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第5話 白昼夢④

7月に入ってからというもの、ずっと真夏日が続いていた。 暁と坂下は一緒に放課後を過ごすのが日課になっていた。 だるそうに机に上体を倒して目をつぶる坂下の横で、暁はノートを書き写していた。 「大野君、夏休み、講習受ける?」 坂下が目を閉じたまま尋ねる。 「受けない。バイト入れた。」 「なーんだ……じゃ俺も受けるのやめてさぼっちゃおうかな。」 坂下は首だけ少し上げ、不満そうな視線を暁に向けると再び目をつぶった。 「どうせ寝てて聞かないくせに、申し込んだのか?」 「みんな受講するって思ってたし。」 坂下はごろりと頭を転がし、そっぽを向く。 坂下が『みんな』に興味がないことを、暁は重々承知している。 自分と一緒にいたくて申し込んだのだろうか。 暁はふとそんな考えが浮かび、どきりとした。 「お前、それじゃ家で一日中寝てるつもりか?」 高鳴る鼓動が坂下に聞こえてしまうのではないかと不安になり、暁は慌てて言葉をつないだ。 「まさか。毎日学校来るよ。」 驚くべきことに、坂下は常日頃あれだけやる気のない学校生活を送っているにも関わらず、一度 も学校を休んだことがないのだ。 それどころか、遅刻さえしたことがない。 「来るって、寝るためにか?」 坂下の後頭部が頷く。 「ふつー、家のほうがのんびり眠れるだろ。」 「眠れないから学校で寝てる。」 「全然?」 坂下は突如顔を上げると、眠たげな瞳を数回瞬いた。 普段は閉じかけているか、起きていても俯きがちで逸らされている視線が、珍しく暁の眼を 真っ向から捕らえた。 窓から差し込む陽射しを受け、その目は驚くほど澄み切っていた。 だが、その表情はあまりにも空っぽで、何故か暁は鳩尾のあたりがすっと冷えるのを感じた。 ふと、薮内から聞かされたことを思い出した。 『実は俺さ、坂下と1年のときも一緒のクラスだったんだけど、たぶんあいつそのこと気づいてすらねーわ。1年間1回も口利いたことなくてさ。この前初めて名前呼ばれたわ。わはは。』 薮内は当時の出来事を暁に語り聞かせた。 入学当初から授業中寝てばかりいた坂下は、一度教師の逆鱗に触れて授業中に立たされたことが あった。 坂下は、それでも立たされたまま眠ってしまったらしい。 ガタン、と大きな音を立てて倒れると、その拍子に、机の縁に頭をしたたかに打ち付けた。 『意識不明だってんで救急車呼んだりしてな。あれってただ寝てただけだと俺は思ったけどね。』 坂下はそのまま病院に運ばれていき、ちょっとした騒ぎとなった。 怒った坂下の家族が学校に乗り込んできたという。 『たまたま生徒会の用事で職員室にいたんだよな。すごかったぜ。 あいつのかーちゃんは『あの子が何したんですかー』って泣き喚いてるし、アニキってのがこれまた専門用語みたいなことまくし立てて、訴えるだの何だの』 『…父親は?』 『仕事だろ、でかい病院の院長様だぜ。さすがにそんなとこに顔出すほど暇じゃねーだろ。たかが脳震盪だぜ。とにかくヤバそうな家族って印象はあったな。』 坂下はいつも小綺麗な身なりで、ちょっとした言動にも育ちの良さを感じさせる。 過保護な家庭で大事に育てられてきたのだろう。自分とは違う世界の匂いがした。 そう思いながら、暁は坂下という人間に、うまく言葉にできない違和感を覚えていた。 胸のあたりに、不快なざわめきを感じた。 坂下は沈黙しそれ以上何も語らない。水鏡のような瞳を向けているだけだ。 沈黙が教室を支配していた。 グランドで下級生が部活動に興じる声も、いつの間にか遠のいていた。 「お前、家で全然寝てないわけ?一睡も?家で何やってるんだ?」 夜通しゲーム、というタイプには見えない。特殊な病気なのだろうか。 少なくとも3年もこんな生活を続けている。おかしいと思わないのだろうか。 坂下の目がすっと細められた。 どこか遠くを見るような、何が映っているのかわからない、昏い瞳。 しばらく沈黙をおいた後、坂下は視線を遠くに彷徨わせたまま、静かに聞いた。 「ね、俺のこと、好き?」 前にも似たようなことを聞かれた。 軽くかわしたつもりだったが、改めて問われ、暁はとっさに言葉が出なかった。 教室の時計の針がやけに大きく響く。 いつの間にかジージーと油蝉が鳴いている。 突如教室の気温が真夏に戻るのを暁は感じた。 汗が勢いよく噴出す。 「そりゃまー、一応友達みたいなもんだし…嫌いじゃないって前も言った気がするけど…」 暁は声が変にうわずるのを誤魔化すように、咳払いをした。 くす、と坂下が笑う。 その笑顔はいつものものだった。 「そうだっけ。ね、バイトは何時から何時まで?」 「ああ、普段は夕方6時からだけど、 夏休み中は昼間からずっと入る予定。」 「じゃあ午前中は空いてるじゃん。学校来なよ。」 「げ、わざわざお前に付き合うためか?」 「うん。」 結局暁は坂下にうまくかわされてしまったのだった。 暁はすっきりしない気持ちを抱えながらも、何故か安堵を覚えた。 「そうだな、時間までだらだら寝て過ごすんだったら、文化祭用の作品でも描きに来るか。」 窓の外を見やると、先ほどまで晴れていたはずの空に、黒々とした入道雲がわいていた。 「夕立でも来そうだな。降られる前に帰ろうぜ。」 何か大切なことから目をそらしているような気持ちを抱えながら、それでも 暁は自分の胸に湧き上がる暗雲の正体を見極めようという気持ちにはなれなかった。

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