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よくある話~RPG編~【2】

「っ!」  固い地面に体を打つ感触に、一瞬意識が浮上する。強かに打ちつけた背中が痛み、指先までが痺れるように重かった。談笑しあうような声が遠くから近づいてくる。 「―――だろ? まったく、ドーリッシュ様の趣味と言ったら……おい、見ろよ」 「見慣れない格好の奴が混じってるな」 「こいつ…魔導師か?」  ローブの裾に指が触れるのを感じて、ウィザは泥のまとわりつく目をこじ開けた。怯んだ相手の側頭部に蹴りを入れざま、その反動を利用して後方へと飛び退ざる。泥が喉に詰まっているのを感じて、ウィザは小さく咳き込んだ。  ざっと見渡してみると、部屋はどことなく神殿の地下に似ていた。周囲は酷く薄暗かったが、どこかで松明が焚かれているのだろう、ぼんやりとした灯りが部屋の何点を照らしている。その中心で何人もの人間が積み重なるように横にされ、ちょっとしたピラミッドが出来ていた。おそらくウィザと同じ方法で連れてこられた者たちなのだろう、町長だというあの男も混じっている。今まであの中に倒れていたかと思うと複雑な気持ちだった。  まだ目に残る泥を数度瞬きして払い、素早く周囲に視線を配る。 「っ……! テメェ、何しやがる!」  ウィザの蹴りを食らったこめかみを押さえ、下級のデーモンらしき魔物が殴りかかってきた。その後ろに同じような魔物が二体、右手には上りの階段。 「光よ……っ!?」  呪文を唱えかけて、ウィザは自分の声が妙に希薄なことに気付いた。ここへ来る前の戦闘で食らった護符を思い出す。舌打ちして、ウィザはデーモンに足払いをかけた。 「うぉっ!?」  盛大につんのめって、相手が床に倒れ込む。その隙にウィザは階段へと走った。繰り出される突きを頭をかがめて避け、怯んだ一体の膝裏を蹴って悶絶させる。 「この野郎!」  見る間に伸びたデーモンの羽根が、鋭利な刃物となってウィザの足を貫いた。階段まで後数歩。バランスを崩して倒れかけるウィザの耳に、呪文の詠唱が届く。とっさに視線を落とすが、手首は裸だった。 「吹き飛べ!」  発生した衝撃波が、ウィザの身体を壁に叩きつける。石造りの壁に胸を強打し、肺に力が入らない。咳き込むウィザの髪を掴み上げ、デーモンが喉の奥で唸った。 「ふざけやがって……今ここで引き裂いてやらぁ!」  しゃうっ、と音を立てて、デーモンの爪が長剣ほどに伸びる。振りかぶった爪の先がウィザの喉に触れようとした、その時。 『何をしている』  響き渡った低い声に魔物たちの動きが止まった。震える声で一体が呟く。 「ド、ドーリッシュ様.……!」 『魔導師の血を引くものは残さず私に捧げろと言ったはずだ』 「で、ですがこいつは……!」 『言い訳は無用!』  かっ―――! と白い光がはじけたと思った瞬間、ウィザの前にいたデーモンの姿が消し飛んだ。ひいい、と、残りの二体がおののく。  すっ――と上から降りてきたのは、ビロードのマントを纏った長身の魔物だった。姿は限りなく人型に近かったが、背中に生えたコウモリに似た翼と、不健康なほどに透き通った白い肌が魔物の匂いを色濃く漂わせている。  お許しください、と額を地面に擦りつける二体を素通りして、ドーリッシュがウィザを一瞥した。その目が興味深そうに光る。 「下がれ」 「は、はっ!」  ドーリッシュは滑るようにウィザに近づいた。 「血を引いての魔導師ではないな……たまにある変種という奴か?」 「だったらどうしたよ」  覗き込むような目を見返しながら、ウィザはあばらに手をやった。どうやら骨は折れていない。  妙に鮮やかなドーリッシュの唇が弧を描いた。 「私のモノにならんか?」 「あァ?」  冷たい指がウィザの顎を抓む。吐息がかかるほど近くにドーリッシュの顔が迫った。 「その出過ぎた魔力、人間の間で腐らせるには惜しい……どのみちお前の世界では魔導師など爪弾きだろう?」 「……何百年前の話だよ」 「そう変わらんさ」  服装からして僧侶だろうか、倒れている人間の懐から一枚の紙を抜き取り、ドーリッシュが低く呟いた。 「火炎よ」  宙を飛んだ護符は松明に当たり、一本を爆発、炎上させる。 