シャワーの音が止まって、風呂場のドアが開く音が聞こえた。 　先にシャワーを済ませていた咲太は部屋で乾きかけた髪の毛をタオルで拭きながら炭酸ジュースを二つのコップに入れていた。 「長かったねー、ジュンのジュースも入れとくね。それと、もう始まるよー」 　淳吾の返事はなかった。順番にシャワーをしてから一緒に観ようと言っていたドラマがもうすぐ始まるのだ。 　ゲイ向けのＳＮＳで知り合って半年。淳吾からメッセージをもらった。だけど送られて来た顔画像は咲太の書き込んでいた好きなタイプとは明らかに違っていた。 　咲太の好みのタイプの男性は、背が高くてがっちりしていて男っぽい人。ハンサムならなお良し。でも淳吾はどちらかと言うと童顔で色白でかっこ可愛い感じ。プロフィールの身長は１６５センチで咲太より数センチ高いだけだ。男性としては決して高い方ではない。体重から見ても咲太と同じスリムな体型が容易に想像できた。 　短髪にしているところだけが唯一の好みだった。 　それを最初から察していたのか、淳吾も「俺のことはタイプではないかもしれないけれど友達として仲良くして欲しい」とメッセージに書かれていた。 　友達も同時募集中です、と咲太自身が端っこにちらっと書いていたわけだし、メッセージをくれること自体は嬉しかった。同じ年齢で同じ系列の専門学校に通っているということもあり、寂しも相まって友達でもいいやと思うことにしたのだ。 　お互いに彼氏がいなくて寂しいね、同じ受け同士だね、という親近感も手伝った。 　心のどこかではタイプの男性に抱かれてみたいという妄想だけは膨らませていたけれど、それは当分お預けになりそうだった。 　お茶したりご飯したり買い物に行ったりしているうちに淳吾の性格の良さも分かって、恋愛関係じゃなくても気兼ねなく何でも話せるゲイ友もいいもんだなと思っていた。 　ある日、淳吾に、なんであのときメッセージくれたのと聞くと、少し考えてから趣味が合いそうだったからという答えが返って来た。 カフェのスイーツ巡りや服選びや芸術鑑賞をたくさんできたのも淳吾がいてくれたお陰だと今では思っている。 　脱衣場から頭を拭くシャカシャカという音だけが響いていて、やはり淳吾は黙ったままだった。ドラマの開始に合わせて慌ててるのかもしれない。 　咲太はテレビの音量を上げようと思いローテーブルに目をやったがリモコンが見当たらず、くるっと首を回すと万年床の枕元にあったので、体をよじって手を伸ばした。 　淳吾の足音がすぐそこで聞こえた。いつもより重みのあるドシンドシンという音が響いた。違和感を少しだけ感じながら姿勢を元に戻すと、そこにいたのは淳吾ではなく、見たことのない大柄な男がパンツ一丁で正座をしていた。 「ぃひゃぁあっっ！」 　咲太は思わずリモコンをお手玉のように放り投げて後ずさりした。 「だ、だ、誰ぇっ！　え、ええ、何……！」 「サク聞いて、俺なんだよ、淳吾、淳吾なんだよ」 　男は頭をかきながら野太い声でそう言った。 「は？　え、ど、どういう、こと……」 「まだ言ってなかったけど、俺、お湯にあたるとこうなるの」 「え……な、なんかのドッキリ？　ちょ、ジュン！　ジュン！　ジュンてばぁ！」 　咲太は大柄な男の後ろに向かって大きな声で呼びかけた。返事はない。 「だから、サク、聞いてって」 　咲太は立ち上がり大柄な男を避けるように通って風呂場まで急いだ。電気を点けたが淳吾はいない。トイレの中にも洗濯機の中にもいない。踵を返し玄関を見る。淳吾の靴があり、ドアにはちゃんと鍵がかかっていた。 　男の微動だにしない正座の後ろ姿はどう見ても淳吾の背中ではない。淳吾は咲太と同じ小柄で細身で色白だ。男はマッチョの域に入る体格で肌も色黒だった。唯一同じと言えば、黒髪で短髪という部分だろうか。それに淳吾の声はもっとシルキーだ。 　男は勝手に淳吾のかばんをまさぐり始めた。 「ちょっ、それ友達のなんで触らないで下さい！」 　咲太は思わずそう叫んで男に近づいた。男は座ったままで咄嗟にスマホを取り出すと咲太に差し出した。 「暗唱番号言うから解除して」 　咲太は今の状況を理解するためにも言われるままスマホをさっと取り上げ、男の言う通りに打ち込んだ。解除できた。男の顔を見ると、少し安心したような顔になった。 「サクのラインのアイコンは、先月二人で食べた練乳かき氷であずきと黒蜜でスマイルが描かれてる。しかもサクが急に今日は和菓子スイーツがいいって言い出して実現した」 「……」 「信じてくれた？」 　サクという呼び方も二人で決めたことで二人しか知らないことだし、アイコンの背景にある内容も二人だけしか知らない。咲太はへなっと座り込んだ。 「いったい、どういうこと……」 「ごめん……隠してたことは謝る」 　謝るって言われても……。 　