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2.首を食む・前編

 朝のあれこれの後、急いで支度をして何とか電車に乗り込んだ。  電車に揺られること20分。駅から少し歩くと、僕達の通う宋鞠(そまり)学園に到着した。  ふと、隣を歩く千景を見る。来ている学ランは、僕が中学の時のものでお下がりだ。全体的にまだぶかぶかしている。萌え袖とか、天使かな。 「学ラン、似合ってるよ」 「ふふっ。ありがと、兄さん」  入学式の日に何度も重ねた言葉を、またかけた。全然言い足りてないからね。  そう言うと、千景は決まってはにかんでくれる。やっぱり天使だ。 「これから毎日ちかと登校出来るなんて幸せだなあ」 「うん。あ、兄さん。髪に桜付いてるよ」  千景は、少し背伸びをして桜を取ってくれた。前まであんなに小さかったのに。子供の成長って早いね。 「ありがとう」  お礼に千景の頭を撫でる。本当は僕が撫でたいだけだけど。今日も千景の髪はサラサラだ。僕はくせっ毛だから、ちょっと羨ましかったりする。  なでなでなでなで。うん、ずっと触ってられる。 「……兄さん」 「ん?」  声をかけられて目を向けると、千景が俯きがちに微笑んでいた。可愛い。 「もう、予鈴鳴ってる」  それを聞いて、初めてチャイムの音が耳に入ってきた。もうそんな時間か。 「うん。まあ、良いんじゃない? 遅れても」 「良くないよっ!?」  千景にピシャリと一喝され、手を引かれて校舎へ向かった。冗談だってー。  うちの学校は中学棟と高校棟が隣接していて、廊下で繋がっている。でも昇降口が違うので、千景とはここで一旦お別れだ。 「じゃあ兄さん、また帰りね」 「……寂しいなあ」  何とも離れ難い。飛び級して高一になってくれないかな。千景ならきっと出来るよ。  あと、変な虫がつきそうでお兄ちゃん心配。いや、つく。だって千景だし。  ここは男子校なので、男同士でもイケるやつが一定数存在している。え、僕? 僕は千景以外の人間に興味ないよ。  何か対策を……あ、そうだ。 「千景」 「何……うぶっ」  繋がれた手を引き、振り返った千景を腕の中に閉じ込める。今日はよく抱きしめる日だなあ。あ、いつもの事か。  腰を丸めて千景の左耳に口を寄せた。頭は腕と僕の頭でかっちり固定。逃げられないよ。 「ちか。誰にも、触れさせたら駄目だからね。僕と約束して?」 「ッ……う、ん」  吐息混じりに耳元に囁く。よし、良い子良い子。  ずっとこのままでいたいけど、そろそろ本鈴が鳴りそう。初日から遅刻して注目を浴びさせるのはちょっとね。さっきのは本当に冗談だよ?  時間もないし、最後に魔除けを。  そのまま唇を首筋に滑らせ、口づける。ここにしよ。ぢゅうッと思いっきり吸い付くと、首がビクッと揺れた。構わずガリッと前歯で齧り付く。柔らかいなあ。 「――んぃッ」  千景の雪のように白い首筋に、赤い花が咲いた。うん、暫く持ちそう。 「隠さないでね、ソレ。じゃ、また後で」  ぱっと離れて、千景に手を振る。行くか。とても名残惜しいけれど。 「……ぼくだって」  すぐに背を向けたから、僕を複雑な顔で見つめる千景には気づけなかった。  教室に入ると、みんなまだ席を立ってガヤガヤしていた。先生はまだ来ていない。セーフ。  僕は『和泉』なので、出席番号は結構早めの4番だ。  席に着いて、パッと教室を見渡す。高校になって外部生が入ったけれど、中学の頃と雰囲気はさほど変わらない。そんなもんか。  することもなくぼーっとしていたら、いつの間にか先生が来ていた。どうやら今から自己紹介タイムらしい。  自己紹介か。クラスメイトの名前を覚える気が全くないので、聞くだけ無駄な気もする。正直早く終わってほしい。  あ、もう僕の番? はあ。愛想笑いを浮かべてっと。 「和泉尚史です。三年B組でした。図書部に入ってます。一年間よろしくお願いします」  当たり障りのない、必要最低限のことだけ話した。ただし、本当によろしくするつもりはない。  