2 / 11
第2話 New Year Love Song
『年末の番組表、チェックした?もう、俺、どの番組見ればいいのか、迷っちゃうよ。蒼白歌合戦に、黄泉平坂46のライブに亀頭の刃の2時間スペシャルに、K1スペシャル、くそ〜、うちに全録レコーダーがあればなあ。』
迷えるものは幸福である。
『正月なんてつまんねーよ、店はどこも閉まってるし。寝正月だよ、いつものことだけど。』
寝て過ごす者も然り。
『だけど!』
皆が一様に肩を落とす。
『今年は正月もクソもねえよな。ひたすら勉強するのみよ。ま、受験生じゃしかたねえよな。』
甘い。
まったく幸せな連中だ、と浩也は心の中で友人たちを毒づいた。
もうすぐアレがやってくる……。
そろりそろりと玄関に向かったところで、浩也は母親に呼び止められた。
「あら、どこ行くの?」
「あ、図書館に勉強……。」
母親が目を眇める。
「年末年始は、官公庁はお休みなはずよ。図書館だって例外じゃないでしょ。」
「あ、うん。だから、予備校の自習室に……。」
「あんた、予備校に通ってない癖に、自習室に忍び込もうって良くないんじゃない?ちゃんとお金払って講習受ける人たちの為のスペースなんだから。」
「だけど……」
「今日が何の日か分かってるはずよ。」
母親がじろりと睨み付ける。
と、そこに、紫色のスウェットの上下に目だし帽という怪しい出立ちの男がひょっこり現れた。
「お、浩也、いたいた。なんだ、お前その気取った恰好は。さっさとジャージに着替えてこい。」
浩也は大きくため息を吐いた。形勢は圧倒的に不利である。
「あのさ、俺、受験生なんだけど…。」
それでも一応抵抗を試みた浩也の言葉に、両親はさも心外そうに顔を見合わせた。
「浩也、父さんたちはまだボケちゃいない。自分の息子の年齢くらい、きちんと分かっているぞ。」
目だし帽を脱ぎながら、父親が言った。
「そうよ、この前も両親揃って面談に行ったじゃない。それなのにあんたってば、担任の先生の前で、『何しにきたんだ』なんて悪態吐いて……。」
寒さでつーっと垂れてきた父親の洟を、母親がエプロンのポケットから取り出したティッシュで拭う。
「いや、だからさ、今年は勘弁してくれよ。大事な追い込みの時期なんだから。」
「浩也!」
両親の叱責が飛ぶ。
「浩也、それとこれとは別だ。だいたい、勉強というのは3年間の積み重ねなんだから、きちんとやるべきことをやってきていれば、受験勉強なんて必要ないはずじゃないか。」
「そうよ、受験生は神様じゃないって何度言ったら分るの?甘ったれるのもいいかげんにしなさい。」
「……。」
「浩也、返事は?」
「……ハイ。」
「じゃ、まずは煤払い頼んだぞ。」
「それが終わったら庭の掃除、本堂の雑巾がけ、トイレ掃除よ。」
「……。」
雑巾、帚、バケツにハタキ。両親から次々と掃除道具が手渡される。
正月もクソもなく勉強できる友人たちがうらやましい。
浩也の家は寺である。
盆暮れ正月は一年で最も忙しい時期なのだ。
別に「ゆく年くる年」に出るようなメジャーな寺ではない。
近所の檀家が三々五々にやってきては除夜の鐘を鳴らし、元朝参りを済ませる程度だ。
それでも住職の父は大わらわで、いつも働いている若い坊さんだけでは人出が足りず、午後から親戚一同繰り出して、やれ炊き出しだ本尊の手入れだと手伝っていく。
大晦日から元日にかけては、兎に角嵐のような騒ぎになるのだ。
その前にどうにか脱出を、と思ったが、あえなく失敗。
早く大学生になって一人暮らしがしたいものだと、切に願わずにはいられない浩也であった。
「泉真さん、ロウソクは蔵のどの辺りにあるの?」
「兄さん、護摩の準備はどうなってるんですかー?」
「法子さーん、この鍋、使っていいのかしら?」
「ほら、あんたたち、喧嘩してないでちゃんと手伝いなさい!」
「重ーい、こっち、だれか持ってー。」
