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第3話 白昼夢②
「おい、坂下。坂下ってば!」
肩をつんつんとつつかれる。
いつもの暁の声ではない。暁は手のひらでちょっと乱暴に坂下の後頭部を叩くのだ。
顔をあげると、誰かが自分の顔が覗きこんでいる。知らない顔ではない。
「あ、えっと…やぶ君…?」
多分合っているはずだ。
いつも暁が『ヤブ』と呼びつけている相手。
薮内は白い歯を見せてにかっと笑った。
「いつまでも寝てないで、応援行こうぜ。」
「応援?」
坂下は顔をあげる。教室には他に誰もいない。
いつも坂下が起きるのを待ってくれている暁もいなかった。
そういえば今日は学校行事のスポーツ大会だった。
「応援ってなんの?」
「もぉ~~~!バスケの決勝戦、始まっちまってるよ。暁が出てるんだから、こういう時ぐらい応援してやれよ!」
「バスケ…大野君が出てるんだ。へー。」
坂下は再び突っ伏した。
「おいおい、寝るなー!」
薮内は坂下の頭を無理矢理上げさせる。
(なれなれしくて強引な奴)
坂下は鬱陶しく思いながら薮内を見る。
大概の人間は、寝ている坂下にちょっかいなどかけてこない。
眼鏡の奥から人の好さそうな瞳が笑っていた。
「お前なー、暁がおっかさんみたいにかいがいしく世話してやってんだから、こういう時くらいあいつの応援しろってー!」
「おっかさんって…男なんだからせめて親父じゃないの?」
坂下はしぶしぶ立ち上がった。
みんながエキサイトしているスポーツ大会なんて、いつも以上に気後れを感じてしまう。
重い腰を上げてついていく坂下に、薮内は気を良くしたのか上機嫌で話し出す。
「あいつさー、こういう行事に出るの、初めてよ。3年間ずっとサボり通してさ。バスケなんてマジでめっちゃ上手いんだぜ。最後だからって拝み倒して、ようやくスタメンに入ってくれたの。」
「藪君は出ないの?」
と聞きかけて、坂下は「あ…」と声を漏らす。
薮内の足首には包帯が巻かれ、少しびっこを引いていた。
「さっきの準決で捻っちゃってさー。でも、あいつ出るなら絶対優勝はうちだって。」
「へー…」
坂下は気のない相槌を返した。
薮内の足を気遣って、少し歩みを遅らせる。
「肩、貸そうか?」
「いや、大丈夫だって。…それよりな、坂下、暁に『親父』はNGワードな。」
「え?なんで?」
坂下は餌に食いつくように反応し、慌ててそっぽを向く。
「狂犬になっちゃうから。」
答えの意味が飲み込めず、かといってまた興味を持っているように見られるのも嫌で、坂下は前を向いたまま反応しなかった。
「聞きたい?」
坂下はなんとなく薮内がニヤッと笑みを浮かべている気がした。
「別に。」
坂下は首を振った。自分にだって嗅ぎまわれたくないことはある。
「必要ないよ、知りたくなったら自分で聞くし。」
つっけんどんな態度で薮内は気を悪くするだろうか、と思ったところで、いきなり薮内が肩を組んできた。
「うわ、なんだよ?やっぱり肩貸してほしいわけ?」
「いやいや、お前、いいわー。気に入った。」
「…遠慮します。」
「遠慮するなってー。」
薮内と肩を組んだまま、坂下は体育館に入った。
体育館はすごい熱気だった。
点数は競り合っている。
ピーっという笛の音と、プレーヤーの駆け回る床の振動。クラスメイト達の声援。
坂下は酔いそうだった。
薮内に促され、一緒にベンチに座る。
薮内は居ても立っても居られないように、置いてあったメガホンを取り大声で叫びだす。
坂下の存在など忘れてしまったようだ。
「そこ、パス回せ。取りに行けってー!!工藤、8番マーク!ああああっ!」
薮内はこぶしを振り回す。
「暁、行けー!ほら、戻れ戻れ、パス回せ、シュートだ!」
長身で髪を茶色く染めた暁は、ただ立っているだけでも校内では目立つ存在だが、コートの中ではひときわ目を引いた。
おそらく経験者なのだろう、鮮やかなプレーでシュートを決め、コートを駆け回る。
