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「ただいま……って、まだ帰ってきてないんだっけ」
イタリアンレストランのバイトから帰宅した俺――小坂 智也 は、冷え切った部屋に足を踏み入れると、小さく身震いしてエアコンのリモコンに手を伸ばした。
十二月の繁忙期。本来なら日付変更線を越えるまで帰宅出来ない日が続くはずだった。しかし今年は、世界中で猛威をふるっている感染症のせいで、外食規制や忘年会の自粛などによって店も大打撃を受けている。かろうじてテイクアウトの売り上げがあることが救いだ。
着ていたダウンジャケットを脱ぎ、リビングのソファにどかりと腰かけるとそのまま寝転んだ。
「疲れたぁ……」
大きく伸びをしてから、ふと部屋の静けさに耐えきれなくなってテレビのスイッチを入れる。お笑い芸人と無名のアイドルが他愛のない話題で盛り上がっているのを聞くともなしに聞きながら、スマートフォンの画面に指を滑らせる。
二年前の夏――俺は大恋愛をした。遊びのつもりで寝た行きずりの男。でも、その人の優しさに触れ、俺は恋に落ちた。
彼の名は井口 夏生 。三十代という若さで有名商社の専務取締役の肩書きを持つ、イケメンで有能――でも少しだけ不器用な男。もとは体から始まった交際ではあったが、日が経つにつれ違和感なく互いを認め合うようになり、俺はそれまで住んでいた古いアパートを引き払い、今では彼のマンションで一緒に暮らすまでになっていた。
あれから……他の男と寝ることはなくなった。何だか分からない寂しさと虚無を埋めるために、誰かれ構わず声をかけてセックスしていた日々。それがどうだろう。夏生がそばにいるだけで、あり得ないほどバカバカしいことに思えてくる。
SNSアプリがメッセージの着信を知らせる。それを指先でタップして、表示された一行のコメントを見つめた。
『これから帰るけど、何か欲しいモノ、ある?』
ここ数ヶ月、家にこもってリモートワークをしていた彼だったが、今週は役員幹部が招集され今後の経営について話し合いをしているらしい。感染症のせいで売り上げはかなり落ち、派遣社員はすべて解約、正社員も希望退職を募っている状況で、自分に何か出来ることはないかと模索する彼の責任感の強さを間近で見た俺は、もっと彼を知りたくなった。正確に言えば……惚れ直したともいう。
定職を持たないフリーターである俺に対して偏見を抱くことなく、出逢った時と変わらず気さくに接してくれる。でも、それが俺にとってツラくなることもある。夏生は自分で抱えているものが多すぎる――そう感じるからだ。負担はかけたくない。でも、気を遣うことを嫌う彼につい甘えてしまう。
思いつくままにスマートフォンの画面をタップしてコメントを入力する。
『バニラ系アイス。それと……夏生』
『了解。急いで帰るね!』
送信して間もなく返事が返ってくる。少し照れたような――いや、絶対ニヤついている彼の顔を想像すると、自分の口元も緩んでしまう。
「これじゃあ、圧倒的に俺が誘ってるみたいじゃん……」
テレビからクリスマスソングが流れてくる。感染症騒動で忘れかけていた一大イベント。今年はどこかの店で食事して、その後はホテルで一夜を過ごす……というプランは叶えられそうにない。
「――プレゼント。考えなきゃ……」
夏生は俺から何かを贈られることを好まない。逆に、俺にプレゼントすることは大好き。いつか、このサイクルを壊したいと思ってはいたが、なかなかチャンスが巡って来ない。でも――今年のクリスマスこそは、形に残るモノをあげたい。
反動をつけてソファから起き上がった俺は、モヤッた頭をスッキリさせるべくバスルームへと向かった。
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