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 ――やはり、自分はおかしくなってしまったのか。  翌日の、就業時間中。松葉瀬は激しい絶望感に襲われていた。 (この絶望……どこが快感に繋がるのか、マジでちっとも分からねェ……)  昨晩。  松葉瀬は……お互いが満足するまで、矢車を抱き潰した。  いつもなら何の後腐れもなく、翌日を迎える。今回も、その筈だった。  しかし朝を迎えてから、松葉瀬は気付いたのだ。  ――昨日の性交は、苛立ちによるものではなかった……と。 (不覚にも、あのクソヤローを……か、わいい……と、思って? それで、アイツが勝手に一人で発情したから……その空気に便乗してやった、んだよな……?)  こんなこと、松葉瀬らしくない。  内心驚愕しながら、松葉瀬は仕事を進める。  そんな中……松葉瀬のデスクに、一人の男が近付いてきた。 「松葉瀬」  それは、茨田だ。  茨田がオメガだと診断されてから……松葉瀬単体に声をかけてきたのは、おそらく初めて。 「これ、決裁の終わった書類。……それとさっき、書庫に行っていただろう? 鍵を貸してほしいんだが……今、使ってもいいか?」 「あ、すみません。全然大丈夫です」  ポケットの中に鍵を入れたままだったと反省し、松葉瀬は鍵をすぐに、茨田へ手渡した。 (必要とあらば声をかける……って感じか)  ほんの少しだけ、以前のように戻れた気がして……松葉瀬は、安堵する。  ――それ故に、油断した。 「もしかして、来週の監査で使う書類を探すんですか? 良ければ俺、探してきましょうか?」  完璧な笑みを向け、愛想よく提案をする。  ――だからこそ松葉瀬は、予想していなかったのだ。 「――酷いな、松葉瀬。……オメガの私だって、書類を探すくらいはできるんだぞ?」  ――そんな、辛辣な言葉を向けられるだなんて。  茨田は困ったように、微笑んでいる。  しかし……松葉瀬に向けられた言葉は、どこまでも悲し気だ。 (……は、ッ?)  あまりにも、予想外な言葉に。  松葉瀬は……理解が、追い付かなかった。  無論……松葉瀬には茨田を蔑むだなんてそんな意図、ある筈ない。  ただ純粋に、いい部下として……お人好しの演技。その一つとして、雑務に対する手伝いを提案をしただけ。  それなのに……返ってきた答えは、あんまりだった。  静かな事務所では、二人の会話は当然、筒抜けだ。  ――周りが途端に、ザワザワと小声で会話を始める。 (……何で、だよ……ッ?)  茨田のことを軽んじたつもりなんて、全く無い。  いい部下として、尊敬する上司の為に動こうとしただけ。  それ以外の他意は、本気で無かった。 (アンタがオメガじゃなかったら、笑って俺に頼むとか……丁重に断るとか、してただろォが……ッ!)  たかが、オメガとアルファ。  結局は性別の違いなのだ。本当に、たった……それだけ。  ――【たったそれだけ】のことが、あまりにも、重たい。 「……すみません」  松葉瀬はそれだけ言い、茨田から視線を外した。  パソコンに向き直り、ほんの少しだけキーボードを叩き……目を閉じる。 (――矢車)  不意に浮かんだのは、自分に懐いてくる……後輩の笑顔だった。

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