「か弱い者はか弱いなりに、面白いものを作り出すことだ」  肩越しにウィザを見やり、ドーリッシュは長い呪文を唱え始めた。人間たちの周囲に光が走り、複雑な魔法陣が描かれていく。  ぽつり、とドーリッシュが唱えた。 「捧げよ」  強く輝いた魔法陣に炙り出されるように、人間たちの体から光の粒が立ちのぼる。ドーリッシュが僅かに口を開けると、それらは見る間にその中へ吸い込まれていった。  満足げな吐息が響く。 「人間ごときの魔力と馬鹿にするものもいるが、味は悪くない」 「ゲテモノ食いってんだよ、そういうのは」 「口が減らないな」  クク、と、ドーリッシュが口元を押さえた。魔力を吸われた人間たちの顔は、見る見るうちに血色を失ってゆく。 「端的に言えば分かるか? 私に従うならば、今したようにお前の魔力を抜き出すことはせず生かしておいてやる」 「ざけんなっつったら?」  ドーリッシュの目が僅かに細められた。尖った爪がウィザの頬に食い込む。 「血を啜って魔力を得るのも嫌いではない。……私をあまり怒らせるな」  ぶつり、と皮膚が破ける音がした。と同時に、一体の魔物が血相を変えて駆け込んでくる。 「ド、ドーリッシュ様、侵入者が!」 「下がれと伝えたはずだが?」 「も、申し訳ありません、しかし……」  ドーリッシュはうざったそうに手を振った。 「村に向かわせた一団がその辺りにいるだろう」 「で、ですので、そいつらはもう全滅して!」  初めて、ドーリッシュの目が魔物の方を見る。 「……何だと?」 ■□■□  角を突き出し向かってきた牛の魔物を、気迫と共に叩き切る。剣についた体液を振り落として、ソルは大きく首を回した。  山の風は少し冷たかったが、火照った身体にはちょうどいい。持ち物から薬草を取り出して食みながら、目の前にそびえる神殿を見上げる。水晶で作られたような上品な姿はどうみてもこの山に不似合いだ。入口らしきものは見当たらないが、ちょうど神殿の前にあたる部分に、洞窟がぽっかりと口をあけている。 「ビンゴ、かな」  襲ってきた魔物たちの屍にちらと目をやり、ソルは洞窟の中へと入った。岩肌がほとんど剥き出しの壁に手を付きながら、薄暗い通路を進む。  しばらく歩くと、かつん、と、硬い足音が響いた。床はタイルのようなもので舗装されているらしい。途中までは天然の洞窟を利用し、地下で神殿の玄関と繋いだのだろう。  更に進むと広場のような場所に出た。ソルのいる通路から部屋を挟んで向こうに階段が見えるが、部屋が広すぎて全貌は確認できない。待ち伏せにはうって付けの場所だ。  ソルは剣を抜くと、鞘を広場に放り投げた。少しの間空中を踊ったそれを、視界の外から伸びてきた茨が串刺しにする。  ソルは階段から跳んだ。居合のように剣を脇から抜き放ち、怯んだ魔物を着地ざまに両断する。地面についた、と思った足が、ずぶり、と沈んだ。 「っ!?」  慌てたソルの視界の端に、さっきとは別方向から茨が伸びてくるのが見えた。 「くっそ!」  ソルはその場で身体を捻り、体に迫った茨を叩き切った。幸い沈むのが遅いため、何とか動くことはできる。泥から足を引き抜いて、ソルは後方へと跳んだ。  ヒュウ、と口笛が鳴る。 『やるねエ、兄ちゃん』  泥の中から浮き上がるようにして、球根のような姿をした魔物が現れた。背丈はソルの腰程度だが、両腕に当たる部分からは二本の茨が生えている。ソルはちらりと足元を見た。 『あァ、確かに切られたぜエ?』  せせら笑うように魔物が言う。 「(……株分けタイプか)」  ソルは剣を構えなおした。この系統の魔物は、本体さえ無事ならばいくらでも自分のコピーを作る事が出来る。 「(前はウィザにぶっ飛ばしてもらったけど、今度はそうもいかねーな)」  加えてぬかるんだ足元も、ソルには不利な条件だった。身動き取れなくなるほどではないが、じっとしていると徐々に足が泥に埋まってゆく。踏み込むまでは確かに石造りの床だった事を考えると、これも魔物の一種なのだろう。  あまり時間はかけられない。  ソルは大きく息を吸い込むと、魔物に向かって駆け出した。伸びてくる茨の一本を僅かに首を動かして避け、もう一本を剣の腹で受け流す。無防備な姿勢となった魔物の懐へと飛び込むと、ソルは二本の茨を根元から切り捨てた。返す刃で魔物の胴体を狙おうとした その時、瞬く間に傷口から新たな茨が伸びる。 