「駐車場と外の掃除は終わったぜ。次は?」
予想通り、というか、例年のことであったが、母屋は親戚一同でごった返していた。
「あら、ヒロちゃん、また背が伸びたんじゃない?お父さん追い抜いちゃってまあ。」
「いや、こいつ、でかいのは図体ばかりでさ、中身はてんでガキで……。」
「もうすぐ受験だって?どこ受けるんだ?」
「ヒロ兄、後でマンガ読ませてー。」
「ヒロちゃん、お母さん似で良かったわね、泉ちゃんに似てたらあと5年で禿げちゃう。」
余りの姦しさに、浩也はめまいを覚えた。
一仕事終え、茶の一杯でも飲みながら一息入れようと思ったのに、とてもそれどころではない。
話題の矛先をかわすのが精一杯で、『掃除のやり残し』を口実に、早々に逃げ出した。
本堂に行くと、既に誰かが畳に雑巾をかけている。
「あれ、惣ちゃん。いつの間にか帰ってきてたんだ。」
「よ、ヒロ、久しぶり。大きくなったなあ。」
惣八郎は浩也の父親の末弟、つまり叔父である。
叔父と言ってもまだ若い、浩也と十歳ほどしか離れていないので、子供の頃はよく懐いて後を付いてまわったものだった。
少し変わり者の叔父は、自称フリーのジャーナリストとして年中ふらふらとどこかに行っているので、ここ数年は滅多に会うこともなかった。
「さっそくこき使われて大変だよな、せっかく戻ってきたのに。」
「いやいや、たまにはこれくらいやらなきゃね。」
二人で並んで畳を拭いていると、惣八郎はまじまじと浩也の顏を見つめてきた。
「おまえ、男臭くなったなあ。18だって?」
「ああ。」
「もてるだろ。」
「別に。男子高だし。」
「ふーん。彼女ができたらしいって兄貴が言ってたけど。童貞じゃないんだろ?」
あのクソ坊主、と浩也は内心悪態を吐く。
惣八郎の意味ありげな視線を感じながら、浩也は黙ってゴシゴシと畳を擦った。
「そう言えばちょうど俺がこの家に到着した時、お前の友達が遊びにきたぞ。」
しばらく浩也の表情を観察した後、惣八郎はとぼけた調子で言い出した。
「えっ、誰?!」
「さあ、知らないな、名前名乗らなかったし。ただ、年格好からお前の友達だろうなって思っただけだから。」
「ど、どんな感じのヤツ?」
「うーん、話しかけてもハキハキ答えてこない子だったね。スポーツするとか、そういう活発な雰囲気じゃなかったな。あんまりお前と一緒にやんちゃするタイプには見えなかったけど。どういう友達?」
「どういうって…」
おとなしくてトロい−−間違いない、郡司だ。
「何か用事?って聞いても、ハッキリしないし。『客だよー』って玄関開けたら靴だらけだろ、家ん中人がいっぱいで騒がしいからびっくりしたみたい。『いいです』っていなくなっちゃった。」
郡司、わざわざ家まで来てくれたのか……会いたかった。
浩也は家に集う親戚一同を恨めしく思った。
ロミオとジュリエットにでもなったような気分だった。
実は、クリスマスに一線を越えて以来、郡司には会っていないのだ。
二人で幸福な朝を迎え、一面雪に覆われた道をロマンチックな気分で歩き、ラブホテルから家まで郡司を送り届けた浩也は、玄関先で郡司に『しばらく会わないことにしよう。』と切り出され、カウンターパンチを喰らったような気分になった。
『なんでっ?!』
昨日の初体験はなんだったのか、『好き』と喘ぎながら何度も腰を振ったのはどこのどいつだ?!と詰め寄らんばかりの浩也を、郡司はそっと唇を重ねて押しとどめた。
肩に頬を寄せ、小さな声で打ち明けられた理由は、『受験の邪魔をしたくないから』だった。
『なり振り構わず求めたくなる、いつでもどこでも繋がっていたい……そんな衝動を抑えられなくなりそうな自分が怖いんだ。昨夜あんなにやりまくったのに、まだ身体が疼いてドキドキしてる……。中が熱くて、浩也の×××な〇〇〇が△△△に◇◇◇した時の、生々しい感触が忘れられない。今だってこのまま玄関先で〇〇〇を▼▼▼して■■■してそのまま◎◎◎したくてしかたがない。自分がこんなに淫らだなんて思わなかった。このまま浩也と一緒にいたら、俺、本当に色情狂になってしまう。』
