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第3話 Valentine Love Song

 2月14日。 世も浮かれ立つバレンタインデー、浩也は受験戦争の真只中にいた。 暖房の利きが今一つな会場で、それでも暑すぎてのぼせるよりはマシだと思いながらガリガリと鉛筆を滑らせる。 時間を告げるブザーを聞きながら、(ま、こんなもんだろう)と鉛筆を置いた。 どうせ滑り止めである。 センター試験も好調で本命にもそれなりに自信はあるので、さほど緊張もせず問題を解いた。 他の受験者には怒られるかもしれないが、適度な準備運動といった所だ。 『今、終わった』 受験生の立ち並ぶバス停でメールを送信すると、『いつもの所で待ってるから』と即座に返信がきた。 駅前で鮨詰め状態のバスから解放され、びちゃびちゃとした霙の中を15分ほど歩いて辿り着いたのは、街外れの図書館。閲覧室に入室した浩也の姿を認め、椅子から郡司が立ち上がった。 「どうだった?」 自販機にコインを落としながら、郡司は浩也に尋ねた。 飲み食いやおしゃべりが許されているエントランスホールで、郡司は浩也に 熱い缶コーヒーを手渡し、自分のペットボトルを開けた。 「ん、まあまあかな。本番はこれからだし。」 軽い前戯みたいなものだ、エッチで言えば、乳首にイタズラぐらいのレベルだろう、と思ったが、公共の場で口に出すと郡司が怒るので浩也は言葉を飲み込んだ。 郡司は物憂げな顔つきでミルクティを啜った。 猫舌なのか、飲み物を飲むのもちびちびととろい。 浩也は飲み終わったコーヒーの缶をゴミ箱に投げ入れた。 「……今日は疲れてるよね。」 「まあな。」 「……そっか。じゃあ、もう帰る?」 郡司の瞳が不安そうに揺らめきながら、浩也に問いかけてくる。 毎度のことながら可笑しくなる。 郡司はアレなのだ、イベントが実は大好きで、何かと言うと自分と甘い時間を過ごしたいと願っているのだ。 バレンタインも然り。 「帰ってもいいけどさ。」 ちょっと苛めたい気分で浩也が立ち上がると、郡司は泣きそうな瞳で見上げてきた。 実はこの目に浩也は弱い。 「もう、一日中座ってテスト受けてただろ。足腰痛いし、ここんとこ勉強ばっかで運動不足だし。身体が鈍っちまう。ちょっと動いて発散したいなー、なんて。」 郡司の顏に微笑みが広がる。 「じゃあ、二人でたくさん運動しよう。」 普通に仲の良い男子高生なら、ここでバッティングセンターにでも行く所だろう。 もちろん浩也と郡司がこれから向かう所は、そんな健全な場所ではない。 「ずっと同じ姿勢とってると血流が悪くなって、肩とか腰とか凝るんだよね。浩也の腰がほぐれるまでたくさん動こう。俺、頑張るから。」 下半身の話題とは思えぬ健気さで郡司が浩也に申し出る。 もっとも、特別張り切らなくとも、ベッドの中の郡司はいつもその媚態で浩也の血液を鼻の毛細血管から股間の先端に至るまで逆流させ、結果的には腰が抜けるまでやりまくる羽目になるのだが。 浩也は家に電話をし、今日の試験の打ち上げをやるから遅く帰る、食事はいらない、と連絡を入れた。 後はお決まりのコースだ。 待ち合わせに図書館を選ぶ辺り、郡司が確信犯なのではないかと浩也は疑う。 目と鼻の先に、いつも利用しているラブホテルがあるのだ。  部屋に入ると、浩也は靴も脱がずにダブルベッドにダイブした。 「ふああ、やっぱテスト受けんのって疲れるわ。」 郡司も、コートと靴を脱いでベッドに飛び乗ると、浩也の横でスプリングを弾ませて遊ぶ。 しばらくベッドの上で子供のように戯れた後、郡司が浩也の顏を覗き込み、唇を重ねてきた。 「ね、今日はなんの日だか知ってる?」 予想していた郡司の問いに、浩也はしれっとして答えた。 「俺の滑り止めの試験日。」 「そうじゃなくて、もっと広い意味で考えろよ、今日の暦。」 「……節分はもう終わったしな。」 そう、節分。あれには参った。 受験も後10日余りに控え、最後の追い込みをかけている時に、何の前触れもなく部屋に闖入者が現れたのだ。 どう見ても駄菓子のおまけかなにかとしか思えない、紙で出来た子供騙しな鬼の面を付けた父親に、『福は内ー、鬼も内ー』と豆をばらまく母親。 顔にぶつけられた鬼打豆を見つめながらふと思い出すメンデルの法則。 あの両親と同じ遺伝子が自分にも組み込まれているとは思いたくない。 勉強の邪魔をするだけでは飽き足らず、冷たい眼差しで豆まきに加わろうとしない浩也に、両親は説教をするという暴挙にまで出た。 