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第15話

◇ どのくらいたったか、春が俺を抱きしめてくれてから。 「................、」 「.....はる..」 その後の言葉など思い浮かびもしなかったが、 なんとなく不安で声を出した。 「................、」 「....なんか、俺、へんじゃない..?」 「........なんでだよ..。」 やんわりと春から体を離す。 「...だって、....いや、..やっぱりわからん」 なに言おうとしたのか、少し苦笑いで答える。 「...................。」 やはり、沈黙が流れた。 「..ソファ、座っていい?」 「...ああ。」 春の顔も見ずに、俺はソファの方へとスラリと高い体を通り過ぎて向かった。 「...............。」 何も、浮かばず、何も思わない。 けど、憂鬱な何かが心に存在していて軽い吐き気を感じる。 まいったな。 本当に疲れた。 ソファの背もたれに体を沈めながら深いため息を無意識についていた。 キシ。 見えない視界の先から、春が座ったであろう音がする。 「さくら。」 いつもの低くハスキーな芯のある声。 「なに。」 「...いつから、登校するんだ?」 いつ?なにがか俺は分からなくて、少し眉間にシワが寄るのを止められず、 「いつって.....どういうこと?」 そう先程と同じ体制で俺は声を出していたが、なんだか己が今苛つき始めていることが 何処と無く感じられる。 なにやってんだよ、おれ。春は心配してくれて、さっきだってあんなに 自分のことのように苦しそうな顔をしていた。 そんな、春からの質問になんで腹を立てる権利がある? いつもなら、気にもならない壁掛けの時計の針の音が耳に煩い。 なんで、俺はイライラしているんだ。 先程、春に抱きしめられて心の底から安心と感謝が溢れ出すように感じ得たのに。 けれど、今は違う。春に腹が立っているわけではない。 「...ごめん。なんか言い方が。....明日から行くよ?  特に問題は無いしね。」 俺は、先ほどの気まずさ、申し訳なさから、今度は、春の方に顔を向けて言った。 「.....さくら。」 春の顔を、見ているはずなのに、 なんでかどういった表情を彼がしているのか何も判断できない。 「.................。」 理由のわからない苛立ち、身体の怠さ、自分をコントロールできない何かに 押しつぶされそうな圧迫感を胃で感じる。 「....はる。大丈夫だって。」 無言の催促を彼から感じたような気がしてしまい、つい口走った。 「そりゃ、あんな事があったから、こんぐらい不安定にはなるよ。」 もはや、春に喋っているのか自分に言い聞かせるように独り言を溢したのか 分からないニュアンスで俺の口は動く。 「...さくら、自由に俺に言いたいこといって、いいぞ。」 俺は、少し、いや、自分が思っている以上に春のその言葉に心が打ちのめされた。 「...なに...、それ.....。」 両手に力が入る。 俺は、どんな顔をしているんだろうか。 なんで、春がそんなこと言う? いたい。身体中のあらゆる神経的な箇所がざわざわ波打った。 どう言った感情なのか、そんなことは知らない。 「..言いたいことって、なに...?、よく、わからん...。」 「がまんしてるだろ。」 「なにを。」 「それは、さくらにしかわかんねぇよ。」 間も無く、会話が過ぎ去った。 端的に応えるように、春は俺が逃げないように、答えてくるようで 余計に神経が騒ついた。 「はる。」 俺の声が、ひとつ大きく床の方に発せられる。 「なんだ。」 落ち着いて、余裕そうに答えてくる声色に俺には聞こえた。 先ほどから、体のどこかの部分がボロボロと今にも崩れようとしているのをどこかで かんじていて、いよいよやばいなと怖くなる。 こわい。それが崩れたら、俺はどんな風になってしまうのだろう。 どんな感情が、口から、表情から、こぼれ落ちる? 春を傷つけるような事だけは、嫌だ。