白昼堂々、玄関先で官能小説の朗読会でも始まったのかと思った。
郡司の口から語られる言葉は、とても文字で書き表せないほど卑猥で、そんなにエロいことを自分はやりまくったのだろうかと耳を疑うほどだった。もちろん実際にやっていたのだが、郡司の口を通すと事実が妙にエロく脚色されている気がした。
楚々とした容貌からは想像もつかないような言葉で切々と訴えられ、浩也はただ頷くしかなかった。
郡司はトロい癖に妙な所で大胆なのだ。
つき合ってほしいと告白してきたのも郡司からだった。
クリスマスに初エッチをほのめかしてきたのも郡司だ。
エッチの途中で『もっともっと』と、浩也を銜え込んで離さなかったのも郡司だ。
『もう動けない』と涙目で訴え、朝風呂に入れさせて後始末をすべて自分にさせたのも郡司だった。(その際にもう一回郡司を美味しくいただいたのは浩也の意志だったが)。
そして、いきなり『会わない』と宣言する始末。
だめだ、完全に翻弄されている。
浩也はぶんぶんと頭を振った。
自分は魔性の男に引っかかってしまった。
きっとこれは試練なのだ。
ブッダだって、悪魔に誘惑されそうになったというではないか。
しかし、自分には到底悟りなど開けそうにない、いや、聖人になるよりも、地獄に落ちてもいいから(というよりも大学に落ちてもいいから)もう一度郡司とやりたい、繋がりたい。
あの小さな口で愛撫されたい、あの白い肌に紅い印を刻みたい、細い身体がしなうほど欲望に任せてつきまくりたい。
恍惚と苦痛が入り混じったような潤んだ瞳、身体を解いて抱きしめた時に、放心した表情に浮かぶほほ笑み……。
ハッと我に帰ると、一人で顔を赤くしたりニヤついたりうろたえたりと挙動不振な浩也を、惣八郎が怪訝そうに見つめていた。
「お前も苦労しそうだな。」
やがてぼそっと呟くと立ち上がり、
「もうこれくらいでいいだろ。お終いにしようぜ。」
雑巾を投げ入れたバケツを手に、本堂を後にした。
日が暮れた頃から境内は蝋燭が灯され、浩也の両親はいよいよ忙しそうに動き回る。
馬子にも衣裳とは良く言ったものだ。
おちゃらけてばかりで節操のない父親も袈裟を纏えば立派な住職に見える。
母親をはじめ女衆は、参拝者たちに振る舞うための甘酒や雑煮の準備に追われていた。
年が変わる頃には、小さな寺にもそれなりの人が訪れ、手の足りない所に引っぱりだされる。
ゴォーーーーーーーーーーン……
除夜の鐘が鳴り響く。
父親が厳粛な面持ちで最初の一つきを鳴らしたのだ。
参拝者たちも神妙な面持ちで聞き入っている。
浩也は、父親が昼間、鐘の手入れをしながら『この鐘を~~~、鳴らすのはワタァシィ〜♪』と和田アキ子のメロディで歌っていた姿を、取り敢えず忘れることにした。
ゴォオオオオオオーーーーーーン……
参拝客も鐘を撞こうと、梵鐘の前に列を作り始めた。
百八の煩悩を払う鐘が、夜空に鳴り響く。
今頃、郡司もどこかで同じ鐘の音を聴いているのだろうか。
郡司……浩也の煩悩は消えるどころか焚き付けられていった。
参拝客が撞木の綱を引き、勢いを付けて鐘に打ちつける。
ゴォオオオオオオーーーーーーン……
やはり自分は住職にはなれない、と浩也は思った。
あんな鐘、みんな撞いてて何が楽しいのだろう。
自分が鳴らしたいのは、鐘じゃなくて、郡司の細い腰だ。
引いては鐘に打ち付けられる撞木の動きを見ていると、なぜかピストン運動を連想してしまった。
撞木で鐘を撞くように、今やすっかり固くなったアレで郡司のアソコを突きまくりたい。
周りにバレないうちに、トイレでこっそり抜いてこよう。
母屋に向かおうとしたところで、浩也はポン、と肩を叩かれた。
