9 / 31
第8話 サプライズパーティ②
坂下が目を覚ましたときは既に夕刻に差し掛かっていた。
施設を出ると、まだ蒸し暑い空気が肌にまとわりついてきた。
アスファルトの上を、ふたつの影が長く伸びる。
「ごめん。」
坂下はいたたまれない気持ちで謝った。
結局、長い昼寝につき合わせただけで、アミューズメントパークを楽しむことはほとんどできなかった。
せっかく取れた暁の休みも、暁の気遣いも、何もかもを無駄にしてしまったのだ。
「いいって。」
暁は笑って受け流す。
「俺も疲れがたまってたから、丁度のんびり休みたかったんだよ。」
暁が歩みを止め、しょげる坂下の肩に手をかけた。
「お前さ、俺にまだ言えずにいること、何かあるだろ?」
咎めるのとは違う、気遣うような声。
きちんと問いに返さなくては、と坂下は思う。
意を決し、坂下は顔を上げた。
息苦しい、と坂下はいつも思っていた。
生き苦しい。
坂下は口を開けた。
だが言葉は出てこない。
何かが喉の奥に詰まり、呼吸を、言葉をせき止めている。
目も口も開いたまま、坂下は木偶のように固まってしまう。
その様子に、暁は慌てて坂下の頬をぺちぺちと叩いた。
「お前の顔、すげーやばかった。今、絶対意識が飛んでたって。うわー、まじヤバイ。」
「……いきなりビンタ食わすなよ。」
「ごめんごめん。もう聞かないから。そんな顔するなよ。」
聞かないで欲しい、聞いて欲しい。
自分の矛盾した心に、坂下は混乱する。
そんな気持ちを察したのか、暁が坂下の顔を覗き込む。
「もしかして、話したくないんじゃなくて……話せない?」
どう答えてよいのか分からず、坂下は視線を外した。
空は赤く染まり、商業施設のガラス窓が夕日を反射している。
その光景は暁の描いた絵に少し似ている。
だが、夕暮れは夜明けとはまったく逆のものだ。
闇の近づく足音が聞こえる。
「あのさ……」
暁のかすれた声が、夕暮れ時の空気を揺らす。
「その、時間はいくらでもあるって思うんだ。明日だって明後日だって、俺はそばにいる。だから、その気になったら、聞かせて。今は無理しなくていい。焦らなくていいから。」
黄金色の雲が、ゆっくりと流れる。
坂下はしばらく固まって、暁の言葉の意味を考えた。
表情を確かめようと視線を戻したが、暁は慌てたように坂下に背を向けてしまった。
「やべ、もう時間だ!」
時計に目をやり、取ってつけたように小さく叫ぶ。
「じゃあな、また明日。」
口早に言うと、暁は振り返ることなく走り去っていった。
何かがすとん、と音を立てて落ちてゆくような感覚がした。
それは、ずっと坂下の呼吸を塞き止めていた小石のようなものだった。
「また明日。」
坂下は、口の中で小さく呟いた。
夕焼けの中、その後姿が見えなくなるまで、坂下はそっと小さく手を振り続けた。
明日、また明日。
いつもなら気が重くなる家までの道のりを、坂下は弾むような足取りで歩いていた。
一歩一歩、家に近づく。
一歩一歩、明日に近づいている。
少しずつ前に進めば、いつか朝にたどり着くかもしれない。
既に沈んだ太陽に変わって、宵の空に月が浮かぶ。
夜が明けたら、また暁に会える。
明日は今日よりも少しだけ暁に近づけるかもしれない。
坂下は、かつてないほど朝が待ち遠しかった。
別れたばかりなのに、暁に会いたくてたまらない。
玄関のチャイムを押すと母親の声がインターフォン越しに聞こえた。
途端に現実に引き戻される。
魔法が解けるようなものだ。
楽しいバースデーは終わったのだ。
坂下は玄関の鍵が回される音を聞いた。
ガチャリ、とドアが開く。
「ずいぶん遅かったじゃないか、ナオ。いつからそんな不良になったんだ?」
整った顔立ちの、若い男が立っていた。
口元に笑みを浮かべている、だが目は少しも笑っていない。
「兄さん……帰ってたの?」
「早くお入り。ずっと待っていたんだよ。」
真夏だというのに、冷え冷えした空気が坂下の鳩尾をすうっと撫でた。
ともだちにシェアしよう!