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誰にも言えない欲求

それは、自分の頭の中に芽生えた時から、他人に口外してはいけない欲求だと本能が気付いていた。 年頃になり、精通を覚え、初めて交際する相手ができ、初体験を済ませた。 世間一般の男性としての道を真っ当に歩んでいるように見せていた。  隠している部分を誰かに気付かれる事が怖いから、その部分を隠そうとして、誰よりも男らしく振る舞った。 父親にすすめられてスポーツ教室にも通ったし、高校の時はバスケ部の主将をつとめ、大学ではラグビーに汗を流した。 ガタイの良い、男の中の男。 頼りがいのあるリーダー格。 ソレが俺だと、皆に見せていないと何だか不安だった。 興味のわかない女のグラビア、学校の友達に合わせるために買った成人向け雑誌。 悪友達と盛り上がっているふりをして見たアダルトビデオは、どうしても勃起しないので、俺はこの女優じゃ抜けねぇな。なんてその場を乗り切るために嘘をついた。 高校も大学も、何人かの同級生やバイト先で知り合った女子達と交際したが、誰とも上手くいかずに早々と破局した。 皆が求めている鬼頭大智は、頼れる男、たくましい男。 もちろん、夜の方だってギラギラと獣のように迫ってくる男なのだろうが、俺には無理だった。 夜は見事に真っ暗闇になる田舎の村は、21時にもなれば、村全体が寝静まり音が消えるので、聞こえるのは、夏であればカエルの鳴き声程度だった。 緩やかに首を振る扇風機の音が響く部屋で、二段ベッドの上で眠る兄が完全に熟睡しているのを確認すると、真夏だというのに頭からタオルケットを被り、鬼頭はごそごそと自分のハーフパンツを下着ごと膝下までおろし、既に反返るほどにたちあがっているモノを、わざと片手で根元を締めながら扱きあげる。 健康な青少年であれば定期的に行うであろう自慰行為だが、鬼頭がこの行為にいそしむときに考える事は、テレビを賑やかにしている女優でも、クラスメイトが嬉々として覗き込んでいる袋とじに隠れているグラビアアイドルでも、アダルトビデオの女優でも、クラスのかわいい女子でもなく………。 「いいと言うまで出すなよ?」 「命令だ、声も出すな。」 「あと5分頑張れたらご褒美をあげようか?」 「お前は私の犬なんだから。」 頭の中で何時も想像する。 首輪をつけられて命令される自分を。 何もかもを管理され、飼われている自分を。 命令してくる相手は、上手く想像できない。 上手く想像できないが、こっそり見たアダルトビデオの女王様ではピンとこなかった。  強気の女子と付き合っても、何かが違うと思い上手くいかない。 「出したい?」 「もう我慢できない?」  「駄目な犬だねぇ。もう、今日は特別だよ?」 「自分の手のひらに全部出してごらん?」 グッと太ももに力が入り、ぶわっと生温い感触が手のひらに広がる。寸止めをして我慢しながらの自慰行為で、命令されていることを想像するのは特に気持ちが良く。鬼頭はふわふわとした頭のまま、枕元にあるティッシュで股間を拭いて、そのまま気持ち良く眠りにつくのが日々の日課になっていた。 自分の欲求を隠しながら、男らしく日々を過ごしていた鬼頭に転機が訪れたのは高校2年生の時に、既に成人していた兄が車で少し遠くのネットカフェに連れて行ってくれた時だ。 パソコンなんて、学校の古くさい型のものを授業で少し使うだけで、インターネットとは無縁だった鬼頭は、ネットカフェに置いてあった新しいパソコンで見る世界に驚き、兄が2つ個室をとってくれたので、誰にも気兼ねせず存分にインターネットの世界を楽しむことができた。 はじめは好きなゲームのホームページや、面白そうなアニメや動画を堪能していたが、2時間ほどネットサーフィンを続けた後、ふと思いついたように、検索欄にカタカタと文字を打ち込んだ。 初めて性を意識した時から持て余しているこの感情の正体を知りたかった。 この、世界とつながる回線ならば、自分の感情の正解を教えてくれるかもしれない。 飼育、願望、ペット、首輪。 どうキーワードを打ち込んでいいかわからず、とりあえず日々の自慰行為の時に想像しているものを順番に打ち込み、上の方に出てくるペット用品のページをスクロールしながら、やはり自分の欲求は特殊すぎるのかと諦めかけていた頃に、一つのサイトに辿り着いた。 「御主人様募集……。」 そのサイトの書き込み欄の言葉を、鬼頭は思わず口にしてしまい、ゴクリと生唾を飲み込んだ。 アップされている画像の数々は、女性もいるが、男性の画像が多く。皆、首輪をつけられ、手首を縛られ、あられもない格好で恍惚の表情を浮かべていた。 