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第13話

「本当に長くて美しい髪ですねえ」 黒髪の端整な顔立ちの男が自分の髪をするりと手に絡めとる。 嫌悪感がして肌がゾワリと粟立った。 どこか野性味のある男はコノエが苦手としている人物で、タタリに仕える者の中でも特に何を考えているかわからない。 普段はウルフと呼ばれる獣と一緒にいることが多い男だが、流石に宮殿内では獣を連れてはいないようだった。 その男の手の中に、自分のなくしたピアスがある。 「あまりべたべたと俺の髪に触ると、タタリ様からお叱りを受けるんじゃないですか」 厭味ったらしくそういうとダールはくつくつと笑う。コノエを映した橙の瞳が妖しく光った。 ダールはコノエが一人になったその僅かな一瞬を狙って声を掛けてきたようで、タタリはおろかイハルもリリィもエルリカもこの場にはいない。 「アンタがタタリ様にそう簡単に頼ったり告げ口したりする玉じゃねえのは知ってるんすよ」 ニヤリと妖しく笑う顔にコノエは顔を歪める。 その笑顔がタタリとは違う、また別の嫌いな男の存在を彷彿とさせて不快感を覚えた。 「早くそれ返してもらえますか」 ダールの手の中のピアスを指差して言うと、男は持っているピアスをぶらぶらと揺らして「大切なんですか、これ」と聞いて来た。 別にすごく大切というわけじゃない。ただ弐の国の頃からつけているものだから、何かと思い入れがあるだけだ。 百七十ある自分を超える身長の男に壁に追い詰められて問われる様は傍から見れば言い寄られているように見えるだろうか。 答えないコノエにダールが何を思ったのかは分からないが、その細い肩に手を置こうとした時だった。よく通る声がその場に響いたのは。 「コノエに何用だ。ダール」 「あー、これはこれは、王様。いえいえ、コノエ様の落とし物を渡そうと声を掛けただけですよ」 「そういうのはイハルを通せ」 不機嫌な様子の王の登場に触れようとしていた手を下げてダールは愛想笑いを浮かべた。 コノエのピアスを王に手渡すとへらへらと笑って頭を下げる。すみませんという言葉が軽々しく感じてコノエは違和感を覚えた。 じっとダールの横顔を見る。王の視線が彼から外れたほんのわずかな一瞬、ダールは気味の悪い笑みをこちらに向けた。 ゾクリと背筋に嫌なものが伝う。恐ろしさに咄嗟に視線を外した。 あれは、あの目は、あの嫌な記憶が思い出される。 コノエは手で口を覆ってよろよろとふらつきながらダールに背を向けてその場を離れようとした。一刻も早くここを離れないとと思うと足がもつれる。 それに気がついたタタリはピアスをポケットに仕舞ってコノエを横抱きにする。 驚いて蒼い顔をさらに青くするコノエだったが、その行動の意味をなんとなく理解して何も言わずただされるがままになっておいた。 *** 「コノエ様、ピアス見つかったんですね」 リリィが笑みを浮かべて言う。 こくりと頷いて先程の話をするとリリィは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。 「私あの人嫌いです」とぼやくリリィの手に力が籠る。 リリィという女性が誰かを明確に嫌っているところを見るのはそうそうないことだ。 コノエ自身も、この三年でダールと接触することがなかったわけじゃないが、必ず傍にイハルが居たので彼に何かされたり、そんなに強い印象を抱いたこともなかった。 どうにもイハルの立場はこの宮殿内では強く、そのはっきりと物を言う性格はダールのような男ですら一歩引いてしまうようだ。 ただ、そんな訳であまり直接的に話したこともない彼には何を考えているかわからない男というイメージだけがあった。 「あの人、いつも嫌味ばっかで性に見境もないし、ほんとに嫌いです。