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よくある狼退治【2】

 折り重なる枝葉の影が次第に濃くなり、日没と共に闇に溶ける。  ソルの頬を生ぬるい風が撫でた。  人間二人がしゃがんで潜めるほど伸びた下草を揺らし、森の奥へと吹きすぎていく。 「アレ、昨日渡した薬草と同じのじゃねえ?」  ウィザがぐっと息を詰めた。 「イストが聞いたら面倒くせぇと思ったんだよ。勘違いすんな」 「お前のそれも安定だよな……」  薬草を差し出したエアルの手には相当な数の擦り傷やひっかき傷があった。一つひとつは大したケガではなかったが、治るはしから次の傷を作っているのだろう。  何度目かの風で流れてきた雲が月を隠す。  がさり、と、遠くで草の擦れる音がした。 「来たぜ」 「分かってるよ」  ソルは長剣に手をかけた。  途切れ途切れに聞こえる茂みの音が徐々に近づいてくる。  ウウウ、と微かな獣の唸り声が耳に届いた。  片膝を立てて身を沈めるソルの後ろで、ウィザが静かに呼吸を整える。  月にかかっていた雲がゆっくりと剥がれた。  ソルは月明かりを待たずに一閃した。  刈り取られた下草が八方に散るが、気配の主は寸前で方向を変え、横からソルへ飛びかかる。 「吹き飛べ!」  放射状に広がった衝撃波が小ぶりな影を宙へ突き上げた。  地面へ転がった体を月明かりが照らす。 『ウウゥゥウ……!』  銀色の毛並みをした狼が二人を睨んだ。ダメージを感じさせない俊敏な動きで跳ね起き、きびすを返して森の奥へ走っていく。 「追うぜ!」  ソルは地面を蹴り、跳躍の勢いで長剣を振り抜いた。切っ先が毛皮を掠めるが、その下の肉には至らない。  ふと、昼のエアルの言葉が頭をよぎる。 「(グレーの毛って言ってたか?)」  がざっ、と音を残し、狼の姿が茂みの中に消える。  同じく茂みに飛び込みかけて、ソルはその手前で足を止めた。  微かな葉擦れの音は遠ざかることなく、円を描くようにソルの死角へ回り込もうとしている。  肉食の獣特有の能力とでも言うべきか、徐々にその音も薄れ、闇の中の殺気だけが鋭さを増していく。 「――――っそこか!」  ソルは振り向きざまに長剣を一閃した。  ギャンッと短い悲鳴が上がり、柄に鈍い衝撃が伝わる。 「はじけろ!」  爆発が付近の下草を木々ごと消し飛ばした。再び茂みへ逃げ込もうとした狼がたたらを踏む。  ソルはその胴体めがけ、まっすぐに長剣を降り下ろした。 ――――――――っかかかかッ!!  いずこからか飛んできた矢の群れが長剣の軌道を遮った。  狼は跳ねるように森の奥へと逃げ、追い付いてきたウィザが木の上を降りあおぐ。 「てめえ、昼間の……!」  弓を手にした若者が木から飛び降りた。ウィザの方を一瞥もせず、狼の逃げた方へと走る。  確かハーニャと呼ばれていたか。  ソルは地面を蹴った。幹を蹴って加速をつけ、反射を繰り返すようにしてハーニャの横へ着地する。 「仕留めてーんなら手伝うぜ」 「……ちっ!」  ハーニャが舌打ちと共に大きく身を捻った。  一瞬そちらに気をとられたソルの足元で細いヒモが切れる。 「なッ!?」  強い力でブーツごと足首を掴まれ、そのまま景色が逆さになる。  ソルはすぐさま長剣を振り、片足を捕らえる縄を切った。 「獣狩り用のトラップかよ……!」 「貫け!」  呪文の声はすぐ後ろで聞こえた。  ローブに絡まる網を引き剥がし、ウィザが指を鳴らして唸る。 「……ッの、野郎……!!」  ソルは無言で長剣を納め直した。  闇の向こうに動く影は二つ。  手前で忙しなく動くのはハーニャだろう。  