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第5話 糖分高めは特別の証し

 しばし沈黙が続き、天希が箸を引っ込めようかと思い始めた頃、ふいに右手を掴まれる。そしてそのまま引き寄せられて、伊上は炊き込みご飯を口に含んだ。  その瞬間、周りの空気が微かに揺れた感じがした。 「うん、なかなかおいしいよ」 「お、おう。そうだろ」  ご機嫌な様子でにっこりと微笑んだ伊上に、天希は胸をドキドキとさせる。何度見てもこの笑顔に弱い。  前にも増して、自分を見つめる目が優しくなったので、なおのこと。  頬が熱くなっていくのに気づいて、無言で目を伏せた。しかしその場を誤魔化すために、箸でご飯をつまんでから、先ほど彼の口に触れたものだと気づく。 「あまちゃん、ついたよ」 「へっ?」  一人でどきまぎして、天希が落ち着きのなさを発揮していると、口の端に伊上の指先が触れる。  驚いて顔を上げれば、彼の指先にはご飯粒。それを目に留め、天希はますます顔を赤らめた。 「小さい子みたいで可愛いね」  からかうように薄く笑った伊上は、それを舌先で掬って口に入れる。ちらりと見えた、赤い舌がひどくいやらしく見えた。  だがそれをじっと見つめてから、この場を思い出して天希は我に返る。  慌てて周りを見回すと、相変わらず無表情の田島と、なにごともない顔で食事を続ける志築。  この二人の反応は予想通り。そうするともう一人の反応も、予想通りだ。  頬を染めて、瞳をキラキラさせた成治と目が合い、天希はひどく気まずい気持ちになった。 「あまちゃん」 「な、なんだ」 「ご飯が終わったら帰ろうか」 「ん? ああ」 「もちろん、僕の家だよ」 「そこは別に強調するところじゃねぇだろ!」 「忘れてるのかと思ったから」  意地悪い顔で笑う恋人に、天希は自分がやかんになったように思えた。沸騰して頭から湯気が立ち上りそうな気分だ。  さらに頬を撫でたり、耳をくすぐったりしてくる伊上を睨み付けるも、まったく効果がなかった。  そもそもこうしたスキンシップを、恥ずかしげもなくするのが伊上という男だ。  しかしアルバイトをしていた当時から、物事に興味がない人だと、周りに言われていた。例にも漏れず成治も同じことを言っていたが、正直天希は信じがたく思っている。 「あまちゃん、キスでもしたいの?」 「は?」 「そんなに見つめられたら、応えないわけには」 「ばっかじゃねぇの! そんなわけあるか!」  ふいに顎先を指先で掴まれ、天希は近づいてきた伊上の顔を、片手で押しやった。  いつもであればそのまま強引に、と言う流れも想定できたが、今日ばかりは大人しく離れていく。  ほっとするような、残念なような気持ち。心に浮かんだ思いに、天希は煩悩を払うようぶんぶんと顔を振る。 「伊上、ちょっと来い」  そのあとも横であれこれと、悪戯をしてくる伊上だったが、箸を置いた志築が声をかけると、浮かべていた笑みが消えた。  その変化を見て、天希は少しばかりひやっとする。  以前に一度だけ見た表情を消した顔、それが思い起こされた。あれ以来そういった場面はなかったけれど、自分の知らない一面を見るようで、不安を覚える。  それでも立ち上がった彼を見上げれば、振り向いていつもの笑みを浮かべた。 「ゆっくり食べてていいよ」 「……ああ、うん」  大きな手で優しく頭を撫でられ、緊張した心がわずかに緩む。ひとしきり天希の頭を撫でると、伊上は志築のあとをついて部屋を出て行った。  見えなくなった背中に寂しさが湧くが、黙って刺身を口に運んだ。 「天希さんの前にいる伊上さん、すごく幸せそうに笑うんですね」 「え? そうか? いつもあんな感じで」  二人の気配がすっかりなくなると、いままで黙っていた成治が、声を弾ませて話しかけてくる。その表情は先ほどと同様、光り輝いていた。 「ええ? すごい! やっぱり天希さんは特別なんだ」 「どう、だろうなぁ」 「そうですよ! 伊上さんって他人の作った食べ物、ほぼ口にしないんですよ。天希さんの手からだと食べてくれるんですね」 「あ、やっぱりそうなのか。