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よくある狼退治【1】
宿の夜は静かだった。
小型ランプの仄かな灯りが部屋の隅を照らし、壁に不格好な影絵を作る。
緩慢に伸びた指先が宙を一撫でした。
絞り出すような吐息が空気に混じる。
「ぅう……ん、ぅぅうーーん………美しいお嬢さん、お名前は……?」
「何回同じ寝言言ってんだ」
ウィザがイストの額を弾いた。
金髪を乱した青年が仰向けにベッドに倒れる。枕元には神官の証明である銀のロザリオがひっかかっていた。
「寝たか?」
「いや、うなされてるぜ」
ソルは水に浸したタオルを絞り、逆さまにイストの顔をのぞきこんだ。
時期外れの毛布を借りたばかりだが、氷も買ってきた方がいいだろう。
はしっ、と、額に置いた手が掴まれる。
「これまた素敵なお嬢さん……あちらでお茶をぅ……」
「やべぇな」
「ああ、医者呼ぼうぜ」
平和だった世界に魔王が現れ、魔物が闊歩するようになって十数年。
『魔王を倒したものには望みの褒美を与える』
そんな王家からの通達を受け、多くの者が旅に出た。そしてソルとウィザも、それぞれの目的のために同行している。
かつて聖都と呼ばれた街の神官、イストを旅仲間に加え、一路、この先の港を目指す予定だったのだが――――
「疲れでしょうな」
初老の医者が聴診器を外した。
すでに月の高い時刻であるにも関わらず、手際よく脈を計り、カルテにペンを走らせる。
「どなたか、薬湯の調合ができる方は?」
ウィザが片手を上げた。
「レシピを書きますので、栄養材がわりに飲ませてあげてください」
「どうも」
「お大事に」
ソルは宿の外まで医者を見送った。
ウィザがレシピ片手に自分の荷物を探る。
「ソル、薬草何枚持ってる?」
「こないだから買い足してねーからなあ……」
ソルは物入れを開けた。
床に並べた二人分の薬草を見て、ウィザが厳しい顔をする。
「全部使ってぎりぎり一回分か。……イスト」
返事はなかった。医者の打った睡眠薬が効いたのだろう。
ソルは部屋の隅のナップサックを指した。
「開けるか?」
「…………女の手紙がごっそり出てきそうでイヤだな」
「ふはっ」
ソルは短く笑って薬草を放った。ウィザが自分の荷物から鍋を出す。
「手間賃二割増しで許してやるか」
「―――さあさあ、新鮮な果物はいかが?」
「今朝取れたばっかりの魚だよ!」
市場の左右から呼び声がかかる。
ソルはあくびを噛み殺した。
日が昇って間もない朝市だ。にもかかわらず人の動きは忙しない。
カゴを担いだ数人がソルのわきを通り過ぎ、競りで手に入れた魚を手際よく店先に並べていく。
「道具屋、道具屋……っと」
市場を通りすぎて少し行くと、実店舗の並ぶ通りに繋がる。
メジャーなアイテムや日用品を扱う店がほとんどだが、路地の奥には専門店らしき店構えも見えた。呪術用品の類いか、看板代わりに奇妙な生き物の標本が吊るされている。
ともあれ、今日の目当てはそちらではない。
ソルは道具屋の店先をくぐった。
「いらっしゃい! 何をお求めだい?」
恰幅のいい女主人が身を乗り出した。
旅人の相手に慣れているのか、ソルの注文を先読みするように商品をカウンターに積み上げていく。
「あとは魔力薬と、薬草を3ダースな」
女主人が手を止めた。
「悪いねぇ。今、薬草は切らしてるんだよ」
ソルは目を瞬かせた。
向かいの露店を振り返ると、そちらの主人も苦笑とともに首を横に振る。
「最近急に入荷できる量が減っちまってね。南西の村が仕入れ先だから、行けば詳しい事情が聞けるかもしれないけど」
レシートを裏返し、女主人が簡単な地図を描く。
ソルは釣りと商品を受け取って宿屋に戻った。
ベッドに寝ているイストの横で、ウィザがランタンを使って薬湯を煎じている。出がけにも見た光景だが、換気をしたのだろう。部屋の空気は新鮮だった。
「薬草がない?」
「ああ、この辺は全部同じとこから仕入れてたから、どこも品切れだって」
「まいったな……流し込むか」
ウィザが鍋の中身をコップに注いだ。濃い草の香りに混じり、うっすらと焦げ臭い匂いが漂ってくる。
「イスト、ほら起きろ、薬」
「うぅ~~~……ん……」
投げ出された指先が数回曲がった。ウィザがベッドに乗り上げ、ソルがイストを羽交い絞めに抱き起こす。
「……待ってよ……それ、さっき吹きこぼれてたやつ」
「ソル、口開かせろ」
「ばっちこーい」
「もがががが」
気絶――――ではなく、再び寝息を立て始めたイストを宿に残し、ソルとウィザは薬草の仕入れ先だという村へ向かった。
道具屋の主人に教えられた道のりを南に下ると、徐々に景色に緑が混じり始めた。
ぽつぽつと生えていた木々は少しずつ密度を増し、やがて視界を埋め尽くすほどの巨大な森に変わる。
その緑の塊を背にして、柵に囲まれた小さな村があった。
「ごめんくださーい、っと」
―――――――ひしゅんっ!
