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第14話
ダールの目には野心がある。それを確信したタタリはコップを手に取り水を飲む。
愚か、か。その言葉は自分によく似合っている。
自分のこの胸にある気持ちがなにかわからず、ただただコノエをこの腕に留めいたいという衝動のまま動く。それは酷く滑稽に思えた。
自分には力がある。金も権力も容姿だって恵まれている。それをすべて利用して手に入れたいと思うものが、コノエという青年だった。
もやもやと心を渦巻く感情が一体何なのか。その正体が分からない。こんなことは初めてだった。
口にできない感情の正体を考えていると、不意にコンコンと扉を叩く音が響く。一言で入室の許可を言い渡すと、扉を開けたのはコノエだった。その後ろにセジュとイハルの顏が見える。
「お呼びですか、タタリ様」
よく通る声が耳に心地よく響いた。海色の瞳がまっすぐにこちらを見つめる。無表情な顔の直ぐ傍で、キラリとリング状のピアスが揺れ輝く。
何故か、面白くないと感じた。理由はさっぱりと分からない。
「明後日。街に出る。お前も来い」
「……服はもうたくさん頂きましたが? 」
「必要なのは服だけではないだろう。それに、明後日は色々用事がある」
「はあ……」
少し不服そうなコノエだったが、ため息を吐いてわかりましたと答えると、タタリが書類に目を落としたのを確認して近くにあったソファーに腰を下ろした。
することもないのでイハルに頼んで本を持ってきてもらう。内容は壱の国の有名な童話だ。
魔法を使う才能に恵まれた弐の国では、幸福な兄弟の話や、魔道冒険譚が人気で、子供たちは大体決まって同じような幸せな物語を楽しそうに読んでいたが、壱の国では力こそ正義というような物語が人気が高く、コノエの趣向とはかけ離れたそれは、この国の純真な子供たちの胸をときめかせているらしい。
コノエが読んでいる童話の内容は、ある一人の青年が貧しさで死にかけたところから始まる。もう食べるものもないとなったある日、青年はとある広告を見つけた。国王選定戦。そのポスターのタイトル通り、国を挙げて最強の王を決めることとなったその大会に、青年は思い切って出ることにした。
剣術、馬術、弓術、武術、頭脳。すべてにおいて青年は秀でていた。何より、彼が持ち合わせていたのは、度胸だった。誰にも負けない勇気。それが彼にはあったのだ。
選定戦で青年は王様となり、国を次々と発展させる。時には、他国との戦や国に病が広まるなどたくさんの試練があったが、青年はそれを乗り越えて見せた。そして、青年は美しい女性と結婚し、誰もが羨む強き王になったのだ。
そして、物語はこう締めくくられている。次に王になるのは君かもしれないと。
確かに、この国で生きる子供たちにとって夢のある話かもしれない。未来の自分がそうなるかもという可能性の話まで持ち出されたらワクワクするだろう。だが、現実はそう甘くない。
現実の王は最強と言われる男だ。それこそ剣術も馬術も弓術も、きっと殴り合いの喧嘩だって強い。頭だっていい。そもそも、この童話が書かれたのはもう何百年も前だ。今の話ではない。子供たちだってわかっている。
タタリ様には敵わない。と、それでも夢を見るのは彼らの特権だ。だから人気が出るのだろう。
読み終えた本を閉じて、コノエは深くため息を吐いた。
やはり、自分は弐の国で読んだ、幸福な兄弟の話や魔道冒険譚の方が好きだ。こちらも、面白いと思うけれど、胸を擽るワクワク感が足りない。
うーんと唸って、ああでも、以前読んだ古語で書かれた楽園物語は面白かったと手を叩く。一人で百面相していることに気が付かずにコノエは本を見つめて笑った。
あの本をもう一度読もうと、不思議なものを見るような顔をしていたイハルに声を掛ける。
「ね、イハルさん。こないだの楽園のやつ。もっかい読みたいです」