あの人、一緒にいても全然食べねぇの」  当初は口に合わないだけかと思っていた。それでも付き合って四ヶ月近くも傍にいれば、さすがに天希でも不思議に思う。  飲み物さえも決まった相手からしか、受け取らないくらいだった。  自分の手からでないと食べない、と言われると、嬉しい気持ちが湧くが、まるで伊上が野生動物のように思えてきた。  とはいえ普段懐かない動物が懐く感覚は、感動すら覚える。特別の言葉が天希の中でやけにキラキラしたものに感じた。 「この界隈の人はみんなあんな感じなのかと思ってた」 「んー、あそこまで徹底してる人は伊上さんくらいです。ほかの皆さんはよく飲んだり食べたりしますよ。父さんは色々あるから、としか教えてくれなくて」 「ふぅん」  食べたり飲んだりすることを避けるのは、車を預けないことにも共通しているのだろうか。  なにも言わないので、すべて天希の憶測でしかない。それでも伊上ほどの立場になると、色々と身の回りに気遣うことが多い、のかもしれない。  自分に気を許してくれるのは嬉しい。だがその分だけ色々――がおろそかになるのではと、胸の内が複雑になる。  とはいえ天希が一人悩んだところで、どうにかなるようなことにも思えなかった。 「天希さん、甘いものはお好きですか?」 「あ、うん。好きだけど」 「デザート、食べませんか?」 「食べる。成治の手作り?」 「はい」  少し重くなった空気を拭うように、話題を変えてくれた成治は、田島に視線を送る。そうすると彼は、なにも言わずに隣の部屋へ姿を消した。  本当に余計なことを喋らない男だ。 「甘いもの好きなら今度、カフェに行きませんか?」 「俺といると目立つぞ」 「俺が一人で行っても目立ちますよ」 「成治のは俺とは別の理由だ。でもまあ、いいか。さすがに伊上とは行けないから」  一緒に行くのはまだいい。ただ紳士系イケメンが、ヤンキー崩れの男をガン見している図、はどうしたって目立つこと請け合いだ。  恥ずかしさでなにも喉を通らなくなるだろう。そう考えれば、可愛いわんこ系少年とお茶をするほうがマシである。  さっそく成治の連絡先を教えてもらい、月末に予定を入れた。  また相談に乗ってください。こっそりそんなメッセージが来て、どうするべきかと思ったが、天希もほかに伊上の話をできる相手がいない。  役に立つかは保証しない、と前置きしつつ、了解した。 「天希さん、いいなぁ」 「そうか?」 「俺もいちゃいちゃしたい」  デザートのバナナシフォンケーキを食べながら、成治の恋バナに花が咲く。  田島が傍にいるので、スマートフォンでメッセージを交わしながら、会話をすると言う妙なことをしている。  そんな秘密の会話が楽しいのか、成治のメッセージは話す以上に、テンションが高めだった。 「成治、帰るぞ」  しばらくそんなことをしていたら、戻ってきた志築が顔を見せた。かけられた声に顔を上げた成治は、スマートフォンを見て、ぱっと立ち上がる。 「あ、もうこんな時間。天希さんまた来てくださいね。あっ、父さん待ってください!」 「ん? 帰るってどこに? って、行動早いな」  慌ただしく成治が出て行ってしまい、天希は急な展開に戸惑う。ぽつんと取り残されて、答えを求めるように田島を見た。 「お二人は本宅にお帰りになります」 「ああ、そういやここ、別邸って言ってたっけ。母親はそっちにいるのか?」 「奥様は仕事で海外にいらっしゃいます」 「キャリアウーマンってやつ?」 「はい。自分はお二人を送るので、ここで失礼します」 「マジで? 俺は?」 「あまちゃん、帰ろうか」  田島まで、と途方に暮れそうになったところで、伊上の柔らかい声が聞こえた。それに振り向くと、入り口に立つ彼が握ったキーケースを揺らす。 「おいで、早く帰ろう」  やんわりと恋人に微笑まれて、手を差し向けられると、誘われるまま近づかずにいられない。  傍まで行くと肩を抱き寄せられ、ふいに伊上の顔が近づいた。その先の展開はすぐに想像できたが、天希は黙ってそれを受け入れてしまった。

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