「!」  鞭のようにしなった茨が、ソルを大きく後ろに飛ばした。ぬかるみに背中から倒れ、纏わりつく泥が起き上がるのに数秒のロスを生む。そこを狙って、再び茨が伸びてきた。 「っ!」  不安定な体勢のまま剣を振り、鋭利な茨の先を切り飛ばす。一瞬それらが退いた隙に勢いをつけて起き上がり、ソルはその反動を利用して身体を捻った。茨がさらに数十センチ、切り落とされて泥に沈む。  魔物が哄笑を上げた。 『無駄無駄ァ! いくら切っても終わりゃしねェよ!』  ソルは今切り捨てた茨の一本を掴んで魔物に投げつけ、続けざまに足元の泥を蹴り上げた。飛び散る泥が魔物の視界を奪い、攻撃の軌道が僅かにずれる。  その隙間を射抜くようにして、ソルは矢のように剣を弾き飛ばした。  飛んだ剣は魔物の胴に突き刺さり、その身体を地面に縫いとめる。ごぼり、と、魔物の口から草色の液体が溢れた。 『グッ……だから、無駄だって言ってんだろうがよォ!!』  声と共に、魔物の身体は無数の茨へと変化した。  ソルは剣に手を伸ばしたが、纏わりつく泥は思いのほか強く剣を飲み込んで離さない。蛇のようにのたうつ茨の一本が、ソルの頬を大きく切り裂いた。弾き飛ばされ泥に手をつくソルに、無数の茨が津波のように迫る。 『あばよ戦士サンよォ! じきに相棒も後を追わしてやるぜ!』  泥を覆う絨毯のように、緑の茨が一面を飲み込んで―――たんっ! と、その上をブーツが蹴った。 『何っ!?』  見上げる魔物の視線の先には、壁を蹴り、上へ上へと跳躍してゆくソルの姿。手には部屋の入口で囮に使った鞘が握られている。 『いつの間にっ…さっき手をついたときに拾ってやがったのかっ!』 「そういうコト」 『だっ、だがな、鞘一本で何ができるって……!』 「そこ」  と、剣が突き刺さったままの一点を指す。 「さっきから切った茨が吸い込まれてる。分かりづらいんで、ちょっと目印立てさしてもらったぜ?」 『なっ…!』  慌てて何本かの茨が剣の柄に絡みつくが、刀身の半分近くが泥に埋まったそれはびくともしない。  ソルが口端を上げた。 「相当深くに刺さってるみたいで安心したぜ! ただ、泥の上じゃ弾みがつかないんで、どうやって壁まで飛ぼうか悩んでたんだけどな……!」  言って、ソルは空中で一回転した。  垂直に鞘を構え、落下の衝撃を柄の一点に叩き込む! 『ギャァァァァ!』  剣が深く泥を貫くと同時に、耳をつんざくような悲鳴が上がった。  部屋を埋め尽くしていた茨が塵になって消え、ぬかるんでいた床も潮が引くように元に戻る。剣を中心に砕けた床の下いっぱいに、巨大な球根の魔物が息絶えていた。 「本体はここで根を張って、自分の分身を色んなとこに派遣してたって訳か……」  ソルは剣を引き抜いた。球根の魔物は確かにしとめたが、泥の魔物の手ごたえは無かった。少しだけ眉を顰め、それでも剣を鞘に収める。 じきに相棒も後を追わせてやる、とこいつは言った。つまりまだウィザは無事らしい。   ソルは大きく息をつくと、上りと下り、二つずつある階段を見やった。 「ど、れ、に、し、よ、う、か、な」  持ち物から出した薬草を頬に貼って、ソルは上りの階段へ足を進めた。 □■□■ 「縛せ」  呪文によって伸びた茨が、ウィザの両手を一まとめに縛り上げた。刺が食い込み呻くウィザに、ドーリッシュが薄く微笑む。 「死んだものの蘇生は出来んが、この程度の役立てようはある……しかしあの戦士、なかなかの腕らしいな」  いつのまにか、床の一角が泥だまりのようなぬかるみに変化していた。その中に、先ほどソルに切り刻まれた茨の切れ端が浮いている。 「裂けよ」  見えない刃で切られたかのように、ローブの首筋から鎖骨にかけてが切り裂かれた。髪が数束、床に落ちる。それを指先で抓んで、ドーリッシュがウィザの首筋に目を留めた。  少し考えて、喉の奥で笑う。 「そうか、貴様……あの戦士と不貞の仲か」 「………」  ウィザは微かに眉を顰め、答えなかった。ドーリッシュの笑みが深くなる。 「奴に問い詰められるのが怖いか? 何故裏切った、と」  一歩、ドーリッシュが歩み寄ってくる。 「あるいは私が倒れれば、後に自分の居場所がなくなると危惧しているのか? ……要らぬ心配だ」  また、一歩。  足元にすべりよってきたぬかるみに、ドーリッシュはウィザの髪を撒いた。 