指に挟むようにつがえた複数の矢を、僅かに方向をずらして放っている。素人には真似のできない連射の技術だが、狼に当たっている様子はない。  おそらく、一対一で挑んでも大抵の攻撃はかわされてしまうだろう。  それぞれに闇の向こうを見据えたまま、ソルとウィザの呼吸が重なった。 「吹き飛べ!」  地面を蹴ったソルに数秒の間をあけ、ウィザが衝撃波を放った。扇状に広がったそれは木々を叩き、多少勢いを削がれながらも標的へと向かう。  ソルはその余波に背を押されるようにハーニャを追い抜き、空中で長剣を鞘から抜いた。  狼が慌てて向きを変えようとするが、コンマ数秒後には衝撃波の本波がやってくる。  ソルは落下と共に長剣を振り下ろした。 「やめろ! そいつに手を出すな!!」  絶叫に近い声量が響き渡った。  ウィザが肩を跳ねさせ、ソルの長剣の軌道がぶれる。   ハーニャは刃の下をくぐって狼の前足を掴み、抱き込むようにして前方へ身を投げ出した。 「なっ!?」 「―――ッぐぅっ!」  直後、押し寄せた衝撃波に打ちのめされて、ハーニャは狼もろとも地面に転がった。 『ガァァァァァッ!!』  興奮した声を上げて、狼がハーニャの喉笛に噛みつこうとする。  ソルは長剣の鞘を引き抜くと、狼の眼前に割り込ませた。  ――――がぎんっ!!  鉄製の鞘に牙を立てて、狼が興奮した唸り声を上げる。大きく首を振るたびに涎が地面に滴った。 「そ……そのまま、押さえていろ…!」  ハーニャが細い針を取り出し、這いずるように狼の足に刺す。狼はしばらく鞘を噛みながら唸っていたが、やがて力尽きるように地面にうずくまった。 「……キカラシウリの根から取った麻酔薬だ。これでしばらくは大人しくなる……」 「大人しくなる、じゃねえだろ! 呪文のど真ん中に飛び込みやがって、どういうつもりだ!?」 「! ウィザ」  ソルはウィザの肩を叩いた。  横たわる狼の毛皮が霧のように薄れ、肉球のある前足が五本の指へ分かれてゆく。素肌に細かな擦り傷を作って、エアルが深い寝息を立てていた。 「まさか、魔物憑きか……!?」  ハーニャが無言で頷く。ソルはウィザを見た。 「魔物憑き?」 「傷口から魔力を流し込んで、相手の精神を乗っ取ったり、同族に変化させたりする呪いだよ。そうすることで、自分が死んでも種全体の数は保たれるってことらしいが……クソ、吸血鬼の持ち芸だぞ…!」 「オレも最初は信じられなかった」  ハーニャが呻くような声を出した。 「ひと月前にこいつが襲われたときは、噛まれてたなんて思いもしなかった。すぐに駆け付けたはずだったし、ケガも軽症だったからな……」  ――――だがその数日後、ハーニャは夜の村をふらふらと歩くエアルを見かけた。寝ぼけているのだろうと腕を掴んだ直後、雲の間から月光が差した。 「体を掴んでいたから、その時はとっさに押さえこむことができた。だが月が上ったら最後、こいつは顔見知りの区別もつかなくなるんだ。人を襲わせないためには、森に居させるしかないんだよ!」  ソルは先ほど引っかかった罠の方向を振り返った。 「イストなら解けるんじゃねーか?」 「あんなのでも神官だからな。……っつーか、解除自体は大して難しくねえんだよ」 「へえ」  ウィザが持ち物からストールを広げる。 「本体の魔物を見つけて、銀製の武器で心臓を貫けばいい。今から探して――――」 「無理なんだよ!!」  ハーニャが叫んだ。 「もう本体はいないんだ。ひと月前、最初にエアルが襲われたときに―――オレが仕留めた!」 「なっ……!」  愕然とするウィザの前で、ハーニャが地面を握りしめる。 「エアルは何も知らない。