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始まりの入社式

春の暖かな陽気が心地よい季節になると、真新しいスーツに身を包んだ社会人の面々が、まだまだ汚れ一つ付いていない鞄を抱え、少しばかり緊張した面持ちで電車に乗り込む姿をあちらこちらで見かけることができる。 当時大学を卒業し、上京してきたばかりの鬼頭青年も、今でこそ鬼の係長だなんて恐れられているが、バスは一日に二本しかやってこないような田舎の村から、地元で就職しろという父親と大喧嘩の末に勝ち取った都会での就職が決まり、駅の自動改札という、生まれてはじめて見る都会感満載のアイテムの使い方がわからず見事に途方に暮れていた。 生まれてこの方、乗ったことのある電車といえば、駅員さんが切符をパチンと切ってくれる、せいぜい2両ほどしか繋がっていない、近場と近場の往復をする程度の電車のみ。 田舎の駅と違い、何だか話しかけづらそうな駅員の立ち姿に、光線のような勢いで、次々に改札を通り抜けていく社会人の先輩達。 都会で暮らすという夢のため、その一心で田舎の三流大学ではあるが、都会で就職しても良い条件の一つとして、母親と約束した通りに、好成績で大学を卒業し、頭の固い父親の、地元で就職しろという言葉は、優しい兄がそれなりに説き伏せてくれたから今この場に立てている。 自分と父親の二人だけであれば、あの口喧嘩は大乱闘に発展し、都会に行くどころの話では無くなっていただろう。 大学時代にラグビーで汗を流し、筋骨隆々の身体を手に入れた鬼頭だが、父親も父親で、長年大工をやっていたので腕っぷしには自信がある、昔ながらの頑固親父であるため、ひとたび二人が親子喧嘩を始めると、なかなか収まりがつかないのだ。 「何が東京で就職するだぁ!!何処で仕事したって同じだが、都会のキラキラしたとこで暮らしてぇなんてうわっついた考えの奴なんざ!!何処の会社もお断りだろうよ!!」 「親父の頭は古臭いんだよ!!俺はそんな理由で東京に行きてぇって言ってんじゃねぇよ!!」 「じゃあ何か!?お前が東京で仕事してぇ、まっとうな理由があるのか?言ってみろ!!俺が納得出来なきゃ!!今すぐ町工場の工場長さんに、お前の就職の話つけて来てやるからな!!!!」 「はぁあ!?んだよそれ!!俺がどんな話したって!!納得しねーって言って、こっちで無理矢理就職させる気だろ!!ふざけんな!!」 「ふざけてんのはお前だ!!大智!!どうしても東京行くってんなら!!二度とその面見せんじゃねぇ!!!!」 「ああ!!そのつもりだ!!!!」 あのまま勢いで飛び出してしまいそうな鬼頭を、母親が制し、噴火が収まりそうにない父親の方を長男が制してくれ、結果として、不貞腐れたままではあったが、父親は東京で仕事をして暮らすことを許してくれた。 地元貢献の意識が高く、田舎の何もない村ではあるが、どうにか盛り上げていきたいと考えている父親の気持ちが解らないわけではない、娯楽施設など錆びれたゲームセンターくらいしかないが、この地で暮らすことが嫌なわけではない。 だが、どうしても、鬼頭は東京に出て、そこで生活したい理由があった。 両親にも、仲の良い頼れる兄にも言えない理由があったのだ。 自動改札機とにらめっこすること早5分、どうにかこうにかで、切符を入れて通り抜けていく人の動きを真似しながら改札をクリアした鬼頭は、腕時計の時間を確認すると、慌てた様子で駆け出した。 「わわわっ!!まずいまずい!!!!入社式に遅れる!!」 そう、今日この日は、後の鬼の係長、鬼頭大智の入社式なのである。 せっかく手に入れた、夢の都会生活が、入社式に遅れた事が原因で終わりになってはたまらない、それこそ頑固親父の思うつぼ、ほれみたことか!!と嬉々として地元で就職させてやると迫ってくるに違いない。 鬼頭は、まだ履き慣れていない新品の革靴が脱げそうになりながら、自動改札機の次に立ちはだかる、駅の出口が解らない!!を泣きそうになりながらもクリアし、何とか時間より早く、これからお世話になる会社に辿り着き、同じ様に、今日からこの会社で働くことになる新社会人の仲間達と肩を並べて入社式を迎える事ができていた。 ズラリと同じ様にスーツ姿の男性が並んでも、背が高く、筋肉質な上に、顔つきも切れ長の美青年である鬼頭は飛び抜けて目立つのか、チラチラと会場のあちこちから視線が飛んでくるが、当の本人は田舎暮らしの自分のスーツの着こなしや髪型に何か間違いがあり、皆が好奇の視線を送ってきているのかとドキドキしてしまい、何度もスーツのシワや靴の汚れを確認してしまっていた。 な、何でこんなに見られるんだ? 俺のスーツの着方……もしかして何か違ってるのか?いやいや、ちゃんと社会人の心得ブックを何度も読み返したし、兄貴にも一回着てみて確認してもらったぞ!! 靴が汚れているか?た、確かにさっき走ったから、少しだけつま先が汚れているか?でも、会場に入るまでに拭いたぞ、それに、このくらいの汚れなら、ちらほら見える足元にも同じ程度の靴があるし…。 あっ、お、俺が田舎者だって、なんか……オーラというか、滲み出てるものがあるのか? クソッ、絶対に東京の男になってやるからな!!!! 