ちょっとした隙をついてカットし、ドリブルをするとぱっと飛び上がった。一瞬空中で止まって見える。
まるで野生動物のようなしなやかな動きだった。
坂下はその動きにただただ目を奪われる。
純粋に、美しい動きだと思った。
勝敗などどうでもよく、暁の動きにひたすら見惚れていた。
ビーっと試合の終了を告げるブザーの音とともに、同じベンチから応援していたクラスメイト達が選手に駆け寄っていく。
薮内は「あきらー、あきらーっ!!」と絶叫して拳を振り回していた。
「すげーだろ、あいつサイコー!」
興奮した薮内は、坂下にヘッドロックをかけて叫んでいる。
「おう、ヤブー!」
暁が薮内と坂下の姿を目に止め、近づいてくる。
「あきらー、暁ー!!」
薮内の絶叫に合わせ、クラスメイト達も一緒にコールを始める。
「あーきーら、あーきーら!」
暁の動きが止まった。
突然、着ていたゼッケンを脱ぐと床にたたきつける。
「うるせえ、違うだろ!」
突然の狂犬の吼え声に、体育館は一瞬で静まり返った。
暁は獣のような目で周囲をにらみつける。
クラスメイト達が凍り付く。薮内も坂下の横で固唾を飲んでいた。
「お前らなぁ、優勝の立役者は俺じゃねーよ、ヤブだろーがよ!」
叫ぶとニヤリと笑って薮内を指さす。
石のように固まりついていたクラスメイト達はほっとしたような表情を浮かべ、再び動き出す。
凍り付いていた空気が再び熱狂にとって代わり、今度はヤブコールが始まる。
「胴上げだ、胴上げ!」
「おーい、やめろって、俺は怪我してるんだぞ、助けてー」
クラスメイトが駆け寄って薮内を取り囲み、叫び声が弱弱しく響く。
もみくちゃにされながら、坂下はその場を離れようとした。
自分の腕がぐっと引っ張られるのを感じ、顔をあげると暁が熱狂の輪に巻き込まれるのを救い出していた。
「行こうぜ」
暁は坂下の腕をつかんだまま体育館を後にする。
「いいの?藪君の胴上げ。」
「ああいうの、苦手なんだ。」
ずんずん歩き、教室に向かう。
「かっこつけちゃって…。」
坂下が声をかけると、暁は口の端を片側だけ上げて笑った。
「ばれてたか。」
「ちょっとビックリしたけど…なんであんなキレたふりするかな。たぶん藪君にもバレてるよ。」
「あいつもカッコつけなんだぜ、俺にバレてないと思って…」
誰もいない教室に戻ると、暁はTシャツを脱ぎ捨てた。
「だりぃー。バスケなんてマジになってやるもんじゃねーわ。」
暁は机の横に掛けてあったコンビニの袋からスポーツドリンクのペットボトルを出すと、一気に飲み干した。
ごくごくと動く喉仏や胸筋を坂下は見つめていた。
「ぶはー。汗びっしょ。タオル持ってねー?」
「はい」
「サンキュ」
差し出された布で顔をぬぐい、暁がそれに目をやる。
「おい、これお前のTシャツじゃん。」
「いいだろ、洗濯したてだし、今日は着なかったから。」
「ないよりましか。」
首筋から上半身を一通り拭き、暁は坂下にTシャツを返した。
坂下はTシャツを指でつまみ、顔の前に持ってくると、鼻をひくひくさせた。
「くっさー。」
「お前な…におい嗅ぐなよ、バカ。」
「ふつー、脇の下まで拭く?」
「んなこと言うと、ケツ拭いて返すぞ。」
「サイテーじゃん。」
誰もいない教室に、笑い声が響き合う。
暁は汗で濡れた前髪をかき上げ、目を細めた。
「俺、疲れたから帰るわ。バイトも入ってるし。ヤブによろしく言っといて。」
暁はハーフパンツからズボンに履き替え、素肌に制服のシャツをひっかけると、丸めた体操着をバックパックに突っ込み、そのまま教室を後にした。
坂下がぼんやりと立ち尽くしていると、ピンポンパンポン、と軽やかなチャイムの音が鳴った。
「…今から閉会式を始める。生徒は体育館に集合…」
雑音の混じった校内放送が廊下から流れてくる。
誰もいない教室で、坂下は暁の汗を吸ったTシャツにそっと顔を埋めた。
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