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第二章 獣人の国と少年 (一)

船独特の揺れをベッドに横になりながら耐えていると部屋の外から到着を知らせる声が聞こえ、待ちわびたベスティア――獣人の国――についたのだと、まだ見ぬ異国に夜宵は心を踊らせた。 隣でずっと手を握ってくれていたシルヴァンに支えられ床に足をつけると、到着したとはいえここはまだ海の上。足元は不安定だ。 支えてくれる腕にしがみつかながら甲板まで出るとそこはにぎやかな港街だった。 それほど大きな街ではないとシルヴァンは言ったが、夜宵は自分が育った村しか知らないため、それと比べては何十倍も大きい。 絶えず吹いている潮風が夜宵の真っ黒な髪を揺らし太陽に当たりつやつやと輝かせる。 数年ぶりに見るの明るい世界に目が眩みながらも手すりに乗り出し街に気を取られていたとき、びゅうと強く吹いた風が吹き船を煽りバランスを崩して夜宵の上半身が船の外へ飛び出してしまい、落ちるすんでのところで慌てたシルヴァンが抱きとめた。 「びっくりした」 「まったく危なっかしいな。子供みたいだ」 シルヴァンは抱きとめた夜宵にマントを着せ、そのまま抱き上げ横抱きにした。 「わっ!みそら!?」 降りようと抵抗する夜宵をなだめ、フードを深く被せる。 「ここはもうベスティアだ。ヒト族は珍しい。君がヒトであるとバレたら厄介だ」 それは夜宵にも理解ができた。逆にレン――ヒト族の国――では獣人は滅多におらず、見つかれば生死に問わず高値で売りさばかれ、過去に夜宵がいた村でも獣人の目撃情報が出たときは二ヶ月に渡って血眼になって村人は獣人を探していたほどだ。 獣人一人差し出すだけで一生遊んで暮らせるほどの大金が手に入るのだ。 例外としてヒトに近い見た目の獣人だったり傷を負った獣人、子供の獣人では大した金にならないため、こちらは即殺処分が一般的だった。 夜宵の脳裏には海を渡る前の追手の男たちの猟奇的な姿が蘇る。 首に手を回して俯いたのを確認するとかけられた階段をゆっくり降りていく。 シルヴァンが階段を降りていくとわあと歓声が上がり、あまりの大きさに夜宵は驚いて何事かと少しだけ顔を浮かせてフードの下から街を見る。 するとどうだ。街の人々が皆こちらを向いているではないか。 笑顔の獣人ばかりだが、注目する先は何もシルヴァンだけではない。明らかな興味を持たれている。 レンでの獣人目撃騒ぎや過去自分の身に起きた村人からの迫害、暴行、そして抱き上げられたときに聞かされた彼の言葉が光の速さで駆け巡り、ついに体は震えてしまった。 痛くはない。ただ両腕の古傷が痛むような気がする。 耳元で「大丈夫か?」と訪ねてくる声が聞こえるがとても大丈夫ではない。 そもそも夜宵自身そこまで怖がることはなかったが、取り囲む獣人の数のせいか、はたまた知らない土地であるからか、ここまで怯えていること自体に疑問を持ったのは夜宵本人だった。 「殿下!お帰りなさい!抱えていらっしゃるのは侍従ですか?」 「いや、向こうではぐれていた獣人を保護してきたのだ」 「へえ!さすが殿下!その強さありながら弱いものを見捨てない!相変わらずお優しい!」 周りが騒ぎ立てるの困惑しているのが伝わり、夜宵の心は恐怖より心配に切り替わっていた。 大丈夫か、と顔を覗き込むと思っていた以上に野次馬が近く、顔を覗き込まれた。 驚いた拍子にフードが揺れ、めくれないうちに抑えたのはいいものの中に隠していた髪がはらりと流れてしまった。 その髪を見て、顔を覗き込んだ獣人は声を上げた。 「可愛い顔にその長い髪、さては女ですね?しかも黒い髪とはまた!殿下も隅に置けないっすねぇ!」 周りからは「ヒューヒュー」と騒がれ余計に困り顔になる。 夜宵の髪はしばらく切っていなかったためすっかり伸びてしまっていた。 始めのうちは自分でどうにか切ってはいたが、抱きに来る男たちが伸ばしてほしいと口を揃えて言っていたため次第に切らなくなり、今では背中は余裕で腰に届かんとしていた。 