「奴は来れんさ。お前を仲間と思っていれば尚更な。下らぬ思案は止めて我が身の安全を取ってはどうだ?」  更に近づいて、ドーリッシュが膝をついた。冷たい指がウィザの頬を包み、異常な近さに唇が近づいてくる。 「簡単な事だろう……?」  ウィザは腹筋を使って、ドーリッシュに渾身の頭突きを食らわせた。 「………………っ!!」  たまらず、ドーリッシュが額を押さえて退がる。 「テメエなんざに触られたかねえんだよ」 「貴ッ…様ぁ……!」  つりあがった双眸がぎらぎらと燃えた。 「伸びよ……!」  急激に生長した茨に持ち上げられるようにして、ウィザの身体が僅かに浮く。幾つにも枝分かれした茨が、蔓を巻くように足に絡みついた。 「っこの…!」  刺にもかまわずウィザが身を捩るが、茨は軋みもしない。ローブの裾から滑り込んできた茨が、更に上へと這い登ってくる。  細い茨が臍の辺りを掠めて、ウィザは思わず息を詰めた。酷薄な笑みを浮かべたドーリッシュと目が合う。それを睨み返しながらも、上がる息は隠せそうに無かった。  先ほどの茨は徐々に蔓を伸ばし、ローブの下のそういった場所に絡みつきつつあった。しかし、それも決して性急なものではなくて。掠めるように微かな強さで肌に触れ、植物が伸びる早さを遵守するかのような、緩慢な動きで這い進んでくる。手足に食い込む茨の刺も、ローブの下ではじれったいほどの刺激となってウィザの肌を撫でていた。 「……ッ、…はっ……!」  思わず伏せたウィザの首筋を、ドーリッシュの冷たい指がなぞる。張り詰めた体がびくりと跳ねた。 「感度のいい事だ。あの戦士に足を開いて長いのか?」 「……る、せえよ、ド変態ッ……!」 「口が過ぎると後で悔やむぞ」 「っあ、ア……!」  焦らされていた前にするりと茨が絡みついて、ウィザは必死で唇を噛んだ。痛みに感じる一歩手前で刺を食い込ませ、伸びた蔦がその直接的な部分を扱いてくる。 「ふっ…ぅ、はァッ……、……っ!!」  噛み締めた唇が、ぶつり、と切れた。茨が巻きついたままの足に白濁した液体が伝う。何本かの茨がそれをすくうように拭い取った。背後に触れた感触に、肩で息をしていたウィザがはっと顔を上げかける。 「知らぬ生娘でもあるまい?」  啄ばむように淵に触れてくる茨たちに、ウィザの呼吸が次第に乱れ始める。微かに収縮を始めたそこを急かすように、茨の一本が先の液を擦りつけた。淵近くを浅く突付くのみだった他の茨たちもそれに習う。 「んんっ……ゥ…っ、―――――っ!」  胸の前で一まとめにされたウィザの手が小刻みに震えた。食いしばった歯の隙間から荒い息を吐いて、なお唇を閉じようと努力する。  茨の先端が、つぷ、と潜った。 「……………ッ!」  声にならない声を上げて、ウィザの背が僅かに反る。けれど微か過ぎる刺激に焦れきっていた中は、指よりも細いそれを待ちかねたかのように締め付けた。同時に、伸びてきていた茨が、胸の先端を押し込むように刺を食い込ませる。 「ぁ、はッ……!」  力が抜けた一瞬に、茨がもう一本ウィザの中へ入り込んだ。淵を広げるように先端を擦りつけ、先の茨と共にゆっくりと進み入ってくる。  ウィザの喉から長い吐息に似た喘ぎが漏れた。最初に輪をかけたような緩慢な動きのせいで、意識は嫌でも背後で蠢くその動きを追ってしまう。茨の刺の一つ一つさえ鮮明に感じて、ウィザはきつく目を閉じた。握り締めた手に爪が食い込むが、快感を振り払うには及ばない。むしろ―――― 「物足らんのだろう?」  一瞬、中の茨が乱暴に動いて、ウィザは声を上げかけた。期待するように締め付けた身体を裏切って、茨の動きがまた緩やかなものに戻る。揶揄するような視線を感じて、ウィザはドーリッシュを睨みつけた。生温い液体が背後から足を伝っていく。  先から放っておかれていた前に、再び細い蔦が絡みついた。促すようにでなく、ただ戯れのように快感を与えてくるそれに、足が崩折れそうになる。身体の芯をぐずぐずと煮溶かされるような感覚が這い上がってくるが、吐き出すには僅かに刺激が足りない。中に入れずにいる茨たちが、強請るように入り口付近をつつくのが分かった。 「だがまだだ…正気のうちは楽にはさせん……」  地を這うような声音でドーリッシュが呟いた。瞳の奥に怒りを押し殺し、唇を笑みの形に歪める。 