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第2話

 白い空から、この冬初めての雪がちらちらと舞い落ちている。  今日の最高気温は、5度。  今はまだ地面に落ちたらそのまま溶けてなくなってしまうけれど、きっと夕方になってさらに気温が下がったら、うっすらとだけど積もっていくに違いない。  理人(まさと)さんは、数日前に天気予報の雪だるまマークを見つけた時から、この日をずっと楽しみにしていた。  俺だって同じだ。  キラキラと輝く銀色の世界の中心で、子供みたいにはしゃぐ理人さんを見てニコニコ……いや、ニヤニヤするつもりだった。  それなのに。  俺は今、ものすごく苛立っていた。  トイレの扉の前で。 「理人さん、いい加減にしてください」 「だって……!」 「だってじゃない」 「でも……!」 「でもじゃない」 「やだ……!」 「やだじゃない」 「……」 「ほんの一瞬なんだから、我慢してくださいよ」 「あれが『ほんの一瞬』なもんか! 三秒は刺さってるだろ!」 「だからそれが一瞬だって言ってるんです!」  そう、今年も《《例の季節》》がやってきてしまったのだ。  理人さんの〝筋金入りの注射嫌い〟が発動する季節が。  ああ言えばこう言うし、ああ言わなくてもなんやかんやぐだぐだ言いまくっている理人さんは、もうかれこれ三十分以上、トイレに籠城している。 「もう、理人さーん。我慢できたら、サンタさんからミンテンドー・スミッチが届きますから」 「いらない!」 「あんなに『ほしいほしいやってみたい』って言ってた『あっぱれどうぶつの島』バージョンでも?」 「いらない!」  あああああ、もうッ!  毎年のことながら、ものすごくめんどくさい。  言葉にできないくらいめんどくさい……! 「そろそろ出ないと、予約の時間に遅れますよ」 「佐藤くんが勝手に予約したんだろ! 俺は頼んでない!」  な、なんだと!?  くっそ、ムカつく! 「ああもう、わかりました! 終わったら、クリームソーダ作ってあげますから!」 「……」  お、ちょっと迷い始めてるな?  よし。 「本当はクリスマスの夜にサプライズで……と思ってましたけど、フライングでいいですよ、もう。ちゃんと材料も用意してありますから」 「……佐藤くんが作ってくれるの?」 「はい」 「クリームソーダを?」 「はい」 「俺のために?」 「はい」 「細くないグラスで?」 「はい」 「バニラアイス多めで?」 「はい」 「さくらんぼは……」 「はい、双子です」 「……」 「……」 「や、やっぱり嫌っ……」 「ま・さ・と・さん!」 「……」  今にもブチ切れそうになっている堪忍袋の緒をなんとかつなぎ合わせながら、トイレのドアノブがゆっくりと回転するのを、奥歯を擦り合わせながら見守る。  キィ……と不気味に軋みながら扉が動くと、ほんの少し生まれた隙間から、理人さんのアーモンド・アイが覗いた。 「お、怒ってる……?」 「どっちかって言うと、呆れてます」 「……」  またしばらく沈黙してから、今度は細長い身体が躊躇いがちにすり抜けてきた。  斜め下の床を見下ろしながら、理人さんがへの字口をもそもそと動かす。 「佐藤くんに呆れられるの、嫌だ……から……」 「だから?」  思わず被せた言葉がいつになく硬くなってしまい、強張っていた肩をふるりと震わせる。  目線は相変わらず背けたまま、理人さんは、そっと俺の手に指を絡ませた。 「佐藤くんが一緒なら……行く」 「……」 「……」 「…………」 「…………」 「………………」 「………………」 「ああああああああああもうッ!」 「ひぇ……!?」  これが理人さんじゃなかったら、遠慮なくぶん殴ってたとこだってんだよこんちくしょう!  詐欺だ……これで俺より四つも年上なんて!  余裕で三十路越えしてるなんて! 「さ、佐藤くん……?」 「……」 「……」 「……はあ」 「っ」 「いえ、なんでもないです。とにかく、行きしょう」  複雑に絡み合いながら湧き上がってくる激情をなんとかため息でやり過ごし、俺は理人さんの冷えた指先をを強く握りこんだ。

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