オレの命に代えても、こいつに人は襲わせない……だからもう、村から出て行ってくれ! オレ達に構わないでくれ!!」  いつの間にやら東の空が白み始めていた。仄かな朝日の差し込む森の中に、エアルの寝息だけが聞こえる。  ソルはちらりとウィザを見やると、森の外に足を向けた。 「イスト」  返事はない。カーテン越しの日差しに照らされた宿の部屋で、ベッドの毛布がごくゆっくりと上下していた。  ソルはその横を通り過ぎて窓を開けた。吹き込んできた風が髪を撫で、先ほどの村長との会話が頭をよぎる。 『おお! いかがでしたか、魔物は!』 『あー…っと』 『逃げられた。っつっても、それなりの傷は負わせてあるから、今日は間違っても誰かを森に入れるんじゃねえぞ』  ウィザがベッドへ近づき、イストの額に手の甲を当てた。 「熱いな……ソル、水差し」 「ん」  ソルはテーブルに置かれたままのガーゼをよけた。  イストの頬や腕にある火傷は、道中の魔物との戦闘でできたものだ。傷自体はさほどでもないが、体のあちこちが痛むという状況は思いの外に気力を消耗する。  ケガに慣れていない人間ならなおさらだ。  唇を濡らす程度の水を落とすと、イストがうっすらと目を開ける。 「…う……プリス……? プリスは……?」 「妹に面倒かけんじゃねえよ」  ウィザが苦笑とともに額の髪を払った。 「疲れっつったか。精神的なもんもあるかもな」 「そうだな」  ソルは手近な椅子を引き寄せた。  少し前、ある魔物の手により壊滅に追い込まれた街がある。聖都と呼ばれたその街は多くの神官や僧侶を育成しており、イストもそこで修行する者の一人だった。 「聖都から遠出したことねえって言ってたし。フツーの魔物に襲われたんならともかく、あの景色はキツ…………」  ソルは口を閉じた。  屍に特殊な呪文を施してしもべとする、ネクロマンシーという呪術がある。学術的に解明された『呪文』とは違い、『呪術』は効果の怪しい迷信であることが多い。  だが、ソルとウィザは、ある魔物がこの呪術を成功させるのを見たことがあった。  脳裏に浮かんだ閃きが口をつく。 「倒しちまった魔物を蘇らせれば……なんとかなるんじゃねーか……?」 「珍しいな」  ソルははっとウィザを見た。 「……ま、ほっといてもいーんだけどな」 「どっちをだ?」 「どっちも? になんのか」  ソルは苦笑いを洩らして立ち上がった。  宿を出て大通りを行き、いくつかの路地を通り抜ける。 「ウィザ、一応聞くけど呪術は」 「できるか」 「だよな」  ソルとウィザは商店街の隅に位置する建物の前で足を止めた。あと数ブロックも進めば住宅街に入るだろうか。  壁には修繕の跡があり、いくつかの石灰レンガが薄くくすんでいる。  玄関右手の石看板には『傭兵派遣所』と刻まれていた。 「呪いたい相手でもいるの?」 「違ェよ」  カウンター向こうの女性が肩をすくめる。  ソルはウィザの後ろから身を乗り出した。 「呪術師が登録してるかだけでも教えてくんねえ? 説明してもいいけど、詳しい奴がいねーとややこしいと思うぜ」 「待ってて」  係の女性が席を立つ。  ソルとウィザは椅子に座り直し、カウンターの向こうに積み上げられていくファイルを眺めた。  傭兵派遣所――地域住民から依頼を集め、旅人へと仲介する施設である。  商人の組合である『ギルド』と混同されがちだが、こちらはれっきとした公的組織だ。  利用には所定の登録料が必要だが、負傷に備えた保険や装備の貸し出しなども行われており、まとまった路銀を稼ぎたい時に籍を置く旅人も多い。  女性が最後のファイルを閉じた。 「うちには登録してないわ。