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青木さんと嘉月さん 6

「御神先生、これは一体どういう事でしょうか?」 「なに、ちょっとした余興だよ....」  招かれた部屋の中には、きっと碌でもない光景が広がっているのだろう、と覚悟していたが、それを上回る惨状に息を呑んだ。  まさか、こんな所で会いたくなかった。次に会う時は、またあの日の診察室で。三度目は、洒落た喫茶店でお茶でも。四度目は?なんて甘い妄想をしていた自分が確かにいたのだ。どんな形であろうと、穏やかな時を想像していた。落ち着いた、恐らく自分よりも年上であろう彼との二度目の再会を、自分なりに想い描いていた。彼との、ほんの少し先の未来を。  それなのに、ベッドの上には、縄で拘束され苦しそうに呼吸をするあの人がいた。幾重にも涙を流して身体を震わせている姿に、胸が抉られる。初めて会った時に感じた、柔らかで、それでいて凛とした彼の姿は何処にも見当たらなかった。真っ白なシーツを所々染める鮮血の先を辿れば、痛々しく裂けた秘所にバイブが埋め込まれている。どうして、彼が?と思えば益々悲しくなった。  今すぐに助けてやらなければ。そして、この最低なアルファを始末しなければ。 「嘉月先生。これが再会だなんて、すみません。これは、痛かったでしょう?.......今から抜きますね。」  すぐさま駆け寄って、硬く結ばれた縄を解く。抱き起こした身体のあまりの熱さに、自分の表情が強張る。バイブのスイッチを切ると、その身体が不自然にわなないた。 「ひっ、う、げほっ、げほっ、ぐっ......」 俺を押し返そうとする自身の手を必死に抑え込み、咽せ返ることすら我慢している彼を腕に抱き、ああ、これが番の本能が起こす拒絶反応なのだと悟った。 「すみません、触れてしまって。吐いちゃって大丈夫なんで、もう少しの辛抱です。」 俺のスーツを汚さないように、健気に吐き気を飲み込む彼の骨張った背中をそっと撫でる。 「う、ウッ、ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ.....」 じんわりと肩口が温かく湿った感触に、やっと吐けたのだとほっとした。彼はその後すぐにぐったりと気を失ったようだったが、俺のジャケットを握りしめたままの姿に胸がツキリと痛んだ。なるべく傷に障らないように、慎重にバイブを抜き取る。栓を無くした箇所からは、赤の混ざった白濁がだらだらと溢れて止まらなかった。 ーーー 「なんだ、君はベータだったのか。発情期のフェロモンに充てられて、番持ちのオメガを犯すアルファの姿が見たかったのだがね。」  残念だよ、と吐き捨てた御神に確かな殺意が湧き上がる。俺はふっと息を吐き、なるべく平静を装う事に努めた。トドメを刺すには、まだ早い。 「龍野の一件が、単なる個人的な嗜好から来る行為だとは考えづらかったんです。まさか、文壇の中にオメガへの性的な暴行を正当化する集団がいるとは思いもよりませんでしたが。御神先生、あなたが斡旋を主導しているのですか?」  御神一派の文壇での不穏な動きは、アオくんの存在によってその一部の実態が明らかになった。できれば今日で一気に畳み掛け片付けてしまいたい。だからこそ、俺は核心を包み隠さず御神にぶつける。 「嗅ぎ回っている編集者がいると聞いてはいたが。 君だったのか、青木くん。龍野を失ったのは痛手だったよ、彼は中々駆け引きの上手い男だったからね。」 「つまり、関与を認めるのですね?」 「ああ。しかし私は行き場の失ったオメガを活用しているだけだよ、有用な人材としてね。性的暴行だなんて、随分な言いようだな。」  活用だと?俺の腕の中にいるこの人が、こんなにも傷だらけにされて、佐伯先生と一緒にいるアオくんが、ずっとフラッシュバックに苦しめられているのに?こんな、こんな酷い話があってたまるか。 「.......立派な犯罪に見えるのですが。」 「まったく、佐伯くんに似て君も堅物だな。悪事を暴いた探偵気取りでいるようだが、私の一言で君の首を切る事だってできるのだよ?水明出版に長年貢献している私と、ただの編集者である君では、そもそも戦にだってならないよ。」 「それはどうですかね?あなたは、過去の栄光にうつつを抜かし居座っているだけの古株ですよ。」  会社の利益にもならなければ、人間としても腐り果てたアルファなどいらない。鼻で笑ってやれば、御神は途端に真っ赤になって怒り始めた。だから、プライドだけが高くなったアルファは嫌いなんだ。 「なんだと?!ベータのくせに生意気を.....!! たかだか、こんなオメガ一人の為に、君は人生を棒に振るつもりなのかい?」  ニタニタと下品な笑みを浮かべ、全く効果のない脅しを未だに繰り返し言われるせいか、俺の頭は酷く痛み始める。どうして河西は、こいつがこんなになるまで放って置いたんだ?もう既に手遅れだったのか?御神の担当である同期にも怒りが及びそうになったので、そろそろ潮時なのだろう。 「これ以上は話にもなりませんね。こんなくだらない話に付き合わせてしまって......彼が気の毒です。」  荒い息を吐きぐったりとした彼を抱き上げて、俺は歩き出す。背後からは罵詈雑言が飛び続けていた。 「御神さん。この人は、立派な医者ですよ。あなたが、と侮辱していいような人ではない。」 ずっと俺の中で燻り、受け流す事ができなかった言葉だった。最後にそれだけを言い残して、部屋を後にした。

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