「犬………。」  鬼頭は自分の股間がパンパンに膨らんでいくのを感じながら、夢中でそのサイトの書き込みを目に入れた。 どうやらそこは、アダルトな出会い系サイトらしく、飼われたい人と、飼いたい人が、互いに御主人様と犬を探しているようで、御主人様を探している犬達は、自分の写真をアップして、住所や、プレイ内容の願望を事細かに書き込んでいた。 射精管理、排泄管理、お仕置き、調教、オモチャ、アブノーマル。 リードをつけてお散歩させられたいです。 「ぁっ………あ。」 御主人様に命令され、飼育されている犬達の欲求を読んでいるうちに、鬼頭の股間は限界を迎えてしまい。触ってもいないのに、下着の中をぐしょ濡れにしてしまった。 ひくっひくっと痙攣している腰を落ち着かせながら、鬼頭は興奮した頭を一旦冷ますために、ドリンクバーから持ってきたメロンソーダを一気に飲み干した。 シュワシュワとした炭酸の余韻を喉で感じながら、備え付けてあったティッシュでコソコソと股間と下着を拭うと、恥ずかしさの中でも、自分の欲求の答えがわかった安心感で、鬼頭は気の抜けたため息をついてしまった。 「御主人様………か。」 パソコンの画面に並ぶ、御主人様を待つ犬達の姿は、すぐに自分と被せて見てしまう。首輪をつけられ、下着一枚で座らされている自分を想像するだけで、一度出したというのに、あっという間に股間は固さを取り戻す。 だが犬を探す御主人様の方を覗くと、ドキリと反応するのは男性ばかりで、女性の御主人様にはいまいち股間が反応しないので、ようやく鬼頭は、自分が求めているのは男性の御主人様なのだと、自分自身の中で答えが出せた。 男の犬が、男の御主人様を探すにはどうしたらいいのか。 鬼頭は、初めてネットカフェに行ったあの日以来、そればかりを考えて過ごすようになっていた。 検索方法や、検索ワードも、自分の携帯でも調べるようになり、より深い所まで見つけられるようになっていった。調べれば調べるほど、自分の欲求を何もかも解消してくれそうな事ばかりか見つかり、見つかれば興奮し、それを思い浮かべながら自慰行為をする。 そんな日々を過ごしていた時に、ようやく見つけた場所があった。 「秘密のペット」 そこは会員制の出会い系サイトだが、一般的な出会い系サイトとは違い、出会いを求める性別は、男同士でも女同士でも問題はなく、アブノーマルでも問題はない。問題はなくて当たり前だ。 あなたも誰かに飼われてみませんか? 登録を促すページに書かれているその言葉を目に入れた瞬間。ゾクッと気持ちの良い鳥肌がたった。 その出会い系サイトを見つけた時には、既に鬼頭は大学生になっていたので、迷うことなく会員登録のボタンを押した。 「な、名前………あぁ、ハンドルネームみたいなものか……うーん、俺にこういうセンスは無いから……だいちゃんでいいか………。」 興奮で勃ちあがってきた股間をズボンの上から擦りながら、ペットになるための会員登録の項目を埋めていく。名前、性別、身長、体重、経験人数、それから。 「か、飼われたことは……み、未経験っと……えっ、同性での性行為……み、未経験。」 自分は誰かに飼われたい、そしてその御主人様は男性がいい。この時の鬼頭は、自分の欲求がどういうものか、形にはなっていたが、もちろん全くの未経験。誰かのペットになったことなんて無いし、男性の御主人様がいいと希望はあるが、男同士の性行為は聞きかじったことがある程度で、自分が経験したことはない。 「というか、俺は飼われたいんだから………お、俺が……抱かれるって事だよなぁ………こんなでかい俺を抱くって、俺よりもガタイが良くなきゃ無理じゃないか?」 鬼頭は自分の身体を頭の中に思い浮かべてみた。 身長は190、体重だって90を越えていたし、ラグビーをやっているので、身体は筋肉質で柔らかさは無い。おまけに自分は目付きが悪いので、可愛らしいペットが欲しい御主人様達には見向きもされないんじゃないだろうか。 会員登録が完了した「だいちゃん」のマイページには、まだプロフィール画像を設定していない事を示す灰色のアイコンがついている。 会員登録を完了させた後に、他の人達のプロフィールを見て回ると、皆、どれだけのプレイが出来るか、どんな命令を希望しているか、そんな熱い思いをびっしりとプロフィールに載せて、プロフィール画像のほうも、首輪をつけていたり、乳首にピアスを開けていたりと、御主人様の目に止まるためのアピールを一枚の写真の中に、これでもかと散りばめていた。 鬼頭は、ペット願望はあるが全くの未経験だし、耳にピアスを開けることすら躊躇するほどなのに、乳首にピアスを開ける勇気は残念ながら出てこない。 