163 / 282

春休み編『第8話』

「……入れよ」  ややぶっきらぼうに、市川が茶室の門を開けた。離れの茶室は垣根の中に設置されていて、中での様子が外からは窺えないようになっていた。 (……ていうか先生、ちょっと怒ってる?)  いきなり実家に押しかけてしまったから、不機嫌になっているのだろうか。  だけど、夏樹からすればこれ以外に市川に会う方法がなかったのだ。  一方的に別れを切り出し、連絡も取れなくなって、学校からも姿を消してしまったのは市川の方だ。自分が責められる謂れはない。 「……で、何をしに来たんだ?」  茶室に入るや否や、市川は夏樹に向き直った。この茶室は四畳しかないお稽古用の場所らしく、自分たち以外には誰もいない。密談をするにはもってこいだった。  夏樹は堂々と畳に座り込み、憶することなく言った。 「決まってるじゃないですか。先生と話をしに来たんです。こうでもしないとちゃんと話ができないと思ったので」 「だからって、いきなり実家に来られたら困るんだけどな。うちはいろいろ複雑な家庭だからさ……」 「だったら、電話やLINEの返事をくれればよかったじゃないですか。一方的に連絡を絶ったのはそっちでしょ」 「まあそうだけど、別れた恋人と頻繁に連絡とってたらおかしいじゃないか」 「言っておきますが、俺は『別れた』とは思ってませんからね。先生が一方的に『別れてくれ』って言っただけで、俺はまだ承諾してません」 「……まあ、それはなぁ……」 「さあ、今日という今日はちゃんと話してもらいますよ。先生が俺から逃げた理由も、先生のお家事情も全部。そうじゃなかったら、俺、一生帰りませんからね!」  と、市川に詰め寄ったら、市川は苦笑しながら頭を掻いた。 「あー、わかったよ。ここまで来ちゃったら俺も腹括るわ。でないとお前、本当にずっと居座りそうだもんな」  キチンと畳の上に座り直し、居住まいを正す市川。

ともだちにシェアしよう!