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春休み編『第8話』
「……入れよ」
ややぶっきらぼうに、市川が茶室の門を開けた。離れの茶室は垣根の中に設置されていて、中での様子が外からは窺えないようになっていた。
(……ていうか先生、ちょっと怒ってる?)
いきなり実家に押しかけてしまったから、不機嫌になっているのだろうか。
だけど、夏樹からすればこれ以外に市川に会う方法がなかったのだ。
一方的に別れを切り出し、連絡も取れなくなって、学校からも姿を消してしまったのは市川の方だ。自分が責められる謂れはない。
「……で、何をしに来たんだ?」
茶室に入るや否や、市川は夏樹に向き直った。この茶室は四畳しかないお稽古用の場所らしく、自分たち以外には誰もいない。密談をするにはもってこいだった。
夏樹は堂々と畳に座り込み、憶することなく言った。
「決まってるじゃないですか。先生と話をしに来たんです。こうでもしないとちゃんと話ができないと思ったので」
「だからって、いきなり実家に来られたら困るんだけどな。うちはいろいろ複雑な家庭だからさ……」
「だったら、電話やLINEの返事をくれればよかったじゃないですか。一方的に連絡を絶ったのはそっちでしょ」
「まあそうだけど、別れた恋人と頻繁に連絡とってたらおかしいじゃないか」
「言っておきますが、俺は『別れた』とは思ってませんからね。先生が一方的に『別れてくれ』って言っただけで、俺はまだ承諾してません」
「……まあ、それはなぁ……」
「さあ、今日という今日はちゃんと話してもらいますよ。先生が俺から逃げた理由も、先生のお家事情も全部。そうじゃなかったら、俺、一生帰りませんからね!」
と、市川に詰め寄ったら、市川は苦笑しながら頭を掻いた。
「あー、わかったよ。ここまで来ちゃったら俺も腹括るわ。でないとお前、本当にずっと居座りそうだもんな」
キチンと畳の上に座り直し、居住まいを正す市川。
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