「魔力を吸い尽くされる前に、その口で私に請うがいい……」 ■□■□  階段の途中に腰を降ろして、ソルは聖水を煽った。冷たい水に喉の渇きが癒えていく。少し罰当たりな気もしたが、それは考えない事にした。  上ること数十分。  下で選んだ階段は、途中から目の眩むような螺旋階段に変化していた。水晶で出来た周囲の壁は鏡のように磨き上げられ、どれほど上ったのか見当がつけがたい。  少しだけ身を乗り出し、下を見てみる。螺旋の中心は白くぼやけており、最初の直線の階段は見えなかった。  再び歩き出そうと腰を上げる。  前方から響いた足音に、ソルはふとそちらを見上げた。数段上に見慣れた姿が立っている。 「……、ウィザ?」  『彼』が手にしていたナイフを抜き放った。とっさにソルは横に飛び、向かってきた『彼』の背中を突き飛ばす。階段を数段転がり落ちて、『彼』がのろのろと構えなおした。  ソルも鞘からは抜かないまま、剣に手をかけた。向かってくる刃先をしゃがんで避け、『彼』の鳩尾に鞘を叩き込む。『彼』の身体がくの字型に折れ曲がり、泡立つような音と共に泥に変わった。 「なっ!?」  驚くソルの腕を飛び越えて、床に着地した泥は再びウィザの姿を取った。宿で聞いた“ミラー”の話が頭を過ぎる。ソルは舌打ちと共に剣を抜き、下から払い上げるように『彼』の腹部を薙いだ。手ごたえを感じた瞬間、『彼』のナイフが腕を一閃する。 「―――っ!」  飛びのいたソルの後を追うように、血が点々と床に落ちた。更に一瞬遅れて、『彼』のナイフが空を切る。  手加減したつもりは無かった。―――していないつもりだった。だが先の一撃は『彼』のローブを裂いただけで、その下の肌はかすり傷に近い。剣を握った手が微かに震える。  目元を掠めかけた刃を、ソルは身体を捻って避けた。すぐに返す刃が首を狙ってくる。 「クッソ!」  ソルは手首に嵌めたブレスレットでナイフを弾いた。今朝襲われた際、ウィザの腕から抜けたものだ。が、明らかに防具の類でないそれは、今の一撃で刃の形にへこむ。  血の滴る腕を押さえて、ソルは更に後ろに飛んだ。スローモーションのように下がってゆく視界の中で、『彼』がナイフを持ち直す。  弾き出すように繰り出されたナイフの柄が鳩尾を突いた。水晶の壁に叩きつけられ、ソルが大きく咳き込む。  一歩、『彼』が階段を下りた。無造作にナイフを構え、感情のこもらない目でソルを見ている。 「クッソ……!」  かつん、とまた足音が近づく。  血の滴るナイフを舐めて、『彼』の顔が笑みの形に歪んだ。  ぶしゅっ―――と、刃の刺さる音が鳴る。  ソルは片手を突き出して、『彼』の心臓を長剣で貫いていた。人間ならば血が吹き出る代わりに、粘土状の土が飛び散る。驚愕したように目を見開いて、『彼』がソルを見た。 「やめてくんねえ? そのカッコ……」  それを聞いて―――ではないだろうが、『彼』の身体が溶けるように泥に変化する。腕を飛び越え、床へと向かう軌道上に、ソルは先ほど空にした聖水の瓶を差し出した。 ―――――びちちっ!  空瓶の中に泥が飛び込む。最後の一滴が収まるや否や、ソルは蓋を瓶の口ぎりぎりまで押し込んだ。さらに薬草を結わえていた紐で全体をきつく縛り、押さえ込むこと、暫し。  瓶が静かになったのを確認して、ソルはずるずると床に崩れ落ちた。  瓶の表面に隙間無く彫りこまれた聖印を確認するようになぞる。仮にも教会で購入したアイテム、そこらの魔物に破れるシロモノではないだろう。 「あー……マジで死ぬかと思った……」  がたん! と大きく瓶が跳ねた。 「うおっ!?」  思わず飛びのくが、それきり瓶に反応は無い。遠巻きに瓶を睨みつけながら、ソルは持ち物に手を入れた。 「あ、薬草最後じゃん……」  呟いて、とりあえずそれを腕に貼り付ける。何となく見上げた階段の先で、何かが光った。 「!?」  ソルは手当てを止めて目を凝らした。また微かに階段の先が光る。というよりも、松明か何かの灯りが一瞬遮られ、再び照ったと言うのが近い。  ソルは駆け出した。水晶で出来た階段を二、三段飛ばしに駆け上がり、頂上にたどり着いて慌ててブレーキをかける。  長く続いた階段の先は、垂直の吹き抜けになっていた。ソルの立っている出口は天井付近にあり、そこから数百メートル下――おそらくは地下の低さに床が見える。  