ちなみに、今年は一年A組だ。千景は一年C組。中学は全部で三クラスあって、高校になると外部から来た人も含めて四クラスに増える。  再びぼーっとしていたら、HRはもう終わっていた。あとは帰るだけだ。僕のクラスが一番早いみたい。  一緒に帰るから、千景とは正門辺りで待ち合わせの予定だけれど。ただ待ってるだけってのも暇だし……教室、覗いちゃおうかな?  高校棟と中学棟の教室は両方二階にあり、千景はC組なのでこちらに最も近い教室だ。つまり、すぐに見に行ける。 「善は急げと言うし」  早速、廊下を渡った先で教室の中を伺うと、すぐに千景を発見した。窓側の後ろから二番目の席に座っている。姿勢が良くてかっこいい。  なんて思ってたら、見つけてしまった。千景の首に絆創膏が付いているのを。僕、隠さないでって言ったのになあ。  学ランの襟から絆創膏がはみ出しているのはなかなか眼福だけど、隠されたら意味がない。よし。後でもっと付けなくちゃ。隠しきれないくらい、ね。  密かにそんな決意をしていると、HRが終わって騒々しくなってきた。  おー、中学生男子Aが千景に話しかけている。千景は笑顔で対応。流石だね。でもなあ……愛想笑いは処世術だよって教えたのは僕だけど、他の人に笑いかけてるのを見るのって、なんか嫌だな。  という訳で、妨害することにした。ガラッと一気に引き戸を開けると、視線がこちらに集まる。僕は人好きのする笑みを浮かべ、千景に声をかけた。 「ちかー、やっほー」 「っ! 兄さん!?」  千景が目をまん丸にしてこちらを見返す。良い顔だね。 「僕のクラス早く終わったから、来ちゃった。帰ろー」 「そうだったんだ。もう出られるから、行こ」  素早く準備を終え、千景は急かすように僕の背中を押した。中学生男子Aはぽかんとこちらを見ている。すまないね少年。諦めてもらうよ。  そして、去り際に忘れず牽制をした。弟に不躾な視線を向ける輩は許しません。目を細め、口角を上げつつ睨む。手出さないでね。  その後靴を履くために一旦離れ、外で落ち合った。 「ごめんね、兄さん。急に追い出しちゃって」  早く帰りたかったのかな。登校初日って疲れるし。 「気にしな……」 「でも、クラスメイトに兄さんを見られたくなくって」  ……ん? 「それは、僕と兄弟だと思われたくないとかそういう……」 「それは絶対に違う」  ああ、良かった。僕は千景だけがいれば幸せだけど、千景はどうか分からないからね。 「ぼくがそんなことを思うことは一生ないから」 「ふふっ嬉しいなあ」  千景がじとっとした目で僕を見る。そんな目で見ないで、本当に嬉しいんだって。 「そうじゃなくて、ぼくはただ、他の人に兄さんを見せたくなかっただけで……まあ、学校来てる時点で無理なんだけど」  ……んん? 「だって、兄さんはぼくのものだから」 「……そっか」  同じこと考えてたんだ、僕達。やっぱり兄弟だね。  でも、それならば。 「ちかの言いたい事、伝わったよ。うん。とっても嬉しい。だから……帰ったら覚悟していてね」  最初はキョトンとしていた千景は、段々顔を引き攣らせていった。ああ、伝わったみたい。千景も僕のものだってこと、忘れないでね。  なーんて、楽しい会話をしていたのに。不意に雑音が耳に入ってきてしまった。 「あれが和泉の弟か」 「兄弟そろってキレーな顔してるよな。そのうち食われるんじゃね。どっかの誰かに」 「ばーか男だろ。いやでもあの顔ならワンチャン……」 「俺、イケるわ」  反吐が出る。さっさと帰れば良かった。これだから学校は……。  千景にも聞こえたかな……ああ、バッチリ聞こえてるね。顔が怖いよ。あんな奴は怒る価値もないからほっときな。  やだなあ、こんな下劣な会話千景に聞かせたくなかったのに。  聞こえちゃったから、釘、刺さないといけなくなったじゃん。あーあ。めんどくさ。 「ねえ、君達。ちょっといいかなあ?」

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