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1.手を食む

 弟の頬を最初に食べたのは四歳の頃。弟は一歳だった。  それまではベビーベッド越しに眺めているのがほとんどで、たまに、格子越しにふにふにの体をつんつんするくらいだった。この時はまだ、柔らかくて面白いとか思っていて、単なる好奇心で触っていた。  弟がハイハイ出来るようになると、触れ合う機会が増えた。つんつん、ぷにぷに。ちょっかいを出しつつ、たくさん弟を可愛がった。  話が変わるが、その当時、僕はプリンが大のお気に入りだった。口の中でとろける食感にもうやみつき。  しかし、甘いものばっかり食べていたら虫歯になる、ということで二週間に一回しか食べられなかった。  食べたいのに、食べられない。そんな仕打ちに四歳児が耐えられる訳もなく、僕はとうとう禁断症状に陥った。  その日も、泣けど喚けどプリンは現れなかった。拗ねつついつもの如く弟を遊びに行くと、白いほっぺたが目に入った。もちもち……ふわふわ……頭の中はそれで埋め尽くされ、気づいた時には弟の頬を食べていた。 「チュッ……んむ……」  唇に当たるのは、プリンとは程遠い温かくて柔らかい感触。はむっと揃いたての乳歯で噛んでも、返ってくるのはもちっとした弾力のみ。舌でちろちろ舐めても何の味もない。それなのにどうしてだろう。やめられなかった。  そのうち弟は泣き出して、何事かと母親がやって来た。きっと驚いたことだろう。息子が、涙を流す弟の頬を恍惚とした表情で口にしていたのだから。  すぐに弟から引っ剥がされ、人の痛がることはしてはいけない、と説教を受けた。  無心で齧り付いていたので、弟のそれには小さな歯型がつき、真っ赤になっていた。怒られたし、確かにちょっと痛そうだったので、次からはもっと優しく、跡が残らないようにすることにした。辞める気は微塵もなかった。  そんなこんなで、僕、和泉尚史は高校1年、弟の千景は中学1年になった。通っている学校は中高一貫で、僕と一緒の学校がいい! と千景が追いかけて来てくれた。僕は幸せ者だなあ……。  今日は始業式だ。一緒に登校するのは小学校以来なので、お兄ちゃんはとても楽しみです。  そして、あの日からずっと、僕は弟の頬を食べ続けている。変わったこともある。食べる範囲が増えたのだ。 「兄さんそろそろ起きなよー」 「ん……ち、か?」 「今日から学校だか……うわあッ」  起こしに来てくれた弟の腕を引いて胸に抱き寄せる。艶やかな黒髪が首に当たって少しくすぐったい。  しかし、千景は顔色を全く変えず、というか逆に面倒くさそうな表情になった。中学生は難しいね。 「ふああ、おはよ。きょうもちかは可愛いね。すうー」 「ふざけてないでさっさと起きる」 「つれないなあ。ハッ、もしかしてこれが反抗期ってやつ? 寂しいけど、成長の証だね。赤飯炊こうか」 「これ以上やるなら置いて行くから」  今朝も弟は手厳しかった。僕が中学に入ってから毎日起こしてくれていたのもあって、日々千景の目覚めさせスキルはアップしている。  潮時かな、と千景を腕から解放した。やだそんな目で見ないでお兄ちゃん悲しくなっちゃう。 「起きるから置いてかないでー。ねえ、手貸してよ」 「はあ。……ん」  渋々、といった様子で千景は右手を差し出した。何だかんだ言って甘いんだよなあ。そんなところも可愛い。  手を取るとぐいっと引っ張られたので、ベッドに腰掛けた。千景と自然に視線が絡む。  千景の目は、大きくて、丸くて、睫毛が長くて、見つめられるとその瞳に吸い込まれそうになる。  ああ、今日も我慢できそうにないや。 「ありがとう、ちか」 「次からはちゃんと自分で……んッ」  掴んでいた千景の手を両手で包み込む。優しく撫でながら甲に口づけると、ピクッと反応して可愛い。 「手冷たいね」 「顔、洗って、たから」 「そっかー。じゃあ、温めてあげるね」 「えっいや、あッ」  ガブッと歯を立てて、手の甲の骨の出っ張りを食べた。うん、今日も良い噛み心地。  角度を変えて何度も味わう。噛む度に、千景の綺麗な白い手が赤く染っていった。満たされる心と、少しの罪悪感。うーん、甘噛みだし許される、かな? 「ふ……チュッ……んうッ……おいひぃ」 「うッ……や、め……」  追い打ちをかけるよう、舌を凸凹した部分に這わせる。ゴツゴツとした感触に脳が痺れていく。  ああ、なんか、ぼーっとしてきた。  不意に上目遣いで千景を見る。端正な顔を微かに歪めていた。目も心做しか潤んでいる。  そんな顔されたら、もう止まれないよ。 「んッ……チュッ……ふふっ。もっと気持ちよくしてあげる」 「だめっ……あッ……」  唇をふにっと当てたまま千景の手を動かすと、ちょうど指先にキスする形となった。水音を立てながら、人差し指と中指を一気に根元まで咥え込む。細い指が口の奥の喉の方まで侵入したのを感じる。オエッと嘔吐(えず)くのでさえ快感になってきた。  涙が頬を伝ったのを感じながら、再び手を噛む。さっきとはまた別の食べ心地だ。成長途中の手のひらには程よい弾力があって、たまらない。  夢中で噛んでいると、根元の骨が上顎をゴリゴリッと撫でた。僕のビンカンなところに当たっている。 「うぐッ……んッ……ふあ゙ッ」  気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい!  それしか考えられなくなって。心の中が、じーんと満たされていく。  あッ……もう、イきそッ…… 「――――お、わりッ」  唐突に指が抜かれる。その勢いで、腰がビクッと跳ねた。  体がジンジンと痺れて、スウェットに染みが広がっていく。……後で洗わなきゃ。 「んッ……いきなり抜くなんてびっくりしたよ。でもまあ、お陰で、ね」 「……兄さんの変態」 「ええ? 途中からちかも気持ちよさそうだったけどなあ?」 「っ! ちがっ!」  千景は目を泳がせて、顔を紅潮させた。ふふっ、本当に可愛い。  口では否定しているものの、千景は内心この行為を楽しんでいる。本当だよ? 兄弟だからね、分かるんだ。 「もうっ! ニヤニヤすんな! 本当に置いて行くからっ」 「はいはい。すぐ用意するから待ってー」  千景がバタバタと部屋を出て行く。さてと、後片付けするかあ。  眼鏡をかけ、背伸びをする。新しい一日が始まった。  ――部屋から走り去って、リビングに着いた。  兄に噛まれた右手を見る。少し赤いが、じきに引いていくだろう。歯型はもう残っていない。 「もっと、強く噛まれたい」  だなんて。兄には言わないが、いつも思ってしまう。  いけない。そんなこと言ったら、歯止めが効かなくなる。まだ、その時ではないから。 「待っててね。愛してるよ、兄さん」  そう言って僕は手の甲に口づけをした。

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