「え? またですか? もう三度目ですが……わかりました。本当にお好きですね。結構古い言葉で書いてあるのに」
「ふふ、その辺は大丈夫ですよ」
ニコリと笑うコノエにイハルは小さくお辞儀をして部屋を出る。その様子をじっと見つめていたセジュはコノエが胸躍らせる本の内容が気になって仕方ないといった顔をしている。
まだ年若いセジュににこりと微笑んで、早くイハルが戻るのを待つ。
壱の国と弐の国と参の国は基本的に同じ言語で生活している。
国によって、地方に行けばまだ古い言葉を使ったり、独自の訛りを使用している場合もあるが、大体は同じ言語で統一されている。
商談や国同士の交流が盛んになったことから言語を統一化すべきという当時の参の国の国王の言葉に他の二国が同意し、文字も言葉も全く新しい言語に統一された。
その為、国の所有する図書館や、一部の店、王宮内の書庫には壱の国の古い文字で書かれた本と、現代で使用している共通語で書かれた本が混ざっているのだが、コノエは弐の国で相当いい教育を受けていた為、普通異国の地から来ただけの人間では到底読めないとされる壱の国の古語を読むことができた。
コノエが好んだのは、その古語で書かれた全三巻からなる白い表紙に羊のイラストが描かれた本だ。これがまたどうして、面白い。
しばらく待っていると、紅茶とクッキーをお盆に乗せたリリィを連れたイハルが、件の本を胸に抱えて戻ってきた。
「お持ちいたしましたわ。コノエ様」
「ありがとうございます。イハルさん」
柔らかく笑んだイハルに立ち上がってお礼を言うと、コノエはさっそくその本を受け取りソファーに腰を下ろして読み始めた。
好きに読めとタタリから許されてからというもの、この王宮内の本は気になるものすべて片っ端から読んだが、ここまで心惹かれるのは初めてだ。
クッキーを置いて退室したリリィも、実は古語が読める。ああ見えて本好きで、彼女とはなにかと馬が合う。ここが執務室で、すぐ傍にタタリさえいなければ彼女と読書会でもしていたかもしれない。
古語が読めるという点で言えば、イハルもそうらしいが、彼女は仕事にまっすぐすぎるところがあって、けしてコノエの前で本をだらだらと読むなんてことはしないだろう。
黙々と一人、ページを捲る。部屋には、紙を捲る音と、ペンを走らせる音がただ響いた。
暫く本に没頭していると、急に肩に重みが加わって驚いてコノエは顔を上げた。肩口を見てみるとタタリが腕を組んでコノエの肩に持たれるようにして目を閉じている。
彼が立ち上がったことにも、隣に座ったことにも気が付かないほど没頭していたのかと冷静になって、少し身動ぎする。
ぴくりと動くタタリの身体にあまり動いてはいけない気がして身体からそっと力を抜いた。重いが、寝息を立てている間は害がない。
世界で一番強いと言われる男でさえも、寝ている間は大人しいのだ。
「明後日か……」
ため息を零す。街に出るのが酷く憂鬱だ。
弐の国との絶対的な違いをまた目にしないといけない。それがどうしようもなく嫌だった。子供じみているとは思う。
もう、自分の立場を受け入れて、壱の国というものをありのまま愛する方がきっと楽だとは分かっている。けれど、そうしたくない理由も、コノエにはあるのだ。
隣で眠る男を見る。その堀の深い顔立ちを眺めて、またため息が零れた。この男さえいなければ。その思考を振り払うように、首を振って視線を天井に向ける。
金色のタイルを眺めて、ぼんやりと思い浮かべるのは、今はもう会えない男の姿だ。
「……ハナ……」
頭を膝に埋める。うっかり泣いてしまいそうな気持ちを押し込めて、誰にも聞こえないような声で呟く。会いたいと願う言葉は、隣で目を覚ました男にはしっかりと届いたが、タタリはなにも言わず、また静かに目を閉じた。
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