噂じゃあコノエ様のこと狙っているらしいので本当に気を付けてくださいね」 「え、ああ…うん」 リリィの言葉に驚き曖昧に返事をする。 狙っているというのはそういう意味でだろうか。と首を傾げる。 王の私物に手を出すのは重罪だ。首を刎ねられても仕方がない。そんな馬鹿な真似をするようには見えないが、噂の信憑性は高いらしい。 まさかタタリがそれを放置しているわけもないが、さっきのダールの様子に感じた違和感を思い出す。 まさか彼はタタリから玉座を奪う気なのだろうか。この国一の、強さを誇る王から。 *** この国は、一番強い人間が王になる。 王たる資格は強くあること。心も体もすべてにおいて強くあること。それがこの国の定められた王の資格だ。 ダールがその座を狙っているのは随分前からわかっていた。わかっていて、放置していた。どうせ、自分を引き摺り下ろせるものなんていないとタタリ自身がよくわかっているからだ。初代から続く王座を守り続けるタタリの一族は代々国の中でも秀でた強さを誇り、国中で敵う者は一人としていなかった。 特に、タタリは一族の中でも優秀で、頭もよく強靭な精神力を持ち、剣術や体術などあらゆる面において優秀な成績を収めた。 無論、玉座を奪おうとするものも現れたが、皆彼の前に敗れていった。 王とは孤独である。そうあるべきだとタタリの父は彼に言った。 愛する者がいてもそれを人質に取られて国を亡ぼすくらいならば、いっそ自らの手で殺めてしまえという父の教育はタタリに強く影響を与え、母は愛情ではなく針のような言葉でタタリを包んだ。 だからだろうか。時期国王を守るのは王妃の務めと言い残し我が子の盾になって死んだ母と、老いて病を患いかつての面影が嘘のように段々衰弱して、自分の体を動かすのもままならないまま死んでいった父にタタリは何の感情も抱かなかった。 そうした幼少期を過ごしたからか、王となったタタリの言葉に優しさはなく、不愛想で誰かを愛することもないだろうと誰しもがそう思っていたある日のこと、コノエが宮殿に連れて来られた。 カランとグラスの中で氷が音を立てる。 書類を見ていた顔を上げてタタリは息を吐いた。 側近のセジュに声を掛けてコノエのことを呼びに行かせる。現在王の寵愛を受ける彼は部屋で本でも読んで過ごしているはずだろう。 機嫌が良ければ歌でも歌っているかもしれない。 三年前、タタリが連れて来た青年は弐の国出身の元踊り子だった。 歌と踊りが得意な彼が何故奴隷市場に売られていたのかは分からないが、大金を用意して買いあげた彼は生意気にも王を睨みつけて毒を吐いた。 美しい容姿と綺麗な声。陶器のような肌。タタリ以外には基本的に優しく、人に気も使えてよく働くコノエは一部の家臣から天使のようだと言われていたのを知っている。 それにダールや他の者が惹かれるのも当然と言えば当然だ。 タタリは気難しい顏で書類を睨む。 コンコンというノック音に返事を返すと、昼間見た顏がドアを開ける。 用を問うとにやついた笑みを浮かべる男に人払いをして書類から顔を上げる。 男、ダールは礼を言うと本題を切り出す前に一つ咳ばらいをした。 「例の件で書状が届いております」 「ご苦労」 スッと差し出された書状を受け取り目を通す。内容を見て眉間にしわを集める。 綺麗な令嬢の姿絵が描かれたそれが不愉快でタタリはすぐにその紙を机の未処理の書類の山に投げた。 「返事は待たせておけ。下がっていいぞ」 「かしこまりました」 「……一つ聞く。王に、なりたいか、ダール」 「…………それは……、なんの冗談ですか? そんな愚かな奴に見えます?この、俺が」 獣の匂いが染みついた男が頭を下げて背を向けようとしたその横顔に疑問を投げる。 タタリの方をちらりと見て怪しげな笑みを浮かべた男はそれだけ言うとまた頭を下げて部屋を退室していった。

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