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鬼の係長!!鬼頭大智
「この企画書は何だ!!小学生の読書感想文のつもりか犬飼!!」
「わひっ!!いっ、いえっ、そんなつもりはなくぅ〜っ!!」
「じゃあどういうつもりだ!!お前は俺を怒らせるためだけにふざけてんのか!!」
「違っ!!違いますけども!!すっ、すっ、すみませんんーっっっっ!!」
「昼までに書き直してこい!!」
「はいぃぃーっっっっ!!」
暖かい陽気が差し込むオフィスの中に、もはや部署の恒例行事となっている怒号と情けない謝罪の声が響き渡る。
怒号を上げているのは、この部署の係長、鬼の係長なんて陰では呼ばれている、あだ名の通りの名前の持ち主「鬼頭大智」その人だ。
切れ長の鋭い目つきに低い声、おまけに身長は190近い上に、学生時代はラクビーをやっていたというだけあって、申し分ない筋肉の鎧を身に纏っているので、叱られた部下達は、何をされていなくても命の危機を感じてしまうほどだ。
しかし他の部下達は幸せなことに、あまり鬼の係長のターゲットになることはないのだ、何故ならば………。
「すみません鬼頭係長ぉぉ〜!!僕ちゃんとデータ保存って!!ここのとこを!!ポチッてやったはずなんですけどぉ〜!!」
「ポチッてじゃなくて!!何で!!お前は!!最終の確認をしないんだ!!この!!馬鹿犬!!!!」
「わひひいぃぃ〜〜っん!!ずびばぜんんん〜っっっっ!!だずげでぐだざいぃぃ〜〜!!」
「自分で何とかしろ!!」
わ、まーたやってるよ、鬼頭係長とわんこ。
あいつも何であんなにポカミスばっかやらかすかねぇ。
係長に叱られたくてわざとやってんじゃねぇの?
ははっ、どMのわんこ君ってか。
ヒソヒソと聞こえる話し声は、哀れみ半分、面白半分。
一日何度も行われるこのイベントに、いちいち反応していたら自分達の仕事が進まなくなり、そうなれば、今度はこちらが鬼の係長のターゲットになってしまうので、鼻を啜りながら謝り続ける同僚を庇いに入る仲間は、残念ながら存在しない。
毎度毎度、ここまでくるとワザとじゃないのか?と言われてしまうほど、小さなミスから大きなミスまで、何でもござれのポンコツ男。
くりくりと大きな瞳に、ぽてんとした太い下がり眉、男の割には小さな唇にふんわりと柔らかそうな軽めの癖っ毛。
身長は175センチほどで、小さいというわけではないのだが、鬼頭係長と並ぶと頭2つほどは小さく見えるし、叱られている場面の方が多いので、縮こまる背中のせいで、ますます小柄に見えてしまう。
今年35歳を迎える鬼頭係長と同期にあたるのだが、仕事の出来なさと、本人の童顔も相まって、とても同い年には見られない、年下の女性社員にまで、わんこ君と呼ばれてしまっている彼こそが。
鬼の係長、鬼頭大智のメインターゲット、わんこ君こと「犬飼実」なのだ。
「お前のミスを毎回毎回俺がやり直して、これじゃあ結局、お前の仕事も俺の仕事になってるだろうが。」
「すみません……。」
「謝るだけなら誰でも出来るだろうが、お前はいつもすみませんの一言で終わったと思ってるんじゃないのか?あ?」
「ぞっ、ぞんなづもりはないでずぅ〜!!」
少しキツめの口調で説教され、犬飼は涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃに汚しながら、ペコペコと頭を下げた。
ここまでくると、流石に誰かが庇いだてしても良さそうなのだが、ここまでの流れすら年中行事となってしまっているので、まわりの同僚達は、自分のパソコンを影にして、あーあと様子を伺いながら、可哀想にと視線だけ向けている。
「もういい!!俺の仕事が進まん!!お前のそれは俺がやり直すから!!もうお前は触るな!!他の仕事に戻れ!!」
「はっ、はひぃ!!」
バサッと乱暴にファイルをデスクに叩きつける鬼頭係長にビクビクと怯えながらも、返事だけは1人前の犬飼が、鼻をずひずひと啜りながら、ワタワタと自分のデスクに戻っていく。
