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よくある狼退治【3】
「貴様ら……! なぜ戻ってきた!? オレたちのことは放っておけって言っ、うぐっ!?」
「ツラ貸せ」
「機嫌悪ぃな」
ウィザがハーニャの襟首を掴み、村の外れへ引きずっていく。
ソルは半眼で目の前の景色を眺めた。
地平線の上にあった夕日は半分ほど沈み、表で遊んでいた子供の姿もない。
ウィザが投げうつように手を離し、銀の弓矢をハーニャに突きつけた。
「これは……! 貴様ら、まさかエアルを!」
「手伝え。あいつを元に戻すのに、二人じゃ手が足りねぇんだよ」
「……どういうことだ?」
胸ぐらを掴むハーニャの手を払い、ウィザが反魂香の木箱を振る。
「死人を蘇らせる反魂香と、呪いを断ち切る銀の弓矢。これでもう一度例の魔物を仕留めなおすんだ。ただ死骸が残ってねえ以上、森全体に焚き込めることになる」
人や動物のそれと違い、息絶えた魔物の体は砂となって朽ちる。反魂香の効果がどの程度の範囲に及ぶかはわからないが、巻き添えで蘇る魔物は十体や二十体ではないだろう。
それらをいなしながら目的の魔物を見つけ出し、なおかつエアルの呪いを解くため、弓矢以外でとどめを刺すことはできない――――となれば、二人では分が悪すぎる。
ハーニャは奥歯を噛むような声を出した。
「……なぜオレに頼むんだ。昨日、お前たちに弓を向けたんだぞ……?」
「だとよソル」
「お前が担当だろ」
ウィザは苦々しくハーニャを睨みなおした。
「カン違いしてんじゃねェぞ。こっちにも病人がいるだけで、テメエとあいつがどういう仲だろうがキョーミねえんだよ」
「ばっ……! か、カン違いしてるのはそっちだ!」
「お前ら気ぃ合うなー」
後ろ手に突き込んだ弓がソルのみぞおちを打った。
ソルが体を折って咳き込み、ウィザがハーニャに弓矢を突き出す。
「日が沈んだら香を焚く。一緒に来い」
「駄目だ」
「……そうかよ」
ウィザは目をすがめて弓矢を引こうとした。
その先端がぐ、と掴まれる。
「エアルが変身するのは月が昇りきってからだ。あいつを森に入れ次第、合流する」
ハーニャが強い眼差しで顔を上げた。
濃い草の匂いが夜の森を通り過ぎ、薄い雲から月が顔を出す。
生暖かい風がソルの頬を撫で、ウィザのローブを僅かに揺らした。辺りに二人以外の姿はない。
拡散した明かりに照らされた森は、生き物の気配を断たれたように静まり返っている。
「来ねーな」
「……ああ」
時刻は深夜、夜明けの三時間前といったところか。
ソルは腰の物入れに意識をやった。薬草を使いきった物入れはひどく軽い。
山を探せば五、六枚は見つかるだろうが、薬湯を煎じるには到底足りないだろう。
「始めるか」
ソルは頷いた。
ウィザがマッチを擦り、その火を反魂香の束に移す。腕を一振りして香の火を消すと、帯のような紫煙が立ち込めた。
夜の闇そのものがうごめくような気配とともに、足元の地面が盛り上がる。
『ケカカカカカッ………』
『グキャキャキャ……!』
二十数体の魔物の群れが地面を押し上げて現れた。植物、人型、獣型、さまざまな種類の魔物が光のない目でソルとウィザを見る。
「残すのは狼だけだな」
「ああ――来るぜ!」
ソルとウィザは二方向に跳んだ。
閃いた長剣が猿に似た魔物を叩き斬る。振り上げかけた右腕から胴を両断され、かりそめの肉体は再び土に還った。
ウィザの持つ香の煙を追うように、次々と地面から魔物が顔を出す。
「貫け!」
圧縮した衝撃波が直線に並んだ魔物を打ち抜いた。
方向を変えたウィザの死角に回り込むように、蛇の魔物があぎとを開く!
―――――ずばだんっっ!!