外から侵入したとしても、一度最上階まで上らなければここへは来られないつくりなのだろう。人間にはともかく、翼を持つ魔物にとってはそう不便でもない。  ソルは階段の淵ぎりぎりまで身を乗り出し、目を凝らした。床には巨大な魔法陣が描かれ、そこから浮かび上がる白い光が周囲を微かに照らしている。その傍に人影を見つけて、 ソルは反射的に叫んでいた。 「ウィザ!」 ■□■□  絡みついていた茨が、苛立ったように手足に食い込んだ。吐き出せないまま焦らされ続けている身体は、その痛みさえ快感に変えて脳に伝える。  ウィザはきつく目を閉じ、血の滴る唇を噛んだが、足は自らの体重を支えきれずに細かく震えた。ドーリッシュが嘆息する。 「いい加減声を上げてはどうだ」 「っ…る、せ……」  中の茨が再び蠢いて、ウィザは反射的にうずくまった。ドーリッシュがその顎を掴み、強制的に上を向かせる。 「口が過ぎると後悔するといったはずだが?」 「っ…く……」  ウィザは唇を噛み締めた。ドーリッシュが嗜虐的な笑みを浮かべて覗き込んでくるが、今は口を開けば洩れそうな喘ぎを噛み殺すことで精一杯だった。それを見透かすように、ドーリッシュの爪が頬を撫でる。 「何を待っている?」 「――――――ウィザ!」  降ってきた声に、ウィザは天井を振り仰いだ。床を蹴り、ソルが階段の淵から飛び降りる。剣を携え落下してくるソルに眉を寄せ、ドーリッシュが右手をかざした。 「火炎よ」 「いっ!?」  ごうっ! と言う音と共に、手の先から凄まじい量の炎が噴き出した。未だ落下中のソルに逃げ場は無い。 「―――ソル、手を前に!」  かっ―――と、ブレスレットが輝いた。見えない障壁に阻まれるように炎の渦がソルを避け、ドーリッシュのほうへと逆流する。 「グッ!?」  自らの火炎に包まれ、ドーリッシュが苦悶の声を上げた。吹き付ける炎と熱風に、ウィザの肌を這っていた茨が黒く変色して動きを止める。  ソルがふわりとウィザの前に着地した瞬間、ブレスレットは砕け散った。剣の一振りで茨を断ち切り、次の一振りでウィザの背の護符だけを正確に両断する。帯電したように護符が弾け、その光がウィザの中に消えた。 「マジックカウンターか…小賢しい真似をっ!」  ドーリッシュの爪がソルに向かって伸びた。それが触れる刹那、背を向けていたソルが僅かに身体をずらす。 「貫け!」  ウィザの放った爆発が、ドーリッシュの腹に風穴を開けた。口から紫の血を溢れさせ、ドーリッシュが片膝をつく。 「やれそうか?」 「……まあな」  ウィザの指先で火花が散った。鮮血を滴らせながらドーリッシュが呻く。 「そうか…貴様、このために声をっ……!」  魔導師であれ僧侶であれ、基本、呪文は唱えることで発動する。もしも茨の責め苦に声を上げ続けていれば、とうに喉は枯れ果てていただろう。  フン、とウィザが短く吐息する。 「はじけろ!」  ちょっとした手榴弾ほどの威力を持って、ドーリッシュの足元から爆炎が吹き上がった。背の翼を広げ、上空へと逃れるドーリッシュをひたと睨み据え、ウィザが次の呪文を唱える。 「火球よ!」  空中に数十の火の玉が現れ、雨のように部屋に降り注いだ。あるものは床へ、あるものは壁へ、そしてあるものはドーリッシュの翼を燃やし、室内を紅蓮に染める。 「ソル!」  ウィザの声にソルが走った。振り下ろされたドーリッシュの爪を跳んでかわし、抜き放った長剣で袈裟懸けに切りつける! 「ぐあああっ……お、のれっ…!」  僅かに身体を捻って急所を外し、ドーリッシュが憤怒の形相でソルを睨みつけた。かざした指先に光が集まってゆく。 「弾けよ!」  ドーリッシュの呪文が届くよりも先に、ウィザも同じ呪文をソルの後ろから放った。不可視の力がソルの前でぶつかり合い、起こった爆発が周囲一帯を吹き飛ばす。  ざざっ! と地面に踏みとどまって、ソルはあたりを見回した。  二人分の魔力が炸裂したせいか、部屋は酷く荒れていた。決して狭くは無い室内には爆煙が立ち込め、床のタイルは砕け、ところどころ地肌がのぞいている。そして、ひびの入った壁に半ば埋もれるようにして、ウィザがうずくまっていた。 「ウィザ!」 「るせえ、生きてるよ……」  軽く頭を振って、ウィザが体に積もった瓦礫の欠片を振り落とした。  