慌てすぎて何もない所で何度か躓きそうになりながら、自分のデスクまで辿り着いた犬飼は、毎度の説教の必需品になっているティッシュを何枚か引っ張り出して、情けない顔のまま、涙と鼻水を拭いとった。
「相変わらずの、すげー怒鳴り声だな鬼頭係長。」
「ん、でも、怒らせたのは僕のミスとか、仕事の遅さが原因だから、怒鳴られるのも仕方ないよ。」
「んでもよぉ、あそこまで怒鳴る必要ないんじゃねぇの?ヤベーよな、さすがは鬼の係長。」
恒例の、鬼の係長のわんこへの雷落としが終わった後は、両脇の同僚に慰められることも恒例になっていたが、あまりに盛り上がってしまうと、楽しそうだなと低い声が頭上から響き、3人まとめて説教コースになってしまうので、ヒソヒソコソコソと顔を近付けて話しながら、可哀想なわんこへ、そっとコーヒー缶を差し入れてやるのが基本スタイルになっていた。
犬飼は、小さな声で二人の同僚に、ありがとうと呟いてから、パソコン画面とにらめっこを始めつつ、そろりと視線をずらして、少し離れた所に見える鬼頭係長のデスクを視界に入れた。
相変わらずの目付きの悪さ、ただでさえ目付きが悪いのに、髪型をオールバックなんかにするから、更に悪人レベルが上がって見える上に、本人が大して愛想が良い方ではないので、ますます周りを遠ざけてしまっているが、意外と話せば良い人で、責任感も強く、目一杯怒鳴り付けてくるが、突き放すような事は決してしない。
鬼の係長なんて言われているが、この部署の皆は、ビクつきながらも、鬼頭係長に頼っているのだ。
ただ、ビクつきの部分が多い部下がほとんどなので、大っぴらに、鬼頭係長は頼りになるとは誰も口にはしないだけだ……。
「今日は…すみませんでした、鬼頭係長。」
「ふん、お前はそう言っておけば済むと腹の底では考えてるだろう、だから毎回似たようなミスをやらかすんだ。」
定時の時間を知らせる音楽が社内の隅々まで鳴り響けば、待ってましたと足早に女性社員は身支度を整えて、お疲れ様でしたー!!とカラカラと楽しそうな笑い声を響かせて帰っていく。
「あー、良いよなぁ〜、俺もアフターのお買い物や女子会に混ざりてぇ〜。」
「ばーか、お前なんて支払いの時以外は後ろで突っ立ってろって言われるのがオチだろ。」
「んなことねぇよ、みかちゃんあたりは俺に優しくしてくれそうだし?」
「下らん話は後にして手を動かせ、お前らが帰らないと俺も帰れないだろうが!!」
定時は過ぎたが、一区切りつけないと退社できない社員は数人残り、キリの良いところまで仕事をこなしてから帰る事が、この会社の基本になっている。
たとえ自分が役職を持つ上司であっても、自分の仕事が終われば退社すればいいし、よほど人望が無い上司でなければ、先に帰ったところで部下に悪くは言われないだろう。
鬼の係長なんて言われている鬼頭だが、仕事に関しては頼りにされているし、女性社員だろうと、仕事にミスがあれば大声で怒鳴りつけるので、女性人気は低いかゼロかと思いきや、キリッとした顔つきと、筋肉質な身体に高身長、意外や意外で気が利くところもあるようで、バレンタインには部署の男性社員の中では1番大量にチョコレートを貰っていた。
それをまた、きちんと一人一人にお返しをするものだから、モテない平社員男性諸君の一部からは、逆恨みくらいはされているかもしれないが。
「仕事」だけに関しては、人を怒れる分はこなしているので、今ここで、さっさと退社したところで、誰も文句は言わないだろう。
皆、何だかんだと鬼頭係長には助けられ、世話になっているのだから。
「あー!!終わったー!!よーし、一杯やりに行こうぜ!!」
「おっ、いいね!!おい、犬飼、お前も飲みに行こうぜって、何だよ、まーだ終わらねぇのか?」
「あ、う、うん……もう少しかかりそうで……あっ、僕のことはいいから、二人で楽しんできてよ。」
