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保健の授業編『第5話』

「藤枝先生、いますか?」  保健室のドアを開けて、市川が中にいる保険医に声をかけた。 「おや、市川先生に笹野くん? どうしましたか? 授業中に怪我でも?」  白衣を纏った藤枝先生が、スッ……と椅子から立ち上がる。  三十代半ばの優男で、柔らかい物腰が生徒たちに人気の先生だ。女子がいないこの男子校では「保健室の天使」とも呼ばれており、私設ファンクラブもあるらしい。事実、彼が代理顧問を務めている放送部は、毎年定員オーバーになるくらい入部希望者が集うとか。  市川が言った。 「いえ、怪我じゃないんです。なんかこいつ、風邪で顔が真っ赤になってるので。ちょっと休ませてあげた方がいいかなと」 「ああ、確かに少し熱っぽい顔をしていますね。ベッドは空いていますので、好きなところにどうぞ」 「ありがとうございます」  市川は一番奥にあるベッドに夏樹を寝かせ、側の椅子に腰かけた。 「先生、俺風邪ひいてない……」  小声で市川に訴えたら、彼も素早く口を開いてこう言った。 「……わかってるよ。でもいいだろ、たまには保健室でやるのも」 「っ……」  その言葉を聞いた途端、反射的に身体の芯が疼いた。この先の展開を予想し、心臓が勝手に暴れ始める。  だけど、本気でここでやるつもりなのだろうか。すぐ側に藤枝先生がいるのに。 「あ、そう言えば藤枝先生。後藤くんが放送部で待っているそうですよ。何か急用でしょうかね?」 「おや、そうなんですか? それは様子を見に行った方がいいですね」 「ええ。あ、大丈夫ですよ。こいつは俺が見ておきますんで」 「そうですか。では、しばらく私は離席しますよ。保健室の鍵には注意してくださいね」 「そりゃあ、もちろん」  市川が軽くウィンクしてみせると、藤枝先生はにこりと微笑んで保健室を出て行った。

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