脳天から顎を縫い付けるようにして、鉄の矢が魔物を貫いた。
ハーニャが頭上の枝から飛び降り、ソルとウィザの間へ着地して次の矢をつがえる。
「すまん、遅くなった!」
「カノジョは?」
「近くだ! 足止めの罠は置いてあるが、10分後に一度抜けるぞ!」
ソルは低く口笛を吹いた。
続けざまに周囲の魔物を射抜き、ハーニャが首を横に振る。
ソルたちは香の煙を引きずるように移動した。現れた魔物を確認しては一掃し、また森の奥へ走る。そんなことを何度繰り返しただろう。
目の前の一体を両断した直後、ソルは背後で短い咆哮を聞いた。
「ッ!」
とっさにひねった肩を跳び越え、濃いグレーの影がソルの横を通り過ぎていく。
「ソル!」
「貴様は……っ!」
ハーニャの声に激情が滲んだ。
足元の草を踏み荒らし、仔牛ほどの狼が唸りを上げる。二の腕程度なら貫通しそうな鋭利な牙は絶え間なく滴るよだれで濡れていた。
ソルは居合の態勢で上体をかがめ、ハーニャと狼の間へ割り込んだ。
さらにその後方から、ウィザが慎重に狙いをつける。
「こいつで間違いねえな?」
「忘れるものか……! よくもエアルを!」
ハーニャが矢立から銀の矢をつがえる。
それを視界の端で確認して、ソルは地面を蹴った。
『―――――グルルァァアア!!』
ノイズの混じった咆哮を上げ、狼がソルへと突進する。その跳躍が間合いに入った刹那、ソルは相手の右目を狙って剣を抜き放った。
刃が皮膚に触れた瞬間、狼が僅かに頭を振り、軌道が瞳孔のラインから逸れる。
「火炎よ!」
ソルのすぐ横を行き過ぎた火柱は、密集した枝にぶつかって周囲の木々へ燃え広がった。あくまで牽制の一撃だが、一かけらの本能が残っていたのか、狼がすくみあがるように動きを止める。
そこへハーニャが矢を放ち、返す刃が頭部を一閃する!
『ギャィィッ!』
「やったか!?」
「掠っただけだよ」
ソルは油断なく長剣を構え直した。
跳ね起きた狼の片耳が砂となって消え、ハーニャが矢立に手を伸ばすのが視界の端に見える。
再びの突進を打ち払い、ソルは足もとに目をやった。
「(銀の矢5本で10000R。今1本ミスったから、残りは4本か)」
地面に落ちた銀の矢じりは巻貝のように潰れていた。鉄や木を尖らせたものとは違い、拾って撃ちなおすには向かないだろう。
「それに、二回倒される気はねーみたいだしな!」
視線が外れたスキを逃さず、狼がソルに飛びかかる。体を捻ってかわそうとした刹那、前足の爪が上着にかかった。
距離を詰めてくる狼と場所を入れ替わるように片足を引き、弾みをつけて後方へ跳ぶ。
―――――ずばんっ!!
追いすがろうとした狼の背を2本目の銀の矢が掠めた。振り下ろした刃をかわし、狼が森の奥へと走る。
「追うぞ!」
「ウィザ!」
「吹き飛べ!!」
立て続けに放った衝撃波が木立を叩く。不可視のそれを難なく飛び越え、狼が下草の茂みへ姿を隠した。
風と木の葉ずれの音に紛れ、ソルの耳に別方向からの唸り声が届いた。
『―――――ッガァァァァッ!!』
「っうわ!?」
ソルの行く手を遮るように、白い塊が薄闇に翻った。
とっさにその場に転がったソルを振り返り、白い塊が地面を蹴ろうとする。
「エアル!」
「っこの!!」
ハーニャが叫ぶよりも早く、ウィザが横合いから塊のすねを払った。
『ギャィン!』
転ばされるまま横倒しに転んで、白い塊ーー白い狼が頭を振る。
「くそ、何が10分だよ」
ウィザが眉を歪めて指先を向ける。当てるわけにはいかないが、放っておけば元凶を仕留めるどころではない。
ソルは起き上がって狼の消えた方向を見た。
その間も反魂香の煙に惹かれ、次々と蘇った魔物がソルたちを囲む。
「ウィザ、こいつら頼む」
「……なら任せるぜ」
「ん」
ハーニャがソルとウィザを交互に見た。
ソルが森の奥を示し、ウィザが息を吸い直す。
「吹き飛べ!」
扇状の衝撃波が包囲を突き崩した。次の群れが復活するまでの数秒、無人になった地面の上をソルとハーニャが走り抜ける。
後方で何度かの爆発音がした。
「あと3本だよな」
「あ、ああ」
ソルは闇の中へ目をこらした。
夜風にそよぐ木の枝の下で、下草の茂みが不自然に揺れる。
「そこか!」
地面を蹴ったソルを追い抜き、ハーニャの矢が茂みを射抜く。
ばぢんっ! と跳ね上がったネズミ捕りが狼の前足を捕えた。
「トラップか」
「この森はオレの狩場だ。仕掛けの場所は全て頭に入っている!」
続けざまに放たれた矢を転がるようにかわし、狼が足を抜こうともがく。
「このっ!」
ソルが長剣を振り抜くより早く、罠を結わえていたロープが引きちぎれた。前足をネズミ捕りに挟まれたまま、狼が森の奥へ逃げていく。
「戦士、右に跳べ!」
跳躍したソルの真横を時間差をつけた矢の群れがすり抜けていく。
それらをかわした狼の足元から、狩猟用の網が浮き上がる!
