……そうだった、日直なんだった」 「ほんとしっかりしてよ。意外と抜けてるよねー、ギャップ萌えってやつ?」  彼女は去っていく。……萌えがどうとか聞こえたが、きっと幻聴なのだろう。 「これだからモテる男ってやつはよぉ」 「違うから、からかわれてるんだって」 「……自覚のないやつめ」  軽口を叩かれていたら、いつの間にか僕の机にはノートがどっさりと置かれていた。回収してこないクラスメイト達が僕にへきへきして持ってきたのかもしれない。これは申し訳ないことになってきたぞ。 「ほい、よろしく当番」  久方達も、ゲームをしながらちゃっかりノートを積み上げてきた。 「待って、崩れる崩れる」  そう言いつつ、僕は提出した人の名前と冊数を確認する。ほぼほぼ回収できていた。3名を除いて。  ……バレー部の人達か。彼らは教室の中央ではしゃいでいた。威勢のいい新道君が主に話の中心で、ドライな氏家君が適当に乗っかったり突っ込みを入れ、弓束君がにこやかに様子を見ている。この空気を壊してノートを回収するのはどうも気が引けた。  彼らはクラスの中でも背が高く、顔立ちが整っているため人気が絶大だ。中でも一番イケメンな弓束君は、クラスの王といっても過言ではないほど発言力がある。しかも性格が真面目で優しいことから、文句の付けようもないほど完璧な人だった。  ちらちらと彼らに視線を向けていると、弓束君と目が合ってしまう。つい顔を逸らすが、弓束君は僕に向かって歩いてきた。 「な、なに」 「いや、ごめんごめん。ノート出すの忘れてたわ。これ、俺達の分」 「あ、ありがと……」  こんなドジで冴えない僕にも優しくしてくれる。この光景を見ていた女子達はうっとりとしていた。ああ、息苦しい。 「ノート、一人で持って行くの大変だな。俺半分持つよ」 「えっ、いいよそんな」 「俺がやりたいんだって。ほら、貸して」  そう言って弓束君は、ノートの山を半分に分けて教室から出て行く。慌てて残りのノートを抱えて追いかけた。 「職員室で梶先生の机まで置いてくればいいんだろ。っていうか、日直の相方誰だっけ」 「ありがと。末永(すえなが)君だよ」 「末永……あいつか。まあ、あいつはサボるやつだよな」  はは、と乾いた笑いが出る。末永はノートを提出しているのにも関わらず、僕に責任を全て押しつけていた。注意するにも面倒事になりそうなので、何も言えず仕舞いなのが歯痒い。 「小中の頃もさ、雁翼って日直の仕事相方にサボられては一人でやってなかったっけ。なんかそういう記憶あるけど」 「えっ……確かによくあったけど、何で知ってるの」 「あっ」  弓束君は口をまごつかせた。 「そっかー……そりゃ覚えてるわけないよな……クラスずっと別だったしな」 「もしかして、自分達ずっと同じ小中出身?」 「そうそう、てっきり知っているもんだと思ってたわ」 「知らなかった」  よく僕のことを覚えていたな、と関心した。僕なんか、当時目つきが悪いからといじめられていた記憶しかなかったからこそ、不思議で仕方がなかった。  案の定、という感じで予想できていたが、放課後の教室掃除も末永にサボられてしまった。  日直だけがやる仕事なので、さすがに机を寄せて運ぶ等大がかりなことはしないが、それでも一人でやるとなると大変だ。  早く終わらないと、また来夢に怒られる。そう考えながら、せっせと箒で埃を集めていると、背後の扉が開く音がした。慌てて振り返ると弓束君がいる。 「あれ、バレー部行ったんじゃないの」 「いや、ちょっと教室にシューズ置き忘れたんだよ。それで取りに来たんだけど。やっぱり掃除もサボられたか」  げんなりと頷く。 「いいよ、俺も手伝う。乗りかかった船ってやつだし」 「泥船だと思うけど。いいの? 下手したら部活遅れるかも」 「別にいいって。まだ時間あるし。気にしない、気にしない」  弓束君は雑巾を持って机を拭きだした。 「何か悪いって」 「ったく、気にしいだねぇ」  それから、僕らは黙々と教室を掃除していた。  ある程度掃除が済んだ頃、おもむろに弓束君は口を開く。 「……朝起きて、学校行って、部活やって、飯食って寝る。それっていつまで続くんだろうな」 「急にどうしたの」 「いや、最近さ、こうして生きていてもいつ死ぬかわからないって気づいたら、終わりが来るのが怖くなったんだ。そういう時あるっしょ」 「まあ、あるけど……」    本当に、急にどうしたんだろう。 「なんてな。俺は今やれることを精一杯やって、毎日楽しかったら悔いはないし……ああ、でも今すぐぽっと死ぬことがあったら、一生後悔することあったわ」 「何を?」 「……好きなやつに告白、とか」 「ふっ、あはは……!」 「笑うんじゃないし!」 「だって、何か、ふふっ。可愛いところあるじゃん。でも羨ましいな、僕恋とかしたことないからよくわからなくて」 「可愛いとか、言うなって……そっか、恋したことないんだ」  静かに目を伏せる弓束君の横顔は、夕日が照っていて赤くなっており色っぽかった。きっと彼の好きな人を想っているんだろう。  何だか、想われている人が羨ましい。弓束君は本当にいいやつだし、きっと沢山幸せにしてくれる。僕もそんなふうに想われたい。  って、一体何を考えているんだ僕は。まるで恋愛小説の主人公のような思考回路に気づき、咳払いでごまかした。

ともだちにシェアしよう!