『浩也、日本の大切な伝統をお前はなんだと思ってるんだ?』 『そうよ、目先の勉強ばかりに捕われて。人間としてもっと大切なことがあるでしょうに。』 『そもそも、節分の歴史はだな、鬼やらいと言って、遡ること7世紀後半、中国から伝わった大晦日の宮中行事が……』 『だから、それって神事だろ。うちは寺なんだから関係ないじゃん。』 『何言ってるんだ、多くの寺でも追儺の儀を行ってるじゃないか。』 『そうよ、自分だってクリスマスに浮かれて朝帰りした癖に、なに突然厳密なこと言い出すのよ?!』 はあ、と浩也は盛大なため息を吐いた。 情けないことに、両親に逆らって勝てた試しはない。 渋々と両親と共に豆まきをしたものの、浩也は一日も早く親元から自立したいと願わずにはいられなかった。 あのクソ坊主にクソババア……。 「浩也、わざと言ってるだろ。」 少し拗ねた口調で浩也は現実に引き戻された。 目の前の郡司が軽く睨んでいる。 意地悪もここら辺で止めておかないと後が怖い。 クリスマスの二の舞いは勘弁してほしい。 「分かってるって。バレンタインだろ。でも俺、なにも準備してないよ。」 「いいんだよ、浩也は忙しいんだし。俺はただこうやって浩也と過ごせればいいんだ。」 甘えるように頭を胸に押し付けられ、浩也は愛しさがこみ上げた。 そのまま 郡司の身体を抱き寄せ、組み敷き服を脱がせにかかる。 「あ、浩也、ちょっと待って……。」 今さら恥じらう仲でもないのに、何を勿体つけているんだと訝しがる浩也に、 「プレゼントがあるんだ。」 郡司は顔を少し赤らめてするりと浩也の腕から抜け出した。 まさか『プレゼントはオ・レ♡』とか言って素っ裸になって首にリボンでもつけてくる気じゃあるまいな、と浩也は考えを巡らせる。 あり得ないことではない。 郡司は妙に大胆な所があり、一見楚々とした容貌の割にはかなりスキモノだったりするのだ。 理解不能な思考回路を持っている点では、浩也の両親といい勝負だ。 そういうベタなことをやりかねない、それはそれでうれしい気もするが……などという浩也の危惧(期待?)を他所に、郡司は小さな包みを鞄から取り出すと、ベッドに戻ってきた。 「浩也はこういうイベント、好きじゃないかもしれないと思ったんだけど、でも、テストお疲れさまの意味で受け取って。」 自分を労おうとする郡司の心遣いが、浩也は素直にうれしかった。 馬鹿騒ぎに乗じて自分の邪魔をするだけの両親とは大違いである。 「ここで開けて。」 チョコだろうと思いつつ、浩也は小さな包みを受け取った。 たとえ10円のチロルチョコであったとしても、両親が投げ付けた鬼打豆に比べれば天に舞い上がるほどうれしいものだ。 ハート形のシールを剥がし、ピリっとラッピングを破いた。 「……。」 中から現れたものを浩也は凝視した。 予想は当たらずとも遠からず。 だが、チョコはチョコでも、遠足の前日に駄菓子屋で買い求める類いのものとは大きく違う。 いかがわしいイラストの描かれたチューブに入ったそれは、子供が食べるお菓子とは用途がかなりかけ離れているようだ。 「味は普通のチョコレートシロップだよ。味見したけど、甘くて美味しかった。特別な製法で作ってあるから、とけた状態で固まらないらしい。ローションの代わりにも使えるって。」 郡司は少し顔を赤らめながら、一気にまくしたてる。 ローションの代わりって、チョコレートを尻に塗るのはまずいだろう、と浩也は思った。 浩也にスカのシュミはない。 『塗ってよし、舐めてよし、オーラルセックスが苦手な方にもオススメ。:お子さまには販売できません』という注意書きと郡司をかわるがわる見比べる。 「味見って誰と?大体お前、これ、どこで買ったんだよ、」 「あ、駅裏の本屋さん。昼間、一人で暇だったから覗いてたんだけど、あそこの地下って本以外にも色んなもの売ってて面白いよ。」 おっとりした外見で、エロ本屋に一人で入っていく神経が信じられない。 「これ、美味しそうだと思って見てたら、店員さんが『舐めてみる?』って、一つ開けて味見させてくれた。」 「なんかされなかっただろうな?!」 「まさかー。だって、相手は店員だよ。すごく親切だった、いろんなの見せてくれたり、相談に乗ってくれたり。浩也とのこととか、いろいろ聞いてもらったし。相手を悦ばせるテクとか、マンネリ化を避ける方法とか。大晦日はピストン108回って言ったら、『叶わない』ってがっかりしてた。2割り引きにしてくれた上に、こんなのもおまけにくれたよ。