「そういうのではない。怖がっているからそろそろ行きたいんだが」 その言葉を聞くなり獣人たちは道を開け、馬車まで続く一本道ができた。 それから街ではシルヴァンがレンから愛人を連れてきた、と話題になったらしいが夜宵の耳に入るのはもっと後のことだった。 馬車に揺られてたどり着いたのは大きな屋敷。 手を引かれて中に入ると使用人たちが並んでおり、総出で主人の帰りを出迎えていた。 「おかえりなさいませ」 圧倒されて思わずシルヴァンの後ろに体を引っ込める。 まるで高貴な身分の人のようだ、と思ったが夜宵はすぐにシルヴァンがこの国の王子であると名乗っていたことを思い出した。 それならば港でのあの騒ぎも理解できる。が、一国の王子様と言うならばなぜこのような街に屋敷を構えているのか、疑問でならなかった。 「シルヴァン殿下、此度の出征誠にお疲れ様にございました。無事にご帰還いただき嬉しく思います。して、そちらの御方は……?」 使用人の中で一番年齢が上であろうスーツを着た執事が夜宵に視線を向ける。 「ああ。あちらから連れてきた俺の命の恩人だ。夜宵、もうフードを取っていいぞ」 促され一歩前に出た夜宵は深くかぶったフードに手をかける。 現れた姿に使用人たちは動揺を見せた。 それもそのはず、どの獣人にもついている獣耳がついていない。また獣耳がない種である鳥や爬虫類のような翼や鱗もない。その姿はどう見てもヒト族である。 「旦那様、あちらから……ヒト族の子を連れてきたんですか?」 「ああ」 「なんてことでしょう……!」 「このことはここにいる皆の胸に留めてもらいたい。今回の任務の報告も含めて近いうち王宮に行く。その時父に――王に直接話そうと思う。それまでは他言無用とする」 ここにいる使用人は全員頭を下げた。いかにシルヴァンが使用人たちに信頼されているかが初めて目にした夜宵でさえわかった。 「お部屋はシルヴァン様のお部屋に一番近い客室でよろしいですか?」 「いや、俺の部屋にする。まずは風呂に入れてやってほしい」 シルヴァンは夜宵の背を押して執事の前に差し出し、先に片付けるものがあるからとどこかへ消えていった。 「初めまして。この家で執事をしておりますトーマスと申します。ヤヨイ様、でお間違い無いですか?」 弥生はシルヴァンのことが気になってしまい、ペコリとお辞儀をすると目当ての背中を追って駆け出したが数歩でトーマスに捕まってしまった。 「まずはお風呂です」 そのままズルズルと引き摺られるように脱衣場へ連れてこられてしまった。 夜宵が男性であることを確認すると、あれよあれよと身に纏っていた服を剥がされてしまった。 両腕につけているアームカバーにトーマスが手を伸ばしたとき夜宵はとっさに押さえつけた。 不思議そうに見られ、過去の傷を隠したいのだと説明したが聞き入れてもらえずこれも剥がされてしまった。 夜宵は傷を追ってからアームカバーを人前で外したことはなく、小屋に住んでいたときもシルヴァンと湯を浴びるようになってからは尚の事外していなかった。 腕の傷跡は肩峰から手首に渡り、主に背面側に広がっている。 まともな治療すら受けられなかったため一部膿んだこともあり表面はボコボコして、見るに堪えない悲惨なものだった。 この腕を見るたび夜宵の脳裏には村人たちから受けた暴行の数々が鮮明に浮かぶ。 だからこそ人にも、そして自分にも隠すように常にアームカバーも身に着けていた。 顔の可愛さとは似つかない凄惨な様子に、トーマスはそれ以上何も言わなかった。 その後は拒否するも虚しく全身を丁寧に洗われ、来るときに見た海のように広い湯船に浸かり、タオルで全身包まれ呼ばれた他の使用人と共に三人がかりで髪を乾かされた。 用意された洋服に袖を通すと手首の部分がきゅっと窄まっているデザインで、アームカバーをつけなくても腕の傷を隠すことができ、トーマスは悲しそうではあるが夜宵の喜ぶ様子に安心したような笑顔で見つめた。

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