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【3】
「おい、智也っ。これ……お前の分」
バイトを終え、スタッフルームで着替えていた俺に差し出された黒い箱。それは、店で販売しているブッシュ・ド・ノエル専用の箱だった。
「え?」
「クリスマス・イブだっていうのに、こんな時間まで仕事させて悪かったな。案の定、客もろくに来なかった……」
「まあ、こういう状況なんで……仕方ないでしょ」
マスターはドアに凭れながら苦笑いを浮かべている。
「カレシいるのに、去年も仕事させてたっけ?」
「驚きましたね。マスターにも人間みたいな情がまだあったんですね」
「余計なお世話だ。今年は……一緒に過ごすんだろ?」
マスターの問いかけに、俺はすぐには答えられなかった。夏生は昨日からマンションに帰ってきていない。仕事だと言ってはいたが、詳細も告げずに家を空けることは今までなかった。
彼を信じていないわけじゃない。でも――一人になると不安ばかりが膨れ上がって、いつか圧し潰されて死ぬのではないかと思っている。
「――彼、忙しいんで」
「そっか……。ま、お前は根っからの甘党だし、一人で食えるだろ?」
「余裕で完食ですよ。――ありがとうございます」
ダウンジャケットを羽織り、マフラーを巻いて深々と頭を下げる。このイタリアンレストランでのバイトも、マスターとの付き合いも長い。会社を辞め、社会から逃げたゲイ……そんな俺を蔑むことなく迎えてくれた彼には感謝しかない。
「気をつけて帰れよ。明後日……腰が痛いとか甘いこと言ってたら許さないからな」
「どうせ、客……来ないじゃん」
「なに?」
「なんでもないです。お疲れさまでした」
笑いながら手を挙げて厨房に戻っていくマスターの背中を見送って、俺は店を出た。
最寄りの駅まではゆっくり歩いてもそう時間はかからない。例年より人通りの少ない歩道を冷たい風に逆らうように歩く。並木を彩るイルミネーションが物寂しく感じるのは、肩を寄せ合って歩く恋人たちの姿がないからだろう。
そういう自分も、隣には誰もいない。家に帰っても夏生が帰宅しているという確証はない。
スマートフォンを何度も確認したが、アプリの新着のメッセージは表示されない。
「何やってんだよ……」
ボソッと独りごちた時、コンビニの前で見慣れたコートが揺れた。目を凝らしてみると、そこには夏生が立っていた。
「なつ……お?」
見間違いかと、何度も瞬きをくり返す。でも、それが間違いなく本人であると分かったのは、彼が片手をあげて微笑んだからだ。
「お疲れさま、智也……」
「お前……。連絡ないから心配してたんだぞ」
「なんの心配だよ?」
ブランド物のカシミヤのコートを嫌味なくサラッと着こなした彼は、嵌めていたレザーの手袋を外すと俺の頬に手を伸ばした。その手に吸い込まれるように距離を縮めた俺の唇に触れるだけのキスをする。
「――浮気してる、とか。俺……捨てられちゃった?――とか?」
心を見透かすように意地悪く言う彼を睨みつけ、俺はフンッと横を向いた。
「そんなんじゃねーよ」
「じゃあ、どんな心配?」
なおも食い下がる夏生の顔を押しのけて、俺は照れ隠しに彼を置いたまま歩き出した。
嬉しい――それなのに、素直になれない。可愛げのない男……まだ好きだと言ってくれるだろうか。
「あーあ、せっかく一人でケーキが食べられると思ったのになぁ。夏生が帰ってきたんなら、仕方ないから分けてやろうかな」
意地悪への仕返し。わざと声を上げてそう言った俺。でも――次の瞬間、俺は足を止めていた。
「――結婚、しよう」
ふわりと後ろから抱きしめられ、その温かさに手にしていた箱を落としそうになる。
「え……」
うなじに鼻先を押し付けて、少しの笑みを含んだ声で夏生は続けた。
「たった一言で、お前が俺のモノになるわけじゃない。リングを交わしても、誓いのキスを捧げても……それは絶対じゃないって分かってる。でも――俺は……。お前がそばにいてくれるなら何でもする。一生をかけて……お前を守り、幸せにしたい」
少し掠れた低い声が、首に巻かれたマフラーの中でくぐもる。それなのに、体中が粟立つのを感じた。
「夏生……」
「――かなりの勇気と覚悟がいるもんなんだな。ドラマとかだと、ずいぶんと簡単に言ってるように見えるんだけど」
重大な発言をした後で、どうしてもオチをつけたい夏生の脱力感溢れる言葉に、俺は肩の力を抜いた。
「それはフィクションだからだろ? いちいち本気でプロポーズしてたら、役者だって身が持たないだろ」
「そっか……。そうだよなぁ。俺は――一回でいいや」
納得したように笑った夏生に向き直った俺は、彼の頬を指先でつまんで言った。
「何回も言うつもりだったのかよ?」
「いたた……っ。そりゃあ言うよ。お前が「うん」って言ってくれるまで……」
「ばっかじゃねーの!」
本人はサラッと口にしているようだが、そのたびに心臓が跳ねる俺の身になってくれ。
イラっとして、キスで彼の口を塞いだ。驚いたように目を見開いた彼だったが、まんざらでもないという顔で舌を絡めてくる。
「俺も……一回でいい。身が持たない……から」
唇を触れ合わせたまま呟くと、夏生の手が俺の腰を抱き寄せた。
「セックスも……一回だけ?」
誘うような声で囁いた夏生を見上げて、俺は長い溜息をつきながら顔を背けた。
「んなわけ……あるかっ」
ふわっとすぐそばで香った彼の香水に、トクンと大きく心臓が跳ねた。
「――じゃ。早く帰って、しよ? ケーキ食べてから」
「食べてからかよっ!」
「メリー・クリスマス……。愛してるよ……智也」
世界中どこを探しても見つからない。イケメンで仕事が出来て、スタイルは抜群でセックスの相性は最高!――でも、ちょっとばかり天然な俺だけのサンタクロース。
互いに手を取って歩き出す。聖なるブルーの光に照らされた歩道は、二人だけのバージンロード。
今はもう、寂しくなんかない。だって……ずっと、ずっと隣に夏生がいるんだから。
Fin
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