背後から飛んできた何かが、ソルの服を掠めて地面に刺さった。振り返る数秒未満を細切れにするように風切り音が鳴る。
ソルは腰の長剣を引き上げた。胴を狙う気配の一つを鉄製の鞘で弾き、斜めに引き抜いた刃で肩と頬への軌道を断つ。
数本の矢がぱらぱらと地面に落ちた。
ウィザが目つきをきつくして矢の出どころを振り向く。
「貴様ら、何をしに来た」
「あ゛あ?」
木々の向こうから現れたのは、弓矢を手にした17歳ほどの若者だった。灰色がかった黒髪を短く切り、利き手の逆の腕には皮の肩当を着けている。髪と同じ色の三白眼がソルとウィザを睨んだ。
「見たことのない顔だ。用を言え。森を荒らすつもりならば、撃つ」
「言う前に撃ってきた野郎がずいぶんじゃねえか。てめえこそなんなんだ?」
「…………」
若者が一層表情を険しくする。
「ハーニャ、どうしたのー?」
村の奥から能天気な声がした。
若者がぎくりと肩を跳ねさせる。
見れば、長い銀髪の少女が、もたもたとこちらへ走ってくるところだった。
「あっ」
泥だまりに足を滑らせ、少女が綺麗にそっくり返る。
「エアル!」
それが名前なのだろう。
ハーニャと呼ばれた若者はソルたちの脇を抜け、少女の元へ駆け寄った。
髪に泥の塊をつけたまま、エアルというらしい少女が笑う。
「あ、旅人さんだ。えっと、こんにちはー。うちの村にご用ですかー?」
ソルたちとエアルを一度ずつ見比べ、ハーニャが舌打ちとともにきびすを返す。
「あ……ハーニャ」
返事はない。
エアルは眉を下げたままソルたちを振り返った。その視線が地面の矢にとまる。
「……えっと。ごめんなさい。ケガしてませんかー?」
「そっちに比べりゃ平気だよ」
「えへへー」
エアルは苦笑してワンピースの泥をを払った。
「ハーニャ、最近ずっと難しい顔しててー……あちこちケガしてるのに手当てもいらないってー、森にこもりっきりなんです」
「森に?」
「はいー。キジとかイタチとかー、獲るの上手なんですよー」
ソルとウィザの視線が交差した。エアルはにこにこと笑っている。
ウィザが咳払いした。
「あ゛ー……っとな、薬草が欲しくて来たんだ。村長と話せるか?」
「こちらへどうぞー」
一歩先導した足が滑り、エアルは仰向けにすっ転んだ。
「薬草をお分けするわけにはまいりません」
背丈ほどに積まれた木箱の山を背にして、村長は険しい顔をした。
さほど広さのない作業小屋の一角である。表では二十人近い村人が薬草の小山をより分け、乾いた板の上に広げている。
「でもー、お友達がご病気だって……」
「エアル、これはわしらのものではないんだよ」
村長は深いため息をつくと、ソルたちに顔を向けた。
「ひと月前、裏の森に狂暴な魔物が現れましてな。薬草を採っていた者たちが何人か襲われ、そこのエアルも危ないところで逃げてきたのです」
ソルはちらりとエアルを見た。エアルは叱られた子供そのものにしゅんと肩を落としている。
「以来、森には入れず……少しばかりの在庫があるとはいえ、近くの町へ卸すだけで精一杯の量なのです」
「粘るわけじゃねえがな……丸三日寝込んでる奴がいるんだ。薬湯だけでも飲ませなきゃまずい」
「ふーむ……」
「あ、あの」
エアルがソルの上着を引っ張る。
「わたし、ちょっとなら持ってます。昨日ハーニャが採ってきてくれてー……」
「あンの悪たれめ、まだ森にいるのか!」
声を上げたのは村長だった。額に手をやり、薄い頭を掻く。
「命知らずな……! もし魔物に出くわしてみろ、ケガでは済まんぞ!」
「お、怒らないであげてくださいー……! ハーニャは多分、わたしがそそっかしいのを心配してくれたんだと思いますー……」
「どーゆーヤツなんだ?」
「えっと、小さい時はよく遊んでてー。わたしより森のことはずーっと詳しいんです」
「……じゃなくて」
「あ、魔物ですね」
エアルは口元を覆った。
「えっと、狼に似てました。濃いグレーの毛で、最初は野犬かと思ったんですけど、近くに来たら仔牛より大きくてー……」
「ただの狼なら、人より牛や馬を狙うだろうしな」
ウィザがため息をつく。
「わたし、怖くて気絶しちゃって、気づいたらハーニャがそばにいたんですけどー……あ、ありました」
エアルが一束の薬草を差し出す。
伸びかけたウィザの手が宙で止まった。
「……ダメだ。欲しい種類じゃねえ」
「え?」
ソルは横目でウィザを見た。
ウィザが村長に向き直る。
「ひと月前に出たっつったな。退治は頼んでねえのか?」
「依頼を受けるという連絡はあったのですが、一向にここへ来ないのですよ」
「途中で何かあったのかもな」
ソルは窓の外を見やった。
緑の森と、抜けるような青い空が広がっている。
ウィザがため息をついた。
「ソル。一晩付き合え」
「いーぜ」
村長が目を丸くしかける。エアルがきょとんと首をかしげる。
ウィザが親指で窓の外を指した。
「もののついでだ。退治してやんよ」
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