定時から一時間ほど過ぎ、残っている社員は、犬飼と同僚の二人、そして少しでも雑談しようものなら、手を動かせ!!と秒速で雷を落としてきた鬼頭係長の四人になっていたが、同僚二人が仕事を片付けて帰っていったので、必然的に犬飼は、鬼頭係長と二人きりになってしまった。
「犬飼のヤツ、今日も今日とて、鬼の係長と残業かぁ〜、あいつが俺達の部署に来てからほぼ毎日こんな調子じゃないか?わんこ君もよくやるよ。」
「でもよぉ、それを毎度毎度、ドカーっと叱っちゃあフォローにまわる鬼頭係長もなかなかだろ?あの人って、自分の仕事片付けるのは早いから、結局残ってる理由って、俺らみたいな残業するヤツが終わるまで残っててやるってのと、犬飼のミスった仕事の尻拭いだろ?」
「それなぁ〜、ってか、犬飼と鬼頭係長って入社時期一緒の同期なんだよな、かたや係長で、かたやポンコツ平社員、俺だったら劣等感で会社辞めちまいそう。」
「お前に劣等感なんてあんのかよ〜、あ、でもあの二人って、なんか一緒に昼飯食ってるし、帰りの方向一緒らしくて、二人並んで駅前歩いてるの見たことあるぞ。」
「は?マジ?あー、あれじゃね?犬飼が何弱み握られて脅されてっとか!!」
「なんだよそれ、俺達みたいな年下社員に混ざって仕事してる犬飼に、バラされたら困るような秘密なんかあるかぁ?」
「うーん、うーん………ないよなぁ…んじゃあ逆か?」
「逆ぅ?」
「出世頭、鬼頭係長の秘密を実は握っている犬飼!!」
「んはっはっは!!そんなんだったら、あの毎日の怒鳴られはもう少しマイルドになるんじゃねぇの?」
「はははっ、だよなぁ、んじゃあただ単に、まぁ同期は同期だから、一緒に飯食って帰るくらいは仲いいのかもな。普段の感じからだと全然わかんねぇけど。」
先程まで一緒に残業をしていた同僚達に、好き勝手に憶測を繰り広げられている頃。二人きりになってしまった犬飼と鬼頭であったが、その空間には、昼間とは違う空気が漂っていた。
「ごめんねだいちゃん、いつもいつも、僕の仕事のお手伝いさせちゃって。」
昼間と同じように、少し困ったように笑いながら自分の鼻をポリポリと掻いている犬飼が、鬼頭のデスクにゆっくりと近付いていく。
皆の知っている鬼頭係長であれば、犬飼のそんな台詞にはバッチリと怒鳴っているだろうし、だいちゃんだなんてふざけた呼び方をすれば、窓を開けて、ここが何階であろうとも外に投げ飛ばしてしまいそうなのだが。
「あの……か、会社では……だいちゃんって……呼ばないでください………。」
「え、どうして?」
「は……恥ずかしい……からです………。」
犬飼の目の前に居るのは、確実に鬼頭係長だ。
鬼の係長と名高い、あの鬼頭係長。
同期の中では一番の出世枠、仕事の鬼。
眼力だけで人が殺せるなんて噂されてしまっている、鋭い目つきの男のはずなのだが…。
散々叱り飛ばしていたわんこ君こと犬飼に、指先で頬を撫でられている鬼頭の顔は、お腹を撫でられている子犬のようにフニャフニャで、普段の姿を知っている部下が見たら、ひきつけでも起こしてしまいそうだった。
「ご、ご主人様はきちんと落ち着いてやれば、ミスもなくデータを完成させれるのに、こんな小さなミス一つでやり直して残業になっていたら馬鹿みたいですよ。」
鬼頭が犬飼をご主人様と呼んで、敬語を使っている。
そんな天地がひっくり返っている光景は、今のところ、社内の誰も知らない秘密。
「そうかなぁ、僕けっこう落ち着いてやってるつもりなんだけどなぁ、やっぱりこういう仕事はだいちゃんのほうが向いてるよね。」
「も、何言ってるんですか、俺が毎日毎日、どんな気持ちでご主人様の事を怒ってると思ってるんですか。」
「ウンウン、頑張って係長さんやってるもんね、だいちゃん偉い偉い。」
うーっとむくれた顔を向けてくる鬼頭を、優しく抱きしめて、背中をトントンと撫でる犬飼。
この秘密の関係はいつから始まったのか…。
それはまだ、二人とも初々しい姿をしていた入社当初までさかのぼる。
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