よりによって、今、目の前にいる男は咲太のタイプの男性だった。眉毛が濃く、切れ長の奥二重瞼、鼻筋の通った深い彫り。シャープな顎のラインがその精悍な顔つきに色気をまとわせていた。 　それにがっちりとした体格に抱かれてみたいってずっと思ってた妄想上の男そのものだった。淳吾もこういう男がタイプだと話していて、お互いに同じタイプだから取り合わないようにしようねと話していたのだ。 「ちょっと待って、あなたは淳吾の何？　なんでそんなにいろいろ知ってるの？」 「説明するから聞いて、サク、お願いだから、俺を信じて。俺は淳吾なんだってば」 「さっきの話はジュンから聞けば口裏合わせできるレベルじゃないですか。なんでこんなことするんですか？　何のために？」 　大柄な男はあぐらを組んで、ため息をついた。ジュンのものと思われるチェック柄のボクサーパンツがブリーフみたいになってしまっていて、真ん中のたわわな重量感のせいで目のやりどころに困った。 「……先週の土曜日の晩、俺んちでお泊りしたの覚えてる？」 　大柄な男は真面目な顔でそう聞いてきた。内容は確かにその通りだ。 「だったら、それが事実だとしたら、何ですか？」 「俺が夜中にそっと腕枕してたの、本当は、サク気付いてたんじゃねえの？」 「え……っ」 「でも、俺たち友達だし、サクのことだから俺の細い腕じゃ頼りないって思って、お前、寝返りする振りして腕から逃げたよな？」 「なっ……」 　咲太は黙ったまま男を見つめた。そんな細かいことまで、心の奥のことまでジュンが誰かに伝えるとは思えなかった。だけど信じることなんてできない。それとも、淳吾は、この男を使ってこちらの気持ちを試そうとしているのだろうか。でも何のために。 　そうは言っても、咲太にも心当たりが全くないわけではない。淳吾が何となく咲太に好意を持っているような気はしていた。咲太の顔を見つめる視線や、交友関係をやけに気にすることや、明らかに優しいところとか……。でも咲太は中途半端な期待を持たせたらいけないと思い、そのことには必死に気付かない振りをしていたのだ。それに空振りだったら虚しいし恥ずかしい。 「……ジュンからそんなことまで、聞いて、るんですか……」 「やっぱり信じてもらえない……？」 「ちょ、ちょっと待って。じゃ、じゃ、なんであのときはいつものジュンの姿だったの？　あのときもジュンは自分の家のシャワー浴びてましたけど？」 　これでこのドッキリが終わると思った。矛盾点を突いたからだ。案の定、男は困っているような顔をし始めた。やっぱり。 「そろそろ本当のこと言って下さい。ジュンとどうやってさっき入れ替わったんですか？　ジュンはどこにいるんですか？」 「……サクさ、さっき俺がシャワーしてるときずっとここにいたよね？　玄関とか窓とか開いたら分かるよね？　ワンルームなんだし」 「ま、そ、それはそうだけど……あっ、お風呂の天井とか？」 「じゃ、自分の目で見てきたら？　ここの風呂、天井なんか何の隙間もないじゃん」 　その言葉と表情にドキッとした。何でも想像で疑ってしまう咲太に、淳吾はいつも「自分の目で見てきたら」と最後にあきれ顔で言うのだ。咲太は視線を落とした。 「サク、あのとき俺の家でなんで俺がいつもの姿だったか話すけど、一つだけ約束して」 「何を」 「必要以上に驚いたり茶化したりしないって」 「なにそれ」 「だってそうじゃん、サクいっつもギャーギャー言って、ありえんありえんって叫ぶでしょ。あれ、けっこうこっちはストレスなんだけど」 「ストレスって言い方ないじゃん！　だいたいジュンがいつ、も……えっ……」 　見た目も声も全然違うのに今淳吾と話しているような錯覚がした。咲太は、他の友達がいるときは至極常識的に振る舞うけれど、淳吾と二人だと気を許してしまうところがある。その二面性を知っているのも淳吾だけだ。 「約束してくれるならちゃんと話す」 　とりあえず相手の話を全部聞いてみようと咲太は思った。 「……わかった」 「あのね、お湯に濡れると、このデカくていかつい男になるんだけど、抜くと、また元通りに戻るの」 「はっ、ヌク？」 「そう、抜いたら」 　男は右手で筒を握っている状態を作って上下に動かした。 「え……何言ってるんですか……あのね！」 「だから、驚かないって約束したじゃん」 「今のは驚くっていうか、はぁって意味なんですけどっ」 　男はいったん視線を落としてまた顔を上げた。鋭い視線を向けてきた。 「……じゃ、試していい……？」 「試すって、何をですか？」 「抜いたら戻るってこと」 「どうやって？」 「……サクの体で」 「はっ？　何言ってるんですか、警察呼びますよ」 　咲太は立ち上がろうとしたが、男の逞しい腕に腰を抱え込まれ床に倒された。 「なっ、なにすっ、やめっ、ええ！」