と、煙の向こうがぼんやりと光る。  優男に近かったドーリッシュの体が一回り巨大に、たくましくなっていた。先ほどソルがつけたはずの傷が消え、ウィザの呪文に焼かれたはずの翼までもが元に戻っている。その側で、町の人間を閉じ込めたままの魔法陣が輝いていた。 「おい…どーなってんの?」 「野郎、前にあの魔法陣で他の奴の魔力を食ってたんだよ。その要領で……」 「今度は体力吸い取ったって? マジ?」  ウィザを後ろに庇うように剣を構えつつ、ソルが呟く。  だがそれを証明するかのように、ただでさえ青白かった中の者たちの顔が、大病の後の様にこけて行きつつある。幸い皆、微かに息はしているようだが――― 「全員使い切ったらもう回復できねーよな?」 「やるってんなら止めねえぞ?」  ふ、と、ウィザが穏やかな吐息を洩らす。へ、と、ソルも笑った。 「ダメだろ…そりゃさすがに」  ふしゅうううっ―――と、ドーリッシュの呼気の音が聞こえた。薄くなりつつあった煙が切れてゆく。 「あの魔法陣ぶっ壊せるか?」 「無理だな。呪文の影響を受けねえんだろ、あそこだけタイルが壊れてねえ」  言われて見やると、確かにあれほどの爆発があったにもかかわらず、魔法陣の周囲は無傷に近かった。ただ落下してきた瓦礫が当たったのか、幾つかの細かいひび割れは入っている。  す、とソルの目が細くなった。 「……飛び込むから、適当なとこで呪文頼む」 「ああ」  その返事とどちらが早かったか――――ドーリッシュの目がぎらりと光った。 「炎よ!」  割れんばかりの声が響く。飛び来た火球を切り払い、ソルは滑り込むように体勢を低くした。以前球根の魔物にしたのと同じく、脇から抜き放った剣でドーリッシュの足を狙う。  が、勢いよく開いたドーリッシュの翼がソルを薙ぎ倒した。弾き飛ばされ倒れるソルに、ドーリッシュが急降下と同時に拳を振り下ろす。とっさに転がったソルのすぐ横にその拳が沈み、てこの原理のように砕けた床が跳ね上がり―― 「はじけろ!」  一瞬遅れて、ウィザの呪文がそこを爆破した。一抱えほどもある土の塊が宙を舞うが、ドーリッシュは既に拳を抜き、その場所を離れている。  細剣ほどに伸びたドーリッシュの爪が、ソルの首筋を狙って繰り出された。金属同士がぶつかり合う音が響く。一本、二本三本四本目まで捌いて、ソルがはっと目線を上げた。  ひゅうう、という落下音。  ソルは舌打ちと共に、先ほどの呪文で舞い上がり、落ちてきた瓦礫たちを切り弾いた。鈍い音がして、土塊の幾つかがあさっての方向に飛んでゆく。その肩口に、ドーリッシュの爪が突き刺さった。 「ぐっ……!」  身を捩るソルを追って、ドーリッシュも指先に体重をかける。その足元をソルが払った。 同時に剣を持ち替え、突き刺さっている爪を横殴りにへし折る。  支点二点を失い、ドーリッシュの体勢が崩れた。 「ウィザ!」 「吹き飛べ!」  本来なら半円状に広がる衝撃波を、気力を振り絞って直線状に放つ。ウィザの放ったそれはドーリッシュの頭の上を越え、先ほどソルが弾き飛ばした一際大きな土塊にぶつかった。  勢いを足されたそれは爆発的な力で前へと進み―――建物全体を揺らすほどの勢いで魔法陣に突っ込んだ。陣の形が乱れ、電気が消えるように魔法陣が消滅する。 「yes!」  突き刺さっている爪を引き抜いて、ソルが笑った。 「ぐ…おぉ……!」  ドーリッシュが苦悶の声を上げる。魔法陣の消滅と共に、ふさがっていたはずの傷が徐々に開きつつあった。 「おのれ……おのれえぇぇっっ!」  絶叫に近い雄叫びと同時に、大きく羽ばたいたドーリッシュの翼から鎌鼬が迸った。  側にあった瓦礫がバターのように両断される。 「炎よ!」  それを阻むように、ソルの前に炎の壁が吹き上がった。 「はじけろ!」  次いで起こった爆発に、噴き散った炎がドーリッシュに降り注ぐ。 「鬱陶しいわぁ!」  翼の一振りでそれをかき消し、ドーリッシュが鉤爪を振るった。が、すでにそこにソルの姿は無い。 「何っ!?」  振り仰いだドーリッシュの目に見えたのは、爆風を利用して自分の真上まで跳んだソルの姿だった。そして、それが彼の最後に見た景色となる。  肩口の袈裟懸けをもう一度なぞるようにして、ソルの剣がドーリッシュの胴を切り離していた。 