それもペアで。今度お揃いで履こう。」 黒いTバックのビキニを手にひらひらと振って見せる。 「……。」 郡司のこういう所が恐ろしい、と浩也は思った。 無自覚に男を翻弄してしまうのだ。 おそらく、顔を赤らめ恥ずかしそうに、そのくせ聞かれもしないエッチなことまで喋ったのだろう。 店員が鼻の下を伸ばしながら聞き入るうちにすっかり手懐けられ、郡司に請われるままに、次から次へと商品を開けて見せたり、味見させてやったりする姿が目に浮かぶようだ。 「お前さ、一人でそういう場所行くなよ。」 「どうして?」 「ヤバいだろ。」 郡司は浩也の言葉が理解できないように、首をかしげる。 はあ、とため息を吐いてから言葉を変えた。 「そういう買い物なら、二人で一緒にしたいから。」 郡司の頬がポーッと赤く染まる。 一人でエログッズ買いに行く男が、なぜこんな言葉で恥じらうのか理解できない。 「これ使って、今夜はいっぱいやろうね。」 チョコレートのチューブを手に、潤んだ瞳で浩也を見上げる。 「ああ。」 その潤んだ瞳が涙をたたえ、雫がゆっくりと伝い落ちる。 「浩也、大事な話があるんだ。」 嫌な予感がした。 「今日、腰が抜けるまでやりまくったら、しばらく会うのを止めよう…。」 またかよ。 もはや浩也は、ちょっとやそっとのことでは驚くまい、と思った。 「一応、理由聞いていいか?」 「…浩也も受験本番だし…浩也の一生をダメにしたくない。浩也の受験が終わったら…」 やはりそうきたか。 「あのさ、俺の人生は俺が責任取るもんだから、別に大学に落ちようが人生を踏み外そうが、お前は関係ないよ。」 「……」 「あまり余計なこと考えるなよ。」 「でも、俺、今日、願掛けしてきちゃった。」 「は?」 「浩也を合格させてください、それまではエッチ我慢しますって。よく、願いごとをするのに好きなものを断つって言うじゃん。」 「……」 「八百珍神社と、トラピストン修道院と、浩也んちのお寺。自分でお願いしておいて、やっぱいいですっての、罰当たりだよね。」 そもそも、違う神様3人(?)にお願いする方がよほど罰当たりだと思ったが、浩也はもはや何も言う気になれなかった。 郡司が突拍子もないことを言い出すのは、これが初めてではない。 というよりも毎度のことなのでいいかげん浩也も慣れてきた。 「よっしゃ、分かった。今日が14日か。本番まで10日ねえもんな。禁欲でもなんでもしてやろうじゃねえか。くそ、絶対に一発で合格してやる!合格発表の暁には一晩中寝ないでやりまくるからな。」 噛み付くように唇を重ねる。 「浩也……。」 当分エッチができないとなりゃ、一分一秒でも惜しい。 服を脱ぎ散らかし、獣のようにもつれあう。 チューブから出したチョコレートを指に纏わせ、郡司にしゃぶらせる。 「浩也の指、甘いよ…。」 恍惚とした表情で浩也の指を口に含む郡司の姿はとてつもなく扇情的で、浩也は脳の中枢を電流が暴走するような感覚に襲われる。 ぐっと力を持ち、真直ぐ天を貫かんばかりの勢いで勃ち上がった浩也の欲望に、郡司は華奢な手を伸ばす。 「塗ってあげる。」 チューブの中身を絞り出し、郡司は浩也の昂りに塗り付けていった。 「いつもと逆だね。」 たまらず突き出てしまった腰に、郡司がうれしそうに笑う。 普段なら淫らに震える郡司の尻に、浩也がローションを塗り込めるのだ。 「出来上がり。」 卑猥な菓子を郡司が尖った舌でぺちゃぺちゃと舐めた。 小さな口がチョコレートで汚れていく。 郡司のあどけない顔立ちが浩也は好きだ。 それなのに、綺麗なものを汚す行為に、斯くも興奮するのはなぜだろう。 顔を上げさせて口づけると甘い味が広がった。 鎖骨や乳首にチョコを塗っては嘗めあげる。 郡司の身体が震え、嬌声がもれる度に浩也自身も興奮で我を忘れた。  なんだかんだ言って、自分もスキモノなのだ、毎度郡司に乗せられている。 骨抜きにされてしまったのだ、とつくづく思った。 『カルシウムが溶けるからいけません。』 浩也の両親は子供の頃、何があってもコカ・コーラを飲ませてはくれなかった。 そんな彼らも、コーラよりも悪いものがあるとは考えつかなかったようだ。 郡司を食うと骨抜きになる、なんて誰も教えてくれなかった。 だが、それがどうした? 振り回されるのも悪くない、むしろ浩也はそれを楽しんでいた。 郡司という毒は、感覚が麻痺するほど甘いのだった。

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