「惣ちゃん…。」
「ヒロ、ここはもういいよ、後は俺に任せろ。」
唇を触れそうなほど近づけ、惣八郎が浩也の耳許で囁いた。
くすぐったい。
「いいって言われても…」
惣八郎はニヤニヤしながら、浩也の尻を撫でまわす。
そう言えば昔からこの人はこういうスキンシップが好きだったな、と浩也は思った。
子供の頃から一緒に風呂に入ったり、夏には川に水遊びにしに行ったりしていたので、特に恥ずかしいとか抵抗はなかったが、浩也も今の年齢に達すれば、それが何を意味していたのかようやく思い当たる。
「ちょっと早いけど、お前にお年玉があるんだ。ま、お前ももう大人だから、今年で最後な。」
手渡されたのは、派手なピンク色の液体で満たされた、小さなプラスチックのボトル。
「これって……。」
思い出してみると、自分のを剥いてくれたのも(あの時は痛くて泣いたものだ)、手淫を教えてくれたのも惣八郎だった。
「お前、ガキ扱いするとよく怒ったじゃん、昔。18になったらちゃんと大人として認めてやろうって思ってたのさ。でも帰ってきてみればお前すっかりごつい雰囲気になっちゃって俺の好みじゃなくなってるし、相手ももういるみたいだからさ。」
「……はあ。」
「健気だよなあ、ずっと一時間以上木の影からお前がこき使われる姿、見つめてるんだぜ。」
「え゛っ!!」
浩也が思わず振り向くと、大きな松の木の所にいる人影と一瞬目が合い、そのままそれは木の背後に隠れてしまった。
「ほら、行ってこい。」
背中を押され、松の木陰に隠れたストーカーを捕まえる。
「お前、いつからここにいたんだよ?」
「……ついさっき。」
嘘つきだな、と冷えきった手を握りながら浩也は思う。
「ちょっとついでに寄っただけなんだ、これ、浩也に渡そうと思って。」
差し出されたのは、『合格祈願・八百珍神社』と書かれたお守りだった。
うちは寺だぜ、という言葉は飲み込んだ。
「お前、なんですぐ声かけてこなかったんだよ。俺、すっげー会いたかったんだぜ。」
「忙しそうだったし、それに、あの人と仲良さそうだったから……。」
やはり、惣八郎は郡司の存在に気づいてて、わざと見せつけるようにベタベタしてたのか。
「ただの親戚だよ、昔から可愛がってもらったけど。」
「うん……でも、大人だしカッコイイ人だよね。」
「まあな、だけどどうでもいいよ、ようやく会えたんだから早く二人きりになれる所に行こうぜ。」
石段を下り、寺の外に出る。
通りを歩き、人の気配のなくなったところで、ふと郡司が立ち止まった。
「一週間も持たなかった……。」
「え?」
「自分から言い出したことなのにね。浩也が側にいないってことが、こんなに辛いなんて思わなかった。」
浩也は郡司を背後から抱きしめた。
「俺もだよ、今日だってお前のことばかり考えてた。」
「……ホテル、行く?」
「ああ。」
今頃、みんなまだ鐘を撞いているのだろうか。
もはや除夜の鐘の音は聞こえない。
街中の狭いラブホテルの一室に響いているは、甘いあえぎ声と接合部から漏れる濡れた音だけだ。
(せいのっ)
浩也は心の中でかけ声をかけ、腰を一旦後ろに引くと、勢いよく前に突き出した。
「ぁああああぁぁっ、あ、あっああ……」
ゴォオオオオオオーーーーーーン……という音の代わりに、郡司の嬌声が鳴り響く。
ゆっくりと腰を引く度に、ピンク色のローションと混じった体液がかき出され、郡司の内股を伝い落ちる。
再びぐっと奥を突くと、郡司の背中が小刻みに震えながらしなった。
『目標は除夜の鐘』
最初は笑って数を数えていた郡司も、もはや朦朧とした意識で快感を追うことしかできない。
ピストン108回はやはり無謀かもしれない。
柔らかな粘膜に精を放ちながら、浩也はぼんやりと考える。
煩悩は当分果てそうにないけれど、いい一年の締めくくりと幕明けであった。
ともだちにシェアしよう!