入社式の時に誓った、東京の男になるという目標は、それ以来の東京生活で自然と達成され、この野心家なところが幸いしたのか、同期の中では一番の出世頭になるのだが、当時の鬼頭にとっては、会社での出世などはどうでも良く、東京で暮らして、真の目標を達成することが一番大切なことになっていた。 「鬼頭君、だよね?鬼頭大智君で合ってる?」 「へっ、あ、は、はい。」 その出会いは、研修期間もようやく終わりに近づいた頃にやってきた。 その頃の鬼頭は、仕事を覚える事と、電車の駅や乗り継ぎを覚え、迷路の様な駅地下を迷わずに抜けることで精一杯で、せっかく夜景が綺麗に見えるからと、少しだけ背伸びをして借りた階数の高いマンションの景色もろくに堪能できず、食事も今までマトモに自炊などしたことがないくせに、勢いだけで飛び出してきたところもあり、日々の食事は常にコンビニ弁当という、少々疲れのたまる生活が続いていた。 そんなお疲れ気味な鬼頭に声をかけてきた、どことなく子犬を思わせるような、クリっとした瞳に、ふんわりと毛先がカールしている柔らかそうな癖っ毛の男。 白い肌に細い身体、見るからに頼りなさそうだが、中性的な顔立ちは女受けは良さそうだなと、鬼頭はぼんやりと考えながら、じっと見上げてくる男の顔を眺めてしまった。 「鬼頭君って、背が高いねぇ。」 「あっ、す、すいません気が利かなくて、隣座りますか?」 「あはは、敬語やめてよ〜、僕同期の犬飼、犬飼実だよ、入社式でチラッと顔見たけど、話したわけじゃないから、わかんなくても仕方ないけどさ。」 自動販売機でコーヒーを買っていたところで声をかけられたので、鬼頭は犬飼を見下ろす形になってしまっていた事に気が付き、慌てて隣のベンチに腰を下ろしてから、あっ!!コーヒー飲みますか!?なんて、自分が買ったばかりのコーヒーを犬飼に差し出した。 「いいよいいよ、それ鬼頭君が買ったやつでしょ、そんなに緊張しないでよ〜、僕悪い事を言いにきたわけじゃないんだから。」 入社時期は同じだが、違う部署に配属されている犬飼が、いきなり声をかけてきたので、鬼頭は少なからず警戒していた。 もし犬飼が、今の部署が肌に合わないから変わってくれなんて言ってきたら、今までやった研修が、また1からのスタートになってしまうし、まだ鬼の係長ではない鬼頭青年は、それをお願いされた場合の回避方法が解らない。 「俺に何か?」 「今週の金曜日さ、仕事の後って時間ある?僕らの入社祝いの飲み会があるみたいで、まぁ、会社あるあるなんだけどさ、新入社員は絶対参加ー、なんだよね。」 「飲み会………。」 「うん、飲み会、あ?お酒飲めない?もしそうだったら間に僕が入るように席を決めてもらうから……。」 「あ、いや、それは……大丈夫。」 「大丈夫?なら良かった、いきなり話しかけてびっくりさせてごめんね、なんか僕が課長に捕まっちゃってさ、全員に通達しろって言われたんだけど、そんな新入社員全員の連絡先なんて解らないし、かといって伝言頼むのも途中で伝わらなくなったらって思っちゃうと心配でさ〜。」 くりんくりんと可愛らしく瞳を動かして、時折ふわふわの癖っ毛を指に絡めながら話す犬飼の姿を、部署を変わってくれじゃなくて良かったと一安心しながら鬼頭は横目に入れつつコーヒーを飲み干した。 新入社員歓迎会の飲み会か、場所が居酒屋なら、久々にコンビニ弁当以外の飯が食える……。 「鬼頭君は、こういう飲み会って苦手じゃない?」 「あー、別に、ここ最近コンビニの食べ物ばかりだったから、居酒屋だったらマトモな飯が食えそうだし……ラッキーかな……。」 「良い子だね、ご褒美あげようか?」 「えっ、あっ………ぁの………。」 くりくりと可愛らしく丸まっていた瞳が、ゆっくりと細くなり、犬飼の小さな唇が両端を軽く釣り上げる。 「ほら、結局は新入社員の歓迎会だー、なんて言ってもさ、上司の接待になっちゃうことって多そうじゃない?みんなそれを嫌がるからさぁ、ただちゃんとしたご飯が食べれるから行くって言える鬼頭君は、良い子だなぁって。」 ふふっと愛らしさの溢れる笑顔で笑う犬飼に、何故だか鬼頭は何も言えなくなっていた。 キュンキュンと下腹がハートマークを噴き出してときめいている感覚が止まらない。 良い子だねと、ご褒美あげようか?の台詞が頭の中をぐるぐると回っている。 そう、筋骨隆々の鬼頭青年が、父親と大喧嘩してまで都会に出てきたかった理由。 家族には言えるはずのない理由。 それは物心ついたときからの欲求で、学生時代に何度か同級生とお付き合いしても叶うことの無かったことで。 自分の事を誰も知らない東京に出てこれば、その真の理由と、それを満たしてくれる相手を心置きなく探せると思ったのだが……。 自分のときめきの本能に従うのであれば、その相手は、目の前のふにゃふにゃ男、犬飼実であると示している。 鬼頭はドキドキが収まらない胸を深呼吸で落ち着かせながら、メールアドレスを交換して、じゃあ週末にね、と笑って立ち去って行った犬飼の背中を見送った。 このドキドキが一体どういうドキドキなのか、自分の探している相手はまさかの犬飼なのか………。 まだまだ都会での生活には慣れていない鬼頭青年は、自分の感情に折り合いがつかないまま、週末の飲み会を迎えることになったのだった。

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