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第10話 二文字の想いを込めて
伊上の誕生日と、成治と約束した日が被っていると気づいたのは、あれから数日後。
いまさら約束を反故にするのも気が進まず、昼間に成治と出掛け、夜に伊上と食事をする約束をした。
本人は自分の誕生日に関心がないのか、プレゼントなどくれなくてもいい、と言っているのだが。
天希的には、恋人の誕生日を初めて祝えるとあって、その日は朝から気分が盛り上がっていた。
「プレゼント、決まりましたか?」
「うーん、どっちにしようか悩んでるんだよな」
カフェの予約時間までかなり余裕があり、天希は雑貨屋へ来ていた。気の利く成治が、何件か店をチョイスしてくれていて、プレゼント選びにまで付き合ってくれている。
一人であったら、品物を前に悩むところまで、至らなかっただろう。
「ペアマグ、ですか。ステンレスも格好いいけど、陶器のも色が綺麗ですね」
「そうなんだよ。値段的には、ステンレスのほうが手が届きやすいんだけど。やっぱりこっちかな」
「いいと思います。でも天希さんが選んだものなら、伊上さんはなんでも嬉しいと思いますよ」
「そ、そうか?」
「はい。近くで見ていても、特別! ってすごく伝わってきます」
両手を握りしめて力説する成治に、天希は頬が熱くなる。あの日から二週間と少し、毎日のように二ノ宮家に預けられていた。
仕事を終えて帰ってくると、伊上はまっすぐに天希の傍に来て構い倒し、成治が瞳を輝かせる、毎回その繰り返しだ。寂しさはなくなったが、恥ずかしさが増えた。
「見ていてちょっと羨ましいです」
「あー、田島は相変わらず?」
「はい。ちっとも俺の気持ちに気づいてくれそうにないです」
「そっか」
成治の恋路を応援したい気持ちが九割だけれど、伊上の忠告を無視するわけにもいかない。天希は頑張れや大丈夫、その言葉だけは言わないようにしている。
それでもまっすぐな成治を見ていると、背中を押したくて仕方がない。
「あ、でもこのあいだ。花をくれました」
「花?」
「はい! 仕事先で押しつけられたみたいで、困っていたので、くださいって。マリーゴールドの鉢植えを」
「お、おう、そうか」
それは花を贈られたとはいささか異なるが、成治としては田島から受け取ったことが嬉しいのだろう。
にこにこと笑う顔を見ていると、振り向かないあの男が恨めしく思えた。
「成治は、諦めようとかは、思わねぇの?」
「そうですね。……見込みはなさそうなんですけど。夢を見ていられるだけでも、幸せなのかなって」
「辛くない、ってことはないよな」
「毎日顔が見られて、声が聞けるだけでも恵まれてる気がします」
「前向きだな」
もしかしたら周りがとやかく言わなくとも、成治自身はすでにわかっていることなのかもしれない。これが報われない恋だってことに。
しかしそうは思っても、頭ではわかっても、天希は胸がモヤモヤとする。
「田島さん! お待たせしました」
「いえ」
プレゼントを購入して店の外へ出ると、くだんの男が立っていた。成治のにこやかな笑みにもまったく動じず、相変わらずだ。
なぜいまここに田島がいるのかは、数時間前に遡る――までもない。
二人で出掛けると知った志築が、彼を押しつけてきた。
休日のカフェに行くだけでお供付きかと、過保護ぶりに呆れもしたが、成治にとっては喜ばしいことだ。黙って天希は連れて行くことを許した。
「田島さん、これこのあいだのお返しです」
「お返し、ですか?」
「はい、花をくれたので」
「あれは」
「ネームタグに田島さんのイニシャルを彫ってもらったんです。使ってください」
いつもの調子で成治がぐいぐい突き進んでいる。その様子に田島はわずかに戸惑っているように見えるが、表情にさほど変化はない。
だが着ている上着のポケットに、突然手を突っ込まれて肩を跳ね上げた。
「車のキーホルダー、味気ないと思ってたんです」
「あの、成治さん」
「ほら、格好いいですよ」
得意気な成治の笑顔が、キラキラと輝いて見える。田島の困惑などものともしない強引さは、恋する男子は強し、だ。
「わりとお似合い、かもな」
ただし付き合ったら、田島は尻に敷かれるに違いない。その様子は想像するだけで笑えた。微笑ましい彼らを少しばかり二人きりにしようと、天希は見ていないふりをしながら、その場から少し離れる。
手持ち無沙汰を紛らわすために、スマートフォンに視線を落とせば、少し前に伊上からメッセージが届いていた。
――今日はなにを食べさせてくれるの?