そこまではしていないプロフィール画像も、やはり性的なアピールは忘れないものばかりで、それなりな男女交際と、なんとか勃起させて、なんとか終わらせていた、それなりな普通の男女の性行為しか経験の無い鬼頭には、性的なアピールどころか、あれほど興奮して会員登録したというのに、いざ中に足を踏み入れてみると、自分など足元にも及ばないツワモノのペット希望者ばかりなので、このプロフィール画像に自分の顔を載せる勇気すら立ち消えてしまい。「だいちゃん」のページは、それ以上更新されずに時間が過ぎていった。 顔写真の載っていない「だいちゃん」のページには、特にメッセージが入ることもなく、鬼頭自身も、他の人のプロフィール画像や、サイト内で書かれているペット希望者達のブログを覗いてはいたが、自分のページを更新したり、ブログを書いてみる勇気はなかなか出てこないまま、就職について考えなければならない時期を迎えていた。 大学を卒業したら就職することには決めていたが、何処の会社に就職するかはあまり考えていなかったし、父親は地元で就職して欲しいと言っていたので、なんとなくこのまま、地元の工場にでも就職すればいいかと軽く考えていた。 「あーあ、せっかく登録したのに、人のページ見るばっかりで……やっぱり顔写真くらい載せるか……うー、いやいや、今から就活するってのに、何かのひょうしにこれがバレたらまずいか……………ん?……え。」 就職活動のためのスーツを一式購入した日の夜も、日課になっていた「秘密のペット」のチェックをしていると、今まで何も表示されたことのないメッセージボックスに、メッセージが入っている事を知らせるアイコンがキラキラと点滅していた。 「わんみの…………。」 初めてもらったメッセージを、緊張して軽く震えてきた指先で開いてみると、そこには可愛らしい子犬のアイコンと「わんみの」と平仮名で表示されている名前が並んでいた。 はじめましてだいちゃん。 プロフィール画像は無いけど、身長と体重を見る限りはなかなかの大型犬だね。 今でもまだ御主人様が見つかっていないかな? 「大型犬…………。」 鬼頭は「わんみの」からのメッセージをゆっくりと目で読みながら、自分の事を「大型犬」と表現されている文を見て、痛いほど鼓動が早くなるのを感じていた。 「犬……。」 大型犬の文字が目に入るたびに、首輪をつけられている自分を想像してしまう。 誰かに飼われる事は、結局は夢で終わってしまうと半ば諦めかけていたのに………。 サイト内で、御主人様に出会う事ができた他のペット達のブログに書かれている、躾の記録を見て興奮し、それをオカズに自慰行為をするだけで我慢していたのに。 これから就職活動がはじまる。 このまま地元に就職して、おそらくは、ある程度の年齢になれば、恋人のいない自分のために、勝手に親が見合いの話を持ってくる。 この気持ちは隠し続けて、平凡な結婚をして、平凡な家庭を築いて、平凡な人生を歩むほうがいいんじゃないか。 今までだって隠し続けてこれたじゃないか。 これからもそうすればいい、このメッセージは見なかったことにして、またひっそりと、他のペット希望者に御主人様が見つかったことを羨んで……。 死ぬまで自分の欲望の上に蓋をして、頼りがいのある男らしい鬼頭大智を演じ続ければ………。 鬼頭はハンガーにかけられた真新しいスーツに目をやった。来週からは、あのスーツを着て、あちこちの説明会を忙しくまわる日々が始まるのだが、自分用のスーツだというのに、それを着ている自分を何度想像しても、イマイチ頭にピンとこない。 もちろん、ピンとこないから就職活動をやらないなんて選択肢は無いので、イマイチだろうが、しっくりこなかろうが、来週からの就職活動は真面目にこなすつもりでいる。 はじめまして、わんみのさん。 メッセージありがとうございます。 御主人様は見つかっていませんが、もう就職活動が始まるので……。 御主人様を探すのは諦めようと思っています。 鬼頭はしばらく悩んでから、それだけ打ち込むと、少し時間を置いてから、送信ボタンをタップした。 「仕方ないよな……。」 鬼頭は思い切りため息をつくと、ボスッとベッドにダイブした。 顔写真一つ載せていない俺に、メッセージを送ってくれた初めての人「わんみの」さん。 俺の事を大型犬だと言ってくれた「わんみの」さん。 もしかしたらこれが、俺の御主人様との運命の出会いになったかもしれないのに…………。 「って、いやいや、そういえば深く考えてなかったけど、上手く出会えたところでどうするんだよ…こんな田舎で、どこでも知り合いに会うような村で……そうだよ、あーあ、せめて何何市くらいの所に住みてぇな…村だぜ、村!!」 