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第3話
タクシーの運転手さんにちょっとだけ上乗せした運賃を払い、腰の重すぎる理人さんをずるずると引っ張り出す。
俺たちの目の前に立ちはだかったのは、東京明済会 病院の大きな建物。
今年はこんな情勢ということもあり、専用の入り口が設けられているようだ。
『インフルエンザ予防接種はこちら』という張り紙が、矢印付きで俺たちを迎えてくれた。
普通の大人なら明確な情報提供に感謝するところだけれど、理人さんに限っては、ただでさえのろい歩みをさらに鈍くさせる原因にしかならない。
普通のスニーカーを履いているはずなのに、草履が地面に擦れるような音がする。
ずるずる。
ずるずる。
まるで散歩から帰りたくない飼い犬を、無理矢理引きずっている気分だ。
ちなみに俺は、勤務先の仕事仲間たちと一緒に予約を取ってもらい、早々に摂取を済ませてしまった。
理人さんだってそうできたはずなのに、こうして毎年自ら茨の道を選ぶのだから、そういう意味では感心してしまう。
完全予約制だからか、待合室にも人はまばらだ。
問診票の挟まったバインダーを受け取り、理人さんに答えを確認しながら記入する。
最後の署名欄に名前を書かせるのに、また五分くらいかかった。
ああもうめんどくさッ……とは思うけれど、動物病院に連れてこられた小犬のように項垂れる理人さんを見ていると、途端に、脳内で天使と悪魔が喧嘩し始める。
――なあ、こーんなに怖がってんじゃん? もう、やめてやれよ。
――なに言ってるんだよ。理人さんのためにやってるんじゃないか。
――でもさあ、いいのか? 絶対また『佐藤くんなんか嫌い!』って怒らせちまうぜ?
――それでも! 理人さんのためなら心を鬼にするのが、本当の愛ってものだろう!
――んなの、綺麗事じゃねぇか。拗ねられて、セックス禁止されても同じこと言えんのか?
――えっ……そ、それは……!
あ、こら。
負けるな、天使!
「神崎さん、神崎理人さーん」
「あ、はい!」
脳内で接戦を繰り広げるふたりのことは一旦置いておいて、今はとりあえず目の前にあるミッションに集中することにする。
意気揚々と立ち上がったせいで長椅子がガタンと音を立てたけれど、理人さんはそのまま立ち上がろうとしない。
俺はゆっくりと息を吐き、斜め後ろを振り返った。
「ほら、おいで」
「……ん」
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