でも、 少し蹲るようにして、ソファに座って、地面を見つめつづける俺を 春はじっと見守ってくれている。 まいったな。春は、見過ごしてくれないんだろうな。きびしい。 数日前に、学園の生徒に暴力を受けて、それで、それを知らせ聞いた 春はまず、どんなことを思ったんだろうか。 春とは、それなりに仲が良くなった、 そして、憔悴して暗くなった俺が寮の部屋に、 戻ってきたとき、なにを考えていたんだろう。 同室で、それなりに仲がいい、そんな同級生に対して、第一にとった行動が 相手を包容すること? 同性の、同級生の、少しだけ他人より距離が近い、菊谷春乃。 今までの関わり合いや繋がりを考えても、どうして、目の前に座り 黙って何かを待つ、彼が、そんなことを俺にするのか、 してくれるのか、不安定な頭で考えてみても、よく分からない。 そもそも、俺が何かおかしいのだろうか。 ふと、蛍と接した時のことを思い出した。 他人として違いはない、そのはずなのに、蛍の肌の感覚と、春の肌の触感を、俺は 知っていて、何かいけない事でもしてきたような、そんな罪悪感が芽生える。 人との距離感がおかしい。 春との、蛍との、距離がなにか、おかしい。 そんな、気がした。 きしっ、と足の裏が床を擦る。 「...はる。」 「なんだ..。」 落ち着いた、冷静な声。 「....俺のこと、心配してくれて..、ありが..とう」 「...ああ。」 それで、それで何を言おう。 「...それで、...抱きしめてもくれて、..おれ..」 止まりそうになる、口に何度も息を吸わせようと俺は 小さく呼吸を繰り返していた。 「...おれら、同級生で、まだ高一の子供なのに、 あんな暴力受けて、すごく....怖かったんだ..」 何を、春に伝えたいかも分からなくなっていたが、 自然と言葉を続けた。 「....はるも、同じ年だろ...、でも、あんな風にやさしく 接してくれて、どんな大人の人達よりも、...頼もしいし、 安心できた。」 そう、小さくなる声で、言う。 「俺も、怖かった。」 「......」 キシリ、と布の擦れる音。 「お前と、広野雪の事、担任に聞いたとき正直 ゾッとした..」 そう言った春の声は、先ほどより何故か、不釣り合いにも 柔らかくなったように感じる。 「......そう。」 床を見つめていた俺の視線は深い金縛りにあうように 小刻みに揺れるようで、まったく床から動かなかった。 そりゃあ、そうだ。いやだっただろうな、春。 そんな同級生が部屋に戻ってくるなんて、 「......お前が、もう動けなくなるんじゃないかと、」 そこで、一瞬春は、口を噤んだ。 「....どういう意味....?」 なにが、もう、なのか。 俺がうごけなくなるって、なんだ。 その言葉に、俺の視線の金縛りが少しだけ解けたようだった。 「.....さくら。...お前って、すげぇ繊細だよ..。」 「............。」 「...繊細.....とかじゃ、....面倒くさい、だけだよ....。」 膝近くに触れる、腕を片方、軽く摩る。 「時々思ってた。こいつ、これで世の中生きてくつもりなのか、って。」 「....................。」 「...いやな意味じゃねぇよ、ただ、大変だろうな、って思ってただけだ。」 「普通、人が気にしないところ、変に気にしたり、それに...」 「重要じゃないところが、お前にとっては、大事だったり、重要だったり  するだろ...。」 「........、...そう..かもね..」 そんな春の、言葉を聞いていて、 俺はとても幸運だと思っていた。 春は、賢い人だ。そして、優しい。とても。 俺の子供じみた見栄も、直ぐに消し去ってしまうほどに。 「だから、お前のこと聞いた時、  本当に大丈夫なのかって、怖かった。」 視線を逸らして、眉間にシワを寄せて、怒った表情で、 顔を横向けていた春を、 こうだれていた筈の俺は、顔をあげて見ていた。 ツキリ、と胸が痛んだあと、深い温かな何かが胸に広がる、

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