そう、今の今までこの出会い系サイトを見つけることができた興奮や、同じ願望を持つ人間がそれなりの人数いるんだという安心感で 忘れてしまっていたが、このサイトで御主人様を見つけるということは、当たり前だが、何処かで御主人様に会わなければいけないが、鬼頭の暮らしている場所は、「村」と名前がついている、誰と顔を合わせても名前がわかるくらいの所で、いまだに玄関に鍵を掛けない家のほうが多いし、スーパーに行けば必ず同級生の何人かに出くわしてしまう。 こんな小さな村で、御主人様と会うなんて、同級生に会っても、その親に会っても、上手い言い訳なんて一つも出てこないし、出身が同じ相手なんて、その御主人様が知り合いの可能性だってあるわけだ。 ただ、サイト内のプロフィールを何人も見てきたが、鬼頭と同じ地方に住んでいる人はどうやら一人も居ないようで、どの人を見ても、居住地は都心部に集中していた。 初めてメッセージを送ってくれた「わんみの」さんのプロフィールの居住地にも、東京の二文字が輝いている。 鬼頭はベッドの上で寝転がりながら、何度も何度も「わんみの」さんからのメッセージを読み直しながら考えた。 同級生のほとんどは、地元に残り就職すると言っていた。この村を出る奴等も数人いたが、聞いた話では東京に行く奴は居ない。 東京で一人暮らしが出来れば…………。 いまだに家の中に俺の部屋は無い。だから二段ベッドの下の段が唯一の俺のプライベートルームで、マスかくのだってベッドの中でしか出来やしない。 近所のオバサン連中は、チャイムも鳴らさずズカズカと玄関に乗り込んでくるし、直接言った覚えもないのに、俺が誰と付き合っただの別れただのが何時だって筒抜け。 通販で何か買っても、馬鹿親父が自分宛じゃなくてもお構いなしに開けちまうから、アダルトグッズなんて買えたことがない。 東京で一人暮らしをすれば、そんな悩みは全て解決する!! 一人暮らしをすれば、部屋の全部が俺のプライベートルームで、この村と東京の距離を考えれば、馬鹿親父も気軽に訪ねてこれる距離じゃねぇ!! 「わんみの」さんとはこれっきりで終わるだろうけど、東京で一人暮らしをしていれば、今度こそ、親だの知り合いだの、ごちゃごちゃと悩む必要なく、御主人様を探すことができる!!アダルトグッズだって通販で買い放題!!!! 鬼頭はそこまで考えると、勢いよくベッドから飛び起きて、就職活動用のファイルをガサガサと引っ張り出した。 この村近辺で就職するつもりで、あまり詳しくパンフレットや説明会の案内を見ていなかったが、都心部の会社の説明会にもとりあえず参加だけはしておこうと、一通りのパンフレットは貰ってきていたので、その中から、所在地が東京になっている会社を片っ端から集めて、まずは母親の元へ駆け込んだ。 母親は特に村で就職しろと言う人ではなかったので、東京で就職すること自体に反対はしなかったが、まだ卒業まで時間があるので、最後まで好成績の優等生で卒業することを条件に、東京ヘ行くことを許してくれた。 父親を説き伏せるのはかなり手こずったが、優しく頼りがいのある兄が間に入ってくれ、納得はしていないだろうが、なんとか東京行きの切符を手に入れる事ができた。 東京へ行けば、俺にも誰かが首輪をつけてくれるかもしれない。 平凡な人生と引き換えに、諦めかけていた夢が叶うかもしれない。 鬼頭はもう一度、「秘密のペット」のプロフィールページを開いてみた。そこには相変わらず、「わんみの」さんからのメッセージしか入っていないし、プロフィール画像だって設定していない質素な空間が広がっていた。 「わんみのさん………うーん、俺が東京で就職決めて、一人暮らしするまでの期間に……俺にメッセージ送ったことなんて忘れるよな……これっきりだよな………。」 初めてもらったメッセージ、御主人様になるかもしれない人からのメッセージだし、東京で就職すると一気に決めて行動できたのも、「わんみの」さんからのメッセージがきっかけになっている。 これっきりで終わるだろうと思ってはいるが、初めてもらったメッセージということもあり、どうにも頭から離れない。 そうだ、東京で暮らすようになったら、もう一度「わんみの」さんにメッセージを送ってみよう。その頃には俺の事なんて忘れているだろうけど………。 こうして鬼頭大智は東京の会社に就職し、東京で夢の一人暮らしを開始したのだった。 そして、運命の日は、新入社員歓迎会の夜にやって来た。

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