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第2話 卵・THE・リベンジ
部屋の片付けをして、雪丸とたっぷり遊んだあと、台所で天希が包丁を握っていたら――
「今日はなにを作ってくれるんだい?」
「あっ、伊上、おかえり」
待ち人が帰ってきた。
珍しく気配をさせて近づいてきたのは、天希が刃物を握っているからだろう。普段の彼は足音すらしない。
しかし天希が驚くので気を使っているらしく、随分わかりやすいほうだとか。
以前、志築に聞いたらそう言っていた。
「今日は、オムライスだ。卵を巻く特訓してきた」
「へぇ、誰を練習台にしてきたの?」
「父さん。俺はオムライスならいくらでも食べられるぞ、とか言ってたけど。しばらく見たくないって」
「それは尊い犠牲だね」
以前も天希はオムライスにチャレンジしたのだが、卵が上手く巻けずにチキンライスのスクランブルエッグ添えになった。
もちろん不格好なオムライスでも伊上は喜んでくれた。とはいえ、負けず嫌いの天希である。
「ちょっと離れてろ」
「お手並みを拝見」
クスッと小さく笑われたのは気になるものの、天希はフライパンにバターを投入した。
続けて卵液を流し込めば、じゅっという音とともに卵が固まり出す。
だが慌てず、軽く卵を菜箸でかき混ぜてから、そこへチキンライスを載せる。
あとは卵の端っこをライスに被せ、片手に皿を準備。
「よっしゃ!」
「練習の成果が出てるね。さすがあまちゃん」
パチパチと伊上から拍手を受けて、天希は得意気に胸を反らせた。
しかし気合いの入った一回目とは違い、二回目は少々卵が破けた、のはご愛嬌だ。
「ケチャップで隠せば」
「証拠隠滅は完了だね」
「うん。完璧だな」
出来上がった状態だけ見れば、まさに完璧。
卵の破れなど忘れて、天希は並べたオムライスの写真を撮る。そして迷わず、練習台になった父親にメッセージを送った。
これを見たら、毎日のオムライス攻撃を受けた彼も報われるはずだ。
「食おう」
「そうだね」
このキッチンの隣はダイニングになっている。
天希が冷蔵庫に入れていたサラダを取り出しているあいだに、伊上はトレイに乗せたオムライスを運んでいく。
よく天希は伊上のために食事を作るけれど、彼は出来上がると配膳を手伝ってくれた。
黙ってテーブルで待っているような男ではない伊上を、世の男は見習うべきである。
以前の天希も食事は出てきて当然、と思っていた。
しかし伊上の行動を見ているうちに考えが変わった。おかげで最近、母親が喜んでいる。
「いただきます」
二人で向かい合い、同時に両手を合わせると、すくったオムライスを口に頬ばる。
出来て間もないため卵が少しとろっとしていた。いつかはレストランで出てくるような、とろふわオムライスを作りたいと、天希の中で目標ができる。
「前回のもおいしかったけど、今回のはさらにおいしいね」
「伊上は褒め上手だな。でも前回のはなしで」
「あまちゃんって完璧主義なところがあるよね」
「上手くいかねぇとなんか据わりが悪いだろ?」
「あとまで気になっちゃうんだね」
見透かされるのは癪だが、相手は伊上なので良しとする。
時折友人たちに細かいとか、そこまでしなくても、などと言われる天希であろうと彼は寛容だ。
いまもこくんと頷いた天希を見て、小さく笑いつつも黙ってオムライスを食べている。
「できないまま放り投げたら、後悔するかもしれねぇし」
「僕はあまちゃんのそう言うところ好きだよ。コツコツ型の頑張り屋で尊敬する」
「……それ以上褒めてもなにも出ねぇぞ」
完璧に見える伊上に手放しで褒められると、なんだか天希はムズムズして気恥ずかしくなる。
本当は完璧なのではなく、完璧を装うのが上手な人だと知っているから。
伊上こそ、誰よりも努力家だと天希は思っていた。
美しい水鳥は水面下で水かきをしていると言うが、まさにだ。
「そうなの? 少しはご褒美をくれてもいいのに」
「今日は雪丸と寝るから駄目だぞ」
首を小さく傾げて、わざとらしく甘えた視線を向けてくるが、ぐっと天希はこらえる。そんな反応を見た伊上は、目元を和らげまたクスッと笑う。
「それは振りかなにか?」
「なんでだよ!」
「雪丸にバレないようにこっそり、みたいな」