「これで動けまい!」
ハーニャが3本目の銀の矢を放った。矢は網の目を抜け、宙に吊し上げられた狼へ向かう。
―――――ざらっ……!!
しかし、その矢が届くよりも早く、狼の体は砂となって崩れ落ちた。網の下に溜まった砂の塊は再び狼の形を取り、泡を飛ばしてハーニャに襲いかかる。
「このっ!」
ソルは長剣の背で横殴りに狼を打ち飛ばした。
ハーニャが呻く。
「そうか……煙が溜まるのは地面の近くだけ……跳ね網の高さと勢いが一時的に反魂香の効果をかき消してしまうのか…!」
「他に仕掛けは」
「500mごとにボウガンがある」
ソルは頷いた。
薙ぐように振られた長剣をかわし、狼が再び飛びのく。
その瞬間を狙い、ハーニャが矢を射った。
――――ばぢんっ!
放たれた鉄の矢は枝に張り巡らされたロープを居抜き、樹上のボウガンを作動させる。
バネの勢いで発射された矢に足を射ぬかれ、狼が体勢を崩す。
と同時に、一閃が前足を切り飛ばした!
『ギャィイイッ!!』
「よくやった!」
ハーニャが4本目の銀の矢をつがえ、ソルが軌道から体を引く。
障害物のなくなった直線に狼の目がぎらりと光った。
『――――――ルグォォォォォォッ!!』
やけくそに近い咆哮を上げ、狼が後足で地面を蹴る。
とっさに突き込んだ長剣は前足のあった空間を行きすぎ、狙いの狂った銀の矢が背後の闇に吸い込まれていった。
「……ッ!」
ソルが体勢を変え、刃を返して狼へ斬りつける。しかし、その数秒のうちに、狼は牙をむきだしにしてハーニャへと 飛びかかっていた。
滴ったよだれが肩当てに落ちる。
が、ハーニャは動かない。
あと数秒で腕へ食い込む牙を無視して、引き絞った矢の先端を狼へ向ける。
最後の銀の矢が心臓への軌道を捉えた。
『…………ォォォオッ!!』
「はじけろ!!」
彼方からの咆哮を追うように爆炎が上がった。
脇の茂みから白い塊が飛び出し、軌道上にいたハーニャを突き飛ばす。
「あ……っ!?」
ハーニャの体が大きく傾き、最後の銀の矢が空中に逸れた。と同時に狼も宙を噛む。
白い狼はハーニャを押し倒し、金属と牙がぶつかる鈍い音が響く。
『ガルルルッ!!』
「ぐぅっ!」
「やめろエアル! てめえの幼なじみだろうが!」
もつれあって転ぶ音にハーニャの苦悶の声、ウィザの怒声が重なる。
「…………ッ!」
ソルはかかとで半円を描くように体を捻った。
樹上のボウガンに繋がるロープを視界にとらえ、長剣を投げる勢いでそれを断ち切る。
――――ばぢんっ!!
射出された鉄の矢と銀の矢じり、狼の体が一直線に並んだ。
硬度の低い銀は鉄の矢の表面に被さるように変形し、狼の心臓を背中から打ち抜く!!