その文字を目に留めて、天希は口元を緩める。今晩は彼のために、料理をすると約束をしていた。
これはなにも欲しがらない恋人が、唯一してくれたリクエストだ。
普段は他人の作ったものを、あまり口にしないので、意外なおねだりだったが、自分はほかの人と違うと言われているようで嬉しかった。
――期待はするな。ただのハンバーグだ。
短くそう返信すると、すぐに期待していると返ってくる。いまは手が空いているのだろうか。
少し間を置いてからスマートフォンが震え出す。とっさに通話を繋げると、柔らかな声が聞こえてきた。
『今日はなにも食べずに待ってる』
「いや、昼飯くらい食えよ」
『そのくらいの気持ちってことだよ』
「大げさだな。俺そんなに料理は得意じゃねぇよ」
天希は常日頃、台所に立っているわけではない。腹を空かせて、たまに焼くか炒めるか煮るかをする程度だ。
それでも今日のために練習はしてきた。練習台になった家族は迷惑だったろうけれど。
『成治たちは?』
「いま成治が田島に猛アタック中」
『へぇ、それは面白い展開だね』
「だろう? 成治、めちゃくちゃ生き生きした顔になってた」
『あまちゃんも生き生き、というか毎回キラキラしてるよ』
「え? 俺が?」
『うん、いつも眩しいくらいだよ。すごく可愛い』
ふっと優しく甘くなった伊上の声に、天希の胸の音が跳ねた。それとともにじわじわと顔が熱くなって、照れくささを誤魔化すように視線を俯かせる。
誰が見ているというわけでもないのに、天希はひどく気持ちが落ち着かなくなった。
「えっと、あのさ」
そわそわとした気分になりながら、思考を巡らせ言葉を探す。しばらく沈黙が続くけれど、そんな天希を見透かしているのか、伊上も黙ったままだ。
こういう時に、さらりと告白できる余裕が欲しい。そんなことを思いながら、天希は無意味に地面を蹴った。
「伊上、あー、その」
『ん?』
「俺が、いつもキラキラすんのは、あんたのことが」
たった二文字――それを告げるのに、もどかしいくらい時間がかかる。思えば勢いで告白した時以来、ちゃんと言葉にして伝えていなかった。天希がもごもごとしていると、微かに笑う声が聞こえてくる。
『それはあとで聞かせてもらおうかな。……ベッドの中で』
「そうやって、毎回エロいほうに持ってくな、馬鹿」
『それとは別に、夜は本当に楽しみにしているよ』
「うん」
『じゃあ、あまちゃん、またあとでね』
小さなリップ音が聞こえて、天希は耳に熱を灯らせる。
だがドキドキと高鳴る胸に急かされて、二文字を紡ごうと口を開きかけた時、急に近づいてきたエンジン音に気づく。
乱雑にドアが開け放たれた音が聞こえたのと、腕を掴まれたのはほぼ同時だ。踏ん張る間もなく、口を塞がれ身体が車に引きずり込まれる。
手にしていたスマートフォンと、紙袋が道路に転がった音がした。
異変に気づいた田島が、焦りを湧かせた顔で走り寄ってきたのが見えたけれど、彼がたどり着く前にドアが閉められる。
走り出した車は、天希のスマートフォンを轢き、さらには紙袋を跳ね上げて加速していった。
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