「俺は、変なスリリングなんぞ求めてねぇ! 大体雪丸は寝たら朝まで起きねぇよ。野生をどこかに置いてきたらしいからな」
現在、気を利かせた組員たちのところで、可愛がられているだろう雪丸。
普通ならば、物音に警戒してしかるべき場面でも、へそ天で寝ていたという証言がある。
それだけ周りの人間を信用しているのだろうけれど。
本当になにか起きたとき、大丈夫だろうかと天希は心配していた。
「そうなんだ。あとで試してみようか」
「雪丸を?」
「そう」
ほんの少し意地悪そうな顔をした伊上に、天希は目を丸くする。
もしや雪丸相手に嫉妬でもしているのだろうか。
思えば最近は、天希も就職活動が忙しく伊上に合わせるのが難しかった。
今日はいつぶりだっただろうかと思考を巡らし、十日ぶりくらいかと思い至る。
いま思い返すと、最初の頃に毎晩。アルバイト先へやって来て、送りをしてくれていたのは、かなりレアだったのかもしれない。
彼なりのアピールだと天希は感じていたけれど、実感するとなんだか、いまさら照れくさくなる。
「あまちゃん、どうしたの?」
「へ?」
「顔、赤くなってるよ?」
「別に、なんでもねぇよ」
指摘をされると余計に顔に熱が集中するのだが、わずかに俯き、天希は誤魔化しながらオムライスを頬ばった。
さすがに去年の出来事を思い出して、いまごろ照れているなんて思いもしないだろう。けれど――
「可愛い」
ぽつんと呟かれた言葉で、天希の頬は余計に熱くなるのだった。
いつもいつも、飽きないのかと思うほど呟かれている言葉なのに、いまばかりは天希の胸に突き刺さる。
(自分で思ってるより、俺は好かれてるんだろうな)
伊上紘一という男を称するのに一番的確な言葉は、胡散臭い。
いつもニコニコしていて、人当たりが良さそうに見えるものの、笑顔の仮面を被っているだけだ。
出会って間もない頃は、天希に対してもその仮面だった気がする。
そこに隙が出始めたのはいつなのか。
こればかりは考えてみてもよくわからない。
「伊上は、俺のどういうところが好き?」
「……急な質問だね。んー、そうだね。飾らないところは魅力的かな」
「単純って意味か?」
「ふふっ、端的に言えばそうだけど。いつでも等身大で、真っ正面から人にぶつかれる度胸がある。僕の傍にいても物怖じしないだろうなって」
もっと冗談で躱すかと思った質問に、伊上は真面目に答えてくれた。
口元へ手を当て、少し考え込むような仕草をする彼を見ながら、自分はどうだろうと天希は考える。
(見た目が好み、うん。これは間違いない。胡散臭いって思ったけど、俺に対して向けてくれた優しさに嘘はなかった)
最初は面白半分で、餌を垂らして魚を釣る感覚なのかと疑った。
相手は大人。しかもただ者ではない感満載の裏のある大人だ。疑うなというほうが無理である。
いくら好みの相手であろうと、単純な天希でも警戒はMAXだった。
しかし毛を逆立てる、猫のような天希にものともせず、伊上はぐいぐいと迫ってきたのだ。
(あの頃は、あの頃でいい時期だったな)
無意識に口元が緩んでしまい、ふっと天希の笑いがこぼれた。
「よくわからないけど、あまちゃん、楽しそうだね」
「だ、黙って観察してるなよ!」
「いや、なんだか表情がコロコロ変わって、見てるだけでも可愛いなぁって」
いつの間にか、伊上の皿が空になっていた。
はっとして天希が黙々と食事を再開したら、彼は食後のお茶を淹れてくれる。
「ここの緑茶、うまいよなぁ」
「いいところの茶葉だしね」
「ふぅん」
伊上がいいところ、と言うならば高級茶葉なのだろう。
彼や成治の淹れ方が上手いのもあるけれど、元々が違うのかと天希は納得をする。
「あまちゃんがこのお茶が好きなら、今度取り寄せようか?」
「できるのか?」
「もちろん」
お茶を淹れたついでと席を移動して、隣に座った伊上に天希は前のめりになった。
コーヒーや紅茶、ジュース類も嫌いではないが、天希は緑茶が一番好きだ。
おそらく子供の頃に、よく祖父が淹れてくれたからだろう。
あからさまに喜色を浮かべた天希を見て、伊上もやんわりと笑ってくれた。
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