『ギ…………ッィィイ……ッ!』
甲高い遠吠えを残し、狼の体が吹き消えるように消滅する。それと同時に白い狼の体が輝き、収束した光が人間の形を取った。
「エアル!」
華奢な体を抱き止め、ハーニャが背中から地面に倒れた。
わだかまる反魂香の煙に誘われ、新たな魔物の屍が起き上がる。
「ウィザ!」
「はじけろ!」
吹き荒れた爆風は一帯に溜まる煙を吹き飛ばした。地面から顔を出そうとしていた魔物たちが動きを止め、音もなく土に還っていく。
ウィザが大きく息をつき、燃え残った香を叩いて消した。
「おつかれ」
「てめーもな」
かわした視線が同じ速度でほどける。
ソルは長剣を納めてハーニャを見やった。
「よ、色男。着替えとか用意してねーの?」
「う……うるさい、見るな」
平和そうに眠るエアルに上着をかぶせ、ハーニャが真っ赤になった顔を逸らした。
『薬湯の効能は、それを煎じたときの臭いに比例する』
レシピ片手に鍋を睨むウィザの背を見ながら、ソルはそんな俗説を思い出していた。ただ、そういった皮肉というのは意外と的を得ているものだ。
「ごめんね、一週間も足止めさせて」
「もう起きられんのか?」
「おかげさまでね。朝ごはんおごるよ、ウィザは?」
「まだ寝てんじゃねえ?」
高く上った朝日に照らされ、食堂は徐々に活気を増しつつあった。食事を終えた客と今起きてきた客、その間を行き来する店員の声で賑わっている。
森での騒動が明けて一日。
五回に分けて大鍋の薬湯を流し込まれたイストはすっかりもとの顔色を取り戻していた。
入れ替わりに疲れを見せたウィザは鍋底の一杯をあおり、『寝る』と言い残してシーツに埋もれている。
「チェックアウトの時間が来ちゃうね……見てくるよ」
「よろしく」
ソルはベーコンエッグを咀嚼した。ふと思い出して口の中のものを飲み込む。
「気をつけてな」
「ウィザ、起きてるかい?」
イストはそっとドアを押し開けて部屋を見渡した。
思いがけず慣れ親しんだ宿の大部屋である。病人特有の湿気がこもっていないのは彼らがまめに換気をしてくれたからだろう。
一週間見続けた天井と壁を新鮮な角度で眺めつつ奥へ向かう。
自分が寝ていたベッドと、ソファがわりにされていたらしい隣のベッド。そしてその横で、ツインタイプのベッドを横断するように上掛けの山が丸まっていた。
「ウィザ、昨日はありがとう。もうすぐチェックアウトだよ」
布の奥から言葉にならない呻き声が上がる。
イストは苦笑した。
「なんだろうね、弟がいたらこんな感じなのかな……ほら起きなよ、朝ごはん食べよう?」
軽く背中を叩き、顔を覆う上掛けを巻き取るように剥ぐ。
差し込んだ日射しに眉をしかめ、ウィザが薄く目を開いた。
「おはよう、いい朝だね」
と笑うイストを視界にとらえ、おもむろに口を開く。
「……はじけろ……」
「えっ」
沸き起こった爆発が窓ガラスと天井を消し飛ばした。
「ひどい! ひどいよ!! 寝起きに爆破呪文って!!」
「俺も昔言ったわー」
「知ってて起こしに行かせたのかい!?」
「気をつけてって言っただろ」
「いつ!?」
「モーニングをお待ちのお客さまー」
ウィザがトレイを受け取り、伝票を置いた店員が機械的に去る。
一旦はまばらになった客足も次のピークに向かって数を増しつつあった。
「一人前890Rか」
「うまいのに安いよな」
「修理代70000Rって書いてあるんだけど!?」
ウィザが自分の財布に手をかける。それをイストが軽く制した。
「今日はオレがおごるよ」
「70000Rを?」
「朝ごはんだよ、知ってるだろ」
「あ゛ぁ?」
「ソルに聞いたよ、南の森で大変だったって……」
店内の話し声は徐々に重なりあい、店員が忙しなくテーブルを行き来する。
どこからか昨日の薬湯の匂いがした――のは気のせいだろう。
目の前のやり取りを眺めつつ、ソルはこれからの予定を組み立てていた。
70000Rは安いとは言えないが、賞金つきの魔物を二、三体仕留めれば釣りがくる額だ。派遣所への登録は先日で済んでいる。
病み上がりのイストを引っ張って港へ急ぐより、もう数日留まって路銀を確保するのも手だろう。
「(そう言や久しぶりだな、そーゆーの)」
弾んだ指先が長剣の柄を叩いた。
end.
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