「(先の炎は……私の目から戦士を隠すためか……)」  どさ、とドーリッシュの体が一度地面にバウンドし―――砕け散った。  消滅したドーリッシュの体から、光の粒が立ち上る。室内を柔らかな光で満たしながら、それらは横たわる人々の中へと吸い込まれていった。  皆が徐々に目を覚ましてゆく中、町長に事の顛末を説明する。  疲労の度合いはそれぞれであれ、幸い魔力を吸い尽くされたものなどはいないらしく、移動呪文の使える何人かに、他の者を町まで連れて行ってもらうことにした。  テレポートの最後の一団を見送って、ソルがふうと息をつく。 「さ、俺らも行くか」 「…………」  が、ウィザは壁際に腰を下ろしたまま、動こうとしない。 「ウィザ?」  じろりっ、と、その目がソルを睨んだ。 「……立てねーんだよ」  一瞬呆気に取られたソルが、にや、と口端を上げる。 「明日の朝メシ、おごりな」 「殺すぞてめえ」  よっ、と声をかけてウィザを背負い、ソルが上を見上げた。あったはずの天井よりもだいぶ低い位置に空が見える。先の爆発の余波を受けて、建物の地上部分はほぼ倒壊したようだった。 「砕けろ」  ウィザの呪文が壁にめり込み、階段状の切込みを入れる。それを足場にして天井の穴へと跳び、彼らは外へ脱出した。  再び町についたのは、そろそろ夕日も沈もうかという時刻だった。地平線に消えていく赤い光が、壊れた家々を妙にくっきりと照らす。 「なあに、すぐにまた元に戻して見せますよ。ここは私みたいに、旅に疲れたものが安らぐ場所ですから。……なあ、リダさんよ!」  そう言って笑った彼は、最初の襲撃で家族を亡くしたそうだった。薄っすらと目尻に涙を浮かべ、隣にいた町長の肩を叩く。 「この人はね、当時パーティーを組んでた私のわがままを聞いて、『ここに住もう』って言ってくれたんですよ」 「そんな、昔の話だよ……ああ、それよりお二人とも、この度はもうなんとお礼を言ったらいいか、できるなら町を上げてお礼したいのですが……」 「あー、や、おかまいなく」  頭を下げる町長に、ウィザを背負ったままのソルがひらひらと手を振る。 「宿屋の部屋がいくつか無事ですので、そこでお休みになってください」 「え、けど……」  半壊した家々に視線をやるソルに、町長が微笑んだ。 「私たちのことはご心配なく。暖かい季節ですし、被害の少ない家に間借りし合えば十分休めます」  これくらいのお礼はさせてください。  そう言った彼の顔は、確かに町長としての穏やかな威厳に溢れていた。 「あ、そうだ、夕食とお風呂は私の家で用意しています。何故だか食堂を中心に被害が激しくて……」 『う゛っ……!』  ―――そして、夜が更けた。  無人の宿に床板の軋む音が鳴る。ソルは客室のドアを足で開けながら、肩に担いだウィザをちらりと見やった。 「(……寝た?)」  お互い、今日の運動量を考えると仕方のないことかもしれない。こっそりとため息をつき、ウィザをベッドに下ろそうとした――とき。 「っ!?」  きゅっ、と、ソルの背中が掴まれた。反射的に視線を落とすと、えらく不機嫌に眉を顰めたウィザと目線がかち合う。 「(あ、起きてたのね……)」  ソルは苦笑して、ウィザの身体に回していた腕を解こうとした。が、それよりも先に、ウィザがソルを引き寄せる。中途半端に抱き合うような格好のまま、背を掴む手の力だけが強くなった。 「……、……ウィザ?」  首を曲げて覗き込むソルの肩口に、ウィザが無言で顎を押しつける。湯上りの肌の匂いが鼻腔を掠めた。触れ合うほどに近い距離のせいで、その頬が熱を帯びているのが伝わってくる。  ぎゅ、と、また背を引き寄せられて―――ソルはおずおずとウィザの背に手を伸ばした。かぁぁ、と頬に血が上るのを自覚する。  なんともむず痒い感覚が背筋を走った。有体に言ってしまえば、『したいんですか?』ということなのだが、さすがにそれを口に出すのは戸惑われる。  沈黙に耐えかねて、ソルはそっとウィザの方を見やった。こくりっ、と、どちらかの喉が鳴る。 「……やん、ねーのかよ……」  顰めた目の奥に縋るような色を滲ませて、ウィザが声を絞り出した。  選択肢は無かった。

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