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よくある話~RPG編~【1】

 深夜を過ぎて、宿の空気は心持ち埃っぽさを帯びていた。入口から微かに入る夜気が足元を吹き抜け、店内には徐々に酒の匂いが漂い始める。  それに伴い、客の内容も変わり始める。老人や恋人連れは早々に部屋へと戻り、店内を占めるのは、荒くれた戦士や盗賊、そして、化粧の匂いを濃く纏った女たち。  時計の針が下るに連れて、誰ともなしに彼らは囁くのだ。 「なあ…それであんた、いくらなんだ?」  爆音は一瞬だった。 「……何やってんのお前」  市場から戻って、ソルは辺りを見回した。思っていたより店の敷地は広いものだったようだ。ほとんどのスペースを占めていたテーブルと椅子は、壁際で燃えカスとなっている。  その広い敷地の中心、ただ一ヶ所無事な席で、連れが食後の紅茶を啜っていた。 「遅ぇよ」 「………」 「何があったか聞くか?」 「いくらなんだ、って言われたんだろ?」  満足げに一つ頷いて、連れは再び紅茶に口を付けた。  見上げれば降るような星空が見える。ああ、今日は満月だ。 「ウィザお前さ、話し合いって知ってる?」 「キョーミねえ」 「誰が修理代出すと思ってんだよ……」 「どうせワリカンだろ。それより買い物済んだのか?」 「おー、まあな」  ソルは一つだけ無事に残っていた椅子に腰掛けた。ウィザが自分の椅子に立てかけていた長剣を差し出す。 「ほら」 「おう、番サンキュ」  受け取って、ソルは抱えていた紙袋をテーブルの上に空けた。 「薬草はいつもの半値で買えたんだけど、魔力薬がそのぶん割高でさ」 「いくらだ?」 「300R」 「倍値だな」 「で、あとは俺の聖水と、お前のブレスレット。薬草は折半でいいよな?」 「レシート」 「はいこれ」  差し出された明細書を確認し、ウィザが財布から金を出す。  ソルが購入した薬草を二束に分けて紐で結わえ、半分は自分の持ち物ヘ、もう半分は魔力薬の瓶と共にウィザの前に置いた。 「んじゃ、そろそろ寝ますか」 「ブランデーか何か頼むか?」 「いや、いい」  今オヤジさん呼ぶと面倒になりそうだし。  ソルはこっそりと呟いて、とりあえず、自分の椅子をきちんとテーブルに戻した。  平和だったはずのこの世界に魔王が現れ、魔物が跋扈するようになって数十年。各地では魔物による死傷者が相次ぎ、王家による討伐隊もいたちごっこに終わっている。既に魔物の拠点となった地域では、一晩で朽ちてしまった街もあるという。  そんな現状を打破するため、もしくはせめてもの時間稼ぎとして、王家は一つの通達を出した。 “魔王を倒したものには望みの褒美を与える“  金を求めるもの、名誉を願うもの、皆が異世界の魔王を倒そうと名乗りをあげた。  そしてソルとウィザも、それぞれの望みのために同行している。  そんな、ありふれた世界の、ありふれた話。  窓から差し込む朝日は、カーテン越しだと分かっていても眩しい。しかし今朝ソルの目を覚ましたのは、ドアを叩くけたたましい音だった。  なんだろう、と回らない頭で暫し考えて、ソルは昨日のことを思い出した。いまだ隣で寝息を立てるウィザに視線をやる。  一人だけ夢の中なんて卑怯だ、是非とも分かちあおう。 「ウィザ、おいウィザ、やばいって」  肩を掴んで揺さ振るが、閉じられた目はなかなか開かない。 「ほら、オイ」 「ん……?」  ようやく薄っすらと目が開いた。が。 「……はじけろ…」 「っだああコラ! 寝起きに爆破呪文って!」  ソルは慌ててウィザの口を塞いだ。いまだ焦点の定まらない彼の目が、迷惑そうにソルを見る。  一層強く、破れよとばかりにドアが鳴った。 「やっば」  とりあえず枕もとに置いておいたシャツを羽織り、ソルはドアを開けた。どっ、と、一人の老人が転がるように駆け込んでくる。頭頂部は綺麗に禿げ上がっており、頭の両端にのみ、ふわふわとした毛が少し残っていた。  ソルに縋りつくようにして老人が叫ぶ。 「た、助けてください!」 「……弁償してくださいじゃなくて?」  轟きわたった雄叫びがソルの声を掻き消した。半開きのドアを突き破って、鋭い鉤爪が老人とソルに向かう。 「はじけろ!」  ウィザの声と同時に鉤爪が爆発した。もうもうと立ち込める粉塵の中で、ウィザが枕元の剣を掴む。 「ソル!」 「おう!」  投げられたそれを受け取って、ソルが鉤爪の根元を一閃した。真一文字に切れたその傷口は腐るように溶け落ちて、異臭が部屋に立ち込める。 「あー、空きっ腹にはキツイわ」  ちらりと背後をうかがったソルに、ウィザがにやりと笑う。そして、 「はじけろ!」  再び起こった爆発が、部屋の壁を吹き飛ばした。生まれた瓦礫はウィザを避け、そしてソルの周囲を綺麗に避けて四方に散っていく。  ドアの向こうにいたのは、3メートルほどもあるサソリの魔物だった。前足の部分にそれぞれサーベルほどの鉤爪が生えており、尾の部分にもまた、鎌のような鋭利な刃が生えている。 