おおっぴらにする職業でもないし、裏路地で聞いたほうが早いんじゃない?」 「どーも」  ソルはサインを終えた書類を差し出した。 「銀の武器のレンタルね。聖職者がいれば二割引だけど」 「そいつが寝込んでんだよ」 「お気の毒」  女性が奥の壁を示した。小振りな銀の銃が金具で固定されている。 「どっちか撃ったことある?」  ソルはウィザは顔を見合わせた。女性が苦笑する。 「試すのは自由だけど……弾丸一発9000Rよ」 「うぐっ」 「剣とかねーの?」 「銀の武器は基本的にヤワなのよ。主流なのは杖とか、ペンダントとか……」 「弓矢とか?」  ソルは女性の視線の先を見た。  繊細な彫刻の施された弓と矢が窓からの光を返している。 「え、でもあなたたち、戦士と魔導師でしょ?」 「ウィザ、サイン頼むな」  ソルは代金と登録料を合わせてテーブルに置いた。  派遣所の玄関を出ると、傾き始めた午後の日差しが目に刺さった。  ごつ、と、ソルの背中に反りのある感触が当たる。 「荷物持ちさせてんじゃねえよ」 「お前持ってて」 「あ゛ぁ?」  ソルとウィザは互いを見たまま歩みを止めた。玄関を通る旅人たちが眉を寄せて脇を通り抜けていく。  ソルとウィザは同時に廊下の奥を見た。 「男」 「女」  手前のドアが開き、書類を抱えた男性職員が顔を出す。  ウィザが舌打ちと共に弓を引いた。 「酒場はテメエが探せ」 「いーぜ」  薄暗い立地の店を何件か回ったが、呪術師の噂は出ない。  いくつめかに入った古道具屋の店主が髭のない顎を撫でた。 「ネクロマンシーを使える呪術師の心当たりねえ……ならハンゴンコウなんてどうだい」 「ハン……なんだ?」  ウィザの質問には答えないまま、店主がカウンターの下へもぐる。  ソルは立ち込めた埃を払った。 「何年か前に東の大陸から仕入れたんだけどね。死人が蘇るとかなんとか、うさんくさいシロモノなんだよ」  細い木の箱がカウンターに置かれた。  中には棒状の香木が入っており、筆文字で商品名が書かれている。―――『反魂香』 「説明書きもついてるんだけど、向こうの言葉で書かれててなにがなにやら……」 「見して」 「読めんのか?」 「ちょっとは」  ソルは説明書きに目を通した。  香木の先端に火をつけ、煙を焚きこめることで効果が現れるらしい。使用の際は煙が洩れないようにし、必ずふすまを閉めておくこと――――ふすま? 「コレ部屋ん中で使うみたいだぜ」 「あ゛ぁ?」 「煙が立ち込めた範囲全体で効果が出るから、なるべく他のヤツがいねーところで、用が済んだらさっさと換気して薄くしろ、みてーな」  ウィザが長いため息を洩らす。 「いいぜ、ないよりマシだろ」 「58000Rね」 「あ゛ぁ!? てめえ、ケタごまかしてんじゃねェぞ!!」  箱をさっと小脇に抱え、店主がわざとらしく口笛を吹く。 「まぁーー無理に買えとは言わないけどねぇ? 説明書きの内容も分かったし、ボクは明日にでも別の客に売ればいいんだから~~」 「あ……ッしもと見やがって……!」  曲げた指をぐっと握って、ウィザがソルを指差す。 「55000Rだ。こいつが読めたから売れるんだ、それくらい安ぇだろ」 「ん……まあ、そのくらいは」 「ソル。……っくそ、4万貸せ」 「2万でいーぜ」  ソルは財布から紙幣を抜き、物入れから大判の札入れを出した。  個人の手持ちとは別に、弁償や入院費など、パーティー全体で起こる出費に備えたものである。  紙幣の束と引き換えに反魂香を掴み、ソルとウィザは再び南の村へ向かった。

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