165 / 282

春休み編『第10話』

(……あれ? でもそれじゃあ祐介さんは?)  祐介が嫡出子ならば、彼が家元を継ぐのが自然なはずだ。お茶の才能がないならともかく、市川の話ではお茶のセンスも抜群だという。  それなのに何故、市川に役目が回ってきたのだろうか……。 「あの、先生……」 「なあ、ちょっと茶でも飲まないか? 夏樹もここまで自力で来て、喉乾いてるだろ?」 「は、はあ……じゃあ」  言われるがまま、夏樹は市川が指示する場所に座った。お点前をする亭主の姿がよく見える位置で、ここに座っている客のことを「正客」というのだそうだ。 (先生のお茶を飲むのは、これで二回目か……)  茶筅をサッサッと動かす音を聞きながら、ぼんやりと物思いに耽る。  自分で言うのもなんだけど、よくもまあ他人様の実家に乗り込めたものだ。自分でもびっくりするような行動力である。  藤枝先生から実家の場所を聞き出し、具体的な住所を調べ上げ、新幹線で京都に向かい、複雑に電車やバスを乗り継いで、はるばるここまでやってきた。以前の自分では考えられないことだ。 (変わったよな、俺……いろんな意味で)  市川とつき合う前までは、学校の勉強くらいしかして来なかった。他人とも積極的に関わるタイプではなかったし、身体を動かすことも嫌いだった。  いや、運動嫌いなのは今も変わっていないが、毎晩のストレッチのおかげで随分身体も柔らかくなった気がする。  いろんなことがあったけれど、総合的に見ればいい変化だったのだと思う。普通に生活していてはできないような経験もさせてもらったし、愛情だってたっぷり注いでもらった。  だから……。 「ほらよ」  市川が夏樹の前に茶碗を置いた。緑色の水面が半月形に残った、綺麗な抹茶だった。 「いただきます……」  夏樹は茶碗を左手の平に乗せ、右手を添えた。 (ええと、抹茶をいただく時は……)

ともだちにシェアしよう!