「クイーンスコーピオンか……」  言って、ソルが足にしがみ付いたままだった老人をそっと突き放す。 「おじさん、危ねーからちょっと離れてて」 「あ、ああ」  瞬間、いままで彼がいた場所を鋭利な鉤爪が貫いた。ひいい、と血相を変えて、老人が這うようにウィザの方へと避難する。それを見届けて、ソルが走った。 「美人だからってナンパしたら、ぶっ飛ばされるぜ?」  冗談めかした一言を、残して。  先の老人にしたように、ソル目掛けて鉤爪が、尾の鎌が、振り下ろされる。  長い尾が床を貫いたその一瞬に、ソルは尾に足をかけた。魔物が慌てて尾を引き抜いたとき、ソルはその勢いを利用して、魔物の眼前へと飛ぶ。  一閃―――――  ソルの長剣が、魔物の頭を横薙ぎに切り捨てていた。  絶命した魔物の体が塵になって消えていく。剣を鞘に収めると、ソルは大きく息をついた。 「そういえばアンタ、宿の人じゃねえよな?」 「は、はい…この町の役員で、リダといいます」 「役員?」 「一応、町長…の、ようなものを」 「ふーん…」  ソルは呟いて、まじまじと彼を眺めた。  ギンガムチェックのチョッキに、同じ柄のズボン。生地はそこそこ上等のものだった。所々ススと血で汚れていなければ、きっとそれなりに威厳などもあっただろう。 「何があった?」  着替えを済ませて、ウィザ。  いくら物騒な世の中といっても、白昼堂々町の中で、あんな魔物が襲ってくることは珍しい。ソルとウィザの視線を一身に受けて、町長は大きく息をついた。 「この町は数ヶ月前から魔物の被害に遭っていました。力の強い魔物が北に住み着いたらしく、私たちを始末しようと日に何度も手下を差し向けてくるのです。……町の者も、皆で戦いました」 「皆で?」 「ここは元々、旅の途中の戦士や魔導師が留まって出来た村なんです。何度かは魔物を退け、最近は襲撃もなかったのですが……」  うう、と町長がうめいた。 「私は何も分かっていなかった……昨夜、騒ぎに目を覚ますと、昨日まで町の人間だったものが、みな魔物の姿に……!」  絞り出すように言って、町長は俯く。 「私は朝まで逃げ回って、その後、襲ってきたのがあの魔物でした」  ソルは肩越しに、ちらりと後ろを見やった。先ほど倒した魔物の体はもう跡形も無い。  ウィザが顎に手をやった。 「“ミラー”か…」 「みらー?」 「髪の毛なんかを使って、対象の姿に化ける呪文だ。ただ、発動にはとんでもねえ魔力が要るって聞いてっけどな……」 『その心配には及ばねえのサ』  降って来た声に、ソルとウィザは反射的に立ち上がった。  弾け飛ぶように窓ガラスが割れ、破片が室内に降った。噴煙で曇った視界の向こうから、槍のように尖った茨が彼らを狙ってくる。ウィザに向かったそれをソルが切り捨てた。 「火炎よ!」  茨の間を縫うように飛んできた護符のようなものを、ウィザの呪文が灰にした。  続けて飛んできたそれを、今度は身体を捻ってかわし、次の一枚をソルの剣が破く。 「(この紙、ウィザを狙ってる……!?)」  考えかけたソルの足に、突如茨が巻きついた。引っ張られて体勢を崩すソルに、思わずウィザが気を取られる。  床についたはずの肩が、ずぶり、と沈んだ。木目作りだったはずの宿の床は、いつのまにか、底なし沼のようなぬかるみに変化している。  慌ててソルが起き上がろうとした時、ばちっ! と目の前で光が弾けた。 「ウィザ!」  帯電したような火花と共に、ウィザの身体がゆっくりと倒れる。背中には先ほどの護符が張り付いていた。倒れた体はソルよりも早く、泥溜まりのなかに沈んでゆく。 「あわわわ!」  見ると、町長も既に胸の辺りまでぬかるみに呑まれつつあった。慌てて身を起こそうとして―――ソルは、先に倒れた自分が腰までしか浸かっていないことに気付いた。 魔力の強い者から呑み込まれている。  ソルはぞっとした。 「ウィザ! 掴まれ、早く!」  差し出された手に、ウィザが朦朧としながらも手を伸ばす。瞬く間に泥に沈んでゆく指先を追って、ソルがその手を掴んだ。  と、思った瞬間、渦を巻くような強い力が泥の向こうから引っ張った。掴んだはずのウィザの手が、するり、と抜ける。  反動で、ソルは盛大にしりもちをついた。 「ウィザ!」  駆け寄りかけて、足の下の硬い感触に気付く。宿の床が元に戻っている。周囲にあった魔物の気配は綺麗に消えていた。そして町長とウィザの姿も。 「……………、マジで?」  ウィザの嵌めていたブレスレットが、泥に塗れてソルの手に残っていた。 宿 の外に出てみると、村は昨夜とはすっかり様変わりしていた。立ち並んでいたレンガ造りの家はほとんどが半壊し、空気には煙の臭いが濃く混じっている。 「北っつってたっけ」  ソルは呟いて、その方角を振り仰いだ。吹き降ろす山風が染み渡るように体を撫でていく。遠巻きに村を囲む深緑に混じって、岩肌ののぞく山がそびえていた。

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